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【いちご姫】私はいちご王国のお姫さま。不幸なことに、パパもママも死んでしまった。本当はね、頭がよくて、優しくて、何でもできるお姉さまが、跡継ぎになるはずだったのに…どうしてなのぉ~!?ドジで失敗ばっかりの私のところへ、なぜかこの冠が来ちゃったの。これから私、一体どうしたらいいの~【忍者・理音(リオン)】理音の母親は、優秀な忍者学校の教師。理音の父親は、一般人。(忍者ではない人、の意)小さな頃から理音は、母親の特訓を受けて育ち、(いつか、お母さんみたいに立派な忍者になるんだ!)という夢を胸に、忍者学校を受験する。しかし、面接でいつも尋ねられるのは、「お父さんは?」理音は一瞬、迷う。(お父さんは一般人。それを言えば不利になるのはわかってる。両親揃って忍者の人ばかり合格してるもんね。お母さんは“お父さんは死にました”と言いなさい、って言うけれど、それもイヤ。だって、私はお父さんのことも大好きだもん)「一般人です」「う~~ん…」理音は、志望した忍者学校の受験に、ことごとく失敗する。私が忍者として勉強できる学校はないの?どうして、お父さんが一般人じゃダメなの?本気で忍者になりたい人が、そんな理由で断られるなんて、絶対におかしいわ!そんなとき、ヘンテコリンな忍者学校の存在を知る。先生たちはみんなとても優秀な忍者だが、あまりに強烈な個性を持っている人ばかりだから、誰も好んでその学校へは行きたがらない、という。理音は、思い切ってその学校の面接を受けてみる。「お父さんは?」「一般人です」「ほぉ~っ、一般人か。それは面白い!合格!!!」(へっ?何が?何が面白いの?やっぱり、変な先生たちのようだわ…)何はともあれ、理音はこんないきさつで、このヘンテコリンな忍者学校で、これから修行に励むことになった。これまでサキ(中1)は、キャラクターデザインをスケッチブックに描き続けていました。最近は、キャラクターに、こんなちょっとしたストーリーがつくようになりました。「え?このつづきは?それから、どうなったの?」なんて、思わず聞きたくなるようなストーリーだったので、思わず紹介してしまいました。今の段階ではここまでです。でも、少しずつ、サキの創作の世界が、また動き始めたようで、ワクワクしてきます♪学校へは、おかげさまで楽しく通っています。もうすぐ卒業してしまう3年生を送る会では、お友だちとアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』の踊り?をやる、とか。秋葉原とかで踊っている人たち、いますよね?あの踊りだと思うのですが、サキはいつの間にか全部を覚えているらしく、みんなで高校の制服のような服(家にあるもの)、ミニスカート&ルーズソックスで踊るんだ、とものすごく張り切っています「ママにも教えて~」と、言ってみたところ、「ムリ」と、あえなく却下されてしまいましたが…絶対に覚えて踊ってやる!(パラパラみたいな感じなので、腰は痛くても、手さえ動かせればできるんじゃないかな?)一方、睡眠薬を飲んでから寝付くまでの間は、毎晩号泣昨夜は特にひどく、まさにパニック状態でした「サキなんか…サキなんか、邪魔なんでしょ~~~サキなんか、いない方がいいんでしょ~~~」普段娘を邪険にしているならともかく、まったく身に覚えのない私としては、正直これはかなりショックでして…(これは、薬のせいなのかな?)毎晩号泣する娘を見るのも辛いので、今日は娘とクリニックへ行って相談してみようと思います。午後からは息子ヒデキ(小4)の授業参観です。「ママ、明日、学級崩壊に来るんでしょ?」「えっが、学級懇談会でしょ?」「ああ、それだ、それ!」去年は、本当に学級崩壊だったんだから、焦るじゃないの~ヒデキの天然ボケには冷や汗もいっぱいですが、とりあえず笑わせてもらっています。娘の描くイラストやストーリーが、相変わらず明るく楽しいものであることが、今の私にはせめてもの救いですひなたまさみ
2008年01月31日
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柔道の稽古が始まる前の道場。小学生のこどもたちが、それぞれの学年の仲間たちと広い道場を駆け回っています。そんな中、大きな柱に背中をつけて、じっと座っている子が一人。途中、友だちに、「一緒に遊ぼう」と声をかけられても、「いい」と、そっけなく返事をして、そのまま座り続けています。それがヒデキ(小4)です。学校では、いつでも友だちと元気いっぱい、ドッジボールやサッカーをしているのに?ヒデキは、新しい環境に慣れるまでに、かなり時間がかかることがあります。柔道を始めて1年半。同級生や、先輩たちと親しく話したり、イベントの後などに遊ぶことはありますが、稽古前に一緒に遊ぶ姿は、ほとんど見たことがありません。まだ、道場の雰囲気に慣れていないのかな?昨日ヒデキは、いつも通りの小学生の稽古を終え、中学生の稽古にも残りました。私は腰痛のため、座り続けているのが辛いので、一度家に戻り、中学生の稽古が終わる少し前に再び道場へ行きました。中では、何やらゲームが始まる様子。道場では、ときどきドッジボールや鬼ごっこのようなゲームをすることがありますが、それは私が初めて見るゲームでした。全体を4~5人ずつのチームに分け、赤、青、黄色、とチーム毎に異なる色の帯が一人ずつに配られ、半分、また半分と折り、尻尾のように自分の帯の背中側にはさみこみます。「はじめ!」の合図と同時に、一斉に走り出し、自分と違う色の帯を奪っていくゲーム。昨日、小4で中学生の稽古に残っていたのは、ヒデキとT君の2人だけ。あとは6年生が数人と中学生、大学生の先生たちですから、ヒデキはかなりビビッているようでした。最初の何回かは、あっけなく先生や先輩たちに帯を取られていましたが、何度か目に、ついにヒデキと小6のYちゃんだけが残ってしまいました。動きがやたら早くて、柔道の強いYちゃんは、柔道ではヒデキがとても苦手にしている先輩です。(まいったなぁ…)そんな顔をしているヒデキ。私も、(ダメだ、こりゃ)と思いました。ところが、Yちゃんがヒデキの帯を取ろうとした瞬間、サッと身を翻し、ヒデキがそれを避けたのです(今の、何)それは、普段の乱取りでは見たこともないような、ヒデキの軽いフットワークでした。そのまま機敏な動きで2回、3回とYちゃんからの攻撃をかわした次の瞬間、相手の帯を手にしていたのは、何とヒデキの方だったのです「おお~~っ」見ていた先生や先輩たちからも、思わず歓声が上がりました。まさかヒデキが勝つなんて、(私も含めて)誰も思っていなかったんでしょうね。(ヒデキに、こんな敏捷性があったなんて)親バカですから、私は本当に嬉しかったです(3歳から5年間サッカーをやっていたのも、良かったのかな?)最後の挨拶で、「今日は、ゲームを楽しんで、特にヒデキ君は、いつにない動きを見せてくれて…」 と、言ってくださった先生に、帰り際、「ヒデキは尻尾をつけてもらうと動きが良くなるようなので、今度から乱取りの時には尻尾をつけてやってください」と、冗談を言ったりしたのですが、ああいう動きが柔道の中でも自然に出るようになるといいなぁ~、と思いました。帰り道、「今日はよくYちゃんの帯が取れたね♪嬉しかったでしょ?」と、尋ねると、「嬉しくないよ。オレ、ああいうゲーム、楽しくない」と、意外なことにしょんぼりしているヒデキ。「えっ?鬼ごっことか、好きじゃなかったっけ?」「鬼ごっこならまだいいんだけどさ。ああいうのは、楽しくないよ」(ん?鬼ごっこと何が違うの?あれ?もしかして…)「ヒデキ、先輩とかの帯を取っちゃうと、その先輩に悪いって思っちゃうの?」「当たり前だろ?あんなの、やりにくいよ」私だったら、先輩だろうと先生だろうと、ゲームはゲームで遠慮なく迫りそうですが…(笑)。ヒデキはそう簡単に割り切れないようです。確かに、テニスやラグビーは学年別の練習ですが、柔道では6年生の憧れの先輩まで一緒ですからね。ヒデキにとっては小6といえば、大人が思う以上の“大先輩”なのでしょう。天真爛漫で素直な半面、こういうところで意外と繊細というか、生真面目というか。まぁ、そんなところもヒデキの良いところだとは思うのですが…。レストランのメニューでも、食べ物でも、味のわかっているもの、決まったものしか食べようとしません。冒険を好まないので「食べず嫌い」がいっぱい。先生もお友だちも、慣れるまでに時間がかかりますが、一度好きになるとひたすら一途。大好きな先輩と闘う勇気はないけれど、彼らと同じチームで団体戦に出る、となると、(先輩たちのためにも、自分は絶対に負けられない)と、人一倍思ったりするようです。とても不器用なタイプですが、男気のある、なかなかいいヤツなんです。(親が言うな!ですね。笑)柔道の強い選手といえば、負けん気が強くて、努力家で、勇気があって…私にはそんなイメージがありますが、ヒデキはちょっと違うようです。(こんな性格で、本当に強くなれるのかな?)と思う一方で、ヒデキがこれから先柔道を通して、どんな風に変化していくのか、あるいは変化しないままなのか、私はますます楽しみになってきましたひなたまさみ
2008年01月30日
