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●今朝、あれこれ( 2024 - 09 - 30 )、パソコンの試し打ち
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●午前 2 時 30 分、山の家にて
今時刻は、午前 2 時 30 分。
昨夜は午後 9 時に床に入ったから、約 5 時間の睡眠。
少し短いかな・・・?
一方、 7 時間、眠ることは、めったにない。
6 時間だと、その日は、調子がよい。
5 時間だと、その日はどこかで昼寝時間をとる。
そんな毎日。
しかしそれにしても、気持ちのよい朝だ。
爽やかな風が、・・・家の中で流れているわけではないが、体を包む。
いや、風の流れを感ずる。
カーテンは閉めてあるが、網戸のまま。
窓は、開放。
そこからやさしい風が吹いてくる?
そう今年の夏は、暑かった。
それが長くつづいた。
その反動か、秋の涼風が、ありがたい。
心地よい。
●修理
これは老人組の特性か?
私だけではない。
知人も、友人も、義兄も、みな、そうしている。
話を聞くと、みな、そうだ。
つまり何かの修理ばかりしている。
車の修理、家具の修理、電気製品の修理、おまけに体の修理。
で、私のばあいは、パソコンの修理。
デスクトップは仕事用。
しかしその一方で、ノートパソコンが、 4 ~ 5 台。
そのノート、まともに動くのは、 1 台のみ。
あとは、あれこれ。
みな、どこか故障している。
そのノートが、あちこちに散らかっている。
・・・しかし捨てるわけにもいかない。
もともと高価なもの。
それに、一度は惚れ込んだ。
で、今、この原稿を書いているノートにしても、「 7 」のキーボードが、こわれている。おまけに、ときどき、「 7 」が暴走する。
文章を書いていても、 7777 ・・・と。
突然、それが暴れ出す。
無限に「 7 」がつづく。
(そんなわけで、「 7 」だけは、そのつど一度「なな」と書いて、そのあと変換して「 7 」にする。)
で、昨日。
その「 7 」のキーを不能にした上、接着剤でキーを固定した。
で、今、そのパソコンを使っている。
使って、この原稿を書いている。
ハラハラ・・・。
で、今のところ、暴走はないようだ。
昨日までは、こうして文章を書いていても、勝手に行を移動する、文章が消えるなど。
パソコンを立ち上げるときも、そうだ。
PIN 入力さえ、ままならなかった。
で、人生論。
つまりこうした故障を、故障と考えるか、それとも、故障を当たり前として生きるか。
で、今は、何事につけ、故障を当たり前として取る。
そんな自分になりつつある。
わかりやすく言えば、うまくいくものなど、何もない。
うまくいっているものなど、何もない。
何もかも、故障だらけ。
つまりガタガタ。
そう言えば、義兄など 80 歳を過ぎている。
運転免許は、もうない。
ないが、いつも車やオートバイの修理ばかりしている。
ゴルフにしても、そのクラブの修理ばかりしている。
100 メートル歩くだけでも、たいへんなのに・・・。
ついでに言えば、毎日のように、病院通いをしている。
「ぼくは、病気のデパートだ」と。
が、それも人生、これも人生、あれも人生。
●パソコン人間
・・・今のところ暴走もないようだ。
が、心配。
だから意味のあることは書きたくない。
重要なことは、書きたくない。
だから、こんな文章になってしまった。
言うなれば、試し書き。
試し打ち。
いつ暴走が始まってもよいように、意味のない文章を書く。
叩く。
それがこのエッセー。
ついでに数字を書いてみる。
123456 (なな= 7 ) 8910 .
今のところ、問題はないようだ。
やれやれ・・・。
このノートは、 Fujitsu の・・・ MUV だったかな?
軽量パソコン。
酷使したため、またその分だけ、キーボードが指になじんでいる。
使いやすい。
キーボードを叩いているだけでも、心地よい。
楽しい。
心が安まる。
指先には、そういう作用もあるようだ。
神経が、そのまま脳に直結している。
で、なんとそれがボケ防止にもなるとか?
東洋医学の経絡理論でも、それが実証されている。
つまり、こうして指先に刺激を与えるというのは、言うなれば中毒のようなもの?
子どもでも、そういう子どもがいる。
毛布の切れ端などを、いつも手でいじっている。
そういえば、中国では、石のボールをいつもいじっている人がいる。
2 つのボールを手の先で器用にくるくると回しながら、いじっている。
ああ、今の私がそうかもしれない。
文字を打たないときは、ノートの隅を、指でこすっている。
が、ボケ防止になるというのなら、まさに一石二鳥。
がんばろう。
・・・本当に直ったみたい?
