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ご近所猫のにゃぁ子さん、なかなかの別嬪で・・って、勝手にメスだと決めているけど、本当のところはどうなんだろ(笑)今日のお昼、ベランダの手すりの上を行ったり来たりしているにゃぁ子さんを発見。掃きだし窓を開けると、驚いて逃げちゃうだろうと思ってガラス越しに撮影。このあと、どうしようかな~って考えているのかな~と思っていたら、にわかに決意して、えいっ!目の前の木に、飛び移りました。やるね~~~登るのかな・・でも、お尻重そうだ←人のことは・・・あ、いや、猫のことは言えない私(-_-;)どうもにゃぁ子さんは木登りは得意じゃないのかもしれない(笑)やっと到着したら疲れたのか、枝に腰掛けて座っちゃった。えぇ~~~猫ってこんな座り方を木上でするの?(笑)カメラを向けて観察している私に気づいた模様で・・・周りを観察して・・・・やがて上へと登っていきました。・・と、ザザザ、ザザっ!と白いものが上から降ってきてドサっ・・・・落ちたの?
2007年01月30日
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両親のところへ行ってきました。相変わらず口の中のあちこちに口内炎が出来たままの父、痛みも治まらず、お食事も自室でヘルパーさんの介助を受けています。父一人が、自室で食事をし、母は今までの通り食堂で食事を取っていますが、母は一人で食事をすることに、心配していたような違和感は無い様子で、父が自室に居ると言うことはわかっているようすだと、ヘルパーさんたちから教えていただき、ちょっとほっとしています。私が一緒に食事を取れるときくらい、と思い、この日はお部屋のある階のリビング、と呼ばれているスペースに、父と母そして私の三人分の食事を持ってきていただきました。三人で食事をしながら、私が父の食事介助をするつもりで・・ヘルパーさんも、待機してくれていて、父の世話を焼こうとしてくれたんですが、私も居てヘルパーさんも手伝ってくれると言う局面になると、やはり母の顔つきはむっとしたものになりました。ヘルパーさんに、私が介助をするので、と申し出て、食事介助をお断りしようとしたのですが、「いつもやっていますから」となかなか、手を引いてくれません。(苦笑)たしかに、毎日お世話になっていますので、それはとてもありがたい、でも普段と違って、三人で食事をと思っているので、そういう時はできれば遠慮してほしいと、好意を無にするような言い方をしなければ、こちらが遠慮していると思われるのか、なかなかに、しつこいのでした。(^_^;)確かに、私は週に一度程度しか、いけないし、そのつど食事に付き合えるわけでもない、だから、私のほうがお邪魔虫、なのかなぁと思いつつ、せっかくの家族水入らずだからさぁ・・・とも思うわけです。この一週間の間に二度、実家の母が、深夜に施設の同じフロアー内ながらも、うろうろと歩き回り、お部屋を間違える、ということがありました。施設のエレベーターは、夜8時を過ぎると、ロックされるようになっていて、私が手を伸ばしてやっと届くほどの位置にあるロック解除のボタンを押さないと、動かすことが出来ないシステムになっていますので、他の階へ紛れ込むという心配は無くなっています。でも、お部屋を間違える、と言うのは・・・要注意。今回は、使っていないお部屋にいたところを見つけていただいたそうで、本人は違和感無くそのお部屋に居たようなのですが、一時間近い間、作り付けの家具しかない父も居ないお部屋で、何を思ってどんな風に思ってすごしていたのかと思うと、なんだか・・・悲しいような気がします。施設側では、空き部屋に施錠をしていなかったことを、落ち度と考え、これからは必ず施錠すると言うことになってですから無人の部屋に一人で入る、と言うことは無いと思うのですが他の入居者さんのお部屋に入ってしまったらどうしよう・・(>__
2007年01月29日
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役者志望の従姉の息子、大学を辞めて、この春花のお江戸に役者修行に出向くことになりました。これで従姉の子供は二人とも、姉弟そろって東京暮らしになる。神様お願い、地震起こさないでm(__)m昨日、新年会の途中で、実家の郵便物を取りに出かけ、従姉のところへも立ち寄った。早めの夕食をとる時間に近かったので、手伝うことがあるか、とも思えたし伯母の気持ちが一瞬でもほぐれてくれたらという思いもあった。従姉は実父とは違った意味ですでに寝たきりになっており、これは・・・阻止できなかったんだろうかと言う思いも募るけれど結局私は何も、出来なかった。伯母も、従姉が少しでも元気になるようにと、未だに叱咤激励しているけれどそのパワー・・・・どうなんだろう・・・ともかく、実関係の親子には、従姉妹と言えども姪と言えども、立ち入ることは出来ない。夕食前には息子が帰ってきて、従姉が姿勢を整えるのを手伝う手はずになっている、というのだが、伯母が思う時間に、息子は帰ってこなかった。結局私が従姉をベッドの上でずり落ちているのを引っ張りあげて、食事の手はずを整えたのだった。そして待つことしばし、息子が帰ってきた。春からの自立のためにアルバイトに余念の無い生活なので、このところ掛け違って顔を合わす機会が無かった。