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毎日寒いですね。みなさん、お変わりありませんか?私の腰もこの寒さのせいか、ようやく歩けるようになってきたものの、キッチンに立って両手を離して家事が出来る時間は、まだ10分程度。寝ていても、3時頃になると必ず腰の痛みで目が覚めます。そんなわけで、今日は2回目のブロック注射へ行ってきました。風邪で欠席し、一人で留守番が出来ない息子ヒデキはマスクをかけて私の付き添い。ブロック注射は、注射を打ってから20分くらい診察台の上で動かずに寝ていなければならないため、看護士さんに促され、注射を打つ私と一緒に、恐る恐る中へ入るヒデキ。「ママ、痛い注射なんでしょ?」(そりゃ、痛いよ~ママだってやりたくないし、やっぱり怖いよ~だから、ヒデキについていてもらった方が安心だよ)ほんとはそんな気持ちなのに、(いや、ここで、強い母の姿を見せておかなきゃ!)と、無理に強い気持ちを奮い立たせ、「そりゃ~痛いよ。でもね、ママは我慢するからね。だから、しっかり見ててよ」と、強がって、自分にプレッシャーをかける私。前回の日記で、「思ったほど痛くなかった」と書きましたが、それはあくまでも、過去にやった中で一番痛かった脊髄の麻酔と比べて…ということです。今日は血液検査でも針を刺しましたが、そんなの、私にとってはブロック注射の痛みに比べれば、ぜ~んぜん「痛い」うちには入りません。それでなくても腰が痛いというのに、わざわざ痛くもないところにまで針を刺して、痛い思いをしなければならない、ということがやっぱりイヤなわけです。ずっと私の枕元に立ち、「ママ、頑張ってね」と言っていたヒデキですが、先生が注射器を手に入って来られた瞬間、あっという間に部屋の隅に飛んで逃げてしまいました(うそっ?見ててくれないの~?)まぁ、息子にわざわざお尻を見せることもないか。私は諦めて、じっと目をつぶりました。ズンそして、じわじわと薬が入っていくにつれ、痛みというより重い感じが背骨に沿って広がっていきます。(ふぅ~っ、何回やっても慣れないなぁ…)「じゃ、そのまましばらく安静にしていてくださいね」先生と看護士さんが行ってしまうと、そろりそろりとやって来るヒデキ。「ひなたさ~~ん♪ひなたさ~~ん♪」「なあに?」うつ伏せで寝たまま顔を上げると、「にっこり、ハッピーな顔をしてください」と、ヒデキ。(ぷっ♪今は、そんな気分じゃないわよ)と思いつつ、ニコッと笑ったところで、ヒデキは安心したような顔になります。帰り道、「ママ、今日は痛い注射を頑張ったから、ご褒美にアイスを買ってあげるよ」「えっほんとに~~?」(臆病だけど、いいところもあるじゃない)そして、持ってくれていた私のバッグを持ち上げ、「この中に入ってるお金でね」(ガクッ!)ブロック注射、今度は前回よりも長く効いてくれますようにさて、そんなこんなでまた更新ができなかったので、ちょっと時間がずれてしまいましたが、今日は大相撲初場所のことを少し書いておきたいと思います。千秋楽、結びの一番は、両横綱による相星決戦というドラマチックな展開になったことや、朝青龍の二場所休場のあとだったことなどから、普段相撲ファンでない人も、かなりの人たちがテレビのチャンネルを合わせたのではないしょうか?まぁ、我が家も例外ではないわけで…普段は、ニュースや新聞で結果を見る程度の私たち夫婦、娘はまったく無関心、息子は「お尻出して、カッコ悪い」と、これまたまったく関心なし、という状態でしたが、今回ばかりは、初場所が始まって数日経った頃から、息子ヒデキが自分から相撲を観るようになっていたのです。恐らく、朝青龍のことは知っていて、その朝青龍が早くも2日目に投げられてしまったことから、急にその後が気になり始めたのだと思います。世間ではさまざまなバッシングを受けていましたが、息子は朝青龍に何か魅力を感じているようで、「朝青龍、頑張れ」と言いながら、観ていました。私も、ヤンチャな性格が嫌いだったら、ヒデキの母親なんて務まりませんからね(笑)、息子と一緒にヤンチャな横綱朝青龍を応援してはいましたが、今回ばかりは白鵬が負けてしまったら、一人で横綱として真面目にやってきた彼の意地が通らないような気もしつつ、とにかく最後の勝負を見守ることにしました。ところが、テレビに映る控えの彼らの表情から、ものすごい緊張や気迫、闘志が伝わってきて、見ているだけで、2人が土俵に上がる前から、私は吐きそうになってしまいました。(ああ、この感じ、何かに似ている)と思ったら、息子の柔道の試合直前の風景と重なったのです。ビビリの息子は、もう既に2週間後に迫った試合を意識し始め、家では、「試合の話はしないで」と、私に言っています。そんな息子ですから、試合直前なんて大変なものです。あまりに緊張している息子に、見ている私の方が泣きたくなってしまいます。そのことを思い出したのです。(ヒデキが柔道を始めてくれたおかげで、私もこんな気持ちで相撲観戦をするようになったんだな)それまでは土俵に上がってから勝負が始まるまでの時間が長く、もどかしく感じていた私ですが、このときばかりは、まるでジェットコースターの最初のガタン、ガタンのときのように、何ともいえない緊張感を感じながら、ずっと集中し続けていました。両者の睨み合いを見ていると、(もう、どっちが勝ってもいいから、とにかく悔いが残らないよう、精一杯戦って)と、祈らずにはいられませんでした。そしていよいよ勝負。相撲のことは私にはわかりません。ただ、見応えのある良い勝負だったと思いました。そして彼らの精神力、集中力に、とにかく感動しました。結果も、あれで良かったのだと感じました。終わったあとのそれぞれのインタビューを聞いても、両者ともに渾身の力で戦った清々しさを感じ、次が楽しみだと思えました。一方、息子の方は、応援していた朝青龍が負けてしまったことが悔しくてたまらなかった様子。今日になって、「他の人がやってた技だけどさ~、朝青龍、最初にタックルみたいに両足を持ってぶつかっていけば勝てたと思うんだよね」「え~っ?そんなことしてた人、いたっけ?柔道でも時々見るけど、見ている人たちにはあんまり評判良くないじゃない?やっぱり、しっかり組んで戦って欲しい、って思わない?」「まぁ、それはそうなんだけどさぁ…」実際そんなことが通用するのかどうか私にはわかりませんが、そういうことを息子が考えていた、っていうのが面白いなぁ~。「ねぇ、もしかして、相撲が好きになった?」と、水を向けると、いきなり、最近出てきたお笑い芸人(パンツをめくりながらネタをやる人)の真似をして、後ろ向きになってパンツを上げたり下げたりしながら、「スキ?キライ?スキ?キライ?キライじゃないけど…お尻を出すの無理」(って、今、思いっきり出してるじゃん)そういえば、私の両親は、生前相撲を好んで観ていました。当時私は格闘技などにまったく興味がなかったため、父や母が口にする力士の名前も顔も、ほとんど知りませんでした。唯一、私がかっこいいなと思った記憶があるのは、横綱千代の富士でした。その後、若・貴兄弟が活躍するようになると、両親は揃って貴乃花を応援するようになりました。彼の相撲が好きなのかな?彼のルックスが好きなのかな?二人が揃って同じ力士を応援するなんて、そんなに魅力的な人なのかな?すぐに、理由がわかりました。貴乃花は、どうやら私の弟と同い年だったらしいのです。幼少期からビッグ・サイズだった弟は、幼稚園の制服も特注だったと聞いています。まるで今のヒデキと同じように、コロコロしていた弟を見て、父はよく「相撲部屋に入れるか」と、冗談半分で言っていました。それは冗談で終わったのですが、相撲好きの父にしてみれば、満更冗談ではなかったのかもしれません。やがて、我が息子と同い年で活躍している力士が登場、となれば、自然に応援したくなったのでしょう。実家に電話をかけると、「今日はタカ(と勝手に呼んでいたようです)が優勝したけん、パパと乾杯しよるんよ」「今日はタカが負けたけん、パパも機嫌が悪うて、さっさと寝てしもうたわ」などと、よく母が言っていたものでした。両親はきっと、貴乃花を応援しながら、弟を応援していたのだと思います。そして、これから息子と同い年の力士が出てきたら、私もきっと彼を応援するようになるだろう、という気がします。今日(何度も書いては休む、を繰り返しているうちに日付けが変わったので、もう昨日ですが)は、私の大好きだった父が亡くなって3回目の命日でした。合掌。ひなたまさみ
2008年01月28日
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「まさみ、今年年賀状が来なかったら、絶交だよ」まゆみさんから、そんな年賀状が届く。「まゆみちゃ~ん、絶交しないで~~~」私は、慌てて年賀状を送る。今から20年くらい前の話。まゆみさんは、同じ寮で一年暮らしたお友だち。同級生の中には、留学していたり、浪人していたりで、私より年上の人が何人かいた。まゆみさんも、多分ひとつ年上だった。メガネをかけて、家庭教師をして、いつも勉強をしていたまゆみさんは、頭が良くて、しっかり者で、ちょっぴり怖いお姉さんだった。在学中は、特別親しい感じではなかったと思う。それでも几帳面なまゆみさんからは、毎年必ず年賀状が届いた。私の方は、いいかげん。出したり、出さなかったり…絶交されそうになると、慌てて年賀状を出すなんて、まるで出来の悪い生徒みたい。風の便りに、まゆみさんが、どこかの大学に編入して、また勉強していると聞いた。私は結婚して、お母さんになった。次の風の便りで、まゆみさんが、今度は別の大学院に入って、言語学を勉強していると聞いた。(相変わらず、勉強が好きなんだなぁ~)私が関西で講演をするとき、まゆみさんは大きな紙袋を持って、会いに来てくれた。紙袋の中には、お菓子の箱が入っていた。「これ、みんなで食べて」私は子どもたち2人を連れ、4人で少しお茶を飲んだあと、「じゃ、私はこれで帰るわ」「えっ?講演は?聴いて行ってくれないの?」「こっちが緊張して、聞けないわ。用事もあるし」そんなことを言いながら、まゆみさんは、さっさと帰ってしまった。お世辞を言わない、さっぱりとした人。