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私には、弟が1人いるのだけれど、これが、私とは全然似てなくて、志向がほとんど正反対なんだよね。遊び友達が沢山いて、いつも友達と遊ぶ予定が一杯で、携帯メールをひっきりなしにやりとりしているわけ。twitter や facebook を楽しむのにも、彼のような志向のポテンシャルが必要なんだろうな・・・と思ったわけです。 ウェブの世界をのぞいてみると、世の中には、現実より、ウェブ上の方が饒舌だったり、コミュニカティブだったりする人もいるということがわかる。誰しも、一人でいる時と、人と一緒にいる時で、多少人格が変わるのかもしれない。私もその例に漏れずなのだけれど、問題は、一人でいる時の自分は、人といる時よりも、マイナス思考になってしまうということ。 なのに、人といるのと同じくらい、一人で過ごす時間がほしいと思ってしまう。ひとりで過ごす、というより、世間と離れて、自分だけの別世界で過ごす時間がほしくなってしまうんだよね。これって逃避かな?まあ、半分は間違いなく逃避だよね。ちょっとマイナス思考の別世界に引きこもっている時に、ショートメールやメッセージのやりとりをしたくなくなるのは当然かな。 特に、今のように、ちょっと五里霧中でドツボにはまっている時は・・・。
2011年01月04日
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本当なら、このブログ唯一の機能だった、昨年の反省と今年の目標なんかを、具体的に書くところなのですが・・・、今年はちょっとそういう気持ちになれないのです。 それというのも、昨年から、ちょっと五里霧中にいるから。 修士課程に入れてもらってから4年、思いもかけずラオスに縁を得て、それなりに、ラオスのことや学問世界のことを知るようになって、その結果、昨年は見事にドツボにはまりました。ドツボというのは、いったい何に向かってがんばるべきなのか、ちょとよくわからなくなってしまったわけです。 ラオスの村なんて、どんな辺鄙な世界の果てかと思いきや(いや、辺鄙な場所ではあるんだけど)世界の変化がこれほど生々しく現れる場所ってはじめてだったのです。燃料価格の高騰とか、資源争奪戦とか、世界政治のパワーシフトとか、日本でニュースを見ていた時、私は、そういうのみんな対岸の火事くらいにしか感じていなかったんだってことを思い知らされました。 砂漠が今の倍に広がり、森や川が今の半分になって、人口がこのまま増え続けても、私たちみんな今より豊かで幸せになるよって言って、そんな人間の未来像を、説得力のある裏付とともに見せてくれる人がいたらいいのに・・・とか考えてしまう。 巷でよく聞くグローバリゼーションって、文化変容よりもなによりもまず、生活基盤が変化することだったんだだなあってわかって。生活基盤が揺らいだら、それまでの暮らしをそのまま続けていくことなどできないので、望むと望まざるに関わらず、新しい何かに賭けて変化の海に飛び込んでいかざるをえない。その結果、物質的に豊かになる人もいれば、貧しくなる人もいる。そして、貧しくなっても、帰ることのできる村はもうなくなっていたり…。 だから、いくらのほほんと育った私でも、みんなで一緒に幸せになるのは無理なんだろうってことはわかる。しかも、そういう変化は世界中で起きていて、別に珍しいことでもなんでもないらしい。人間の未来ってどこへ行くんだろう。私にはわからない。しかも、誰が悪者ってわけでもないんだよね。誰もがみんな、大切な家族のために、あるいは向上心を持って、一生懸命生きているだけなんだもの。それをどうして責めることができる?私だって、生きていくために、自分の研究を売れる商品に変えて、この世界で売らなくちゃいけない。 葛藤と無力感を感じるけれど、そんなもの見せたって何にもならないこともわかる。甘いこと言っているのかもしれないけれど、ここでひとりごとをつぶやくくらいは許されるかな。
2011年01月04日
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もうじき、サムヌア調査に出発します。 去年2ヶ月行った時、英語や日本語の通じる外国人と会ったのは、サムヌアの町でだけ。会いに来てくれた知人1人をのぞくと、日本人と会話を交わしたのは1回だけ。それも、「あなた日本人ですか?」「そうです。」「今ちょっと時間ないんで、また今度。」それだけ。そうすると、たまにサムヌアの町にもどってきて日本語でメールをするのがけっこう楽しかったりして。 しかも、今回の調査期間は4ヶ月と、前回の倍の長さ。知人が訪ねてくる予定もない。なのに、諸事情が重なって、スケジュールもタイトになってしまっている・・・となると、溜まるものも多いのではないかと予想されるわけです。