言いたいことは山ほどある・・けど、叔母のような者としていまさら何を言うべきか・・すでに出発は既定のことになっている。「今までね、○○大学へ行くとか、そのほかにも、それなりに希望めいたことを言ってはいたけど、それは好きなことじゃなかったんじゃない?あんたは、やればなんだって出来る子なんや!と私は信じてる。人間、好きなことなら一生懸命やれる、だからとりあえず踏ん張っておいでそして、夢中になれなければ、それは好きなことじゃない、それに気づいたときは、別の生き方を考えられるという余裕を、心のどこかに持っていてくれそれから、困ったときは、他人様に迷惑をかけるまえに、必ず連絡をよこすこと。血は汚いと言うけど、血だからね、ほっとけない思いで居るんだってことを覚えておくことそれから・・子供が出来ないように気をつけなさい無責任に子供を作るんじゃないよ!あんたは男だから、体は痛まないけど、相手のお嬢さんは体も心も傷める。子供は一生モンだから、心してくれ、いまどきだからエッチをするなとは言わないでも、予防はしなさい」とりあえず、自信もって出かけて欲しいことと、心配している人がここにも一人居ることを、ちゃんと心の負担に覚えて欲しい。そして、努力だけではどうにもならない世界に、踏み出すあの子に、どんな未来が開けているのかおびえた心で見守るだけだ・・・もうすぐ旅立ちの春。若気の至りの始まる季節。
2007年01月29日
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舅の愛の形である、色も形もサイズも合わない9万円なりの、オーバーそれなりに姑は喜んでいるらしく、夕べデイサービスからの帰り道に「お舅さんがオーバー、プレゼントして下さったんですって~?」って話を持ちかけると、「そうなの」と、それなりに喜んだ風情だった。帰宅したときにもそれをちゃんと覚えていて、「○子さん、見てくれる?♪」とファッションショ~♪♪しかし・・というか、やっぱり・・・これって何色?黒っぽい茶色っぽい・・緑?グレー?・・・軍隊の毛布みたいな色(見たこと無いけど・・)で、形は、ウエスト部分がちょっと絞ってあり、袖は細め、要するに若向きかい?ってスタイルでポケットの口の部分にちょっとギャザーがとってあり、ポケットとお袖のところに、チロリアンチックな共布のステッチが入ってるそれがかわいい?と言えば、言えないとも、言い切れない?こともない?←どうなんだ!?・・・姑はお腹周りがただでさえ巨大化しているから、前のボタンが、かけられない。防寒のためだというオーバーを、前を全開で颯爽と着るのね。しかも、袖も細いので、最近の姑の重ね着では、腕を動かすことも難しい・・・おしゃれで着るならそれもね、良いかもしれないけど・・・寒いよ・・ね?そして、姑は小柄なので、袖が・・長すぎるので・・折らないとだめだけど・・そうすると・・・・せっかくのステッチが・・。(-_-)そして、品質表示を見ると、アンゴラ、と書いてあるけど、重い。(-_-)と言うわけで、なるほど、色もいまいち、形も姑にはそぐわず、サイズもね・・たしかに、合わない。けど、まぁ、本人は喜んでいる?から・・けど、このままじゃ、とても外へは着ていけない。だけど・・・愛だから?・・・と思っていたら、直してくれってさ・・誰に?誰が?私?なのかよ!やっぱり!(▼▼)と言うわけで、舅夫婦の麗しい愛のおかげで「嫁さんが夜なべぇ~をして、お袖ぇ~を詰めてくれたぁ~~♪」という歌が出来た。とりあえずボタンの位置を変えてみたけど・・・布の端に付けてもボタンが必死で止まってるって感じだ。動くと糸が切れそうで・・・危険(>_
2007年01月29日
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今日はまたもや新年会で、舅も一緒のお仕事でトドは一日お弟子さんたちとお付き合い日。私は朝から準備に出かけて、お昼に帰宅し、この後また出かけます。で、朝、舅を迎えに行ったらば・・・今朝はデイサービスのお迎えが早くて、姑はもう出かけてた。「お母さんの下着を、入れ替えてナインや」とノタマウ舅。んなこたぁ、今に始まったことじゃなく、どうせ毎回取り替えてないわけだから去年の秋から、デイサービスでお洗濯もお願いすることになってるんだけどそれも舅の記憶には残らないのか?人の話を聞いてないのか?わかっちゃ居ない。気が向けば、気がつけば、神経質なほど心配する。「お母さんが汚れたままの下着をつけるのはかわいそうだ」そうだね、だから、予備を届けてある。「忙しくてうっかりすることもあるだろうと思って、余分に届けてありますからご心配要りませんよ」となだめたので、一件落着。そして言うことにゃ「色も形も気に入らなかったんだけど、お母さんにオーバーを買ったんだ」はいはい、そうですか、それはそれは・・・「サイズも調度良いのがなかったんだけど、9万円なんだ」・・・・・・・色も形も気に入らず、サイズも合わないけど9万円でお買い上げ・・・どこを気に入って、お買い上げ?なんだ???でもまぁこれもいわゆるひとつの愛の形。んな、愛より、9万円の色も形もサイズも不具合なオーバーよりパンツだろ!とあたしゃ思うけどね(-_-)舅に「トドさんの前で、その話、しといてください(笑)」といっといた。来月は結婚記念日なので、よろしくです。(苦笑)そしてまた、「お母さんは大きいほうが一週間は出てないんだ・・・」と言ってる。愛があるなら下剤は飲まさないでくださいね。・・・・言っても無駄か?
