別ヴァージョンの人間史 by はやし浩司

別ヴァージョンの人間史 by はやし浩司

2024年09月27日
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●空白感

 2018年の7月から、私の心に、小さな穴があった。

一抹のさみしさ。

それがあった。

 2018年の7月に、第一回目の赤い怪光事件が起きた。

つづいてその翌月に、白い怪光事件が起きた。

以来、2019年の12月の「六芒星事件」まで。

が、こうした時間はすべて、私の背中側で起きた。

つまり私自身は、そうした怪光をまったく見ていない。

第一回目のときもそうだ(2018年7月)。

勉強会を始めるとすぐ、黄金色の怪光が天井から降りてきて、私の左肩のところで消えたという( M さんの証言)。

左肩である!

まぶしいばかりの黄金色!

が、私は見ていない。

今だからこそ告白できるが、私はその話を M さんから聞いたとき、私は M さんの脳みそを先に疑った。

「そんなはずはない」と。

「まぶしいばかりの光なら、それが私にも見えたはず」とも。

 (注:しかしこうした事件が重なると、やがて私はこう判断するようになった。

(上の人)が使う光は、特殊なもの。

人間が知っている光とは異質。

光源体は見えない。

その光源体から、きわめて指向性の強い光が発せられる。

その人をめがけて、強い光が発せられる。

その光は見える人には見える。

しかし見えない人には見えない。

隣に座っていても、見えない人には見えない。

(上の人)が使う光は、そういう光である。)

 が、それがさみしかった。

何かしら自分だけが、仲間外れにされたようなさみしさだった。

かすかなさみしさだったが、それがずっと、心にあった。

●信仰

 よく「私は神を信じます」と口にする人がいる。

が、私はそういう言葉を聞くたびに、こう思う。

「本当かな?」「そんな簡単なことではない」と。

 つまり(信ずる)という心理作用を支えるのは、全幅的な屈服感である。

「すべてを投げ出します」という白旗。

宗教の世界では、「帰依(きえ)」という言葉を使う。

「すべてを捧げます」と。

それが(信ずる)という心理作用につながる。

またそれがなければ、神を信ずることはできない。

 が、それは簡単なことではない。

私のように、「我(が)」の強い人間はとくにそうだ。

簡単には、自分を投げ出さない。

いくら相手が神であっても、自分を投げ出さない。

私は私だ。

 が、その私が、投げ出した。

2020年10月24日のことである。

ビデオ日誌を分析しながら、それがわかった。

何度も確かめた。

虫ではない。

チリやゴミでもない。

光学的な Bug でもない。

もちろんレンズ・フレアでもない。

今までにも、何度か涙を流した。

あの「パーティ事件」のときには、それが(上の人)からのサイン(印)と確信したときにも、大泣きに泣いた。

生涯で初めて、大泣きに泣いた。

が、それでも私は自分を投げ出さなかった。

心の中で、強くそれに抵抗した。

 「神の気まぐれだ」と。

 が、そんな私だったが、とうとう身を投げてしまった。

●神の実在感

 神の実在を知れば知るほど、神は人間と一体化する。

つまり神イコール、高度な知的能力をもった人間ととらえる。

つまり「人間」。

 だから私は、最近でもこう思った。

「神も、コロナ19騒動で忙しいのだ」と。

 2020年の2月・・・教えていた女子学生が大豪雨事件を経験する。

3月・・・医療ファイルがこつぜんと消える(今も消えたまま)。

4月・・・第一回目のビデオ日誌に、」 UFO が映り込む。

5月・・・廊下を浮遊する UFO をワイフが目撃する。

そして10月、ビデオ日誌を自撮りしているとき、超小型の UFO が映り込む。

 つまり6月から9月まで、何も起きなかった。

小さな事件はいくつかあったが、私はあえて無視した。

というのも、この種の事件は疲れる。

本当に疲れる。

心が大きくざわつく。

そのつどまどわされる。

だから無視。

それ以上に、すでに40回以上?

 が、その一方で、人間の心というのも、ずいぶんと身勝手。

何もなければないで、さみしい。

ぽっかりと穴があく。

だからこう思った。

「(上の人)も、コロナ19騒動で忙しいのだ」、「私のような人間にかまけている暇はないのだ」と。

 つまり(上の人)を、人間と同等にとらえればとらえるほど、(上の人)はそのまま人間に見えてくる。

つまり同時に、その分だけ、全幅に身を寄せることはできない。

心のブレーキが働く。

が、である。

ところが、である。

その事件以来、心がウソのように軽くなった。

本当に軽くなった。

同時に、穏やかになった。

●安穏

 その日以来、今日で、8日になる。

(今、「8日」と書いて驚いた。

たったの8日!