いつも白黒がハッキリしている人。でも、身体の弱かった母のことや、私の兄弟のことなど、細かいことをよく覚えていて、いつでも短いことばで尋ねてくれた人。まゆみさんが私を見捨てないでいてくれるおかげで、何とかここまで縁が切れずにいる。やがて、まゆみさんは、中国で大学生たちに日本語を教える先生になった。年に一度の年賀状の他に、時々パソコンでメールも届くようになった。まゆみさんは、私のブログをよく読んでくれているようだった。まゆみさんからも、中国での生活のお便りが、ときどき届いた。きっと、厳しい先生なんだろう。きっと、優しい先生なんだろう。可愛らしい姪っ子さんの写真も届いたことがある。まゆみさんも、おばさまになったんだ。毎年、クリスマスの頃、まゆみさんは日本へ帰ってくる。中国からのお土産、日本のアニメのDVDがどっさり我が家へ届いた。娘が目を輝かせている。「ママー、すごいよ!サキ、全部知ってるよ」食いしん坊のヒデキのためにか、お菓子の箱も必ず入っている。「ママ、早く一緒に食べようよ」いつからか、まゆみさんは我が家の子どもたちの間では人気者になっている。「まゆみ、ありがとうね」電話をしてお礼を言うと、「いいえ。私は、あなたの子どもたちのファンだから」相変わらずのまゆみさん。お返しに、可愛いまゆみさんの姪子さんに、着せ替え人形を贈るつもりで用意したのに、肝心の人形を送り忘れる私。「あなた、服だけ届いたわよ」と、笑うまゆみさん。先週もまゆみさんから荷物が届いた。「ママーーまゆみさんからだよ。開けてみていい?」子どもたちが、先を競って開けたがる。まゆみさんから食べ物が送られてきた。きっと、ブログを読んでくれてのお見舞いだろう、と思った。「まゆみ、ありがとう」「もうすぐ(あなたの)誕生日だからね」ごめんなさい、私はまゆみさんの誕生日をよく忘れてしまうのに。年に一度のまゆみさんとの長電話。2時間くらいおしゃべりしてしまう。「まゆみ、アニメに詳しかったの?」「ぜんぜん。ほら、ときどきブログに書いてあるでしょ?サキちゃんの会話の中にあるアニメのタイトルとかをチェックしてね」「まゆみ、私はね、最近~~こととか、~~こととかに興味があるの。まゆみはそういうの、興味ない?」「ないわ」「中国って、食べ物とか、心配じゃない?」「まぁでも、あれだけの人が生きてるんだから」「ご飯は美味しいの?」「不味いわよ。でも、もう慣れたわ」もしかしたら、ほとんどしゃべっているのは私ひとりかもしれないな。それでも、なぜか会話は途切れない。今年もまた、短い日本での滞在中に、まゆみさんは新たな資格を取るための勉強をしているようだ。まゆみさんが自分の道をしっかり歩み続けている姿を、私は心底かっこいいな☆と思って見ている。私は「サキとヒデキのお母さん」が、今の自分の一番好きな道だと思っている。「いつか、私がまさみの絵本を中国語に翻訳するから」私が絵本を出したとき、まゆみさんがそう言ってくれたこと。何でもすぐに忘れちゃう私だけど、そのことばはずっと大切に憶えているよ。楽しみに待っているからね。まゆみさん、いつもありがとう今日は私の自慢のお友だち、まゆみさんの紹介でした。ひなたまさみ
2008年01月26日
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はっぴば~すで~とぅ~み~♪今日で42歳になったひなたまさみです。40歳になったときには、憧れの40代に突入して喜んでいたのですが、あれから2年。ちっとも素敵な大人に近づけないまま、腰を悪くしたり、身体ばかりが年をとっているようで、ちょっぴり情けない気分で迎えたバースデーです。いつまでも子どものようなみずみずしい好奇心や冒険心を失わず、心の中も成長し続けていきたい、と改めて思っているところです。これからも、どうぞよろしくお願いいたしますさてさて、昨日は息子ヒデキ(小4)の柔道の稽古がありました。前回の日記で紹介した小1の少年は、どうやら無事、入塾できそうです私も嬉しいです長く、長く続けて欲しいです。「ただいまーーーーあ~~、腹へった。ママ、ご飯ちょうだい」学校から帰り、手洗いとうがいをすませると、まず腹ごしらえをするヒデキ。(これは、いつものこと)調子に乗って食べ過ぎて、トイレに駆け込むヒデキ。(これも、いつものこと)「ママーーー、ちょっとこっち来て」(ん?出かける前のトイレで私を呼ぶことも、まぁ、珍しくはないけど…その8割は、いかにお腹の調子が悪いかを訴える“行きたくない”のサインだよね?まさか…)「なあに?どうしたの?」とりあえず、涼しい顔でヒデキに声をかける私。開けっ放しのドア。ヒデキは座ったまま、しょんぼりした顔を私に見せます。(うそっ?“強くなる!”って、こないだの予感は外れていたのか!?)「ママ…O先生がいなくなっちゃうの、寂しいね」(ああ!それだったのか)ヒデキが通う湘南松前少年柔道塾では、先生のほとんどが東海大学の学生さんたちです。ヒデキがいつもお世話になっている高学年担当のO先生は今年4年生。今月いっぱいで指導員を辞められることになっていて、昨日はそのO先生の柔道講義の日だったのです。行く直前になって、そのことを思い出したのでしょう。O先生のことをいつも「かっこいい」と言い、「オレもO先生みたいにかっこいい柔道の先生になりたい!」と言っているヒデキは、かなり気分が落ち込んでいるようでした。「そうだね。寂しいよね。でも、ヒデキがこの一年でO先生に教わったこと、いっぱいあったでしょ?O先生とできる残り少しの稽古の時間に、一番強いヒデキを見てもらったら?」そんなことばをかけて、道場に向かったのでした。道場に着くと、ヒデキの憧れの6年生の先輩K君が、ヒデキに話しかけてきます。「まっちゃん(なぜか6年生たちには、そう呼ばれています)、今度の南が丘杯(団体戦)、まっちゃんAチームになったよ」「えっ?そうなの?」「3年生のYっていう子が先鋒で、4年は、まっちゃんが次鋒。5年がJで、6年はSとオレ」「よっしゃ!ママ、オレ、Aチームだって」大好きな先輩K君、S君と同じチームだと聞いて、顔を輝かせるヒデキ。「よかったねしっかりね」と言いつつ、(こないだみたいに、“コロン”といってみんなの足を引っ張るんじゃないよ…)と、不安になる私。つづいてK君が、「あ、中学も決まったよ。Hに決めた」「えっ、Hに???すご~~い頑張ってね」私の住んでいるところは、秦野、平塚、伊勢原という3つの市のちょうど境のあたりです。K君の住んでいるのは平塚市。学区内の中学には柔道部がない、というK君のところへは、あちこちの柔道部からお誘いがあったようですが、H中学というのは、この地域では一番強い学校です。(やっぱり、柔道で強くなりたいんだね)身長170cm、体重90kg。体格も立派ですが、とにかく運動神経抜群で、これからますます活躍しそうなK君。遠くの学校まで頑張って自転車で通うというので、根性も足腰も鍛えられそうで、楽しみです。ヒデキにとっては井上康生選手が神様、O先生がヒーロー、K君はスター。ずっと気になっていたK君の進学先がわかり、なぜか稽古前から興奮気味のヒデキでした。今年4年生の指導員の先生はO先生の他に、女性のS先生がいらっしゃいます。昨日は2人の先生がそれぞれ技の指導(大外刈り、袖釣り込み…?、大腰)をしてくださり、残り30分が通常稽古の時間となりました。乱取りの時間。ヒデキは、やる気マンマンでした。(おっ♪今日も頑張る気だね)いつも先生方は、乱取りしているみんなをまんべんなく見て声かけをしてくださるのですが、昨日に限っては、なぜか乱取りの時間に、O先生がヒデキを集中攻撃、とても熱心に見てくださっているようでした。ヒデキの動く方向へ、先生もついて動いては、ずっと声が響きっぱなしです。(試合が近いからかな?)そんな気持ちでその声を聞いていたところ…「早く持て!自分から持ちに行けおい、足が動いてないぞ。腹しか出てない」「持ったらすぐ投げろ今だ、今だ、今いけー」「休むな休むな投げろ投げてから休め」「体重を活かせてないぞせっかくそんなに体重があるのに」…私は、笑いを抑えるのに必死でした。(技以前の問題ばかりです)いつもは、先生の目がそれほどヒデキだけに集中していないのをいいことに、休憩しまくっていたんですね。昨日はもう、ずっと先生に見られていたので、休むに休めず、死にそうな顔になっていました。太っている子というのは、やっぱり持久力が弱いのだとは思いますが、ヒデキはまさにその典型。昔から、サッカーでもラグビーでも、みんなが走り回っているのに、試合中でもよく一人で勝手に休憩していましたから(笑)。こんな笑っちゃうようなヒデキですが、それでも必死で頑張っていました。小学生の稽古が終わると、ヨレヨレになって道場の外の通路に座り込んだヒデキ。しばらくは、口もきけずにいました。中学の稽古が始まっても、まだ座り続けているヒデキ。通りかかった先生に、「どうしたの?」と、声をかけられ、「今日、O先生にシバかれた」「はっはっはそうか、シバかれたか。もう始まってるから、残れそうならやっていけば?」その先生が行ってしまうと、「ママ、“シバかれた”って、どういう意味?」(知らずに使ってたの?笑)ヒデキは、結局、残って最後までやっていきました。完全に電池切れでしたけど。夕食も、お替りできないほど疲れていましたが、ちゃんと自分で決めて残っていきました。今日は校外学習(遠足)。地球博物館へ行くそうで、ぐっすり眠って、踊りながら起きてきましたよ。最近、ヒデキが毎朝目覚ましがわりに聞いているお気に入りの曲はこれです。情熱大陸でも、ヒデキ「すっげーー江原さん(オーラの泉)、ノリノリだよ」サキ「えっこれ、パパイヤ鈴木じゃないの?」ヒデキ「ママ、やくみつるって、バイオリンも弾けるの?」(あんたたちってば、面白すぎ)これからも情熱いっぱいで頑張ってねひなたまさみ
