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韓流といえば、これまでは比較的年齢の高い中年女性層のドラマブームが中心でしたが、最近では、若い女性たちが少女時代やKaraに代表する韓国の"ガールズグループ"に熱狂しているようです。確かに、日本のアイドルグループと比べると、歌やダンスのクオリティーも高いし、スタイル、ルックスもモデル並です。個人的には、韓流ドラマ「アイリス」にはまっています。
2010年08月29日
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今日、荻窪駅頭をブラブラしていたら、一台の車がパトカーに止められて、数人の警官が車中を調べ始めたんですよ。結局、何もなかったようなんですが、あれって何々ですかね?覚醒剤とか大麻を探してたんですかね?交通違反で車が止められるのはしょっちゅう見ますが、ああいう光景は初めて見ました。
2010年08月23日
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外回りの仕事をしていて、普段、玄関先でお客さんと話す事が多いんですが、今日訪問したお宅は、最初、娘さんらしき人が出てきて、中にどうぞと通されたんですね。そしたらなんと奥さんがスリップ一枚で出てきたんですよ!どうやら中国人らしいんですが、日本人と違って大胆ですよね~。(汗)
2010年08月19日
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DMM.comを利用するようになってから、ここ最近CDを買ってなかったんですが、久々にCDを買いました。トム・ブラウンの「Funkin for Jamaica」です。このアルバムの中に入っている「Funkin' for Jamaica」という曲が、当時通っていたディスコでよくかかっていたんですが、このファンキーな感じがたまりません!この曲を久々に聴いたら、私の中のディスコの虫が疼いてきました。カラオケには一人で行けても、さすがにディスコには一人で行けませんからね。誰か一緒に行きませんか?
2010年08月18日
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雲行きが怪しくなってきたので、早めに仕事を切り上げて帰ったんですが、家に着いて約1分後ににわか雨がザ~~~ッと降ってきました。先日は、コピーをしに店に入ったら、にわか雨が降ってきて、店を出たら雨が止みました。普段の心掛けがいいから?
2010年08月18日
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今日、荻窪界隈を自転車で走ってたんですが、たまたま旅館西郊の前を通りました。昔、教会にいた頃、ここでよくM(マナ)展をやってたんですよね。私も動員したことがあります。でも当時、旅館の人はまさか統一教会だとは思わなかったでしょうね。あっ。。。こういう事書くと、営業妨害になっちゃうかな?
2010年08月16日
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「魂は或る程度まで、以前の地上生活が自分の中に不完全な部分を 作り出したことを悟っている。 その不完全さは醜い行為や醜い思考内容に由来する。 死と生の間の時期に、この不完全さを清算しようとする、 意志に似た衝動が生じる。 それ故魂は、次の地上生活で自分を不幸に陥(おとしい)れ、 その苦しみを通して清算を済ませようとする傾向を、 自分の中に作り出しておく。 しかし肉体的存在となってこの世に生まれてくると 以前の純粋に霊的存在だった時期に、運命の打撃をみずから自分に課していた 事実を、魂は思い出すことも予感することももはやできない。 地上生活の観点からは、全然願わしくない事柄が、 超感覚的観点からいえば、魂自身によって望まれていた事柄となる」 「過去を振り返り、自分が何を望まなかったか、何から逃げたかったかを、 はっきりさせます。 それをはっきりさせたら、ついで、 人生のなかでもっとも気に入らなかった 事柄のイメージを持ちます。 過去の自分の人生の中で、 気に入らなかった事柄を取り出すことが まさに問題なのです。 そして次のような考えに没頭しなければなりません。 自分が本来望みも願いもしなかった事柄を、 精力的に望み、願うのです。 ・・・大切なのは、自分が望まなかったこと、あるいは自分の願望を成就できな かった事柄を、あたかも熱心に望んでいるかのように表象することです。 こうして、感情と思考のなかに、一つの存在をつくりだすのです」 「さて、ふたたび実験的に、次のような観点に立ってみましょう。 『わたしはこの苦悩、この苦痛を体験した。 この人生が一度かぎりのものならば、 私達の苦悩、苦痛は宿命的なものであり、 できることなら投げ出してしまいたいものだ。 だが一度、実験的に、そんなふうには考えないようにしてみよう。 