たまに町にもどってきた時でいいから、どこかに日本語で思ったことを書き付ける場所がほしいなあと色々探したわけですが、結局、このブログにもどってきてしまいました。 いつの間にか、楽天ブログにもボタンがついてる twitter とか、facebook とか、アカウントつくってみたり。でもね、試してみてわかったのは、これって、ほぼリアルタイムのコミュニケーションツールだったのよね。一ヶ月に1回か2回、それも数時間ログインできるかどうかの環境で使うツールじゃないよな・・・。来年夏以降、村に3Gが来てたら、スマートフォン持って行って、金に糸目をつけずに常時ログインすれば別だけど・・・。でも、村の調査に行って、農作業なんかを手伝いながら、別世界のつぶやきやコメントをチェックするのもなんか違う気がするし。 要するに、求めているのは、母語で、王様の耳はロバの耳!する場所なんだよね。 というわけで、今後、ここは、ロバの耳ブログと改称して、研究と染織とラオスをめぐる徒然なる日々の、あやしき思いを書きつけるブログとなります。
2011年01月01日
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おととい練った緯糸用の糸は、練ったはずなのに、なぜか重量が増えていました・・・。それは、多分、糸がまだ湿っているせいなのだろうけれど、ひとつ確かなことは、まだ練り足りない、ってこと。そして、着尺を織ることにしました。グレーのベースに、赤から桃色のグラデーションの縞の地に、花織を入れたものを織る予定。花織には、別糸を入れない首里織と、別糸を入れる読谷織があるそうです。今回は、両方を組み合わせてみようと思います。
2010年05月09日
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今、ささやかな夢が、ひとつあります。それは、自分の紡いだ木綿糸で、ショールを織ること。実は、知人から購入した和綿&ナイジェリアの緑綿が、こっそりあるのです。アパート暮らしでは、機も置けないし、できることっていったら、スピンドルで糸紡ぎくらい。遅々としてすすまないけど・・・。日本での生活もやっと落ち着いてきたし、勉強の合間に少しずつ糸をつくりためようと思います。
2010年05月07日
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織物をはじめました。今日は、ラオスで買ってきた絹糸(「マイ・ビエット」と呼ばれてるやつ2種類、各1kg)の「練り」、つまり、精錬をしました。この絹糸は、撚りがだいぶ甘いらしい。なので、着物の経糸にしようと思ったら、半練りにして、さらに一本ずつ糊づけする必要があるらしい??ラオスでは、灰汁練りしかなかったが、日本では、木灰が手に入らないので、灰汁練りができない。 所変われば品変わる。
2010年05月06日
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綾部恒雄, 大林太良, 米山俊直編 1982『文化人類学入門リーディングス』(アカデミア出版会)を読了。ここに収録されていなかったら読むことのなかっただろう、今でも輝きを失っていない古典的論文を読める本。個人的に、面白かったのは次の3つ。* ロバート・ハイネ=ゲルデルン 1956 「東南アジアにおける国家と王権の観念」* ヴィルヘルム・E・ミュールマン 1956 「民族間関係と民族学」* エヴァンス=プリチャード 1929 「呪術の形態と機能」 それぞれの論文に解説があったのもよかった。編者の個性がそれぞれ出てて面白かったし。論文集も、作家の著作集みたいに、編者のひとつの「作品」といえるのかも。↓↓読書メモ↓↓* ロバート・ハイネ=ゲルデルン 「東南アジアにおける国家と王権の観念」1、大宇宙と小宇宙/2、国家と宇宙との間の関係/3、帝国の呪的中心としての首都/4、アンコール・トムの構図/5、ビルマの首都/6、王、王宮、政府の宇宙的役割/7、即位式への影響/8、宇宙的国家と神王/9、諸伝統の残留p.65これ(神器の呪的性格)が頂点に達しているのはセレベスのブギ族とマカッサル族の間に普及している奇妙な観念であって、それによれば、君臨しているのはじつは神器なのであって、王侯はただ神器の名においてのみ国家を統治しているのである。p.67われわれは、ビルマ人の観念によれば、王と王宮とがいかに不可分のものであるかをみてきた。須弥山を表わし、かつ王国の呪的中心をなす王宮なしには、いかなる王国も存在できなかったし、また王、つまり「黄金の王宮の主人」は、何よりも王宮を所有することのよって王だったのである。・・・こういうアジアの王権観が、ギアツの『ヌガラ』につながっていって、日本の王朝研究なんかにも影響を与えたとか。* ヴィルヘルム・E・ミュールマン 1956 「民族間関係と民族学」p.77社会的諸編制をそのほぼ完全な事例集の中で概観すると、ほどなくある社会学的帰結に到達する。