hikaliの部屋

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February 13, 2007
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 YouTubeが違法問題でつぶれそうになっていたとき、日本中の議論は奇妙に捻じ曲がっていて、アメリカもどうもダメのようだった。
わたしが書いた解決方法は 、知財界では当然と思われる常識を書いたまでだったのが、知識人たちがでたらめなことを言っていることにわたしは気付いた。
 この正体をわたしは、解き明かそうと、実は情報を丹念に洗っていたことがある。
 そしてそのとき気付いたのは、その根元がすべて同じだということだった。
 ただ、その問題を当時書くことは意味がなく、しかもネット界では常識的なことと思われていたので、あえてその問題に言及することは避けてきた。
 YouTubeはしばらくして現実的な解にたどり着き、結果的にわたしの提示した解と同一であったが、わたしはその残照を見ながら、どうしても拭い去れない根深い問題がそこにあるような気がした。

 わたしが気付いていたのは、著作権をはじめとする知財をコモンズにしていくという美しい理屈が、現実的に崩壊している理論であるということであり、知識人はその理想に感情的情熱を持ち、壁に頭を打ち付けるように突進していたという事だ。

 そして、何で、わたしが考えなきゃいけないんだよ! と文句を言いたくなったことも。
 世の中にはたくさんの学者がいて、毎日フルタイムで研究に勤しんでいるのであるから、そっちの方が頑張ってほしいと思うのだ。
 なので、わたしは最も現実的な方法をとったほうが良いと思うのだ。
 クリエイティブ・コモンズは限界があると指摘することによって、知識人の目を覚まさせるほうが良い。
 知財法は修正局面にある、これは本当だ。
 しかし、知財共有も修正局面にあると、わたしは思うのだ。
 スケールダウンを検討しなければならないと思うのだ。


 ■wikipediaの問題を俯瞰する

 今、wikipediaをめぐっている問題で、本質的な問題は、維持コストの急拡大に、寄付が追いついていないという部分だ。
その額はGIGAZINEの試算によると、6ヶ月で2億円ぐらい。
 この額が払えないと、維持できないかもというのだ。

 しかし、本質的な問題はその部分にあるわけではないと思える。
 問題は、維持コストの拡大曲線と、寄付の拡大曲線がかみ合っていないという部分。
 今後もその格差が広がっていくことが予想されることを考えると、果たして今後寄付によってまかなわなければならない額はいくらになるのか、と暗い未来を想像するのは難しいことではない。
 寄付モデルではやばそうだ、と今のうちに気付くしかないのかも知れない。

 しかし、クリエイティブ・コモンズの理論構成で言えば、クリエイティブに対しては、対価を得ないことを是としているので、その集積であるwikipediaは、対価を得ることが出来ない。

 つまり、クリエイティブを循環させるためのインフラ費用は、誰が捻出するの?
 ということだ。
 誰かがクリエイティブを創作する。それを世界共有とする。
 ここまでは良い。
 では、それを誰かに届けるためのコストは誰が捻出するの?
 プールするためのコストは誰が捻出するの?
 特許業界にいる人間として、数々の国際条約の分散的な、非常に高度なコスト負担体系を見ていると、クリエイティブ・コモンズは、おかしい。
 知財共有は良い。
 ただ、その知財が盗まれたものでないことを、誰かが保障しなければならない。
 その秩序維持に膨大な維持費がかかる。
 ここを逃げている。
 そのため、めちゃくちゃな理論構成になり始める。
 知財共有に同意しないものにまで、知財は共有しなければならないと、押しつけをしている。
 それが無理なようなので、知財秩序まで崩壊させようとしている。
 これはダメだ。
 NGだ。
 同意している者の間での、取り決め、これはいい。
 同意していないものへの、押し付け、犯罪といっていい。
 ここが崩壊してしまっているのだ。
 クリエイティブ・コモンズに致命的に欠落しているのは、知財同盟であるという観点。
 同意者のみに恩恵を与えるという、国際条約では当たり前の理屈が良く分かっていないのである。
 十分に維持費用が安かった時代は、論理破綻は見えなかった。
 わたしが思うのは、無料ということと、ほとんど無料には絶壁のような断絶があるということ。多くの人はほとんど無料であれば十分で、完全無料である必要はない、という事に、知的情熱をもった人はなかなか気付きにくい。
 そして、完全無料であることにはなんの社会的意味もないことに気付いてほしいのだ。

 さらに、wikipediaの問題は、社会に流通する富を失わせたことを認識する必要がある。
 たとえば、ブリタニカとwikipediaは激しく対立しているが、わたしが思うに、ブリタニカの執筆者に払われていた報酬は、社会的善を考慮に入れたとき、高すぎると思える額だったのか? という部分。ブリタニカに問題があったとすれば、スペースがかさばることと、購入額が高額になること。少なくとも寡占による弊害は起こっていなかったとわたしは想像するのだ。
 そういう意味で、有意義な職務についていた執筆人の職場を失わせたことは、社会的損失といえないこともない。
 もし、問題の把握が遅れ、ブリタニカが破壊され、その後、wikipediaが自壊したとしたら、その社会的責任は誰が負うのか、ということは、なかなか認識されていないことである。
 ブリタニカはそれほど問題でないにしても、Microsoftのエンカルタは確実に殺されて、しばらくたつ。マルチメディア百科事典が、現在のテキストベースのwikipediaに取って代わったことは、コンテンツ的には損失である。
 エンカルタが十分に安かった場合を想定し、その範囲内でマルチメディアコンテンツが集まってきた場合と比較すると、すでに社会的損害があったと考えることも出来る。

 問題なのは、こういった問題の把握が、まだwikipediaでは出来ていなそうな点。
 優秀な知財系の人材を雇うとすれば、さすがに高額な費用がかかりそうだが、そういった費用を、誰が捻出するのかという問題もある。
 わたしがこんな文章を書いているのは、ボランティアと言えなくもないが、厳密にはこのブログから売りあがっている楽天の販売管理費から出ているのである。
 ついこの間も、このブログから、ノートPCが売れた。
 わたしは楽天に存在価値を認めさせ、ほんのわずかなキックバックを受けているのである。
 もし、楽天日記を使っているユーザの全体から利益が上がらないなら、誰がこんなインフラを維持する意味があるのだろう?
 別にわたしはキックバックが欲しいわけではないけど、この日記のインフラを維持するためには合理的な方法論といえると思う。


 ■他の問題との対比

 wikipediaとYouTubeは皮肉にも、ブランド的に同じような名声を博している。
 しかし、YouTubeは、現実的な部分を何とか解決しつつあり、wikipediaは泥沼に陥りそうな予感がわたしはしている。
 どう違うのだろうか?
 わたしは、完全無料とほとんど無料の差であると思っているのだがどうであろう?

 なんか疲れてきて、ついでに飽きてきたので、端的に。

 ネットの中立性問題が指摘されていて、 非常に的確な論が出ている。
 根本的な問題はこれと全く同一である。
 よく読んで欲しい。

 解決策はわたしの以前のエントリーを読んで欲しい。
 ここに書いてある。
 ■ Web2.0で儲かる方法を考えてみた(『電子化の波』を改稿)
 ■ 2ちゃんねるの特許法による統治の実現性に関する考察


 関係あるエントリーを列記するので、読んでから、文句は言って欲しい。
 利権のコントロールの話にいけなかった・・・。
 あまりにもあほらしくて、てめーで考えろ、と言いたくなってしまうのだ。





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Last updated  February 13, 2007 09:02:27 PM
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