私達が、なんらかの根拠から、この苦痛、苦悩、 障害を招き寄せたのだと仮定してみよう。 もし前世が存在するなら、私達は自分がかつてなしたことによって、 いまのような不完全な存在になったのだから』と、いうことができます。 ・・・中略・・・ 私達は、自分の行為の均衡を取らねばなりません。 何かを克服することを私達に強いるものを見出さねばなりません。 そして、この方向で、私達の苦悩と苦痛について熟考してみると、 『自分の不完全さを克服するための力を自分のものとするために、 それらの苦悩、苦痛は私に適したものである。 苦悩をとおして、私は完全になっていく』と、いうことができるのです。 通常の生活においては、私達はそのようには考えません。 通常の生活においては、私達は苦悩を退けようとします。 しかし、『苦悩、苦痛、障害は、自分のなかに自分よりも 賢い人間がいることを示している』と、いうことができるのです。 ・・・・私達の魂の地下に、より賢い人間がまどろんでいます。 私達の通常の意識は苦悩、苦痛を拒絶します。 私達の中のより賢明な人間が、私達の意に反して、私達を苦悩へと導くのです。 私達はそれらの苦悩を克服することをとおして、 何かを脱ぎ捨てることができるからです。 私達の内部に存在する、より賢明な人間が、私達を苦悩、苦痛に導き、 その苦悩、苦痛を体験するように指示するのです。 ・・・より賢明な人間が自分のなかにおり、 その人間が私達を不快なことに導くことによって、 私達は前進するのです。」 ルドルフ・シュタイナー
2010年08月15日
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先日、「やりすぎコージー」という番組で、自称軍事評論家のテレンス・リーが「地震兵器HAARP」について語っていました。私は、陰謀史観に興味があるので以前から知っていましたが、しかし、フリーメーソンやHAARPについてこういうバラエティー番組が取り上げるようになったんですね。船井幸雄氏も自身のサイトで取り上げています。信じる信じないはあなた次第です。。。 ニュースにならない世界の大ニュース 地震兵器ハープHAARP(5分頃にHAARPの説明)
2010年08月12日
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「・・・・・・・・・知性と言語との間の一致が達成される代わりに、ルツィフェル(ルシファー)的、アーリマン的存在たちが人間に影響を及ぼし、その達成を妨げたのです。そこで先ず、その際のルツィフェル的天使存在に眼を向けてみましょう。このルツィフェル的天使存在は人びとに働きかけて、概念世界の国際的性質という先入見を人びとの心の中に組み込み、全世界のどの地域の人びとにも妥当するような普遍的で統一的な教義が存在する、と思い込ませたのです。そのような統一的な教義を信じるとき、そして多様性の中にではなく、統一性の中に救済を求めようとするとき、そこにはルツィフェル的な霊たちが働いているのです。その霊たちは表象世界を言語世界から切り離しました。そうすることで、表象内容、思考内容が正しい仕方で、語られた言葉の中に生きることを不可能にしてしまったのです。このようにしてルツィフェル的一元論、ルツィフェル的統一思想が全世界を風靡するようになりました。自分が正しいと思うことはできるだけすみやかに全世界の人びとにも信じさせるべきだ、と考える狂信家たちは、ルツィフェル的な天使たちに憑依されているのです。 ですから、大切なのは、統一幻想にとらわれることではなく、調和的に作用し合う多様性を求めて働くことなのです。」 人智学通信第49号より~ルドルフ・シュタイナー 何だかって何となく統一教会の事を語っていると思いませんか?あちゃ~統一教会って、神様じゃなくルシファーが働いていたんですね。。。
2010年08月11日
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カラオケでたま~に洋楽を歌うんですが、今日は、アースウィンド&ファイアーの「ブギーワンダーランド」を歌いました。英語の歌詞をちゃんと覚えてるわけでもなく、かなりでたらめだったんですが、87点ですよ?意外と自分で上手く歌えたなと思った曲ほど低い点数だったりします。一体、カラオケの採点基準て何なんでしょうね?まあ~自分が歌って楽しければ点数なんてどうでもいいんですが。。。
2010年08月09日
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八神純子なんかと同じヤマハポプコン出身です。当時は、レコードも持っていました。極端にメディア露出の少ないシンガーだったので、知ってる方は少ないかも知れませんね。YouTubeで久々に彼女の歌を聴き、懐かしさのあまりさっそくCDをレンタルしました。 LONELY LONELY ファッシネイション 月下美人セ・シボン
2010年08月08日
