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地下室に戻るとすぐに上着とシャツを脱ぎ、洗面器に氷水を張ってタオルを絞って打たれた肩の辺りを冷やした。激痛が走り、思わず顔を顰める。その時、携帯が鳴った。電話を取ると類子の声。「私よ。どうなったか気になって・・・不破は何か言ってた?」槐「いや。何も心配ない。大丈夫だ。言ったろ?あんたの事は、俺が守るって。あんたは自分の好きにすればいい」そこに、ノックの音。俺の名前を呼ぶのは澪の声。槐「じゃあな」類子の言葉も聞かずに強引に電話を切ると、俺は扉の向こうの澪に冷たく言い放った。「来ないで下さい!」澪は心配そうな声で言う。「でも、傷の手当をしなくちゃ・・・」槐は声を荒げる。「いいから!あんたに手当てしてもらうような傷じゃない!ほっといてくれ!」澪に水を差され、先ほどとは逆に俺は冷静さを失った。自分でも何だか分からないような叫び声をあげながら洗面器や机上の本、本棚までも手当たり次第に巻き散らす。そして再び、携帯が鳴った。俺は電話を取ると吐き捨てるように言った。「心配するなって言っただろう!」しかし、電話を掛けてきたのは類子ではなかった。不破「車を出せ。俺が直接、看護師を連れに行く」俺は耳を疑った。それまでの怒りが嘘のように、頭の中が晴れていく。槐「承知しました」電話を切ると、俺はすぐに車を回しに玄関を出た。俺は車を運転しながら、後席に座った不破の話を聞いた。不破はいつに無く柔らかい声で言う。「あの女は、淡いオレンジが良く似合うな。俺の好きな色だ。小生意気で嫌味な女だと思っていたが、いなくなると物足りなくてかなわん。・・・こんな思いをしたのは久しぶりだ。なあ沢木、あの看護師はどんなドレスが他に似合うと思う?どんな宝石を与えれば喜ぶと思うか?・・・分からんなあ。女に自分の好みを押し付けるのには慣れとるがあの看護師は一方的に与えられるのでは満足するまい・・・」手にしたチェスの駒のクイーンをそっと握り締めて見つめながら、まるで夢の中にいるような表情で言う不破の表情。初めて見るそんな不破の姿をバックミラーで見ながら、俺は類子のアパートへと車を飛ばした。類子の住む古いアパートを見上げて不破は目を丸くした。「あの看護師はこんな汚い所に住んでいたのか。ゴキブリでさえも餓死しそうだ」狭く薄汚い廊下を歩いて類子の部屋の扉の前に立つと、不破は携帯電話を取り出して類子に電話を掛けた。俺は不破の後ろで事の成行を見守る。・・・扉の中から驚いた様子の類子の声がした。「・・・不破さん?どうして?困ります。私、急いでるんです。大事な仕事の面接があって。いえ、看護師はやめました。もう二度とやる気はありません。お断りします。・・・えっ?」類子は扉を開け、そこに携帯を耳に当てた不破を見出して驚く。不破は電話を閉じて類子に言った。「ここまで来たら、喉が渇いた。水の一杯でも恵んでくれるかな」類子が不破を部屋に通すと、俺は一人、部屋の外で待った。勿論、中の声を背中で聞きながら・・・二人の声が中から聞こえてくる。不破「驚いたな。こんな部屋がまだあったとは」類子「お宅のボートハウスの方がましでしょう」不破「昔乗っとったマグロ漁船の寝床はこんなもんじゃないぞ。床が揺れんだけでも、天国だ。・・・ん?」類子「ミントです。水を冷やす時に入れておくと、香りも爽やかで、リラックス効果もあるんです」不破「あんたの手にかかると、一杯の水も薬になるんだな。・・・どうだろう。もう一度、戻ってきてくれんか。例のマグロの件は、あんたのミスじゃないと判った。だからと言うわけではないが、どうか、戻ってきて欲しい。謝れと言うなら何度でも謝る。この通りだ」類子「よして下さい。お気持ちは分かりましたから」不破「では、戻ってくれるんだな」類子「いいえ、それとこれとは別です」不破「何故だ。あんたは、金でも動かん。謝っても動かん。これ以上何が望みだ」類子「私は何も望んでません。ただもう・・・」その時、向かいの部屋の扉が開いて中から寂れた中年男が出てきた。俺の頭から足元までじろじろと舐めるように見てその男は、怪訝そうな顔で廊下を歩いて出て行った。