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センターで思うような結果が出なかった息子ですが、とりあえず前期は最初の希望どおり地元の国立大に後期は地方の国立大教育学部に出願終了しました。最初はセンター試験の科目間の不公平ばかりぼやいていましたが、「要は、僕の勉強が足りんかったンや。ホンマに勉強してるヒトやったらちゃんと取れる良い問題やったと思う。」と、殊勝なことを申しております。好きなテレビが付いていようが、次女がゲームをやっていようが切り換えてさっさと勉強しに向かいます。(当たり前か・・・)こういう感じだと、まあ浪人しても安定して勉強してくれるんじゃないかなあ・・・。(最悪の場合ばかり考える気の弱い母)
2010/01/27
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今年6月から特別支援教育支援員として働いています。小学校の中で、学力、他の生徒との関わりなどいろいろな困難を抱える子どもを支援する、まあ、補助教員のような仕事ですが、私の配属された小学校は規模のわりに支援学級に所属する生徒が多く、一学年2~3クラスの学校なのですが、難聴・肢体・情緒・知的低学年・知的高学年の5クラスがあります。とはいえ、特に難聴以外のクラスの子どもたちは情緒と知的、肢体と知的など障がいが重なる場合も多く先生達も4人で4クラスを担当しているという感じです。私は普通学級にいる発達障害の子どもの補助にはいると同時に支援学級の子どもたちが交流学級で授業を受ける(図工・書道・生活など)の補助にも入るので、支援学級の先生や生徒との関わりがやはり多いです。この小学校の校区には知的障がいの子どもたちの施設があります。そこの施設は元々かなり重度の知的障がい児の宿泊を伴う施設でやはり一般家庭では自立への訓練やケアその他が難しいのです。ほとんどの子どもたちが特別支援学校に行っていました。しかし、最近この施設から地域の小学校(つまり私の配属された小学校)の支援学級に通う子どもが出てきています。つまり、そんなに障がいは重くないのに、家庭では生活できない子どもたち。その中には親が虐待をしていたり、児童相談所が「親には養育できない」と認定した子どもたちが居ます。学校で接している分には別に普通(普通って何なんだ!ということはおいておいて)のちょっと(だいぶ)勉強の出来ない子という感じで、ふざけるし、言うことは聞かないけど、甘えてきたり、とっても可愛いのですが・・。でもふっと。ただでさえこの社会に生きていくハンディを負っている子達が親からも・・・と思うとやりきれない思いを感じます。と同時に連絡帳に子どものことを細々と書いてきてくださる施設の先生方や、とにかく今できることをと毎日授業に気を砕く先生方を見ていると最前線だなあと思うのです。
2010/01/26
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嘘です。浪人したくありません。でも、もし、第一希望が叶えられなかったらどうするか。なかなか思うような結果が出なかった息子の友だちも、みんな揺れているようです。当たり前ですが、「親に悪い(特に経済的な面で)」とみんな言っている。この辺はやはり公立高校ですよね。イヤ、ずっと公立で、そんなに親に負担をかけていないのに、みんなええ子やの~と思います。浪人せずに、行ける私立大学に行くか。(学費高いよねえ~)浪人するか。(予備校って、1年分前払いのトコがほとんどだよね~。学割もなかったり)地方の国公立に行くか。(仕送りしてもらったら、結局私学の方が安いよね~)そりゃあ、近くの国立に現役で行ってくれるのが親としては一番有難い。でも、勿論子どものために何でもはさせられないけれど、出来る限りで頑張らせたい気持ちはあるのです。重松清さんの「とんび」文字通り、「とんびが鷹を生む」のとんびなのですが、父一人子一人で息子を育てる切ない物語が結構泣かせます。 「幸せになりんさい。 金持ちにならんでもええ、 偉い人にならんでもええ。 今日一日が幸せじゃった思えるような 毎日を送りんさい。 明日が来るんを楽しみに出来るような 生き方をしんさい。 親が子どもに思うことはみんな同じじゃ。 それだけなんじゃ。」もし、君がそれで納得できるというなら、またがんばれるというなら、いろいろクリアしなければならない問題はあるけれど第一志望を通して欲しいと思っている。「とんび」でも、東京の大学に出て行く息子が、「苦労をかけてゴメン」というと、父親は答えるのです。 「アホ、苦労すんのが親の仕事じゃ。」
2010/01/23
