Shinanonokuniのブログ2

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2013年02月02日
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カテゴリ: 国内旅行
1月26日、内房富浦町にある大房岬を瞥見してきた(その1)

東京駅を館山行きのバス「なのはな号」で出発する。東京湾アクアラインの開通後、房総と東京を結ぶ交通網は鉄道から高速バスへと一気にシフトしてしまった。鉄道は東京湾岸をぐるっと遠回りして行くために遅いし、値段も高い。かつて海水浴シーズンには臨時列車も多く走り、特急列車も多く運行されていたが、鉄道(房総地区)の時刻表は随分と寂しくなってしまった。

なのはな号は快調に走りアクアラインを抜けて館山道を進む。ここまで来ると高速道路も対面通行であった。終点の竹岡ICから下道を走って道の駅「富浦枇杷倶楽部」へ到着した。ここで下車する。

富浦枇杷倶楽部の案内所でタクシーの電話番号を聞く。「チュウヤタクシーがあります」との事でチュウヤとはどう言う字なのかと思って待っていたら来た車の看板は「昼夜タクシー」であった。昼も夜もやってますという意味なのであろうがあまりにもストレートな社名なのが面白かった。この車で大房岬へ移動する。途中運転手さんに話を聞く。富浦町の名産は、現在の季節はイチゴ、初夏にはビワである。海水浴客で賑わっていた数十年前は民宿が数百軒もあったが、現在は数十軒しか無いとの事。など伺った。

やがて車は大房岬少年自然の家前まで到着した。タクシー料金は1700円ほどで割に近かった。

大房岬少年自然の家.jpg

岬一帯は自然公園となっており、少年自然の家のほかキャンプ場、磯遊び場などがある。ここへ来たのはこの岬が帝國陸軍東京湾要塞に属する砲台跡であってそれを瞥見するためである。

運動園地.jpg

整備された運動園地付近を歩いて行くとコンクリートの地下室入口が見える。

大房岬砲台跡1.jpg

大房岬砲台跡2.jpg

要塞跡によく見られる棲息掩蔽部らしき構造物である。

大房岬砲台跡3.jpg

トンネルの内部は水に浸かっており、長靴でないと侵入不可であった。

砲台跡地.jpg

地上へ戻ると砲座跡地との看板があった。

砲座跡.jpg

現在はベンチとなっている円形の場所にかつて砲塔加農が載っていた。

HIJMS_Kurama.jpg

華盛頓海軍軍縮條約の結果廃艦となった帝國軍艦(巡洋戰艦)鞍馬。本砲台はこの鞍馬から下ろした8吋(20糎)中間砲を連装砲塔で2基装備していた。海軍から移管された砲塔砲を陸軍で小改造を施した上で、砲塔加農と呼んで要塞重砲として用いた。陸軍の砲と比べて射程距離が長く口径も大きい海軍砲の装備によって日本の要塞はかなり強化された。

昨年見に行った和歌山県の友ヶ島などの砲台跡は建設年代が明治20年頃であったが、この大房岬砲台は昭和初期の竣工なので、品が良く味のある赤煉瓦造りではなくて、殺風景なコンクリート造りである。

(次回に続きます)





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最終更新日  2013年02月02日 16時43分32秒
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