続いて、穴だらけのジーンズを履いて目深にキャップを被った若い男が無気力そうに通り過ぎてゆく。中の音が外で鳴るクラクションにかき消され、類子の答えが聞けずに俺が少し焦ったその時、扉が開いて不破が部屋から一人で出て来た。俺は性急気味に不破に尋ねる。「どうでした?彼女はなんと?また看護師として来ると?」不破は黙っている。槐「・・・断られたのですか?」不破「それより、お前に頼みがある」俺はまるで狐につままれたような、しかしどこか晴れやかな気分で帰りの車を運転した。不破が類子にプロポーズしたこと。そして類子の言葉を待たずに高級マンションとその家具類、類子好みのドレスや宝石、化粧品までその部屋に揃えろというまるでシンデレラを迎えるような不破の要求を俺は素直に受け入れた。俺は翌日から東京でマンション探しと買い物に時間を費やした。眺めも日当たりもいい麻布の高層マンションの最上階を選び、家具はアイボリーで統一する。ドレスは様々な色と形を選び、宝石も香水も類子の好みそうなものを選んだ。銀座の街の高級な店ばかりを歩いて品を選びながら俺は、類子のウェディングドレス姿を思い描いていた。俺の選んだ部屋で、俺の選んだドレスに身を包んで微笑む類子。・・・しかし、その隣に立つのは俺じゃない・・・俺は今一瞬感じかけた思いを胸に封じ込めて自分に言い聞かせた。俺と類子は愛し合っている。しかしそれは、そこらの人間が甘んじているような生易しい恋愛とは違うのだと。目的に向かって心を一つにする事、それが俺達なりの愛し方。俺を愛する類子は最強のパートナーとしてその力を発揮し、ゲームの完全なる勝利の道へと共に歩んで行ってくれるだろう。不思議なほど俺はそう信じて疑わなかった。それが身勝手な感情だとも思わなかった。その浅はかさがすぐに二人の道を隔てる事になるとも勿論全く予感していなかった。用意が整い、類子をマンションに案内する。全面ガラス張りの窓から日が差す広い部屋を見て驚く類子に言う。「・・・俺達は勝った。ついにやったんだ。見ろよ!不破があんたのために用意した部屋だ」類子がクローゼットを開くと、沢山の服が類子を待つように並んでいた。槐「とりあえず、必要なものは一通り揃えてあるんだ」類子「これ・・・全部私のために?」槐「そう。未来の花嫁の為に、花婿からのプレゼントだ」類子「でもまだ決まったわけじゃないわ」類子はドレスを手にし、鏡の前で合わせてみた。槐「しかし、あいつがプロポーズするとはな。正に、逆転サヨナラ満塁ホームランってところだ。・・・それから、これも。欲しいものがあれば、これで何でも好きに買えばいい」不破から預かったブラックカードを類子に手渡して言う。「それさえあれば、レストランでも、ホテルでも、たちまちVIP待遇だ」類子は信じられないと言ったように目を細めて言う。「・・・なんだか夢みたい」俺はグラスにシャンパンを注ぎながら言う。「夢じゃないさ。俺達は勝ったんだ。ついにあの怪物を釣り上げた。それが出来たのもあんたのおかげだ、感謝してる。俺たちの、輝かしい将来の為に」類子と俺はグラスを合わせる。一気に飲み干す俺に対し、類子はグラスに口もつけずに尋ねた。「・・・でも、貴方はそれでいいの?。このまま私が、あの男と結婚して、貴方は平気なの?槐」言葉に最後の望みを託すように、そしてすがるように切ない瞳で類子は俺を見つめている。・・・類子の唇が微かに動く。一瞬、俺はその動きに目を眩ませた・・・自分で発したその言葉は、後で俺に容赦なく後悔の念を抱かせた。すっと俺は否定し続けていたが、それはその選択が間違いであったという紛れもない証拠であるときっと誰もが口を揃えて言うだろう。(感想)この回の不破じいはとても素敵でした。槐の目線で見ると、不破を素敵に書けないので少々残念です(笑)ちなみに、次回からは大誤解大会です。類子の気持ちは「槐に裏切られたから、愛はもう信じない。でもゲームを続ける限り、槐は私から離れられないはず。槐は愛より金だと言っているけど本当にそうかしら?澪を愛しているだろうから澪を使って確かめてやる」。槐は槐で「類子は俺を愛してるから俺と共にゲームを上手く進める」と信じて疑わない。そのすれ違いが恐ろしい事件へ、そして類子の捨て身の事件へと繋がっていきます。この頃の槐の感情は私もずっと誤解してましたので、掘り下げていくのがなかなか楽しいです(^-^)