それは、「民族学」は「民族」となんら関係がない、という矛盾した表現でいい表すことがでいる。(中略)つまり、「民族」は概念として、本質的に西洋史の、そして西洋史だけの成果なのである。この概念の基本的定義部分のほとんどが未開民族にあてはまらない。p.78ロシア人研究者、S・M・シロコゴフのような批判力のある民族学者たちは、すでに何年も前に民族の概念を民族誌から締め出し、「エトニー単位」(ethnische Einheiten)という柔軟性のある概念に切り換えることに踏み切った。私自身は「エトノス Ethnos」あるいは「エトニーEthnie」を使用し、それでもって、当該の人びとが自身が意識し、望んでいるところの確定しうる最大の独立した単位を意味させている。したがって一つのエトニーはホルドでもクランでも部族でも、さらにはカーストでもありうる。実際のところ、エトニーは、集合的志向性を洞察しようとすることによって経験的にのみ確立できるのである。p.80社会は「閉鎖的体系」であるというトインビーの主張は、民族学的には誤りである。民族学者は「エトニー」を複数においてのみ考える。民族学者の対象はエトニー間の諸関係と諸関連であり、それら諸関係においてみえてくる規則性と類型的行動経過である。民族学者にとって個々のエトニーは閉鎖的体系ではなく開放的体系なのである。p.86不変で一貫しているのは集団でもエトニーでも、もちろん「伝統継承隊」でもない。不変(あるいはかなり不変)なのは、引き寄せ、編入併合する力を持つ制度(養子制、庇護所、居留外人など)である。あるいはこういった方がよい。エトニー的形成体においては、永続性をもち、形態に永続性を付与するのは、社会的統合をおこなう制度であって、(存在しない)共通の起源とか人口学的なもの、あるいは「人種」ではない。・・・「エトニー」概念って、エトノスのことなのかな?↑このへんの考え方は今でも十分有効なのでは・・・と思うんだけど。今、エトノスって概念は使用されているのかしら??そういえば、最近あんまりきかないなー。
2010年04月30日
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京都国立博物館で開催中の没後400年 特別展覧会 長谷川等伯を見てきました。水墨画の最高峰「松林図屏風」、金碧障壁画の至宝「楓図壁貼付」を描き、豊臣秀吉・千利休を魅了した絵師、長谷川等伯(1539~1610)。能登七尾(石川県)に生まれた等伯は、はじめ「信春」と名乗り、主に仏画を描いて活動していましたが、30代という決して若くはない年齢で、京都に新たな活躍の場をもとめて上洛しました。時はまさに、信長や秀吉が覇を争い、豪壮華麗な芸術が爆発的に発展した絵画の黄金期“桃山”。その時流の中で等伯は、肖像画、金碧障壁画、水墨画などを、ときに精緻にときに豪放に描きわけ、非凡な才能を開花させていきました。やがて狩野永徳率いるトップ絵師集団の最大のライバルとなり、時代の牽引者へとのぼりつめます。そんな彼の生き様は、ジャパニーズ・ドリームそのものといえましょう。2010年は、ちょうど等伯没後400年にあたります。この記念すべき年に、国宝3件、重要文化財30件をふくむ等伯の代表作のほぼすべてを公開する、史上最大規模の大回顧展を開催します。天下を夢みて“桃山”を駆けのぼった絵師の伝説が、今、ここ京都ではじまります。長谷川等伯の絵をこれだけまとまってみるのは初めてでした。知らなかったんだけど、等伯って、個性の強い人だったんですねー。これ↓↓もすごいエピソードだよね。一世一代の大博打『山水図襖』同じ年、等伯はこの大徳寺でもうひとつの絵『山水図襖(さんすいずふすま)』を描いています。この襖絵は大徳寺の塔頭のひとつ、三玄院の襖に描かれたものですが、これには等伯の意気込みをうかがわせる物語が伝えられています。等伯はかねてから三玄院の住職春屋宗園に襖絵を描きたいと願っていました。しかし住職は「ここは修行の場だから絵はいらない」と取り付く島も無し。それでも諦め切れない等伯は、ある日住職が留守の間に院を訪ね、何と勝手に上がりこんでそのまま襖に絵を描きだしてしまったのです。勝手にあがりこんだって・・・。世の中には、エネルギーの強い人というのがいると思うんだけど。長谷川等伯もその一人で、きっと、並外れたエネルギーを内に抱えていたんだろうなー。↑上記のウェブサイトで読める、彼の生涯のエピソードって、どれも強烈。それにしても、彼の行動は、自分の筆に自信がなければ絶対にできないものばかり。多分、自分の技術に絶対の自信があったんだろうねー。自分の持つ技術への絶対の自信と、内に持つ激しいエネルギー、そして野心。72歳で没するまで、よくぞ、そのすべてが尽きなかったものだと感心する。400年を経てもなお、絵の筆致から、生命力がにじみ出てくるようで、堪能しました。中でも一番圧巻だったのは、やっぱり、「 仏涅槃図」。これだけでも、見に行く価値あると思う。あとは、実物は見られなかったけど、大徳寺三門の天井画も、印象的だったなー。