2007年01月28日
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今日はママさんの月に一度の通院日前夜泊には出来なかったので、今朝出かけたんだけど、寝坊した(-_-;)施設に到着したら、ママさん、靴下を履いていなかった、ので、靴下を履いてもらおうと渡したら、片方は駱駝履き(かかとを上側に履くとこぶが出るから)、もう片方は裏返しになっちゃった。ので、結局、私がテレビの話題を振りつつ、靴下を履かせて・・・一時間くらい車だから、トイレ行っといて~と促し・・・そしたら、なんか、滞在時間が長い(-_-;)確認の意味も込めて、ママさんの後、トイレに入ると便器は汚れておらず、匂いもないもののTP(トイレットペーパー)がセットされてない?・・・でも、トイレ内に設置してあるトイレットペーパー入れの、一番下の一巻が、使いかけた状態だし、TPそのものがうっすら汚れてる(-_-;)ってことは・・・大きい御用を済ませたんだろうか?汚したの?かも?世の中ノロが蔓延してる時期だけに、放置もならず、一応掃除した。ママさん本人の汚れ具合を確かめるべく、といっても、もし汚していなければ、ここで着替える時間を取るのは・・・時間が足りないし・・これでヒットすると、つらいけど・・・と思いつつ、ママさんの後ろに何気なくしゃがんで、匂いチェックした。幸いヒットせず、だからお着替えもせず、で、病院に出発!父とはゆっくり話す時間もなくて、父は消化不良気味だったけど月曜日、ゆっくり来るから、ってことにしてもらって、ともかく病院へ向かった。いやぁ、ママさんは今日も車の中でしゃべりっぱなし(笑)まぁリピートの話が多いんだけど、ご機嫌は良いのでした。例によって、ママさんは呼吸困難になるくらい笑いっぱなし診察時間ぎりぎりに、何とか病院に到着・・・と思いきや、水曜日は空いていると確信を持っていた駐車場が、満車\(◎o◎)/!駐車場の順番を待っている間に、精神科の窓口に電話を入れて、「病院には着いているんですけど、駐車場の前で並んでまして・・・」と送れる連絡を入れて程なく順番が来て、やっとこさ駐車。精神科受付に駆け込んで・・・待ち時間無しで診察だった。ぎりぎりのほうが・・・そういう意味では良いのか?なんて・・味を占めちゃいけない(笑)診察も、特に大きな変化のないママさんなので、まぁ、いつもと変わりなく、って感じ母の場合、顕著な変化はないものの、歩くときに躓きやすくなっているように思う事が増えているし昔の記憶も、以前より混乱しているのをやはり感じるし今、比較的おっとり落ち着いて見えるのは、こだわることさえ続かなくなっているのを感じる。以前と同じように、一家の主婦である自覚はあるのに、その分野に私が手を出すと言うことについての不快感は、一瞬で消えるようになっている。診察の最後に、「何か心配なことはないですか?」とお医者様から聞かれた母は「なんだかぼんやり毎日が過ぎてしまって、何にもしないで一日が終わるような気がするんです」なんて言う。一見まともっぽいけど、実は本心そう思っているのかと言えば、その質問の前にお正月はいかがお過ごしでしたか?と聞かれたことに対してお節もつくり、親戚も集まり、忙しくって~・・と昔の正月風景に基づいた返事をしており、私は母の後ろで、首を横に振り続けていた。だから、言っていることのどこまでが、本当に母が不安に思っていることなのかどうかお医者様の質問に合わせた答え、とでも言うのか相手が喜びそうな受け答えをしているといっても良いかもしれない。これは・・社会性なの?(^_^;)主治医の先生は、診察の最後に、ママさんのひざに手を置いて「また来月ね、待ってますよ」って笑顔で言ってくださる。先生ご自身も、同居しておられた大叔母様がアルツハイマーだったのだそうだ。先生のお母様が主にお世話をなさったそうだけど、優しいまなざしを母に向けてくださるのも、お身内に同じ病気の人を持つご経験があるからだろうかと、親近感を持つ。まだ曇り空だったのに、病棟を出ると「良いお天気ね~」って言う。ん?と思いつつも「雨降らなくて良かったね」と当たり障りのない返事をしお昼ごはんを食べようと、いつもの食堂に行くと、窓際のお席に案内していただいて外を見ると晴れてきた。ママさん、予言か?恐るべし?(笑)帰りもご機嫌でおしゃべりをしながら、今回は車の中で寝ることもなく、そのまま施設まで戻った。夕方に旦那を迎えに行かなくちゃ行けなかったので、今日はそのあと一時間ほどで、施設を跡に帰ってきた。パパさんの口内炎はやっぱり直っておらず、首から来る頭痛も治まっておらず、右手の痛みもやはりあり、お食事はやっぱり自室でヘルパーさんの全介助に頼る毎日。月曜日は夕食を付き合うことにして、私が介助するから、食堂へ行こうね、って約束をして帰ってきた。いやぁ、疲れました。(T_T)朝、両親のところに向かうラジオで、ラジオは脳に良い、んだと言う話をしてた。確かにね、テレビは映像も音もほとんどそのまま伝達してくれるものだから、見ている人が想像力を働かせると言う部分がほとんどない。つまり脳は動いていないと言うことだそうだ。その点、ラジオは音だけ、だから、そこから情景を思い描きながら人は聞いた情報を頭の中で処理をする。