よかった!
新品を買おうと思ったが、中止。
しばらく、このパソコンを使うことにした。
(試し打ちは、ここまで。)
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●帯光事件
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●帯光事件
2024 年 2 月 5 日。
早朝。
赤い帯光事件というのが起きた。
赤い帯光が、まだ真っ暗な空を、縦、一文字に天空を横切った。
時刻は、午前 4 時~。
ここで「赤」と書いたが、そんな単純な色ではない。
赤紫、濃いオレンジ、深紅・・・。
英語には、「クリムゾン」という色があるが、まさにクリムゾン・カラー。
(たった今、「 crimson color image 」で検索をかけてみた。
クリムゾン・カラ-なるものが、ずらりと紹介されていた。
が、そこで紹介されていた色とも、少し違う。
私が見せてもらったのは、深みのある、落ち着いた色だった。
(「見せてもらった」と書くことについては、今ではまったく躊躇ない。)
で、その直後に、私はうしろにあった電気ストーブを見たとき、こう思った。
電気ストーブの中心部は円形になっていたが、その「芯」のところの色に、・・・というより「輝き」に似ていた。
その「芯」のところが深い紫色になったような色だった。
今でも、目を閉じるとその色が、そのまま脳裏に浮かんでくる。
言うまでもなく、隕石(流れ星)や人工衛星の墜落のようなものではない。
そのあと、あちこちを調べに調べぬいた。
懸命に調べた。
だから断言する。
隕石(流れ星)や人工衛星の墜落のようなものではない。
(その瞬間は、「あっ、流れ星だ」と思ったが・・・。
またこれも後日談になるが、それはひょっとしたら、「のぼり」(元寇の役のときに現れた)のようなものだったかもしれない。
白装束の 30 人が筥崎宮から現れて、蒙古軍を撃退したという、あの話。
そのとき記録によれば、天に「紫色ののぼり」が現れたという。
その「のぼり」。)
・・・私は夜中は、居間の窓をあけて、そこから外へ放尿している。
トイレを使うと、モーターが作動し、ワイフの睡眠を妨げる。
なおかつ都合のよいことに、居間の外は、浄化槽になっている。
小便のにおいは、それによって、ごまかせる。
で、その窓をあけた瞬間、それは天空を真一文字に、縦に横切った。
月並みな言い方かもしれないが、それは「この世のものとは思われないほど、美しかった。
幅は、空に向かって、まっすぐ手を伸ばしたとき、指幅の 2 ~ 3 本分の太さ。
まぶしいばかりに光っていた。
そのため見た感じでは、もっと幅があった?
ともかくも、流れ星ではない。
先端は、日本刀のようにシャープだった。
で、私はどういうわけか、その先端部だけを見ていた。
それが 2 ~ 4 秒かけて、西から東の空に進んでいった。
そしてその先端部が、山の端にかかったところで、全体がパッと消えた。
で、その直後、振り返るとそこにワイフが立っていた。
(が、これも今にして思うと、不思議なこと。
どうして同じ時刻に、ワイフが起きたのか?)
●パルス信号音事件
やがて・・・といっても、それを確信したのは、 2024 年の 3 月にはいってからのことだが、その帯光事件は、 2023 年に起きたパルス信号音事件と、深く関連していた。
そのパルス信号音は、正確に、 2024 年 2 月 23 日と、 5 月 8 日を示していた。
詳しくは、つぎの動画を見てほしい。
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○パルス信号音事件
https://www.youtube.com/watch?v=IyI3hxF3Ros
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で、 2024 年の 2 月 23 日には、何も起きなかった。
2024 年 5 月 8 日には、全世界で、そしてこの日本でも、「赤いオーロラ事件」が起きた。
で、 2 月 23 日に何も起きなかったことで、私は 2 月 23 日を 2 月 2 + 3 日= 2 月 5 日と読み替えた。
カバラの日数術に従った。
つまり 2 月 5 日、と。
その 2 月 5 日に、赤い帯光事件が起きた!