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センターリサーチ帰ってきました。最もその前に息子はいろんな所をバンザイシステムで確認済みでしたが。返す返すも悔しい。化学以外は全て偏差値60以上。1個だけ出していた私学のセンター利用も国語・英語・数学1A・現社・数学2Bでの得点となり、A判定。主な地方国立教育大、地方国立大教育学部もA判定。でも、第一志望だけがD判定。2次で今までの模試の結果を記入してもやっとC判定。でも・・・何か、今年は頑張るそうです。浪人覚悟で、2次にかけようと思っているようです。一応、私学は合格している見込みだし、一般入試も申し込んでいるので、受けに行って、特待生狙おうかな(学費が半額になる)と、捕らぬタヌキの皮算用していますが、でも、本心はやっぱり第一志望を通したいようです。姉(京大一本、保険無しで綱渡りのような受験をした)も、「まあそう言うやろ」と、クールな返事。彼の場合、希望学部が微妙に教育学部とは違うので教育大などに変更するのがどうも納得いかないようです。そして、一応行ける大学がかなりありそうと言うことで行く行かないは別にして、自分の勉強も意味があったんだとちょっと自信もついたようです。本人のしたいようにするしかないですねえ。とりあえず、2次試験、頑張っていただきましょう。
2010/01/22
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結局息子は、化学以外はセンターはそこそこだったようで、化学を受けるまでは高校でも文系の中ではトップクラスの成績だったのですが、化学で生物受験組にマッハの速度で抜かれ、只今PTSD中です。昨晩は私もみんなの点数を聞いて、「あ~~あの子にもこの子にも勝っていたのに、なんで???」と、3時頃から一睡も出来ませんでした。フラフラする頭で支援員の仕事に出かけます。特別支援教育支援員=いろいろな困難を抱える子どもたちを学校内で支援する、お助けマンのような補助の先生です。私の場合、大変ハンディキャップの子どもの多い小学校に配属されたこともあり、支援学級の子どもたちが交流学級で授業を受ける(主に図工や体育・家庭科、書道、生活などが多い)時に支援に入ったり、あと、支援学級にはいるほどではないけれど診断の出ている子どもの授業の支援にはいることが多いです。仕事の間は本当に体力勝負だし、(突然教室を出ていく子もいる)子どもたちと接しているときは真剣勝負なので、全く息子のことは忘れています。さて、今日から最後の期末テストの息子。帰ってきて「Mのお母さんには絶対言わんとってや」と言いながら、センター残念友だちのMくんとK君とボーリングに行ってきてん」と、教えてくれました。一緒にいてもセンターの事を話すばかりで集中して勉強できないし、そしたらここで一発心機一転や!と。3人で大騒ぎしながらボーリングをして、帰ってきたそうです。しかし、そんなこと黙っておいて良いのに(^_^;)・・・。でも、ウチの息子が母に何でも話すのは有名なのか、M君にも「お母さんに話しても良いけど、俺のお母さんにだけは伝わらないようにしてくれ」と言われたそうです。受験で又、ちょっと良い親子になれているのかな。でも、やっぱりこの受験は君の受験。ここでどう転ぼうと、どういう選択をしようと君の人生。母も、今晩からはしっかり寝ます。
2010/01/19
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文系科目終了時点では何とか8割近くに行きそうかなあと思っていたのですが、今日の化学は撃沈でした。今年は特に数1と化学が難化したようです。数学は得意だったから稼ぎたかったのですが、まさかの数2Bよりも低得点・・・・。化学に至っては何とか5割。今まで模試その他でも7割は取っていたので、本人もボー然。同じく難化したと言われている現代社会で8割5分取れたのがまあ救いですが。これではボーダーよりも低いかも知れません(生物が今年はものすごく易化したらしく、生物をとっている人が多い文系では不利なようです。)息子はずっと2次の方が得意だったので、なんとか巻き返したいと思っているようですが、リサーチ次第では志望校変更もあり得るビミョーな点数となりました。う~~~~ん、やっぱり受験は厳しいです。センター試験が終わってすぐの時間に「もう、出家します」というメールが来て、生きた心地がしませんでした。泣いてるんじゃないか、とか、ちゃんと帰ってくるんだろうか、とか。よく考えれば、数々の修羅場をくぐってきた息子ですから、私よりよっぽどしっかりしているんですがねえ・・・産みの苦しみとなるのか???