2008年01月25日
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村の信号 むかし、山のふもとの小さな村にひとつの信号が立っていました。人も車もめったに通らないその場所に、その日も夕方になって初めて一人のおばあさんがやってきて、あっという間に通り過ぎてしまいました。信号はそのおばあさんのために、張り切って光って見せたのですが、おばあさんはその信号をちらっとみただけでした。「ふう~っ」 信号は、大きなため息をつきながら、目の前の木にとまっている小鳥に向かって言いました。「小鳥さん、ぼくは町の信号がうらやましいよ。ぼくは町の信号みたいに、たくさんの人たちにぼくの光を見て欲しいんだ。こんなところじゃ、もうぼくは頑張れないよ」 すると小鳥は、「あら、私はいつもあなたの光がきれいだから、とっても憧れて見ているわ」 と言いました。そして木も、「私も長い間ここに立っているけど、あんたの光を見ると、いつも元気になるんだよ」 と言ったのです。信号は嬉しくなって「ほんとう?それならぼく、これからも頑張って光るからね」 と答え、また張り切って光り始めましたが、本当はやっぱり町の信号になりたくて、毎日人が通るのを待ち続けました。やがて人々はどんどん村から去っていき、その信号の前には何日も人が通らない日が続くようになりました。待ちくたびれた信号は、とうとう疲れて眠ってしまいました。何年も、何十年も・・・。 そしてある日。長い眠りから目を覚ました信号は、びっくりして目をパチパチさせました。(木がない!むこうの山もない!小鳥は、川はどこへ行ったのだろう?) 信号の目の前にあった木も山も大きなビルに変わり、村はすっかり町になっていたのでした。自分を励ましてくれた木や小鳥や、大好きだった山や川はもうどこにも見えません。それはとても寂しかったけれど、信号はついに自分が憧れていた町の信号になれたことが嬉しくて、思わずあたりを見回しました。すると、まわりではピカピカの新しい信号たちが元気いっぱいの光を出しています。信号は、あちこちさびついた自分の身体を見下ろし、自分がもうすっかりおじいさんになってしまったことに気がつきました。(こんなにボロボロになってしまった私は、もうどんなに頑張っても、みんなのようにきれいな光を出すことはできない。第一、そんな元気はもう残っていないんだ・・・) 信号のおじいさんは悲しいため息をつきました。そのときおじいさんの目に、むこうの方から自分を指差しながら、3人の作業員のおじさんたちがやってくるのが見えました。(ああ、残念だけど、いよいよ私が取り外される時が来たようだ。でも、こんなにみにくくなってしまった私にはもう何もできることがないのだから、仕方がないんだ) 信号のおじいさんは、静かに目を閉じました。すると、カチッと音がして、新しいスイッチがつけられ、おじいさんは再び光を放ち始めたのです。(まさか!こんな私なのに、まだ信号でいられるなんて。それも、こんなにたくさんの人たちの前で光ることができるとは、ありがたい!ありがたい!) 信号のおじいさんの目に涙があふれました。その日からおじいさんは、これまで自分をはげましてくれた木や小鳥、大好きだった山や川を思い出しながら、そして自分が今でも信号でいられることに感謝をしながら、町の人々のために精一杯光り始めました。その信号のおじいさんの出す光は、見る人の心をあたたかく包んでくれるような不思議な光で、若くて元気いっぱいの信号たちがどんなに真似をしようとしても、決して真似することはできませんでした。 いつからか町の人々は、自分たちの心を幸せにしてくれるその信号の光を見るために、わざわざ遠回りをしたり、その信号の下で待ち合わせをしたりするようになりました。 やがて人々は、その信号のことを「町で一番美しい信号」と呼ぶようになりました。 (おわり)娘のサキ(中1)が、小5のときに創作した童話です。「テーマさえもらえれば、お話を創ることができるよ」と、突然言った彼女に、たまたま目についた”信号”をテーマに与えたところ、その場で2つの物語を創って聞かせてくれました。自分で書くことができず、頭に浮かんだ瞬間がすべてで、時間の経過とともにどんどん忘れてしまうため、彼女の口から出てくる話を私が書きとめたものです。もうひとつはいつか皆さんに紹介した「信号のきょうだい」。こちらを創作童話コンテストに出してみたところ、厚生労働大臣奨励賞という賞をいただきました。睡眠障害、昼夜逆転の生活で泣いていた頃、たくさんの悲しみを抱えながら、一方ではこんな作品をいくつも生み出してくれました。私はこの頃のサキの作品が、とても好きです。いつか、絵本にしてあげられたらいいな、と思っています。ひなたまさみ
2008年01月24日
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みなさん、こんにちは寒い日が続いていますが、お元気ですか?私は相変わらずの腰痛に苦しんでいますが、今日は午後から小学校の役員決めがあるので、出かける予定です。昨日は息子ヒデキ(小4)の柔道の日でした。冷たい畳の上に座り、じっと見ているのは辛いのですが、私の楽しみのひとつなので、カイロを腹巻きの下に忍ばせ、頑張って見学してきました。道場に着くとすぐ、前回の稽古に見学に来ていた小1の少年とそのお母さんに会いました。「こんにちはやったー!今日も来れたんだね?今日は一緒にやっていくの?」少年は、慌ててお母さんの背中に隠れてしまいました。前回、その親子を見つけたのは、東海大学武道場の入り口でした。その前の稽古にも見学に来たのに、結局道場に入れないまま帰り、その日も「入るのが怖い」と言い出した、とか。2年生か3年生くらいに見える立派な体格の彼ですが、お母さんのお話によると「ノミの心臓」なのだそうです。あまりに気の弱い息子の心を鍛えて欲しい、礼儀作法も身につけて欲しい、というご両親の考えから、これまで空手や剣道など、武道の見学に連れて回ったそうですが、練習を見ただけで泣き出したり、逃げ回ったり…。(ああ、そんな子、私も知ってるわ!)私はすぐに息子のことを思いました。(ヒデキも最初に来たときは、入り口で柔道部の大学生を見ただけで脱走したもんね)「じゃ、おばちゃんたちと一緒に入ろうちょっと見ていこうよ♪ここは楽しいところだから、きっと大丈夫だと思うよ」私は2人を道場まで案内し、前回は一緒に見学をしたのでした。昨日は少年のお父さんまで仕事を抜けて来られていたようですが、このお父さんがとても熱心な方でした。「ほら、みんなと一緒にやりなさい!」「どうしてやらないんだ?いったい何しに来たんだ?」そしてついに嫌がる少年の両脇を抱え、引きずりながら、「いいかげん、お父さん怒るぞっ!」(って、もうとっくに怒ってますから~。笑)泣き出しそうになる少年。そのときふと、私はその日、ヒデキの小さくなってしまった柔道衣を持っていたことを思い出しました。去年、柔道を始めたときには1号サイズの柔道衣を購入したヒデキ。その後、上半身だけが(もっと正確に言えば“胸とお腹まわりばかり”が)すくすくと成長し、2号、3号、4号と買った挙句、その4号まできつくなり、いよいよ困って先生に相談した結果、オーダーメイドの柔道衣を作ったところでした。身長だけが伸びるのなら、多少手足が短くなっても着れるんです。ヒデキの場合は、前が合わせられなくなってしまうわけです。その結果、4号サイズでも、合わせの部分はキツイけど、袖や丈はかなり縫い上げてあり、ズボンはまだ2号サイズ、というアンバランスさ。主人が、「妊婦用の柔道衣って売ってないのか?」と言いましたが、本当に「妊婦用があれば買いたい!」と思ったほどのコロンコロンの体型。まさか一年半のうちに4回も5回も柔道衣(8,000円くらい)を買うことになるとは予想していなかったので、多少高価(17,000円くらい)でも、ヒデキのサイズに合ったものを作った方が、かえって経済的だと思いました。着なくなった柔道衣はこれまでも後輩や同級生たちにあげてきたのですが、今回もそのつもりで持っていたのです。「みんなと同じ柔道衣、着てみたらどう?ちょっと大きいかもしれないけど、おばちゃん持ってるのがあるよ♪」と言ってみたところ、飛びついてきたのはお父さん。「いいんですか?おい、よかったな。柔道衣、貸してくれるんだってほら、ちょっと、こっちへ来い!」半ば無理矢理?柔道衣に着替えたところ、とってもよく似合っていました。「かっこいいね~よく似合っているよ」お母さんと一緒に彼を褒めちぎり、再び道場へ。それでもどうしてもみんなの中へ入れなかった彼にしびれを切らし、ついにお父さんは仕事に戻られました。その後の初心者クラス担当のベテラン中西先生(中西英敏先生の奥さま)の対応が素晴らしかったです。「みんな“クモさん”やってるんだけど、クモさんに見えるかな?ほら、ときどきずっこけちゃうクモさんもいるでしょ?」「座ってたら寒いでしょ?こっちで一緒にやってみる?じゃ、もうちょっと見ていて、やりたくなったらおいで。先生、ず~っと待ってるからね」なかなか動かない少年ですが、先生は10分おきくらいに、根気よく彼に笑顔で話しかけます。(そうそう、ヒデキも最初の先生が中西先生だったから、続けられたんだもんね)そしてついに、「馬さんになるの、ちょっと手伝ってくれないかな?ほら、この子、相手がいなくて困っちゃってるんだよね」に、少年が動きました!乱取りになると、再びお母さんの元へ戻ったのですが、最後にまた先生が、「じゃ、最後に先生とブランコしようか?」「えっ?ブランコ?」