もっとも 23 日を 5 日と読み替えるのは、どこかこじつけ的。
自分でもそれがよくわかっていた。
だから人には、それについてはあまり話さなかった。
が、 5 月 8 日に、あの「赤いオーロラ事件」が起きた。
もっともそれについても、人には話さなかった。
あまりにもスケールが大きすぎる。
大きすぎるから、人には、話さなかった。
が、今、こうして振り返ってみると、 2023 年のパルス信号音事件は、 2 月 5 日の赤い帯光事件と関係している。・・・していた。
さらに 5 月 8 日の赤いオーロラ事件と関係している。・・・していた。
●大事件
それが大事件であったことは、そのときはわからなかった。
が、その帯光事件は、日を追うごとに、月を追うごとに、そうではなくなった。
今の今が、そうだ。
今、こうしてその居間に座り、その窓を背中側にして、文章を叩いていると、それがよくわかる。
その重大さが、よくわかる。
「たいへんなことが起きた!」と。
が、ここが不思議なところだが、そうでないときには、そうでない。
たとえば今の今も、その窓を開け、用を足すときは必ず空を見上げる。
そうなってしまう。
とたん、猛烈な感動がそのままよみがえってくる。
が、長続きしない。
しばらくすると、その感動がスーッと消えていく。
そのまま平常心が、戻ってくる。
そしてそのあとは、何事もなかったかのようにして、静かに時が流れ始める。
今の今も、そうだ。
こうしてノートパソコンで、それについて書いている。
「あれほどまでの大事件を経験したのに」と。
だからワイフにはこう言った。
「( 2016 年 11 月 28 日の)「今行くよ」事件では、ぼくは巨大な V 字型 UFO を見せてもらった。で、その事件は長く、心の中に残った。でもね、今度の赤い帯光事件は、それ以上の大事件だったにもかかわらず、感動がつづかなかった」と。
感動というのは、そういうものか?
それとも脳内ホルモンのフィードバック現象※というのが、起きているためなのか?
ともあれ、今の私は、以前よりずっと鈍感になっている?
・・・そういえば、イチローにしても、大谷にしても、そうだ。
イチローには、あれほどまでに感動したのに、今は大谷?
大谷はイチローより、はるかにすばらしい活躍をしているのに、すぐ色あせてしまう。
あるいは感動が、長続きしない。
ワーッと騒いで、そのままプツンと切れてしまう。
が、これの脳内のフィードバック作用によるものなのか?
ともあれ現在の私は、こうだ。
何か不愉快なことがあるたびに、こうする。
静かに目を閉じて、あの赤い怪光を頭の中に思い浮かべる。
そう、今でもあの脳の奥の奥まで染みこむような鋭い光を、忘れることができない。
ふつうの光ではない。
パソコンのモニターでは再現できない。
先にも書いたように電気ヒーターの芯のように鋭い光!
直接、それを見たときに知る、鋭い光。
それがそのまま、脳裏に浮かんでくる。
そしてつぎにこう思う。
「ありがとうございます」と。
天に向かって、そう祈る。
それが私にとっての、「赤い帯光事件」ということになる。
( 2024 年 9 月 30 日、記)
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(参考)
※フィードバック
++++++【心の原点(心のメカニズム)】
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脳の活動は、「ニューロン」と呼ばれる
神経細胞が司っている。
それは常識だが、しかしでは、その
神経細胞が、「心」を司っているかというと、
そうではない。
最近では、心の原点は、脳内の化学物質、
つまり脳内ホルモンであるという説が、
半ば常識化している。
私たちの心は、常に、この脳内ホルモンに
よって、影響を受け、コントロールされて
いる。
その例としてわかりやすいのが、
フェニルエチルアミンというホルモン
ということになる。
そのフェニルエチルアミンについて書いた
原稿がつぎのものである。
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●恋愛の寿命
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心ときめかす、恋心。しかしその恋心
にも、寿命がある。
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その人のことを思うと、心がときめく。すべてが華やいで見える。体まで宙に浮いたよ
うになる……。恋をすると、人は、そうなる。
こうした現象は、脳内で分泌される、フェニルエチルアミンという物質の作用によるも
のだということが、最近の研究で、わかってきた。恋をしたときに感ずる、あの身を焦が
すような甘い陶酔感は、そのフェニルエチルアミンの作用によるもの、というわけである。
その陶酔感は、麻薬を得たときの陶酔感に似ているという人もいる。(私自身は、もちろ