2010/01/17
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息子は無事、センター試験に出かけていきました。とりあえず、風邪もひかせず、事故にも遭わず、試験を受けたと言うことでまず第一関門クリアと言うことになるのでしょうか。最近、毎日テレビのCMで泣かされています。関西電力のCM。アンジェラ・アキの「手紙」の流れる中、沢山の中学生の笑顔、がれきの積み重なった町、その中で、電気工事をしている人たち、ルミナリエの写真を撮って笑っている中学生達。15歳の君へ君がいたから 前を向けた。君がいたから がんばれた。君がいたから 泣くのをやめた。15年前のあの日、傷ついた町で、私たちの背中を押してくれたのは生まれたばかりの君たち。「この子達の未来を 照らし続けるんだ」あの日の思いを胸に、今日も。君たちがいたから15年でここまでこられた。君たちこそが 希望の光。 そりゃあ、泣けます。あの時、本当に私たちは不安でいっぱいだったけれど同時に、毎日のように復興していく町の様子を見ることが出来た。腰まで水に浸かりながら地面に潜ってガス管工事をしていた人。24時間、本当にずっと工事をしていた電車の高架下。いろいろな県から、見たこともないゴミ収集車が持っていく瓦礫。お風呂に入れなくて、道は波打っていて、本当に不便で、悲しかったけれどそれでも、昨日通れなかった道が今日通れたり、昨日までガスの来ていなかった友だちの家が「ガスが来たからお風呂においで」と言ってくれたり。確実に、元の生活を取り戻そうと休まずに働いている人たちがいた。沢山の優しさにも出逢った。時間と共に、そんな毎日の出会いが、私たちをいやしてくれていたと思う。震災の後、ずっと「明日」が来るのがこわかった。今日は何もなかった。幸せな一日だった。でも、「明日」には、この全てが変わってしまうかも知れない。目に見える物全て変わり果ててしまうような不幸が来るかも知れない。震災の前の日、自分が何をしていたか、はっきりと覚えている。そして、その次の日、本当に考えてもいないことが起こり、全ての景色が変わった。でも、それでも毎日明日がやってきて。私は本当に寝るのがこわかった。あの時5歳だった娘は成人式を迎え、あの時3歳の誕生日を迎えたばかりだった息子が今、センター試験を受けている。影も形もなかった次女が生まれ、もう9歳になる。「明日」が来てくれて良かった。この15年、毎日明日が来て、勿論いろいろな事があり、辛い死にも出逢ったけれど、それでも。「明日」が来続ける限り、希望がある限り、みんな、歩き続けるだろう。
2010/01/16
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さあ、センター試験です。一昨日、塾の最後の世界史の授業、最後に重要語句がちりばめられたプリントが配られ、その真ん中に先生が大きく 最後まであがけ!と書かれていたという。塾の応援メッセージには、 ねだるな! 勝ち取れ!下宿している長女からも息子にメールが入る。 「フツーにやったら大丈夫やで。 一生に一度のことやから、楽しんでおいでね。」沢山のお守りも持っているが、何より、力のある言葉達。受験があったからこそ出会えた、心に響く言葉達を胸に。思いっきり、自分をぶつけて来てください。
2010/01/15
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センター試験まで後4日です。息子は高校の先生方とそりが合わず残念ながら「恩師」と呼べるような存在はないようですが、その分、2年生から通った塾の先生方にお世話になったようです。塾の先生方。大学受験の塾の先生と言えば、それなりの学歴もある方が多く、その方々が塾の先生になるには、なかなか面白い人生経験をお持ちの方も多い。その先生方が勉強だけではなく、ふと話す人生論は結構胸に響くことも多いようです。息子が化学の先生から聞いた、センター試験の極意です。試験中は君らが神様!君らの書いた答えが正解だ!いろいろ不安に思うこともあるし、迷ったり、分からないことが沢山あるでしょう。でも、今まであんなに努力してきて、あんなに一生懸命勉強してきて、さあ、これが答えだとかいた、その答えが全て。あなたの、これが、「答え」自信を持って書いてください。・・・・・・ただし、出題者の答えは他にあるかもね。