January 10, 2007
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類子を狂おしく求め、今まさに愛し合おうとしたその時、脱ぎ捨てた上着の内ポケットで俺の携帯が着信を告げた。電話を取ると、不破の声。「今どこにいる。すぐに戻ってこい」類子が心配そうに尋ねる。「どうしたの」俺は小声で類子に言った。「不破からだ」・・・不破のあのしわがれた声を聞くと、俺の心にある種の闇が訪れる。もがいても、苦しんでもその闇からは逃れられない。逃げようとすればするほど身体に食い込む荊の蔓のように、それは傷口をより深く広げる。こんなにこの俺が不破の呪縛に捉われていなければ携帯に出ることも、ましてや類子の身体を手放してすぐに飛んで帰るなどという事もしないで済んだはずだろう。類子を抱いて、その体を慈しんで・・・その別の人生への入り口を、俺は心から愛おしんだに違いない。しかし俺は迷わず電話に出た。そしてすぐに帰ると返事をした。悲しいほど、俺は不破に心を縛られていた。類子が少し寂しそうに言う。「どういう事。こんな時間に呼び出すなんて。何かあったの」上着を着、帰り支度をしながら俺は言う。「分からない。帰ってみないことには」類子「・・・槐」小さな貝が泣くような声で類子が呼び、切なそうに俺の胸にその細い肢体を飛び込ませた。心から類子を愛おしいと感じ、彼女の想いに応えるように俺はその背中を抱きしめた。白い額に、そしてまだ熱の冷めない唇にそっと口付けて言う。「大したことじゃない。いつもの気まぐれさ。また連絡する」潤んだ瞳で見つめるミューズのそれのようにたおやかな髪を撫でて微笑むと、俺は類子をおいて部屋を出て、まっすぐ山荘へと向かった。俺が山荘に戻ったのは朝日が昇った頃だった。少し仮眠を取ってシャワーを浴び、テラスに向かうと不破は読書をしながら朝食後の紅茶を楽しんでいた。槐「おはようございます。午後までには戻るつもりだったのですが」不破「出掛けていたのか。夕べは姿が見えなかったようだな」槐「申し訳ありません。お留守の間に細々とした雑用を済ませようと東京に出たのですが、思いの他手間取りまして」不破「さては、新しい歯ブラシでも探しに行っとったか。ところで、新しい看護師はどうした」槐「小谷教授にお願いして何人か推薦してもらっているところです」不破「いいから断れ」槐「・・・は?」不破の言葉に心臓が波立つ。不破「何度も言わせるな。断れと言ったんだ。うちには、あの生意気な看護師がいれば充分だ」槐「とおっしゃいますと」不破はイラつき、しかしどこか羞恥を隠すように怒鳴った。「あの飛田類子とかいう生意気な看護師を呼び戻せと言っとるんだこのバカが!この家の主人が俺一人だという事を、今度こそあの女にはっきりと分からせてやる!つべこべ言わずにとっとと連れ戻しに行け!このバカが!」槐「・・・はい」俺は足早に自分の地下室へと向かった。・・・まさか、今になってこんな時がこようとは!部屋に入って扉を閉めると、周囲をはばかりもせずに俺は声を発した。「・・・何てことだ。あいつが彼女を追いかけだすとは。奇跡だ。奇跡が起きてる。こうしちゃいられない」すぐにでも類子を呼び戻しに行こうと、俺は部屋を出ようとした。が、扉を開けるとそこに澪が立っていた。澪「今いいかしら。聞きたいことがあって」槐「お急ぎでなければ後にしていただけませんか。だんな様のご用で、出掛けるところで」澪「ごめんなさい。私急がないから、どうぞ行ってちょうだい」俺は澪には目もくれずに部屋を出て行き、類子のアパートへと車を飛ばした。東京、類子のアパート。俺の顔を見て喜びの笑顔を浮かべた類子が、俺の言葉を聞いてその顔色を変えた。「何ですって?不破が私を呼び戻すって?」槐「ああ、俺も耳を疑った。だがあいつは間違いなくあんたを求めてる。言ったろ。あいつが心の中で無意識に求めているのは自分に楯突く人間だって。あんたがあの屋敷を飛び出したのも、無駄ではなかったという事になる。