と、少年が興味を持ったところで、2人で向き合って立ち、相手の道衣をつかんでクルクル回りながら揺さぶる、という練習では、とっても楽しそうな笑顔まで見られました。(よかったぁ~)そして、最後にみんなで整列して礼をするときには、ちゃんと自分から列に入って座ったのです。「ほら、携帯で写真を撮って、家でお父さんに見せてあげたらいかがですか?」と、言うと、慌てて撮影をするお母さん。あとで、中西先生に、「ヒデキだって、最初はあんな感じだったよね~?お母さんがいなくなるだけで泣いてたもんね~」と、笑われましたが、本当にそのとおりだったことを、私も懐かしく思い出しました。さて、そのビビリのヒデキの方は?月曜日には風邪をひいて学校を欠席してしまったのですが、何とか昨日は元気になり、稽古にも参加できました。見学の親子と話しながらも、私が気になるのは、やっぱり我が息子です。視線だけはしっかりとヒデキに注がれていました。いつもの練習メニューだったのですが、乱取りのときに、驚いたことがありました。(あれ?ヒデキの顔が違うぞ)うまく言えないのですが、いつもより目に力があって、迫力のようなものを感じたのです。やっぱり!これまで苦手だと言っていた5年生のSちゃんのことも、6年生のW君のことも、ヒデキはしっかり倒しました。もちろん、相手に倒されてもいましたが、何というか“負けないオーラ”のようなものを全身から出しているようで、そんなヒデキを見たことがなかった私は、本当に驚いてしまいました。風邪もまだ治りきっていなかったので、中学の稽古までは残りませんでしたが、帰りの車の中で、私は早速ヒデキに話しました。「ヒデキ、今日はすっごくカッコよかったねママ、ビックリしちゃったんだけど、何かいつものヒデキと違っていたよ」「えっ?どんな風に?」「なんかさ~、“負けないぞーー!”っていう気持ちで乱取りしてるように見えたんだよね」「ああ。そうだよ。今日は“絶対に倒す!”って心に決めてたから」「やっぱり!だから強かったんだね。それにしても、一体どうしたの?これまでのヒデキは、どうしてもその気持ち(自信)が持てずにいたじゃない?そこを乗り越えるのって、すっごく難しいんじゃないの?どうやって変わったの?」本当に不思議に思ったので、私はぜひ聞いてみたいと思ったのでした。「それはね…自分の力を信じることなんだよ。それから、やっぱり“夢”だな。あともう一つはね…ヒ・ミ・ちゅ」「あはは何よそれ~~?」母親としては、その“夢”や“秘密”のところまで、根掘り葉掘り聞き出したいところでしたが、あまりしつこくするのもウザいだけだろう、と、そこまで聞いてやめておきました。私は柔道未経験なので、息子に柔道の才能があるのか?とか、センスが良いのか?とかは、まったくわかりません。どちらかと言うと、鈍くて下手に見えています(笑)。昨日の息子の表情の変化に気づいたのは、私一人だけだったのかもしれません。(もしかしたら、ヒデキのクラス担当のO先生は、気づいてくださったかもしれませんが)でも私には、それがものすごく大きな変化だと感じました。ヒデキが、自分の心の中の、目には見えない壁をひとつ、乗り越えたときだったからです。それが、自分の力で越えるしかない、そしてヒデキにとってはとても大きな壁だったからです。だから、毎回、私は息子の稽古を見ていたいんです。こういう瞬間を、息子にとって大切な変化を見逃したくないから。ヒデキはこれから、強くなる。そんな気がしました。それが柔道の大会で何位になる、というような結果に直結するかどうか、はわかりません。人間として、これまでよりもっと強くなる。という意味です。ただの母親の勘ですが。久しぶりにまた、「柔道をやらせて良かった」と、心の底から思いました。ひなたまさみ
2008年01月23日
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お尻を丸出しにして挑んだブロック注射でしたが、効いていたのも翌日まで。昨日から、再び痛みに襲われています損傷してしまった椎間板ですから、そう簡単に治るわけはないですね。週に一度の注射を続けながら、この腰痛とこれから長く付き合っていく道を探すつもりです。そんなわけで、今日はどこまで書けるかわかりませんが、娘サキ(中1)の近況報告を書いてみたいと思います。小5で昼夜逆転の睡眠障害、不登校になって以来、長い時間をかけながら少しずつ睡眠を調整してきた娘ですが、明け方3時頃寝て、お昼頃目を覚ます、というリズムが定着してきていました。年末から私が腰を痛めて寝たきりになったこと、同じ支援学級に通う中3の先輩たちの受験に向けての動きを見ながら、自分自身の将来について不安を抱き始めたことで、サキは精神的にとても不安定になってしまい、自分でも理由が分からないまま泣き続けることが多くなりました。これまでも料理や買い物など、部分的に家事を手伝ってくれることはありましたが、一日中の母親の仕事を一人でやることがなかった娘は、「ママ、こんなに大変なことを今までずっとやってきてくれていたんだね。サキがもっとお手伝いしていれば、ママは病気にならずにすんだかもしれないのに…サキのせいだね」と、泣くわけです。何でも人のせいにする弟とは正反対です。(同じ親から生まれた姉弟なのにねぇ~。2人を足して2で割ればちょうどいいのかな?)「サキは、今のままの生活を続けていたら、きっと高校へも行けないよね。勉強だって、今のままじゃ、きっとどこにも合格できないし…どうしてこんなに頭が悪いんだろう」もらった通知表は5段階評価ですが、「1」や「2」が目立ちます。出席日数が少ないこと、課題の提出もできていないものが多いこと、そしてテストの点数が取れないこと。英語は大好きなはずなのに…聞けばちゃんと答えられるのに…何度書いても、練習しても、単語が頭に入らない。小学生の頃から苦しんできた漢字と同じで、やればやるほど劣等感が募るようです。大好きなアニメやマンガに出てくることなら、何でもあっという間に暗記しちゃうのにね。これが、LD児の持つ現実。「サキ、あんまり深刻に悩んじゃダメだよ。ママだって人間だから落ち込むことはあるんだけどさ、サキよりちょっとだけ長く生きてきた経験から言わせてもらうとね、悩んで問題が解決したためしがないもん。悩むんだったら、解決の方向へ向かって、実際に一歩でも歩き出す方が気持ちが楽になると思うよ」“まずは睡眠のリズムを整えて、ちゃんと学校へ通えるようにしよう!”ということで、思い切って支援学級の先生から紹介していただいたメンタルクリニックへ2人で行ってきました。まだ13歳の娘。睡眠薬に抵抗を感じていたのは、娘だけではなく、私も同じでした。(副作用があるんじゃないかな?癖になってしまうんじゃないかな?将来、妊娠したときなどに胎児への影響はないのかな?)クリニックの先生は、見るからに好々爺という感じの、とても物腰の柔らかい方でした。これまでの経過をざっと説明したところ、「それは大変でしたね。それで、今、学校へは?」「学校までは電車とバスで通うのですが、もう長いこと娘が目覚めてから、私が車で送って行っています」学校の先生には、「なるべく自分で登校できるようになるといいですね」と言われていたので、同じような答えが返ってくるかと思いきや、その先生はサキに向かって、「ああ、そうですか。それなら安心ですね」と、にっこり。この一言で、サキはすっかり先生が大好きになったようでした。(なるほど。そうきたかー!さすがは精神科の先生だわ~!)と、感心する一方で、(ってことは、まだ当分は私が送っていかなくちゃならないなぁ…)と、痛む腰をさすりながら、覚悟を決める私。「では、あまり効かないかもしれませんが、まったく副作用の心配のない、一番軽い睡眠薬を少し使ってみましょうか?」一度に2錠ずつ飲んでも、サキにはあまり効かないかもしれない、という2種類の薬を処方されました。「最初は1錠ずつ飲んでみて、眠れないようでしたら2錠ずつにしていただいて結構です」その夜、早速1錠ずつ飲んでみたのですが、眠くなるはずの「15分」が、サキには「3時間」かかってしまい、翌日は2錠ずつにしてみると、今度は12時間眠っても目が覚めない。試行錯誤を繰り返しながら、19時ころ1錠ずつ飲み、22時ころ眠り、翌朝7時に目が覚める、というリズムが、ようやく見えてきたところです。夕食を終えて20時を過ぎると、全身がだるくなったり、頭がぼんやりしてきたりするので(事故でもあったらいけないので)、娘と数年ぶりに一緒にお風呂に入るようになりました。女どうしの秘密のおしゃべりも、お風呂でしたりして…(笑)私にとっても、思いがけず楽しい時間が増えました♪睡眠の問題がひとつ解決すると、とたんに意欲的になってきた娘。腰が痛くて、足を持ち上げながら車に乗り込む私を気遣ってか、一人で電車とバスで通学をするようになりました。「ママ、まずは通知表から、1と2をなくすことを目標にしたから!」と、本屋さんで一番大きな文字で分かりやすく説明がしてある英語と数学のテキスト(小3の算数と漢字の問題集も)を買って来て、自分から勉強も始めました。「わからないこともいっぱいあるけど、少しでもわかることが増えると、やっぱり嬉しいよね」とにかくサキは、高校へ行きたいそうです。セーラー服を着たいし、アルバイトをしたいから、とか。「ずっと美容師の資格が欲しいと思っていたけど、サキはキャラクターデザインやファッションデザインの仕事にも興味があるんだ。将来、自分でちゃんと仕事をして生活ができるようになりたいから、まずは中学の勉強をしっかりやってみようと思う」これまで家ではマンガやアニメを見たり、絵を描いたり、のんびり過ごして勉強をすることなどなかったのですが、私もサキが学校の勉強が苦手になる過程をずっと見てきていただけに、「やればできるんだから」とか「努力が足りない」とは言えず、そんな娘を黙って見守ってきました。