2010/01/12
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長女の成人式でした。先月に前撮りも済ませていて、その時に着付けに必要な物もそろえていたので何だか緊張感が無くて・・・ちょっと朝にあわててしまいました。長女は私が着た振り袖を着てくれて、作ってくれた私の母(おばあちゃん)も、大喜びです。(しかも、微妙に私より似合っているぞ・・)前撮り、当日の着付けと物いりですが、無事、子どもの成人式を迎えられたことに今まで娘に関わってくれた全ての方々に感謝でいっぱいです。主人とも昨日、お互いに「ご苦労様」を言い合いました。成人式なんていらんのちゃう?・・・と思っていましたが、何らかの節目というのは、あっても良い物なのかも知れませんね。(お金はかかるけど)
2010/01/11
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もうすぐ成人式ですね。新成人になるウチの長女、一浪で決まった友だちもこの年末年始に掛けて集まりが多くあり、あまり交流のなかった友だちの消息も沢山聞くことが出来ました。娘が帰ってきてしみじみ言ったこと。「私立中学受験って、意味あんの?」相変わらず私立中学受験日にはクラスの半数近くが受験に出かけ、3年生の次女の周りは塾選びで騒がしいこの環境で、なかなか言えないことなのだが。中学で別れた友だちとはあまり接触の無かった長女は私立中学に進んだ友だちの進路があまりにしょぼい(すいません、こんな言い方は良くないって分かっています。が、あえていいます)と、ビックリして帰ってきたのだ。以前にも書いたが娘は小学校3年生から男子に混じってサッカーをしていた。3年生の2月、一斉に始まる塾選び。ウチも一応受験戦線に参加しようとしたがあまりの勉強量(まだ4年生になるとこなのに)と、公立に行ったら人生終わる的な塾の説明に恐れをなし、3ヶ月(早すぎ)での戦線離脱となった。その時サッカーをしていた12人のウチ家の都合で一人は卒業と共に引っ越したが、後、9人は私学の中学に進んだ。受験体制にはいるため、5年生でほぼチームは空中分解。まあ、ウチも女子バスケと掛けていたのでこれ幸いという感じでサッカーからは身をひいたが・・・。受験組の狼藉は、予測していたことだが凄かった。学校は休むし、受験勉強が大変だから学校の宿題を出すなと先生にねじ込むし、(おかげでうちの娘の学年の宿題は「出来ない人はしなくても良い」びみょーな物になってしまった)受験しない親からは、「もういっそ受験する子としない子にクラスを分けて欲しい・・・」(ふたクラスしかない学年だった)という意見が聞かれるほどで。受験した9人の内、第一志望に入ったのは2人のみ。一人は超難関校に。もう一人は大学までエスカレーターの伝統校に。後は「何回受けさすねん」状態で、わらわらと中堅受験校に決まった。そして、6年後。公立に行った2人はストレートで京都大学に。超難関校に行った一人は、京大はダメだったけれど、後期で同じくらい難しい国立の法学部に。そして、中堅校に行った7人の内、分かっているだけでも5人は浪人。浪人して結局マンションが買えるくらい(それも新築・・・)お金のかかる医大や歯大に行った子も多い。これって、たまたま?たまたま公立に行った2人はたまたま行きたいところにいけて私立組はうまく行けなかっただけ?世の中の人は、私立中高一貫校のこが、良い大学にはいると「やっぱり私立でないと」と言って、公立から偏差値の高いところにはいると「その子が出来たから」という様に思う。でも、そうかな??ここへ来て、いろいろな子どもの友達の進路を見ながら思うこと。今まで私は、勉強するのは悪いことではないし自分の中学受験の経験は未だによかったと思っているから、友だちにも「ウチは中学受験はしないけれど、受験を否定しない」と言ってきた。でも・・・ひょっとして中学受験って、今の中学受験のシステムってものすごく子どもにとって害があるんじゃないの?