ん、麻薬の作用がどういうものか、知らない。)しかしこのフェニルエチルアミン効果の
寿命は、それほど長くない。短い。
ふつう脳内で何らかの物質が分泌されると、フィードバックといって、しばらくすると
今度は、それを打ち消す物質によって、その効果は、打ち消される。この打ち消す物質が
分泌されるからこそ、脳の中は、しばらくすると、再び、カラの状態、つまり平常の状態
が保たれる。体が、その物質に慣れてしまったら、つぎから、その物質が分泌されても、
その効果が、なくなってしまう。
しかしフェニルエチルアミンは、それが分泌されても、それを打ち消す物質は、分泌さ
れない。脳内に残ったままの状態になる。こうしてフェニルエチルアミン効果は、比較
的長くつづくことになる。が、いつまでも、つづくというわけではない。やがて脳のほ
うが、それに慣れてしまう。
つまりフェニルエチルアミン効果は、「比較的長くつづく」といっても、限度がある。も
って、3年とか4年。あるいはそれ以下。当初の恋愛の度合にもよる。「死んでも悔いはな
い」というような、猛烈な恋愛であれば、4年くらい(?)。適当に、好きになったという
ような恋愛であれば、半年くらい(?)。(これらの年数は、私自身の経験によるもの。)
その3年から4年が、恋愛の寿命ということにもなる。言いかえると、どんな熱烈な恋
愛をしても、3年から4年もすると、心のときめきも消え、あれほど華やいで見えた世界
も、やがて色あせて見えるようになる。もちろん、ウキウキした気分も消える。
……と考えると、では、結婚生活も、4年程度が限度かというと、それは正しくない。
恋愛と、結婚生活は、別。その4年の間に、その2人は、熱烈な恋愛を繰りかえし、つぎ
のステップへ進むための、心の準備を始める。
それが出産であり、育児ということになる。一連のこうした変化をとおして、今度は、
別の新しい人間関係をつくりあげていく。それが結婚生活へとつながっていく。
が、中には、そのフェニルエチルアミン効果による、甘い陶酔感が忘れられず、繰りか
えし、恋愛関係を結ぶ人もいる。たとえばそれが原因かどうかは別にして、よく4~5年
ごとに、離婚、再婚を繰りかえす人がいる。
そういう人は、相手をかえることによって、そのつど甘い陶酔感を楽しんでいるのかも
しれない。
ただここで注意しなければならないのは、このフェニルエチルアミンには、先にも書い
たように麻薬性があるということ。繰りかえせば繰りかえすほど、その効果は鈍麻し、ま
すますはげしい刺激を求めるようになる。
男と女の関係について言うなら、ますますはげしい恋愛をもとめて、さ迷い歩くという
ことにもなりかねない。あるいは、体がそれに慣れるまでの期間が、より短くなる。はじ
めての恋のときは、フェニルエチルアミン効果が、4年間、つづいたとしても、2度目の
恋のときは、1年間。3度目の恋のときは、数か月……というようになる(?)。
まあ、そんなわけで、恋愛は、ふつうは、若いときの一時期だけで、じゅうぶん。しか
も、はげしければはげしいほど、よい。二度も、三度も、恋愛を経験する必要はない。回
を重ねれ重ねるほど、恋も色あせてくる。
が、中には、「死ぬまで恋を繰りかえしたい」と言う人もいるが、そういう人は、このフ
ェニルエチルアミン中毒にかかっている人とも考えられる。あるいはフェニルエチルア
ミンという麻薬様の物質の虜(とりこ)になっているだけ。
このことを私のワイフに説明すると、ワイフは、こう言った。
「私なんか、半年くらいで、フェニルエチルアミン効果は消えたわ」と。私はそれを横
で聞きながら、「フ~ン、そんなものか」と思った。さて、みなさんは、どうか?
(はやし浩司 恋愛 恋愛の寿命 フェニルエチルアミン ドーパミン効果 麻薬性 は
やし浩司 恋の寿命 恋の命 恋愛の命 脳内ホルモン フィードバック (はやし浩司
家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 恋のホルモン)
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話を戻す。
ここで「フィードバック」について、もう一度、説明してみたい。
脳というのは、それ自体がいつもカラの状態を保とうとする。
たとえば驚いたようなとき、脳は直接、副腎に作用して、アドレナリンを分泌させる。
ドキドキしたり、ハラハラしたりするのは、そのためである。
発汗を促すこともある。
が、同時に脳の中では別の反応が起こる。
視床下部にある脳下垂体が、それを感知して、副腎に対して、副腎皮質刺激ホルモン
を分泌するようにと、言うなれば、指令ホルモンを分泌する。
このホルモンによって、副腎が刺激を受け、副腎は、副腎皮質ホルモンを分泌する。
わかりやすく言えば、脳内に分泌されたアドレナリンを、副腎皮質ホルモンが
今度は中和しようとする。
こうして脳内はいつもカラの状態、つまり平常な状態を保とうとする。
それをフィードバック(作用)という。