(まぁ、昼間の高校へ行けなくても、通信制でも夜間でも、本当に行きたければいろんな方法があるだろう。人生は長いんだから、すぐに答えが出ないことだっていっぱいあるよ。サキの持っている豊かな感性を大切にしようね♪)私の方はそんな気持ちでいたのですが、高校受験を目前にした先輩たちを目の当たりにして、いよいよ自分で「何とかしなくちゃ!」と、思ったのでしょう。タイミング良く学校では、最近娘が読み始めた「ドラゴンボール」のマンガを全巻持っている先生が、「サキに一冊ずつ貸してくれることになったんだよ!一冊ずつにすれば、学校へちゃんと通うだろうから、って。それが終わったら、今度は“北斗の拳”だって!楽しみ」(そうなんです、娘は少年漫画の方が好きみたいです)“先生からマンガを借りたくて学校へ行く”なんて笑っちゃいますが、親としては、そうやって少しでもサキの気持ちに寄り添ってくださる先生がいらっしゃることが、とてもありがたいと思えるのです。小5~小6でお世話になっていた適応指導教室。市内の不登校児の受け皿としての教室ですが、サキが通っていた頃は、小学生はサキ一人、中3まで入れても全部で6~7名という少人数でした。ところがその教室が、今では20名以上の子どもたちで溢れているそうです。学校へ通えない子どもたちが、どんどん増えています。そんな話を聞いたサキは、「学校がダメだったら、みんなあの教室や、うちの学校の支援学級に来ればいいのにね」と、さらりと言います。そんな娘のさり気ない一言に、その教室や支援学級が、娘にとっていかに居心地の良い場所であるかを感じます。頑張っては挫折したり、ダウンする、を繰り返してきたサキですから、これまたいつまで続くかわかりませんが、いつかサキ本人が自分について言ったとおり、「サキって、“100歩進んで99歩下がる”って感じだよね~」でも、一歩はちゃんと前進しているし、その一歩をすんなり踏み出せる人よりも、いろんな風景を見たり、ゆったりとした時の流れや心の動きを感じたりできるのなら、そんな歩みもサキらしくて、いいんじゃない?と思って、今回もまた見守りつづけようと思っているところです。いつも私にとっての“不思議ちゃん”の娘サキ。バレンタインのチョコレート作りあたりで、またサキの新たな感性が炸裂しそうですひなたまさみ
2008年01月21日
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みなさん、こんにちは今日は、久しぶりに息子ヒデキ(小4)の近況報告をしたいと思います。先日、ヒデキの憧れの井上康生選手の結婚報道をテレビで見ました。モデル出身の美人の奥さま。井上選手をしっかりとサポートされている素敵な女性のようでした。単純な性格のヒデキです。「オレも柔道を頑張れば、こんなに素敵な人と結婚できるんだ」と、ますますやる気になってくれるかも?なんて期待したのですが、本人が食いついて見ていたのは、相手の女性よりもオリンピックの時の井上選手の試合の映像や、記者会見に同席されていた山下先生。「すっげぇえええ~~~やっぱり、康生さんの内股は、膝のバネが違うんだよなぁ~」「わっ、こんなところに山下先生がいる」一方、意外と反応が大きかったのは娘のサキ(中1)。「うそっこんな可愛い奥さんもらったの?これじゃまるで、美女と(ピーーーーーー)じゃないの。えっ?ヒデキがこんな可愛い人と結婚できる可能性?あはは♪そんなの、あるわけないじゃん」…相変わらずの毒舌ぶりです(笑)。井上康生選手、おめでとうございますぜひ、2人で北京へ、そして栄光の金メダルを再び勝ち取ってくださいさて、冬休みが終わり、学校もお稽古ごとも再開したわけですが、あちこちで、「ヒデキ、また大きくなったな」と言われているヒデキ。10月の大会のときは、確か65kgで登録したよね?もしかして、また増えた?体重測定をしたところ…68.5kgううっ、やっぱり一年に10kgのペースで増え続けているようです。学校の保健の先生には本気で心配され、「夜は深く眠れていますか?」「呼吸が途中で止まるようなことはないですか?」「捻挫が多いのは、体重を支えきれないのでは?」と、私も質問攻めに合いました。ヒデキ本人もその先生から太りすぎを指摘され、柔道の試合で踏まれて捻挫したことを何度も説明したらしいのですが、「そうかもしれないけど…でもね、やっぱり…」と、何度も何度も否定され、ついに…「うるせえ、クソババア!!!しつこいんだよ!!!」と、叫んでしまったとか(オーマイガッド!!!)くどくどとしつこく言われることを何より嫌うヒデキですから、気持ちはわかりますが、先生に対してその暴言は…ヒデキを叱りました。さすがに心配になり、接骨院の先生にもちょっと相談してみたのですが、先生は、大学ラグビーチームのトレーナーさんでもあるので、「はははあれだけスポーツしているんですから、心配ないですよ。これからどんどん身長も伸びてくるし。たくさん食べて、大きくなれるなんて、それも一つの才能ですから、むしろ羨ましいくらいですよ」と笑い飛ばして下さいましたが、私は決して太ることが良いことだと思っているわけではありません。動きも鈍いように見えるし、心臓への負担を考えても、体重はやっぱりその人にとって一番動きやすい値が良いと思います。だからなるべくよく噛むようにうるさく言ったり、ご飯や肉は少なめにして野菜をたくさん食べるように、味噌汁は具沢山にしてみたり、肉の料理のときも野菜を必ず一緒に炒めたり…「ママ、ママの味噌汁を食べると、心があったかくなるね」なんて、可愛いことを言ってくれたりしますが、でもね…ヒデキはやっぱり、お肉とご飯が大好きなんです親の心配をよそに、美味しそうに、本当に幸せそうにもりもり食べるヒデキを見ながら、「神様、お願いします。どうかこの子の背を、ぐんぐん伸ばしてやってください」と、祈らずにはいられません。学校では新学期早々に漢字50問テストがありましたが、これは頑張って一回で100点を取ってきたし、割り算の筆算はまったく理解できていなかった様子で、20点くらいを取って帰ったのですが、これも冬休み中にクリアして、100点。やるときとやらないとき、わかるときとわからないときの差が、歴然としているのもヒデキの特徴ですが、まぁ、それなりに勉強も頑張っているようです。トランペットはとても気に入って、毎日プープーと吹いています。インターネットの初級トランペット教室を利用し、ミ、ファ、ソ、ラの音がだいぶきれいに出せるようになってきました。お風呂の中では水面に口をつけて音を出してみたり、紙を丸めて音を出してみたり、「ママ、何でもトランペットの練習になるね」と、とても楽しそうです。さて、本命の柔道の方は???冬休み明けの稽古では、最初にやったドッジボールにすべてのエネルギーを注いだらしく、中学の稽古に残っていけるほどの体力は残っていませんでした。次の稽古では、乱取りで一番苦手な6年生の女子と対戦し、泣きそうな顔になったまま、「今日はもう無理…」と、またしても中学の稽古は残らず。「先生ひどいよ。オレの気持ちも知らないで、“技をかけないで勝てると思ってるのか?”とか言ってさ。オレだって技かけたいけど、あんなに攻撃されて、どうやってかけるんだよ?Yちゃん(相手の先輩)、ウザイ!しかも、途中でYちゃんが倒れたのに、先生が“今のはナシだ!”って、ずるいよ~~」そこで、私はついに雷を落としました。「ヒデキ、いったいどれだけ根性がないの?先生が言ってることは正しいし、Yちゃんだって必死でやっているんだから、2人とも何も間違ってないでしょ?悔しかったら、言われないように頑張るのならわかるけど、相手がウザイとか、ズルイとか、聞いてられないよ。自分のことは少しも反省しないで、ママはそれでヒデキが強くなれるとは思えないね」「それから、ママのために柔道頑張る、とか言わないでね。別にママはヒデキに柔道選手になって欲しいわけじゃないから。ヒデキが柔道が好きで、それが夢だって言ったから応援しているだけ。今はどうせ冷静に聞いてないだろうから、あとで頭を冷やして自分でよく考えなさい!」柔道だけじゃないんです。学校でも、家でも、ヒデキが何でも人のせいにしてしまう癖があることが、ずっと気になっていたので、このときばかりはガツンと言ってしまいました。まだ4年生では難しいことかもしれないけれど、そろそろそういうことも意識して欲しかったのです。その日、寝る前になってヒデキは、「ママ、ごめんなさい。オレ、やっぱり中学の方の練習も頑張ってみるよ。オレ、柔道が一番好きだから。K君(6年生の先輩)みたいに強くなりたいし、これからは、自分に負けないようにする」と、私に言いに来ました。(自分に負けない?それがどれほど大変なことか、本当にわかって言ってる?)でも、もしかしたら「オレ、もう無理だよ」って言うかもしれない、とも思っていたので、やっぱりそれは嬉しかったです。「そう?じゃ、ママはこれからも応援するよ」次の稽古では、その日参加していた4年生6人で、総当りの試合がありました。2月の末にも団体戦の試合があるらしく、その選手を決めるための試合のようでした。ヒデキは5試合のうち、4勝1引き分け。4勝はすべて一本勝ちでしたが、引き分けはやはりライバルのT君でした。4勝したのはヒデキ一人だったので、ヒデキはその試合にも出場できることになり、2月は10日(日)の南が丘杯を入れて2つも試合に出ることになりました。中学の稽古にもまた残るようになりました。先日は一緒に残ったT君が乱取りの相手にヒデキを選び、T君:「テメエを倒すまでは~~~やってやる~~!」ヒデキ:「オレも、テメエなんかぶっ倒してやるぜ~~~!」と、言いながら戦ったそうです(笑)。あがり症のヒデキ。まだまだ試合では緊張の連続で、たくさん悔しい思いをすると思いますが、柔道を始める前に比べると、ずいぶん心も鍛えられてきたようです。小学校を卒業する頃までには、試合でも自分らしい柔道が思いっきりできるようになってくれればいいな。こんな感じで、反抗期真っ盛り。よく食べ、よく遊び、よく眠り、すくすくと育っているヒデキです。次回は、娘サキの報告をしたいと思います。ひなたまさみ