さらに、家事をしながら、運転をしながら、と言うナガララジオが良いらしい。一度に二つのことをしているというのが、よいのだそうでラジオが脳に良い、と言う話を本にされた脳神経科のお医者様がインタビューに答えておられて、認知症になると、同時に二つのことが出来なくなるのだというお話をされていた。診察に見えた方に、靴を脱いでベッドにあがってください、と頼みその動作をしている最中に、名前や生年月日などを聞くと、どちらかにしか対応できないのだそうだ。つまり、靴を脱ぐ作業が止まってしまうか、名前や生年月日が答えられないか、となるのだと言う。これはひとつの、認知症かどうかの診断基準としてこのお医者様は捕らえておられるようだったし、私たちも、このやり方で初期の認知症かも知れない方を、見極めることが出来るかもしれない、と思ったりした。二つのことを同時進行できるか?というのがポイントだね確かに母は、父に頼まれたことをおぼつかないながらも遂行している途中で、次のことを頼まれると、混乱してしまう。今は、どちらにも対応できなくなってしまうことのほうが多いかな、二つのことを頼まれると、混乱してどちらにも対応できなくなってる、のかなと思える。だから指図はひとつづつってことだな・・ってわかっていても、いつもそういうわけにも行かないんだけど(^_^;)ともかく運転しながらラジオを聴いているのは、脳に良いんだね、(^_-)-☆夜更かしも脳に悪いらしいので、寝ます、おやすみ~~~
2007年01月24日
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TBSが総力をかけてお届けしてくれている「まんだら家」(ノクちんのブログでボーボーさんが命名、某新聞のテレビ欄では「華麗なる一族」と表記)テレビドラマに縁のない私が珍しく楽しみに見ている。でもさ、TBS、まじめに作ってないよね?随所で受け狙ってるだろう!としか思えない・・・よね?(笑)昨日も義理家で冷蔵庫を掃除しつつ、姑と見てた。初回、どうも重要な役割を担っているらしい鯉に惹かれていたのは、私だけではなかったらしい(笑)いまどきあれはないよね、浮き上がった金箔、ぎこちない動き、いかにものリモコン操作のつたなさあれは笑うところだな(笑)・・・←なのか?しかも、北親父が、それを見てこの世の終わりか!と言う表情でその場をよろめきながら立ち去ると言う新派芝居。今回は、鯉がらみで、金卓の母親が倒れそうにショックを受けていた(笑)なるほど毎回、誰かが鯉がらみで衝撃シーンを演じるんだね、来週は誰?見ものですなってわけで、なかなかのキーマンですな、鯉!前宣伝で、豪華調度品などに、何億使った!!と喧しいわりには、安っぽい鯉がキーマン?これだけでも、まじめに作ってるとは思えないよょ~~(笑)さらに、金卓が酷似している(鯉が間違うくらい似ている)と言う設定の爺さんの肖像画、これがまた、ふざけてるとしか思えない肖像画・・・(^_^;)あらためて、堅いものを食べないとああいう顎になるんだ~と、感じ入ったしだいです。成長期のお子様をお持ちのお母様たちは、堅いもの食べさせないと、顎無しせいじんになっちゃうよ~~~~!顎が小さいと歯の成長にも悪影響が出て、歯並びが悪くなりますよ~!・・・・←健康増進警告番組でもあったのか?北親父の迫力ある風貌と比較すると、その風貌だけでもどうも企業人としての押しの弱さを感じる金卓。あの時代、あんな頭であんな服装の企業トップは、居らへんやろ!と思うけどね。北親父が亡くなった今でもかなわなかった相手だと認識している様子の父親の肖像画が、何の迫力もなく重厚さのかけらもないもんね。なんやこれ~金卓そのままやんか~~~一緒に見ていた姑は「阪神銀行」と言う名前に何度も反応してた。合併して「みどり銀行」になるまえ、「阪神銀行」と言うのは確かに存在し、義理家の近くにもあって、姑は利用していたのだ。姑が「駅前のあそこの話?」と何度も聞くので、何度も訂正するのもめんどくさくなり「そうみたいですね」と言っといた(笑)姑は旧阪神銀行のオーナー一家は妾妻同居で、毎晩三人プレーをしていると思って感心することしきりであった。(^_^;)この作品の発表されたころや、映画化された時代では、エロチシズムももっと包み隠されているところから感じられるものだったのに今は何もかもあけすけに表現される時代になった。少々色っぽいかと思える程度では、何のエロスももはや醸し出さないような気がする。そんな今、シュルシュルと「お許しくださいませぇ~~~」とは、もう笑うしかないって(笑)実際のこの作品のモデルは神戸銀行と太陽銀行。この二つは太陽神戸銀行となり、やがて太陽神戸三井銀行、さくら銀行、そして今、三井住友銀行、となっていくのだ。山崎豊子さん原作の、しっかりしたお話しが、こういう突っ込みコントになるとはね(笑)来週も楽しみです←なにが?余談ですが数年前にやってた「砂の器」の中井君はよかったと思うよ。「砂の器」自体は、分厚い上下二巻にわたる大作、その映画そのものは日本映画史上に残る名作だけど、いかんせん、小説はもっと細かいお話しがあってきちんと整合していて、その点、映画では描ききれていないところも多かった。だから、数回にわたるドラマの中で、その描かれていない細かい話がそれなりにあってお話しとしてまとまったものになっていたと思う。中井君てお芝居うまいんや~などと、思ったりしたのだった。そういう意味で、金卓はやっぱり金卓やネンナと、今のところ、思っているのであります。おばちゃんには、どこがよいのかよくわからない金卓なのでした。ごめんちゃいm(__)mたまにはいいやね、こんな話も(笑)