と思うようになってしまった。勿論、「公立がすべて程度が低い」と言いきるのと同じくらい「私立中学受験が間違っている」と言いきるのもくだらないことだと思う。でも、このサッカー部の例だけでなく、あまりに私立中学進学組の「その後」は????と思うことが多かったのだ。途中退学したり、結局何浪も重ねていたり、いじめられて半分近く不登校だったり。勿論、公立中学にもいろいろな子どもがいるから公立に行っていたらバラ色の中学生活があったとは言えない。娘がいろいろな友だちを分析したところはこうである良い中学受験の条件(1)第一志望の学校に行っている。 ダメだった場合は公立に行く気で、あまりいろいろ受けていない。(2)あまり早くから勉強させていない。小学校低学年から塾に行ったりしていない。(3)小学校生活を普通に送っている感じがした。 受験前に延々学校を休ませたりしていなかった。(4)お母さんが高学年になっても何かのほほんとして、必死な感じがしなかった。だそうです。勿論、進む大学だけが教育の成果じゃないし、私学ならではの特色ある教育で人間性が磨かれたのかも知れない。でも、小学校の時点であのお母さん達の求めていた物は「学力」「良い環境」だったと思う。(その後変わったかは知らないけれど)そして、こういう情報はやっぱり外に出ないね。私学でうまく行かなかった子がどれだけ多いのか公立でも普通以上に学力を付けている子がいっぱいいることも塾の先生は絶対言わないね。不安ばかりをあおる。(少なくとも、私の聞いた説明会ではそうだった。)来週、センター試験と同じ時に京阪神の中学受験は行われる。次女の小学校では又いろいろな狂想曲が奏でられているらしい。全員が受かる受験なんてあり得ないのだからせめて、良い受験であって欲しい、子どもたちのこれからにプラスになる経験であって欲しいと願う。それは、自分の息子のセンター試験にしても然り。勿論結果を出して欲しいけれど彼の将来のために勉強したこと、全ての経験が彼のこれからを築く礎となるよういのるばかりです。
2010/01/08
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実は、お気に入りにさせていただいていたブログの方達にはケイタイから結構近況を見せていただいていたのに自分は全くアップしていませんでした。一生懸命書いていた頃を思い出して、どうしてもそうだ、あの時の方々に、多分一番お知らせしておかねばと思って、勇気を出して、書くことにしました。一昨日、コンビニの前に車を停めたら、ちょっと毛を染めたおにいちゃんが窓を叩くじゃないですか。そう、中3の夏、一時保護所に行く代わりに2ヶ月我が家に里子となってきてくれた「彼」でした。「彼」は、定時制高校に行き、そこで3年半、バスケットとアルバイトと、ちょっぴり勉強も両立させ2年間定時制高校の全国大会のベスト4に残り、個人で表彰もされてその写真は「月間バスケットボール」のページを飾ったのです。4年間かかる定時制高校の単位も3年半で取り終え、本当は専門学校に行きたいんだけれどお金がかかるし(スポーツトレーナーになりたいと言っている)次が決まらないと言っていたのがこないだの春。そして、この春、バスケットで結果を出してきた彼は専門学校の入学料全額と授業料かなりの割合免除されて入学が決まったという。2年前に転居して市内の端と端に離れそれでもバイト先が主人の勤め先と近いことから元気でやっているのは知っていたが。兄は高校もすぐやめてしまい、2度目の結婚(二十歳になるうちの娘と同じ年なのに)の噂までは聞いていたがその後は噂も聞かない。お母さんも、まあ何とかやっておられるのか、とりあえず「彼」が一緒に住んでいるらしい。一人で、何もかも一人でよく頑張ったねえと。でも、彼の性格故か定時制高校のバスケ部顧問もとても彼を支えてくれ、また、中学時代の顧問の先生も練習を見に行ったこともあったらしい。本当に、よく頑張ったねえと。誘惑の多い家庭環境でいろいろな子がいる学校でそれでもやっぱり自分を持って頑張れる子はいる。絶対絶対
2010/01/07
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