2008年01月20日
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みなさん、こんにちは年末からの腰痛が、実はず~~っと長引いていて、椅子に座ることが困難な状態が続いていましたようやく、立って歩くことがだいぶできるようになってきたところ、先週2日ほど続けて都内まで仕事で行かなればならなくなり、片道1時間半ほどの時間を電車に揺られ、再び悪化。途方に暮れながら、昨日病院でMRIの検査結果を聞いてきました。診断は、腰椎椎間板症。背骨と背骨の間にある椎間板(クッションのような部分)が損傷し、つぶれてきているために神経を圧迫して痛みが出る、ということでした。「普通はね、白っぽく写るんだけど。ほら、ここから下の部分、黒いでしょ?全滅だね」ガーーーーン!!!確かに真っ黒になっている画像。これが自分の身体の状態だと思うと、凹みます。その椎間板が飛び出してしまうとヘルニアという診断になるのだそうです。(とりあえず、ヘルニアじゃなかったから良かったのかな?)と思いつつ、「それ、どうしてそうなったのですか?」と尋ねると、「う~~~~ん。まぁ、原因はいろいろだけど…高齢になってくると、この部分の水分が抜けたり、硬くなってきたり、変化してくるんだよね」「えっもしかして…老化現象なんですか」「一概には言えないけど、年齢的にはちょっとまだ早いんだけどね」ガーーーーーン!!!ますますショックです。思えば3年前にぎっくり腰になって以来、腰の痛みが定期的にあったよね。ここ数年のうちに、段差のないところでも派手に2回も転んだし。疲れもたまっていたのかな?「あの、治療法は?」「これはね~、治療法はないんですよ」「うそっじゃ、この痛みは一体どうしてくれるんですか?これじゃ、仕事はおろか、日常生活すらできないんですよぉ~~」重なるショックのあまり、思わず我を忘れて先生を責めてしまう私。「痛み止めの薬は効きませんでしたか?」「少しは楽になったような気もするけど、ちょっと動くとまた逆戻りです」「じゃ、お尻に注射してみようか?」「えっ?お尻?お尻に注射ですか?」「そうです。ブロック注射と言って、直接麻酔をかけるようなものです」名前は、聞いたことがありました。脊髄の注射。とても痛い、と聞いていました。「それって、お尻って言っても、背骨に針を刺すんですよね?」20代の頃、盲腸の手術で下半身麻酔のため、脊髄に注射をしたことを思い出した私。えびのように丸くなり、いきなり背中に針が刺さったときの痛みは、今でも忘れられません。たまたま刺した場所が、ちょっと悪いところだったのかもしれませんが、盲腸で切ったところよりも注射のあとの痛みの方がずっとひどく、退院してからもしばらく背中が痛み続けていて、その後胆石症でお腹を開く手術をしたときの痛みよりも、陣痛よりも、何よりもその痛みが一番強烈だったことを思い出し、一気に心拍数が上がる私。(あれだけは、もうイヤだ。でも、それをしないと、この痛みからは解放されないのなら、諦めてやるしかないかな?)「それをやれば、痛みは和らぐんですね?」「効果は人によってまちまちだけど、かなりの人は楽になっているようですよ」藁をもすがるような思いで、「じゃ、お願いします」と答え、(覚悟を決めて…覚悟を決めて…死ぬわけじゃないんだから。命まで持っていかれるわけじゃないんだから。だいじょうぶ。だいじょうぶ)必死で自分に言い聞かせながら、処置室へ移動。年配の看護士さんが、「じゃ、ズボンをゆるめて、そこにうつ伏せになって寝てください」恐る恐る診察台に上がり、「この注射、痛いんですよね?」と、また尋ねてしまう私。「そうですね~。でも、腰の痛みを我慢する方が辛いでしょう?」「そうなんですけどね~。そうなんですけど、やっぱり怖いんですよ。あ~~~、イヤだなぁ…本当にイヤだなぁ…」まるで駄々をこねる子どものようになってしまいました。ところが、「ちょっと、ズボン下げますね」と聞こえた次の瞬間、お尻の下まで下着とズボンを下げられた私。「ちょ、ちょ、ちょっとすみませんこんなに下まで下ろすんですか?」「そうそう、尾てい骨あたりに針を刺すのでね」「これじゃ、お尻丸出しですね」思わず苦笑いする私。手術室ならともかく、明るい診察台の上で、自分ひとりお尻を出すというのは、いくらオバサンでも恥ずかしいものです。それなのに…それなのに…看護士さんは更に、そのお尻の割れ目に綿を挟んだのです!「プッ!!!」思わず吹き出してしまった私。(この綿って、一体何の意味があるわけ~?これで、注射が刺しやすくなるってことなのかな?)何だかわからないけど、可笑しくて可笑しくて、クスクス…。そこへ先生が登場し、「じゃ、ちょっと痛いですよ」注射のときに、よく「ちょっとチクッとしますよ」と言われることがありますね。でも、実際には「チクッ」というレベルじゃないときもあるわけで、そういうとき私は心の中で、(ぜんぜんチクッじゃないじゃん。ブスッといきますよ、とか、正直に教えてくれた方がいいよ)なんて、密かに思ってしまうタイプです。だから、この先生の「痛いですよ」に、逆に覚悟が決まりましたね。(よし、こいっ!痛いんだ。痛いんだ)針が入りました。筋肉注射と変わらないようなチクリとした感じ。(あれ?そんなに痛くないじゃん?)やがて、背骨に冷たい液体が注入されていくのが、はっきりわかり、痛みというより、違和感を感じます。歯医者で使う麻酔のような感じです。「気持ちが悪いとか、息苦しいとか、ないですか?」「ないです。大丈夫です」(これから痛くなるんだから。もっと痛くなるんだから…)ますます気合を入れる私。「はい、終わりました。今から20分間、ここで動かずに寝ていてください」「あれ?もう終わりですか?」思っていたような痛いものではなかったので、拍子抜けしてしまいました。(なんだ、これなら、あんなにジタバタしなきゃよかったよ。笑)麻酔というと、「薬が切れればまた痛みが戻る」というイメージがありますが、このブロック注射は、血流が良くなったり、そのために炎症が治まったりという効果も期待できるようです。昨日のうちはまだ大きな変化は感じられませんでしたが、一晩寝て起きてみると、昨日までの痛みが嘘のように楽になりました。しばらく、この注射と飲み薬と接骨院で、根気よく治療していきたいと思っています。冷えるのが一番いけない、ということで、腹巻きを着用し、靴下も防寒用のあったかいものに変えました。この週末は、このまま安静に過ごします。ご飯の仕度も、洗濯物を干すのも、これまで滞っていたブログ更新も、今日のような状態で安定してくれれば、ようやく再開できそうです。これまでコメントやメールをくださったみなさん、ずっとお返事ができず、申し訳ありませんでした。サキ、ヒデキの近況も、たくさん書きたいことがたまっているので、少しずつ書いていきたいと思います。ま、ぼちぼちやっていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。寒さ厳しき折、みなさんもどうぞお身体を大切になさってくださいねひなたまさみ
2008年01月19日
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寝たきりだった冬休み中、私はたくさん本を読んだり、テレビや映画を観ました。中でも、家族みんなで楽しんだダントツはドラマ「のだめカンタービレ」でした。漫画、アニメ、そしてドラマ…以前からずいぶん話題になっていたようですが、私は見逃していました。ところが、いつの間にかそれらすべてを見ていたのは娘のサキ(中1)。この休み中に特番が組まれることから、以前放送していたドラマをすべて再放送することがわかると、私たちにモーレツに勧めてくれたのです。見ました。アニメも借りて見ました。CDも借りて聴きました。とても、とても良かったですおかげで、我が家はにわかクラシックファンになってしまいました主人公の“のだめ”ちゃんは才能溢れるピアニスト。部屋はとてつもなく散らかり、勉強も苦手だけど、ピアノのセンスは抜群。フランス語や曲を覚えるのも、気になるアニメや演奏を繰り返し見ながら…やるときには、眠る時間も忘れて…(ああ、そういえばうちにもこんな子が一人いるわ)ドラマを見終えると、そのまま数時間部屋にこもっては絵を描き続けるサキ。いつも心のどこかで娘の将来を案じている母としては、のだめちゃんが彼女のことを理解してくれる素晴らしいパートナーと出会えたことが、何より嬉しい展開だったりして…(笑)。そして、私はオーケストラの指揮者がどれほど大変な役割だったのか、このドラマを見て初めて知ることができました。この作品を通して、クラシック音楽やオーケストラに新たに興味を持つ人が、きっとたくさんいるでしょうね。今回見逃してしまったみなさんにも、いつか機会があれば、ぜひお勧めしたいと思いますというわけで、今日はみなさんにバレエ音楽「くるみ割り人形」の中から、私の大好きな「花のワルツ」を…。さて、去年の暮れに我が家に届いた一冊のカタログギフト。そういうものをじっくり見て選ぶのが苦手な私に代わり、サキが丹念に見てくれていました。「ママ、このミシンなんかどう?」「えっ本当にミシンがあるの?」「うん、あるよあっ、ベースギターもあるよ」「ギ、ギ、ギター!?」これまで、そんなものが選べるカタログが届いたことはありませんでした。