私はもっと過ぎていたと思った。

思ったから指を使って、何度も数え直した。

やはり8日だった!)

 たった8日では、・・・という思いも同時にある。

が、この8日の間、私の心は穏やかでやさしい。

安心感がある。

ほっとするような温もりを感ずる。

同時に、私の心に巣を作っていた、「壁」が消えた?

 そう私は当時としては恵まれた環境で、生まれ育ったが、心は貧しかった。

親すら、信じていなかった。

私の父は本当の父ではなかった・・・という疑いも強くもっていた・・・いる。

(事実、そうかもしれないが・・・。)

 母は、昔からの庄屋だったが、戦後、田畑をほとんど失った。

GHQ

そのことがあって、母は異常に虚栄心が強かった。

その虚栄心に振り回された。

私はその虚栄心に利用された。

つまり私の不信感の根源は、そのあたりにある。

根が深い。

だからこう思った。

 今でもときどき、「あなたは幸運ですね。神に選ばれた人ですね」と言う人がいる。

傍(はた)から見れば、そう見えるかもしれない。

私自身も、ときどきそう思うことはある。

が、すぐさまそれを打ち消す。

「そんなバカなことはあるか!」「私はそんな人間ではない!」「どうしようもないほど、ボロボロの人間だ!」と。

今までは、ずっとそうだった。

 が、それが消えた。

父も、母も信じなかった私が、そこに神の存在を感ずる。

いつも感ずる。

その安堵感。

温もり。

そしてそのやさしさ。

 私は人生73年にして、はじめて心を開くことができた。

その解放感。

その開放感。

この先のことはわからない。

「たったの8日」というのは、そういうもの。

1年ならわかる。

8年ならわかる。

が、「たったの8日!」。

 だから明日のことはわからない。

わからないが、ともかくも今は、そうだ。

小さな小さな事件だった。

そこに現れた UFO も、超小型。

が、私にとっては、心の転機にもなった、大きな事件だった。

●目的

 なぜ10月24日に、(上の人)はサインを送ってきたか?

理由はわかっている。

つまりは返事。

が、それについては、今はまだ書けない。

けっしてもったいぶっているわけではない。

こういった話は軽率にはできない。

ワイフからも固く口留めされている。

 が、時期がくれば話す。

書く。

 が、もう一つ理由がある?

それはあくまでも結果論だが、今の私を見ればわかる。

毎日、仕事をするのが楽しくてならない。

この数か月、どこか落ち込んでいた。

その私が、10月24日以後は、元気になった。

つまり、私はその事件に励まされた。

 で、ワイフは今、こう言っている。

「あなた、落ち込んでいたから、きっと励ましに来てくれたのよ」と。

 そうかもしれない。

そうでないかもしれない。

が、結果としてみると、そうなのだから、そうかもしれない。

つまり(上の人)は、またまた私を励ましに来てくれた。

 あの第2回目のコンサート事件のときは、その音楽の中に一度だけだが、声が入った。

旋律に乗って、声が入った。

それは英語だった。

そして女性の声で、こう歌った。

「・・・ I~love~you ~・・・」と。

 今にして思うと、こう思う。

あのコンサート事件は、夢ではなかった。

ぜったいに、夢ではなかった。

その証拠が、今の私の(やる気)ということになる。

【みんさんへ】

 神は実在しますよ。

(2020年11月1日、朝記)

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●神の仕事

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●匿名

 こんな事件がある。

ある視聴者の方が教えてくれた。

聖ジョージに関してのものである。

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●モンスの天使事件

1914 8 23 日、ベルギーのモンスでイギリス軍は前線で孤立し、ドイツ ( プロシア ) 軍に包囲されてしまった。

イギリス軍は進退きわまり天に祈るしか残されていなかった。

すると、どこからか弓兵が出現しドイツ軍に矢を放ち始めた。

彼らの働きで多くのドイツ兵が倒れていったが、倒れた兵には傷がなかった。

弓兵たちの働きでイギリス軍は無事退却できた。( Wikipedia 百科事典・日本語版)