2007年01月22日
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舅と姑はこの火曜日いつもの脳神経科へ通院した。姑の脊髄小脳変性症のための通院。そこで、血液検査をしたらしく、その結果、姑は「栄養失調」なのだそうだ(>_
2007年01月19日
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☆ちゃんと電話で楽しく?お話をしていたら義伯母(舅の姉)から、電話が入った。曰く「火曜日にあんたんとこのお父さん(つまり舅)のところへ電話をかけたら誰も出なかった、何かあったのか?」実は、昨日もバスでの移動中に、何度かかかってきていたんだけど、バスの中だから出なかった。多分、近況確認の電話だし、この伯母は耳が遠いので大声で話さなければいけないし、本当に用事があるなら、またかかってくるだろうと思ってた。火曜日の昼間、義理家で誰も電話に出なかった、という件については、舅の休みの日なので、おそらく姑と二人で出かけたんだろうと思う。医者にでも行ったかも知れない。いずれにしても、ちょっと連絡が取れないと、心配してうちにかけてくるんだよね。うちの予定も事細かに把握したい人なので、旦那がどこへ出かけて、何ぼ稼ぐ?見たいな事も知りたがるので、かねてから姑も閉口している相手だった。舅自身も姉の口うるささに、時として怒ることもあって、うるさく電話をかけて舅に怒られると、それはそれでまた、うちに電話をかけてくるという構図になってる。義伯母自身が昨年米寿の祝いをした年齢だし、何かあっておかしくないのはそっちだろうがご長男夫婦と二世帯住宅に住んでおられるけれど、義伯母がうるさい人なので、生活の基本はお互いに別。要するに暇なんだよ~~~~~~今度かかってきたら「死にました」っていうてやろか?うるさ~~~~いせっかく☆ちゃんとおしゃべりしていたのにぃぃぃ!
2007年01月18日
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今年、干支も一回りしたあの日が来た。あの日、もうすぐ36歳の誕生日を迎えるはずであった私は、今年もうすぐ48歳になるはず・・・(遠慮したいとこやけどそういうわけにもイカン^^;)毎年この日に、あの震災にもかかわらず、無傷でいられた自分に、亡くなったかたがたに恥じない毎日を生きているのか、問いかけては情けない思いをする。亡くなってよい方はいなかったんだ、みんな必要な人だった、誰かのお父さんだったり、お母さんだったり、お子さんだったり、大切な友達だったりそんな人が一瞬の出来事で、はかなく命をなくされた。そんな災害の中でも無傷で生きていた私は、あの亡くなった方たちに、ちゃんと恥じない生き方をしてるんだろうかと、今年もちゃんと生きていかなくちゃねと思う日。あの日無事に生き延びたのに、今寝たきりの父、わけのわからん母、それでも一日を大切に、命の続く限りちゃんと毎日生きて行こうね。生きていて、よかったんだよ。復興についてはいろいろ言う人がある。亡くなった方たちは戻らず、場所によってはすっかり変わってしまった地域もある。この十二年の間に、町並みもずいぶん変わった。古くから親しんでいたお家は消えて、新しい家並みになったり、道路が広くなったりそこには、あれだけの人の命を飲み込んだ災害を体験した町として、人に優しい街づくりをしているとは、思えない場所も確かにある。地域の中でそれなりにひとりでも暮らしておられたご高齢の方たちの、震災転居後の孤独死は後を絶たない。それでも、震災の爪あとそのままという場所は、ほとんどなくなった。私は、復興政策に首を傾げたくなる場面も多くあるんだけどそれでも、神戸の震災の後、大きな災害を受けた地域の方たちに知ってほしい町は、それなりに再生して、人もそれなりに、生きていけるものだとあのとき、この家の中をこの町の中を、元に戻すことはできるのか?この惨状を整備することはできるのか?考えられないほど崩壊した町だったけれど、それなりに、なった。この世の終わりかと、確かに思った。でも、終わりじゃなかった。止まっていた電車が開通し、つぶれていたお店が場所を変えて再開し、壊れていて神社も、たて直り、懐かしいものが少し形を変えて戻ってきた部分もあるのだ。だから、どんなときもあきらめちゃいけない、何とかなるんだってことが、そういう映像から伝わってくれるとうれしい。それなりの復興には確かに問題もあるんだけどすべての人がすべて満足に暮らせるようには、ならないんだ。それでも町は復興する。未だに震災の話や、映像を見ると、気づかないうちに涙が流れる。きっと、生きている限り、忘れないあの日のこと、怖かったこと、心細かったこと、不安だったこと、ちょっとした親切がうれしかったこと、ありがとうございました。そして非常時に頼りにならなかった旦那のことも忘れない(笑)