半信半疑で見てみると、確かにあるのです。「へぇ~~~っ、すごいね~~ん?これって…これでもいいの?」私が見つけたのは、ベースギターのページにある「入門用トランペット」でした。昨年の小学校の運動会。毎年恒例6年生児童全員による鼓笛隊で、トランペットを吹いていた子どもたちの中に、同じマンションに住むR君がいました。R君は身長も高いので、とてもかっこよく見えたのですが、ヒデキ(小4)の目にもその姿がかなり印象に残ったようでした。「ママ、R君かっこよかったね~」「そうだね~。ヒデキも身体が大きいから、トランペットなんか似合うかもね」「うん♪オレもトランペットやりたいトランペットは金色だしな」(金?ああ、金メダルの金色ね。ヒデキらしいなぁ~!)「でもさ、最初に音が出せるかどうか、テストがあるみたいだよ。R君は、自分のトランペットを持っていて、音も簡単に出せたから合格したんだって」「そうなの~?トランペットを持ってるなんて、もしかしたらR君のお父さんの趣味なのかもね」カタログのトランペットを見たとたん、そんなやりとりを思い出した私。これまでは、ヒデキ=食欲ヒデキ=スポーツというイメージだったよね。これから先、中学、高校と進んでいけば、きっと部活動も運動部で、音楽をやる暇なんて、ますますなくなるよね。私はそんなヒデキが、実は音楽好きなことも知っていました。クラシックでも、ポップスでも、Jazzでも、いろんな音に興味を持って楽しむ姿をみてきた私は、(何かひとつ、ヒデキが楽器を演奏できるようになったらいいな)と、ずっと思っていたのです。でも、スポーツ三昧のヒデキにこれ以上お稽古ごとを増やすわけにはいきません。ヒデキの通う小学校では、5年生になると鼓笛隊の練習が始まります。およそ一年間、時間をかけてじっくり練習をするので、トランペットも太鼓も、みんなずいぶん上手になります。(学校で教えてもらえるなんて、言うことないよね。おまけにR君も同じマンションだし。でも、トランペットって、音を出すのが難しいんじゃなかったっけ?もし音が出せないままだったら?)(ま、買って無駄になるのは惜しいけど、いただけるものだしね。基本さえ覚えられれば、大人になってからでもまたやれるじゃない?これが、ヒデキが楽器を演奏できる最初で最後のチャンスかもしれない!)「サキ、お願い今回は、このトランペットにさせて」「ああ、ヒデキに?別にいいよ」そして、“のだめ熱”がまだ冷めない我が家に、昨日そのトランペットが届いたのです。「おお~~っ、すげぇええええ」ヒデキが興奮したのは、言うまでもありません。実は、ヒデキが帰ってくる前に、こっそり音を出してみようとした私。ところが、マウスピースだけでも、トランペットにつけても、まったく音が出ませんでした。(もしかして、不良品?)と思っていたのですが、ヒデキは初めて手にしたトランペットを軽々と音を出して見せました。しかも、これが結構良い音なんです。(はい、いつもの親バカです)「ヒデキ、すご~~いちょっと、ちょっとトランペットの才能があるんじゃないの~?」「だって、M君のトロンボーンのマウスピース、吹かせてもらったことあるもん」M君はヒッポの先輩。学校で吹奏楽(トロンボーン)をやっている中学生です。「ママ、これはね~、ママには無理だよ。だって、結構腹筋使うしな。ママは今、腰が痛いでしょ?だから、無理しない方がいいよ」その後ヒデキは、ずいぶん長くトランペットを吹いて遊んでいました。名前もつけていましたよ。「この子の名前は、金太郎だから、金ちゃんって呼ぼう」寝る前にも、「おやすみ、金ちゃん」と、ケースに声をかけるほど。さてさて、果たしてヒデキは、ちゃんと曲が吹けるようになるのかな?トランペット吹きの休日いつか、こんなにかっこよく演奏してくれることを、密かに夢見る私です♪(あ、でもこの曲だったら、ヒデキは吹くより先に走り出しちゃうかもね。笑)ひなたまさみ
2008年01月09日
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こんにちはご無沙汰してしまいましたが、みなさんはお元気でしょうか?私は本当に、寝たきりの冬休みとなってしまいました。昨年母が亡くなったので年賀状は出せなかったのですが、準備していた喪中の葉書も、結局一枚も書けませんでした。年賀状や励ましのメールを下さったみなさん、ありがとうございました。お返事ができず、申し訳ありません今年もどうぞよろしくお願いいたします40年ちょっと生きてきましたが、これほどの腰痛に襲われたことはありませんでした。トイレに行くにも、立ち上がるためには、まずタンスの横まで少しずつ、少しずつ近づき、手を伸ばして、タンスの引き出しを少し引きます。そのすき間に指をかけ、激痛が走らないよう、そろそろと立ち上がるのですが、失敗して雷に打たれることもしばしば。深呼吸をして、一歩ずつ足を出してみるのですが、どちらの足で踏みしめても、必ず痛みが伴います。自宅のトイレが、遥か彼方に感じます。とうとう、這ってトイレに行くようになりました。寝ているとはいえ、頭の中は元気なので色々なことが気になります。(お正月だというのに、何も買いに行けないし、作れない)(せっかくのお天気なのに、洗濯ができない)(子どもたちの宿題を見てやりたいのに)(犬の散歩は?)世間の家では大掃除で家の中がきれいになっていくというのに、時間が経つごとに増えていくゴミ、散らかっていく部屋、汚れた食器…。子どもたちは、子どもたちなりに心配やお手伝いをしてくれていたのですが、やっぱり、自分が動きたくても動けないというのは、イライラしちゃうんですね~。文字通りの重い腰をあげ、食器を洗おうと思うのですが、両手を離して立つことができないため、食器を洗うには流し台のふちに両腕を乗せ、そこに体重をかけて立つしかありません。背中や肩もずっしりと重く、腰の痛みに唸り声をあげながらお皿を洗い、結局は家族に代わってもらう始末。(これじゃ、入院してしまった方が精神的にも楽だろうな)と思う一方で、(これで私が入院しちゃったら、この家は一体どうなっていくんだろう?ヒデキの柔道は?サキの学校は?)という心配が、次から次へと頭をよぎります。子どもたちは、そんな私を笑わせようとお笑い番組にチャンネルを合わせてくれるのですが、笑うと、腰が… 痛いっくしゃみや咳など、もってのほか。日々痛みと闘いながら、何十年もリューマチを患っていた母や、骨髄腫で背骨と肋骨を同時に骨折し、顔を歪めながら家事をしていた父のことを、布団の中で何度も思いました。4日に市内の病院へ行ったのですが、レントゲンだけではよくわからないらしく、今度の金曜日にMRI検査をすることになりました。幸い、近所のふぁいん接骨院に井上康生選手の治療もされた、という東海大ラグビー部チーフトレーナーの先生がいらっしゃり、その先生に腰以外の筋肉を見事にほぐしていただくことができたので、腰の痛みを除いては、かなり楽になりました。先生のお話では、ヘルニアを2つも抱えたあるラグビー選手を、こまめにケアしながら手術することなしにラグビーを続けたまま卒業させた、とか。「通っていた学校で習ったのではなく、尊敬する師匠から見て盗んだんですよ」と、自ら言われていた、お腹を触りながら身体全体のバランスをチェックし、丁寧に整えていく、というとてもユニークな施術ですが、ほんの1時間ちょっとのマッサージで、嘘のように身体が軽くなっていくのがわかりました。「康生君は、ちょうどこの診察台でやったんだけど、身体がとにかく大きくて、はみ出ていましたよ」と聞き、思わず背中を診察台に押し付けてしまうミーハーな私。(だって、ヒデキにとっては神様のような人だもんね~)井上選手やラグビー選手の治療にまつわる感動のエピソードなども少し聞かせていただき、ヒデキへのお土産話もできました♪数日経って、再び背中も痛み始め、外から見ても「変な歩き方」になってきたので、明日もまた治療を受けたいと思っています。近くにこういう頼れるところがあると、ほんと心強いです。今回私が寝込んでいることを知っていたのは、私の親戚と、冬休み中に子どもたちが遊びにいったお友だちとそのお母さんのみ。子どもたちも親同士も仲良しです。ありがたかったことは、その親戚やお友だちが、食べ物を送ってくれたり、作って届けてくれたり、作りに来てくれたことです。かまぼこ一本買いに行けないまま年を越してしまったのですが、お雑煮になるようなスープを作ってかまぼこや伊達巻と一緒に届けてくれたり、「親戚に行ったから」とおせちのお裾分けをいただいたり…親戚から宅急便が届くたびに群がる子どもたち。すぐに食べられるものが入っていると本当にありがたく、それらはまるで救援物資のようでした。誰かの作ってくれたものばかりで迎えたお正月。味もそれぞれだし、食べながら作ってくれた人たちの顔も浮かびます。「みんな優しいね。本当にありがたいね」人の温かさと健康のありがたさを家族みんなで感じた年明けでした。私が子どもたちの宿題を見てあげることはできませんでしたが、そのお友だちの家には中1のお兄ちゃんがいたので、ヒデキ(小4)は、大量の算数の宿題をそのお兄ちゃんに教えてもらいながら終わらせることができ、書き初めも、今年は何とか一人で頑張って書きあげました。今日から子どもたちの学校が始まりました。夕方からは、柔道の初稽古です。サキ、ヒデキ、今年も「元気な子」でいてね。あ、私も早く元気にならなくっちゃ!ひなたまさみまだ、長時間座っていることができないので、せっかくいただいたコメントへのレスや訪問がなかなかできませんが、どうぞお許しくださいね。
2008年01月08日
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