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 この事件について、一般には、

「モンスの天使(モンスのてんし)とは、第一次世界大戦中に起きた超常現象といわれている。

が、実際はアーサー・マッケンの短篇小説「弓兵」 (The Bowman) 内容そのままの話。

神智学協会の会合での発言が発端で「事実」として流布された」と(同事典)。

 つまり小説だった、と。

●疑惑

 最近、どうも疑り深くなった。

この事件についても、そうだ。

「モンスの事件」は、あったのか、なかったのか。

ウィキペディアの記事によれば、「小説」の話だった、と。

しかしこうも考えられる。

 神が、小説の内容をまねて、事件を起こした?、とも。

つまり小説の内容に似せて、上の人がモンスの事件を起こし、イギリス兵を助けた、と。

たとえば浦島太郎の話に似せて、実際、亀型 UFO を作り、人間を乗せたとか、など。

 が、それはどうか?

 モンスの事件では、相対するドイツ兵を、つぎつぎと殺したとある。

イギリス兵を守るため、ドイツ兵を殺した、と。

●匿名

 それはともかくも、あのアインシュタインはこう書き残している。

『神が何か人間に対してするときは、匿名で偶然に見せかけてするよ』と。

Coincidence is God’s way of remaining anonymous’

わかりやすく言えば、神が何か人間に対してするときは、こっそりと、つまり偶然そうなったかのように見せかけてする、ということかな。

表立って、ことはしない。

人間には神の仕事とは、思わせない。

 ここでいう「匿名」というのは、名前を出さず、こっそりとする、という意味である。

つまり人間に対して、仰々(ぎょうぎょう)しく、神のしわざとわからせるようなことはしない、と。

 が、アインシュタインは、神ではないから、この言葉をそのまま神の言葉と考えることはできない。

が、この言葉は正しい・・・と思う。

たとえば神の目から見て、そこに助けなければならない人(=人間)がいたとする。

そういうとき、(私が神なら)、その人をこっそりと助ける。

神の名前を出す必要もないし、また出しても意味がない。

また神の名前を出せば、かえってやっかいなことになる。

だから、こっそりとする。

つまり人間に対して、恩着せがましいことはしない。

 だいたい神が、どうして人間ごときに、恩を売らなければならないのか。

売っても意味がない。

ないばかりか、名を出せば、人間にかえって依存心をもたせてしまう。

わかりやすく言えば、(人間にはキリがない)。

一度助けたら最後、「もっと」「もっと」となる。

 たとえば幼稚園の教師だって、一人の園児を助けるときには、こっそりと助ける。

その子どもが見えないところで、隠れてそっと助ける。

またそれが正しい指導法ということになる。

いわんや神を、や。

●ルルドの奇跡

 一方、『ルルドの奇跡』というのがある。

 ロイター(通信社)が、こんな記事を載せている。

「2月13日、フランス南西部のルルドを訪ねた後に坐骨神経痛に伴う長年の歩行困難から快復したカトリック修道女の例が先週、居住教区の司教により、ルルド70例目の奇跡と認定された。写真は2016年11月撮影のマサビエルの洞窟(2018年 ロイター /Regis Duvignau )」と。

 そのまま引用する。

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●「ルルドの奇跡」 70 例目に認定、訪問の修道女が病気から快復

[ボーベー(フランス) 13日 ロイター]

フランス南西部のルルドを訪ねた後に坐骨神経痛に伴う長年の歩行困難から快復したカトリック修道女の例が先週、居住教区の司教により、ルルド70例目の奇跡と認定された。

快復に対する医学的な説明がつかないとの医師団の判断を受けたもの。

修道女はベルナデット・モリオーさん(78)。人生の半分余りにわたって坐骨神経症に伴う歩行困難に苦しみ、長年鎮痛のため多量のモルヒネを常用していた。

モリオーさんは13日、2008年7月にルルドを訪ねた数日後、圧倒的に強烈な健康感がみなぎったと述懐。

長年曲がったままだった足の添え木を外して足を延ばし、普通に歩き始めたと説明した。

モリオーさんは記者団に「添え木を外すようにと声が聞こえた。

信仰の証としてはずしてみたところ、驚いたことに足がまっすぐ伸び、まったく痛みを感じずに動くことができた。

私は、大泣きした。翌日には森で5キロ歩いた」と語った。

常用していたモルヒネを止めたところ、痛みがなかったほか、長期間にわたる鎮痛剤常用を突然中止した際にしばしば発生する副作用も見られなかったという。

1858年に農民の娘ベルナデッタが聖母マリアの出現を見た「ルルドの奇跡」以来、ルルドにはカトリック教徒を中心に、2億人の巡礼者が訪れ、7000人前後が病気の治癒を報告。