さあ、急いで支度するんだ」俺が類子の手を取ると、類子はその手を振りほどいてテーブルの前に座りこんだ。「嫌よ!言ったはずよ。私はもう戻らない。ゲームなんてまっぴらよ」槐「何故!」類子「何故って。また同じことの繰り返しだもの。あの男に意地悪を言われて楯突いて、レイさんや千津さんからはあからさまな嫌がらせ。敬吾だって今度は何を仕掛けてくるか。その中で私は、殆ど一人で戦ってきたのよ。貴方は一体何をしたって言うのよ!」俺は類子に強く言う。「確かに、俺はいいパートナーじゃなかった。それは認める。だが、信じて欲しい。今度あの男が理不尽なことをしようものなら、俺は体を張ってでもあんたを守る!不破だけじゃない。敬吾からも、レイさんからも、千津さんからも。必ずあんたを守る!だから帰ろう。俺と一緒に。蠍座のあの赤い星のように、全てを賭けて燃え尽きても惜しくない額だ。2,30億という金は。そうだろ!?」類子は立ち上がって言う。「貴方がなんと言おうと、今すぐ尻尾を振って帰る気にはなれない。不破にはそう伝えて」類子の頑なな拒絶に俺は愕然とした。俺が守る・・・それは心からの言葉だった。しかし、愛しいこの女が嫌がることは強いたくはない・・・14才の頃に家族を失った類子。友達も親戚もなく、独りで生きてきた彼女がひたすら求めていたものは贅沢な望みでは決してなく、たった一つのぬくもり・・・そのぬくもりを、今なら俺が与えてやれる。心からの安堵と小さな幸せなら、俺は与えると同時に俺自身が類子から受け取る事だって出来るはずだ。類子の震える肩を見ながら、俺は俺の巻き込んだゲームに類子を再び巻き込もうという気を失った。金以上の喜びを知る類子、そんな彼女を俺は愛したのだから。山荘へと戻る車を運転しながら、同じ孤独を共有する彼女を俺は大切にしようと思っていた。山荘に戻り、サロンで不破に報告をする。不破は眉を顰めて言う。「何だと?看護師が戻らないだと?」槐「はい。何を言っても、もう戻らないの一点張りで」不破「あの女に戻ればいくらかくれてやると、そう言ったんだろうな」槐「勿論です」不破「いくらだ!」槐「ここに戻る交通費や支度金の他に、報酬を今までの3倍払うと」不破「それでも戻らんとそう言ったのか」槐「はい。もう諦めたほうがよろしいかと」その時、突然不破が立ち上がり、俺の頬を平手で強く打って叫んだ。不破「だからお前は能無しだというんだ、このバカ猿が!!」不破は杖で何度も何度も俺の背中を打ち、弾みで俺が床に倒れこんでも尚、その手を緩めず強く打ち続けた。不破は鬼の形相で叫ぶ。「あの女が金で動く女かどうか、よーく考えろ!!今まで何を見てきたんだ、この役立たずが!」・・・打たれるごとに、俺の脳裏に火花が散るように様々な光景が蘇って来た。幼い頃、不破が大事にしていた花瓶を誤って割ってしまった時の初めての殴打。敬吾の嘘を庇って殴られた時の、床に滴った鮮血の色。スープに糸屑が入っていたと言って皿をぶつけられて肩に青痣を作った母、それでも笑顔を絶やさずに、不破に俺の事を頼むといって過労で痩せこけて死んでいった母の哀れな姿・・・怒りで唇が震え、目を剥いて不破を睨む。ゲームの事など忘れて、その場で不破を殴り殺したい衝動に駆られたその時、澪と敬吾がサロンに飛び込んできた。澪は俺に駆け寄り、体ごと不破の杖から守ろうとする。不破が声を荒げる。「ええい、どけ!」澪「いいえ、どきません!」澪の声に俺は我に返り、迸りそうになった殺意をかろうじて胸の底に封じ込めることが出来た。敬吾が澪の体に手をかけて言う。「澪、どけって!」俺は痛む背中を我慢して、立ち上がって言った。「悪いのは私ですから。どうもすみませんでした」不破に一礼をし、俺はその場を去った。・・・ゲームという名で彩りはしたが、それは立派な復讐であることを俺は認めざるを得なかった。心臓からこみ上げてくるこの怒り、嫌悪、そして殺意。それらを今俺は最大に感じ、それでもどう行動したらゲームを上手く進められるか憤る心とは裏腹に冷静に思考を巡らせた。(2/2に続く)
January 10, 2007
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