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今日の夕食はオムレツだったんですが、一足先に食べた息子が、「何だこれ~!しょっぺ~!」家内曰く、塩のキャップが取れてドバドバと塩が入っちゃったんだそうです。食べてみると、塩辛くて食べれたもんじゃありません。残すのもあれなので、砂糖とマヨネーズをかけてなんとか完食しました。これじゃ~バツゲームだ。。。
2010年08月07日
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特にファンというわけでもCDを持っているわけでもないんですが、このキーボードプレイを見て、「おお~っ!」と思いました。いわゆるシンガーソングライターで、キーボードを弾く人は珍らしくありませんが、こういうタッチのキーボードを弾く人はあまりいません。調べてみたら、スタッフというフュージョングループのキーボード奏者(リチャード・ティー)の影響を受け、アマチュア時代はフュージョン系のバンドのキーボードを担当していたようです。彼女の歌よりも、キーボードを演奏したCDがあったら是非聴いてみたいです。
2010年08月04日
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先日(オフ)、公園で缶ビールを飲みながら長電話をしていたんですが、どうやら熱中症?になったみたいで、途中で気分が悪くなってトイレで吐いちゃいました。家に帰ってからもしばらく気分が悪く、寝る前にまた吐きました。(汚い話しですいませんm(_ _)m)今まで、夏場に外回りをしても一度も熱中症になった事なんてないのに、年なんですかね。。。冷蔵庫も、熱中症?になったみたいで、ここ最近、全然冷えなくてとうとう買い換えました。皆さんも熱中症にならないように気をつけて下さいね。
2010年08月04日
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運命とは何なのだろうか? 運命を考える場合、その視野をずっと拡大しなければ解明できない、というのが私の持論である。視野を拡大しなければ、この世で私たちが経験する不運や幸運の真の原因、そして意味を理解することはできないと思うからだ。 さて、運命という現象を考える一番の根本は、私たちは生命現象として地上に存在している、ということである。 生命というのは、当たり前であるが、「生きよう」とする運動を持っている。しかも、「よりよく生きよう」としている。このことは、「生命力を高めようとしている存在」と表現することもできるはずである。 では、生命力を高めるには、どうすればいいのだろうか? 生命力は、ダイナミックな存在であり、決して静止状態ではない。ダイナミックとは、対極的な要素を幅広く受け入れ、なおかつそれらのバランスをとっている状態のことである。 たとえば、過保護に育てられた子供は、生命力は強くならない。夏はなるべく暑くなく、冬はなるべく寒くなく、息が切れるような運動をさせることなく育てられた子供は、生命力が弱く、ちょっとしたことで病気になったりするような大人に成長するだろう。これは、生命の意志を無視した生き方である。 それに対し、限度を超さない限りにおいて、夏は暑い思いをし、冬は寒い思いをし、これ以上はがんばれないというほど身体を動かす子供は、生命力が強く育つはずだ。これは、両極性の幅を延ばしてダイナミズムを拡張させたからである。 生命力は、そのようにして高まっていくのだ。 以上は、肉体面における生命力の増強である。しかし生命とは、同時に精神的な存在でもあるから、肉体と精神の両方において、両極性の幅をなるべく拡張させた生き方をしたときに、生命力は増強され、実際、生命は本能的に、そのような生き方をしようとするのだと思う。 では、精神的な領域における、両極性の拡大とは、何をさしているのか? それは、愉快な思いと不愉快な思いである。リラックスと緊張である。換言すれば、それは幸福と不幸であり、喜びと悲しみである。 私たちは、人生には幸福だけで不幸がなければいいと考える。喜びだけあって、悲しみがなければいいと考える。何もかも恵まれて、不自由しない生活がいいと考える。 ところが、生命としての観点から考察すると、こういう状態は具合が悪い。 なぜなら、確実に生命力が衰えてしまうからである。人生に、ある程度の不幸、悲しみ、苦しみがなければ、生命力は萎縮してしまうのである。よく「隠居三年」などといわれるが、退職して年金の生活を始めると三年ほどで死んでしまうという。これは実際、その通りなのかもしれない。 地上に誕生する前、私たちは「生命」そのものであった。そして、生命である私たちは、生命としての視点から、この地上をどのようにして生きるべきかを計画したのである。 それは、なるべく安楽で恵まれた生活をするように、という視点からではなく、「なるべく生命力を高められるように」という視点からである。まったく違う価値観に基づいて、現世の運命を計画して生まれてきたのである。 