ただ、公式な奇跡として認定・記録されているのは100件に1件程度の割合という。

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●7000人

 この中の「7000人」をどう見るか、ということ。

1858年から現在まで、約250年以上。

7000人を250年で割ると、1年あたり、28人。

1か月で、2~3人前後。 

 が、それよりも気になるのは、マリア(?)の声が聞こえたということ。

「信仰の印(サイン)」とは、それを言う。

つまり「匿名」ではなく、神は、堂々と名を名乗ったということになる。

「私があなたの病気を治してあげましたよ」と。

 しかしこれほどまでに恩着せがましい話もない。

助けられた修道女にしても、78歳。

この年齢になると、体の不調はひとつやふたつではすまない。

坐骨神経痛は、そのうちのひとつにすぎない。

ヨーロッパでは、78歳と言えば、平均寿命をすでに超えている。

が、なぜ神は、こんなことをするのか?

 考えてみれば、これほど恩着せがましい話はない。

何のため?

どうして?

●2種類の神

 神と言っても、2種類、いる。

言うまでもなく、マルドック派の神とマリア(イナンナ)派の神。

マルドック派については、これから考えるが、その前にマリア派。

私の印象では、このマリア派は、そのつど姿を現し、マリアと思わせながら「仕事」をする。

 古くは『雪の奇跡事件』、サンタ・マジョーレ大聖堂の建立をめざして起きた事件がある。

類似の事件として、『グアダルーペ事件』というのもあるし、『ファティマの踊る太陽事件』というのもある。

ほかにもいろいろあるが、どれも結果的に、そのあと、その場所に大聖堂が建立されている。

私の動画の中でも、たびたび取り上げている。

〇雪の奇跡事件

https://youtu.be/Beu-Xm3QLzg

〇グアダルーペ事件

https://youtu.be/N1XCkNkWLOU

〇ファティマの踊る太陽事件

https://youtu.be/BNjKJZ6H1Sg

 一方、マルドック派は、自分の姿や名前をけっして表に出さない。

「出した」という事件そのものがない。

「こっそりとしている」という話も聞かない。

少なくとも、私は知らない。

それともあなたは、「私はイエスだ」と語った神を、あなたは知っているだろうか。

 ただ唯一の例外としては、ジョセフ・スミスを指導した、イエスの例がある。

ジョセフ・スミスというのはモルモン教の教祖である。

現在の今、モルモン教徒たちは、ジョセフ・スミスを指導したのは、イエスだと信じている。

モルモン教が配布する案内書にも、そう書いてある。

 で、私は一度、モルモン教の宣教師にそのことを確かめたことがある。

「本当に、その神は、自らをイエスと名乗ったのか」と。

 するとその宣教師は、こう言った。

「名乗ったという記録はどこにもない。しかしイエス以外に考えられない」と。

「イエス以外には考えられないので、イエスだ」と。

つまり状況証拠というわけである。

が、この手法、つまり名前こそ語らないが、しかしその神と思わせる手法は、マリア派にも共通している。

前述、『雪の奇跡事件』『グアダルーペ事件』『ファティマの踊る太陽事件』でも、マリアは自らを「マリア」と語ったという話は、聞いていない。

ルルドの奇跡にしても、そうだ。

信者の側が、一方的に、そう判断しているだけである。

(この点、信者の人たちは、「レィディ(婦人)」という言葉を使っている。

ファティマに現れたマリアにしても、一般的には、「ファティマのレィディ」と呼ぶなど。)

 ただ基本的な部分では、私はつぎのような違いを感じている。

 マルドック派・・・思想による本人の意思尊重型

 マリア派・・・奇跡を見せることによる人心誘導型

 決定的な違いは、やはり「恩着せ」。

恩着せがないのが、マルドック派。

恩着せがあるのが、マリア派。

ともあれ、アインシュタインの「匿名説」は、どのように考えたらよいのか。

●キリがない

 先にも書いたが、人間側が要求する願望(欲望を含む)には、キリがない。

その第一が、命であり、健康であり、経済的豊かさということになる。

命にしても、健康にしても、結局はどこかで、人間の欲望とつながっている。

(ひとつ)では、けっして満足しない?

(ひとつ)助ければ、「もっと、もっと・・・」となる。

感謝といっても、一時的なもの?