2007年01月17日
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両親の施設の部屋からは、真正面に日の昇る姿が見える。泊まるとお天気がよければ、日の出を拝めるという特典があります。施設に泊まるのは初めてではないけれど、去年から泊まる回数が増えてます。父の通院前夜泊を予定のうちに組み入れるようになったこともひとつの要因。父は通院のとき診察前に検査を受けて、その検査結果を踏まえて診察を受けるため、予約時間の一時間半前には病院に入らなくてはなりません。場合によってはレントゲンやCT、MRIの予定が入ることもありますが、多くは血液検査と尿検査。その尿検査が難事業でした。父は尿が出にくく、一度の排尿に、短い時間配分でも、15分おきくらいに三度、トイレに通わなくてはなりません。それでもすべての排尿が完了するというわけではなく、残尿がかなりある、にもかかわらず、それ以上は出ない、といった状態。時として、一時間ほどでまたトイレにたちたくなる、という頻繁な日も、少なくありません。年齢相応に前立腺に問題があることはあるんですが、排尿の困難さはこれだけが原因ではなく、腰骨の骨折が変形したまま固まっていることから、尿道を圧迫している箇所があるらしいのです。といってもこれもまた、いかんともしがたく、お薬の調節でなんとか、少しでもスムーズにと言うことを目標にするしかありません。夜間の排尿の頻度も高く、何度もトイレに起きますが、そのつど母を起こしても熟睡タイプの母はなかなか起きてくれず、起きても寝ぼけていたりして尿瓶の中身を捨てに行ったままトイレで寝てしまったり、ということも頻繁。また尿瓶が瞬時に行方不明になる、という非常事態も折に触れてあったようです。父は最近では不自由な手で自分で尿瓶を扱っていたのですが、右手首をそのためにいためてしまいました。足は数歩なら歩けるけれど、バランスは取れない、手は・・・利き手ではなく、左右同じように変形している左手で、食事も不自由な有様です。そんな状態で、検査だとわかっていても、行きたくなると行かなければならないのが、排尿。検査だといわれても、すぐに用意できるわけでもありませんでした。また、手が不自由な父が自分で採尿のためのカップを程よくセットしながら用を足す、などということは至難の業。結局、採尿セットをあらかじめもらって帰り、朝のうちに採尿したものを専用の容器に入れて、検査室に届けるという方法をとることになりました。通院の日、私が早朝に到着できても、やれ着替えだの出かける用意だので、あわただしくなってしまって、採尿のタイミングが取れないかも知れない、ということと、そのタイミングを気にして父がいらいらする、ということ早朝と言っても、阪神間の高速道路はかなり早い時間帯から混雑をしてしまいます。眠気眼でふらふらしながら運転するには、冬の早朝はちょっとつらく、前夜のうちに移動して泊まる、という方法をとることにしました。母の場合は事前検査の必要がないので、当日送迎でこれまで済ませていますが、父の通院とセットで私が前夜泊まる、という形が恒例のことになりつつあります。でも今回は、通院事情に付随しないお泊りで、金曜日に泊まり土曜日まで、二日間たっぷり付き合ってきました。お正月から旦那の風邪騒ぎで思うように出向くことができなかったので、両親のところで片付けたい用事も山積していましたし、いつものことですが通院後のお薬のセットも、父は自分で管理したく、ということは私の手によることになるわけです。二日間時間のある中で、施設のスタッフや看護師さん、ケアマネさんとヘルパーの責任者の方を交えて、介護プランの見直しと通院の報告などもし、気にかかることについての相談もする時間が取れました。余談になりますが、私はずっと施設を移転することを考えてきました。今も考えていないわけではありませんが、実は昨年の暮れ、施設サイドにずいぶんとよい意味での変化がおきていることを知りました。去年の春には、父が親しく頼りにしていたスタッフがある日突然それも数名やめてしまったり、施設に付随しているというクリニックが閉鎖されたり、オープン当初の思惑とは違っていたのか施設サイドのその変化は入居者の家族としては大変心細いことでした。施設の選任ヘルパーさんも激減して、100名近い入居者に対して正規のヘルパーは二名、あとはパートのヘルパーさんばかりで、何か相談しようにも相談相手は誰なんだ?といった感じ。いったい誰が責任者なんだ?私が責任者ですと名乗っている人は介護の「か」の字も知らない素人で、何か申し出てもあさっての返事ばかり、これでは移りたくなっても無理はなく、実際に移転した利用者さんも多く、移転なさった利用者さんの多くがご家族がこまめに通っておられる方たちだった、というのも皮肉なことでした。うちの場合、やはりなんと言っても「二人一緒」に、ということがネックになり、近在の施設なども当たりながらもこれという決め手のないまま、途方に暮れたりしていました。母の通院先のソーシャルワーカーさんにも相談はしたものの、持ってる情報はもしかしたら私のほうが多いんじゃないの?