それが「運命」の正体なのだ。 両極性の幅をなるべく広げるために、すなわち、喜びはなるべく大きく、苦しみもなるべく大きい運命を経験しようとしているのだ。ひとことでいえば、それは波乱に満ちた人生である。多彩で波乱に満ちた人生こそが、生命力を高め、生命という視点からはもっとも「幸福」であるといえるのだ。 大きな苦しみを味わうと、生命力は一時的に衰えた状態になる。そこで、その衰えた生命力を回復しようとして、大きな反動がつくのだが、そこで求めるものは、あくまでも「生命力を回復する」ような「幸福」であり、安楽な贅沢などではない。ここがポイントである。 そこで、地上に誕生する前、生命そのものであった私たちの大半は、地上的な意味での幸福よりも、むしろ苦しみの方に価値をおいて注目する。つまり、生命力を高めるために、自分が許容できる限界まで、なるべく大きな苦しみを経験しようとするのである。 大きな苦しみを経験した人が、人間的に清められ、物質的な快楽に浸ったりしない人間に生まれ変わっていった例を、私たちは数多く知っている。そのときの彼らの幸福は、物質的快楽ではなく、ある種の、宗教的なものであり、愛に関係したことである。なぜなら、それらこそが、生命力をもたらしてくれるものであり、物質的な快楽などよりもずっと深く、ずっとすばらしい幸せであると、わかっていたからである。 地上に生まれる前、私たちのだれもが、この高められた生命力だけが味わえるすばらしい幸福を得たいと切望していたのだ。そのために、なるべく大きな苦しみを経験しようという考えをもっていたのである。 この地上で苦しみの多い人は、まさに勇者なのである。 ただし、ここには大きな危険もある。 それは、人によっては、自分が耐えられる限界を越えてしまうところまで苦しみを味わうという計画を立ててしまうことだ。自分では、どれくらいまでの苦しみに耐えられるか、正確には把握できないようである。また、現世での生活いかんによって、きたるべく不運を予想よりも大きくしてしまうといった誤算もあるかもしれない。 そうして、自分が耐えられる以上の苦しみを受け、つぶれてしまうという危険も出てきてしまう。つまり、ますます生命力を弱めて、そこから立ち直れなくなったり、自ら命を絶ってしまうといったことになる。 一方、生命力(魂)が強くない人、そのように自分で思っている人は、あまり大きな苦しみを経験するという計画は立てない。そのような人の運命は、地上では、さほど波風がなく、どちらかといえば幸運な一生を送る傾向がある。なかには、まるで苦労もなく怠惰ともいうべき一生を送るような人もいる。けれども、「生命」の視点から見れば、そのような人生は、決して「幸福」であったとはいえない。清められた生命だけが得られる、偉大な喜びを味わうことができないからである。 それに対して、自分の限界ぎりぎりまでの苦しみを背負い、それに耐え抜いて、生命力を高める境地、あるいは愛に関係する「幸福」をつかんだ人は、この地上の人生は大成功だったといえるだろう。 こうみると、地上への生まれ変わりは、ある種の「ギャンブル」に近いかもしれない。私たちは、「苦しみ」を賭ける。それが大きければ大きいほど、その投機に成功した場合の利益も大きくなる。 では、苦しみにつぶれてしまった人は、どうなるのだろうか? 地上から帰還したとき、今回の人生は失敗だったと思うかもしれないが、それほどがっかりはしない。なぜなら、このギャンブルは、何回も何回も続けられるからだ。まるでルーレット遊びに興じるギャンブラーのように、一生とは、たった一回のプレイにすぎない。一回くらい賭けた金に見合う報酬を取り戻せなかったからといって、がっかりするギャンブラーはいない。生命は、また次の人生に向けて用意を調えることだろう。それに、この人生の苦しみは生命の中に記録されるので、その反動としての幸福が、次の人生で訪れる可能性があることも知っている。だから、たとえ一生が不幸と苦しみだけで終わったとしても、生命の視点から見ると、たいしたことがないと感じるのではないかと思う。 ところが、がんばればもっと苦しみに耐えられたはずなのに、安楽な一生を送った場合は、生命は後悔するかもしれない。その後悔とは「時間を無駄にした」という後悔である。そのくらい視野を拡大しないと、この世の不幸や運命の意味はつかみきれない。 肉体をもった私たちの考えでは、不幸や苦しみという運命は不吉で嫌なものだが、生命という視点から見れば、ありがたいものであり、ある意味では「幸運」そのものなのだ。逆説的だが、この世で不幸な人、挫折した人、失敗に苦悩する人、競争に負けた人、病気や障害に苦しむ人たちはすべて、真の幸福への道を歩んでいる人たちなのである。この人たちは、霊的な勝利者への道を歩んでいるエリートなのだ。 人生において、不運や苦しみが訪れること自体は、決して不幸なことではない。本当に不幸なことは、そのために生命力を萎縮させてしまうことである。 斉藤啓一氏HP
2010年08月03日
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