というのも、命にして、それには自ずと限界がある。

つまりいつかは、人間は必ず死ぬ。

 わかりやすく言えば、「健康になったからといって、それがどうしたの?」ということになる。

私の近辺にも、6か月の入院生活のあと、退院した人がいる。

「6か月」といえば、重病である。

実際、生死のはざまを行き来した。

が、その人が退院後、最初にしたことは、ボートレースに行くことだった。

浜名湖(静岡県)には、そのボートレース場がある。

 が、何も、それが悪いということではない。

ひとつの例としてあげたが、実のところ、みな、そうである。

みな、それぞれが中身的には同じことをしている。

またその人にしてみれば、健康というのは、そういうものだったかもしれない。

またそれをまたそれをすること、つまりボートレースを観戦することを希望として、病魔と闘ったのかもしれない。

そもそも人が生きる目的というのは、そういうものかもしれない。

 ほとんどの人は、(私も含めて)、本当のところ生きる意味などわかっていない。

 が、一般的に言えば、財産、名誉、地位など。

どれも一皮むいてみれば、残るものは何もない。

実際、大病から生還した人でも、生還したあと私が知る範囲では「命」にめざめた人は、ほとんどいない。

人生そのものを変えた人は、ほとんどいない。

しばらくすると、みな、そのまま以前の生活へと戻っていく。

 そして以前と同じことを、また繰り返す。

要するに、キリがない。

●神の目的

 が、実際、マルドック派であるにせよ、マリア派であるにせよ、神はそこにいる。

そこにいて、人間を指導している。

となると、その目的は何か?

何のために、そこにいて、指導しているのか?

 冒頭の話に戻る。

『モンスの天使事件』である。

 この事件はその性格からして、イナンナ・マリア派が起こした事件ということになる。

本当にあったかどうかわからないので、さらに深読みすることはできない。

が、もし本当にあったとしたら、イナンナ・マリア派の仕組んだ事件ということになる。

 で、神々の利益ということになる。

端的に言えば、人間を指導して、神にはどんな利益があるというのか。

実のところ、私には、それがよくわからない。

 が、一方、どんな時代でも、またどんな世界でも、そのときどき、その場所において、人間は自分たちにはその価値があると信じている。

たいていは、「人間は神と同等の力をもっている」と。

現代の今も、そうだ。

「宗教は麻薬である」とひと昔前の教えを、かたくなに信じている国さえある。

こんな記事が載っている。

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中国は、聖書の物語を改変して倫理の教科書に掲載した。

イエスは 「罪人」だと主張し、女性を石で打ち殺したという結末に書き換えた。

歪曲はキリスト教徒の間で怒りを招いている。

問題となった教科書は「職業倫理と法律」と題され、中国各地の職業訓練学校で使用されている。

中国教育省が監督する編集検討委員会によって承認された。

それは、新約聖書の「イエスと姦通の女」という有名な話を引用していた

(大紀元 エポックタイムズ・ジャパンより)

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 考えてみれば、・・・つまり神の立場で考えてみれば、神がいること自体、そもそもおかしい。

神の立場で考えるなら、「どうして人間の指導者でなければならないのか」ということになる。

が、人間側にはそれが理解できない。

「神は人間のために、そこにいる」と考える。

またそういう前提で、神を考える。

 もう一度、問う。

「どうして人間の指導者でなければならないのか」と。

 言い換えると、人間の神であることによる神の利益は何かということになる。

何のために、神は人間の神なのか。

人間の神でなければならないのか。

さらに言い換えると、神は、そこまでお人好しなのかということになる。

 たとえばイナンナ・マリアが、人間の病気を治したとする。

が、何のため?

どうして?

 人間の病気を治したところで、イナンナ・マリアには、どんな利益があるというのか。

またその目的は何か。

いくら考えても、私には、その答えが浮かんでこない。

私が神なら、きっとこう思うだろう。

「人間の指導など、お断り」と。

逆に考えれば、「どうして私が、人間の指導をしなければならないのか」と。

●人間愛

 唯一考えられることは、人間愛ということになる。

人間をこよなく愛するがゆえに、人間のことを心配する、と。

が、これもまたおかしい。

「どうして人間なのか」と考えると、またまた袋小路に入ってしまう。

何も、人間に限る必要はない。

この地球上には、無数の生物がいる。

そういう生物を総合して、「命を愛する」というのなら、まだ話もわかる。

が、「なぜ人間なのか」。

 つまり私が言いたいことは、神は本当にそこまでお人好しなのか、ということ。

またそのお人好しを、そこまで期待してよいのか、ということ。






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最終更新日  2024年09月27日 21時04分04秒


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