といった状態でこれまた頼るには心細く、無理を承知で、私が毎日の生活にかなり深くかかわることを前提に、我が家の近くに入居先を決めるべきかと考えたこともありました。と、余談がどんどん膨らんでしまうのですが(笑)父が入院せずに通院での闘病をしばらく続けそうなことと、公共交通のバス停が施設から程近いところに設置されたので、せいぜいバスも利用してさしあたって、やはりもう少し様子を見ることにしたいと思います。というわけで、今回もバス利用で(^_^)v泊まるというのは父には安心らしいことなのですが、母にはどうもそうではなくて・・・"^_^"夕食後早々にお布団に入りうとうとしながら「ちょっと聞きたいんだけど、いつまでここに居るの?」「私この中のことに詳しくないから、明日案内してくれる?」だそうで・・^_^;・・なんともはや・・・(笑)また、三食とも私が付き合って父の食事介助をしていると、母の目つきが・・・・(笑)なのでお昼は失礼して、近くのスーパーの食堂へ私だけ食べに行きました。タバコを持つ指にも力が入らない父なので、普段はもう食後の一服もあきらめているんですが、私が居ると吸いたくなるらしい・・体に悪いよね?ってことで、食事介助があるほうが、ちゃんと食べられるんですけど、一緒に居ることもなかなか難しかったりします。父にとって、以前の二ヶ月に一度の入院というのは、親しいお医者様たちに近況の話を聞いてもらい、毎日のように私が病院に通うことである意味ふだんより快適な生活が得られる時間を持っていたのが、入院が必要ないという治療生活になると、気持ちの切り替え時がなくなっているようで、母に対して行動を示唆する言葉にも容赦なくなっている部分が増えましたし、それはヘルパーさんたちも感じておられるようでした。仲のよい両親でしたし、今も仲のよい両親です。どこまでも二人でやっていこうと思っている風情は見えるのですが、いかんせん、父の体の状態を補佐できる母ではなくなっています。それでもお互いに支えあっているという自覚のようなものはあって・・・父のためには、母の居ない状態で介護を受けることが体のためには望ましくても、母が居ることで自分を奮い立たせている父でもあるので、やはり今のまま、せいぜいヘルパーさんを頼んで、生活してもらうように話してきました。ヘルパーさんを頼むについては費用のことも気になるようでしたが、そのために私が高額移動費を払って、用事のみ往復するのでは、楽しい時間の作りようものないのだと、わかっていてもわがままを言いたい父に、念を押すのも気の重いことです。ただ、ごらん頂くような朝日が、お天気のよい日には両親の窓から見えます。今日の一日を祝福しているような朝日が、両親の目覚めを見守ってくれるように、お天気のよい日を望みたい思いで、帰ってきました。最終バスに乗るべく夜警の方に表の鍵を開けてもらいながら、その方が「ここへ勤めるようになってから、長生きするのが怖くなりました」とつぶやかれた言葉が、私も同じ気持ちだなと思いながら心に留まりました。意識や気持ちがしっかりしていて体が不自由なことはつらい、体は元気でも自分で自分のことが把握できなくなるのもつらい、どちらもね、比べようがないです。わからないなりにまだ、母のほうが少し幸せかもしれないと思いつつ、折に触れて不安になっている様子を見ていると、そのときの気持ちはどんなにか心細いのだろうなと、見ていることもつらいです。亭主元気で留守がよい、ですが、老親も元気で留守がちなほうが、良い?・・・・それはそれで、いろいろ問題もあるけどね・・・・・(-_-;)
2007年01月13日
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タイトルほどの大事件ではなく、日常茶飯事ではある実家両親との電話の一こま。え~~~皆様、新年早々から、というか昨年末から旦那が寝込んでましておとなしく寝ているかというとそういうわけでもなく、なんだかあれこれありまして今日に至ります。この間、コメントなどお返ししそびれておりますことをこの場を借りて、お詫び申し上げます。で、今日から旦那は仕事始め新年のお稽古始がいきなり新年会、といっても宴会ではなく、お稽古の内部発表会も兼ねているので、お弟子さんたちは皆様朝も早よからお着物でお集まりになるというものでございましてワタクシも、荷物を運びがてら着付けのお手伝いなどをしながら、なんといっても本日は成人の日、巷の美容院ではうら若い乙女の着付け作業が進んでいるであろう時間に、何がうれしくて婆さん連中の着付けをしているんだろうか・・・などということは微塵も思わず←嘘つきましたm(__)mお昼前に首尾よく皆様おそろいになったところでいったん引き上げてまいりましてこれから私も着替えても一度戦場へ、もとへ・・新年会場へとでかけるのでございまして・・だから、結局やっぱり今年も、どたばたするんだろう新年の仕事始めでございます。でもって、何故に介護、何故に電話事件かといえばあわただしく帰宅したさきほど、実両親から電話がかかってまいりましてそれは発信先の確認ができることから、相手がわかる便利さのおかげ、なのでございますが電話に出ると、受話器の向こうで愛すべき父母の声はすれども・・・なにやらもそもそ会話が続いておりまして・・・「はい、○子です」・・・・応答がない?「もしも~~~し!」「もしも~~~し!」「電話つながってるよ~~~」「お~~~い!○子が電話に出てますよ~~~!」「ぱぱ!まま!○子よ!」「おいっ!どないなっとんのじゃ~~~~!!」叫べどもむなしい冬の午後、なのでございます。あのね、私が電話に出てるんだけど、それ、わかってないわけ?待つことしばし、やがて電話は「ぷーーーー・・・・」予告もなく切れたのでございます。まぁね、元気そうだったけどって問題じゃなくなんじゃこりゃ、ってわけで、こちらからかけなおしあさって水曜日の通院のため、明日の夜に通院前夜泊をすることの確認をいたしましたのですけれど「ねぇさっき電話かけなかった?」と聞く私に「うん、かけたで」と何事もないかのように言葉を返す父、これって、なんやねん・・ひとしきり父との用件が一段落したところで、母に電話を替わってもらって、何てことない世間話を一席本日のお題は、今夜どうやら「初めてのお使い」という番組があるらしいよってことのお知らせなんだけど小さな子供の出てくる番組が大好きな母なので、これを見ている間はご機嫌だろうとお勧めしたのでした。で、母とリピートながらもかみ合わないアバウトな会話を終えて、じゃぁね~と・・・母は電話を切らないんだよねそのまま父に「初めてのお見舞いが今日来るんですって」といっている母それ微妙にちゃうやろ!父は「初めて?誰か今日来はんのか?」だからちゃうって!「○子は近いうちにきますっていってるよ」とこれまた微妙な母父「明日の夜来るんちやうのか?」本気にしてどーする!しばらく面白く聞いていたけど、いかんせん、今日は私は忙しい「電話つながってるよ~~~~!」「お~~~~~い!」「まま~でんわ切ってぇ~~~~」げらげら笑いながら母が「まだ電話つながってたのね、なんか電話がぎゃぁぎゃぁ言ってると思った」やっと気づいた模様でありましてそうです、そのうるさい声は私です。「ママ、青いボタン押して、そしたら電話が切れるから、電話ちゃんとテーブルの上に置いてよ」・・・・といっている途中で、素直にボタンを押したらしく電話は切れた。果たして受話器は無事、机の上の充電器の上に戻ったのだろうか・・受話器の運命やいかに・・・あぁ、忙しいのにこれだけは、なんだか書きたくってね(笑)んじゃ出かけまする。
2007年01月08日
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あけましておめでとう、ございます。おめでとうといいにくい、あわただしい新年をまたもや過ごしている、タンポポであります。もぉ、いやっ!年末の30日、学生時代の仲間との恒例の忘年会に出かけてきました。うれしくて、待ち合わせ時間を間違え、30分も早くついちまった。誰もいないかと思ったら、すでに一人到着してた、同じように間違えて早く来た奴がいたわけで、みんなが来る前に、まずはビールよねってことで、二人で忘年し始めてた。などという幕開けで、始まった忘年会は言わずもがな、何の話をしたというわけではないんだけど、やっぱり落ち着く、仲間です。仲間のうちの一人は幼馴染で、婆さん同士が親友という間柄だから、生まれたときから知っているといっていい・・・実際幼稚園からの友達なので、三歳から・・半世紀近い付き合いってことになるわけで、物心ついたら居たという友達。友人のうちの二人が、私と同じ沿線に住んでおり、二駅手前と三駅先、ってことなので、終電一歩手前ながらボディガードつきで帰ってきたのでした。で、ほろ酔いで機嫌よく帰ってきたら、前夜から徹夜マージャンをしていて、私が出かけた後で帰って来て寝ていた旦那がおきてきて言うことにゃ「僕の晩御飯はどうなるの?」ってことで、酔っ払ってふらふらしながら餌、作りました。まったくなぁ・・酔いもさめるよね・・・と思っていたら翌朝31日からどうやら風邪をこじらせたらしく、気管支炎っぽい変な咳・・・で、寝込みまして本来なら元旦はお仕事のはずが、休んじゃった。微熱もあるし、咳き込んでるから仕事にならないし、確かに休むっきゃないかとも思えるけどあたしの予定はどうなるのさ・・・とは言わず、旦那と同じように仕事に出る舅のお出かけ準備のために義理家へたちより、送り出してからいったん帰宅して休日診療の病院へ旦那を連れて行き、帰宅後寝ているしか手がない旦那を置いて、再び一人で留守番をしている姑のお付き合いと、元旦の夜のお食事のために義理家へ赴き舅からの帰るコールがあった時点で、旦那の状態を聞き合わせたら食事は一緒にするというので、迎えに行き・・・夕食はいつものお正月のお約束として、義理家でお屠蘇を頂いて、舅が最近ごひいきにしているお向いの天ぷら割烹のおせちをいただき、お雑煮が食べたいというので作り、さらにおぜんざいが食べたいというので作り、後片付けをして帰宅して、まったくなんちゅう正月。あぁ、一年の計は元旦にあり、というけれどこの一年、やっぱりネックはこの二人かと、旦那と舅を見てつくづく、うんざりの夜です。
2007年01月01日
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