2010年04月29日
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竹沢尚一郎『人類学的思考の歴史』(世界思想社)を読了。読みやすくて、頭の整理に役立つ本。だいぶ、著者の色が強く出ているので、一般的な人類学の入門書とはいえないけど・・・。今後、人類学が果たすべき役割についての提言が書かれていたのはよかった。それに関連する部分をいくつか引用。p.p.100-101 カメルーンで調査をしたゲシーレも、南アフリカをフィールドとするコマロフ夫妻も、妖術信仰が単に「伝統的な」ものではなく、むしろ熱帯アフリカの人びとが経験してきた近代化と整合的なものであることを認めている。国際通貨基金が課す構造調整によって国内の雇用は不安定になり、バナナや綿花など、農民の多くが依存する一次産品の価格は国際的な需要と投機によってたえず変動している。国内に産業基盤をもたないアフリカのマーケットには、外国でつくられた商品が一方的に流入し、人びとの欲望をかきたてるばかりである。政治家たちは密室で協議や陰謀をめぐらせて外国からの援助を食い物にし、豊かな外国機関や援助団体とコネクションのある人間だけが羽振りを利かせる一方で、住民の大半は貧しさのなかで日々の暮らしを送っている。計算ではなく打算だけが羽振りを利かせ、いかなる意思も未来を予測不可能ななかで、欲望だけが過剰に膨れ上がり、あまたの魑魅魍魎が獲物を狙ってうごめく世界。アフリカの人びとが経験しているそれは、妖術師の暗躍する構図になんと類似した世界であることか。 社会学とは「近代社会の自意識」だといわれるが、そこでいう「近代社会」とは機能主義者のイメージした有機体モデルに似て、複数の器官=機関が秩序ある運動をくり返すというものであろう。しかしそれは、一定の秩序形式と自己決定権をもつ先進諸国の「社会」に適しかモデルであって、アフリカの人びとが見ている「社会」は違った外貌を呈しているのではないか。かれらが集団的にもっている「自意識」は、これだけ妖術信仰が猖獗をきわめていることを見るなら、無数の妖術師たちが獲物をむさぼり食う妖術師の世界にもっとも親和性をもっているのではないか。p.328グローバル化とネオリベラル経済の浸透がもっとも暴力的な力をふるっているのが、脆弱な国民国家と国民経済の枠組みしかもたない、いわゆる第三世界、第四世界の諸社会であることはいうまでもない。とすれば、その現場に立って、人びとが抱えている困難と、それを乗り越えるために試みられてきたさまざまな実践を身近から観察し、現地の人びととの対話を通じてその理解を深めていくことは、今日の世界が課している悲惨と強制と、そして変革の可能性とを明らかにするにはもっとも有効な方法のひとつであろう。世界システムやネオリベラル経済か周辺地帯(中核諸国のなかにっくりだされつつある周辺も含めて)でおこなう搾取や抑圧がなければ機能しえないのであり、それゆえその地点から世界システムやグローバル経済をとらえ返すことで、それがどのように改変されなくてはならないかを示唆することも可能になるのではないか。p.329人類学とは、なにより理論である前に実践である。人類学に理論が必要ないというつもりはいささかもないが、それは、現実に世界中のさまざまな地域でおこなわれている多様な実践から出発し、そのより深い理解と厚い記述のためにたえず現場に立ち返りながら理論を適用し、修正し、さらに新たに組み立てていくという反復の実践である。p.330人類学は、たとえ「あと追いの学」として揶揄されようとも、人びとが生きている世界がつねにすでに先へと進んでいることを認めることからしか出発できないであろう。人びとが生き、その「生」を組織し、操作可能な領域を拡大するために格闘しているその世界を離れては、人類学は存在しえないはずである。その意味で、人類学の内外ですでに実現されている社会的成果を踏まえながら、その先をめざずして民族誌を書きつづけていくことこそが、人類学に望まれている営為であるに違いないのである。 ある先生によると、人類学者というのは、地面にはいつくばって、(たとえそれが幻想だと言われても)本当のことをひとつずつ拾い集めようとするアマチュアであって、理論を振りかざしてものごとを批評する「プロ」ではないのだそうだ。なんて高いハードルだろう。私も、そんなふうになれるといいんだけどなーように、do my best.
2010年04月28日
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企画展「伊勢の染型紙-映像と実物にみる匠の技-」(2010.3.25~6.29開催) 国立民族学博物館では、開館当初の1978~1980年に、はじめての映像資料作成プロジェクトとして、本館スタジオ、ならびに鈴鹿市白子と寺家で、国指定の重要無形文化財保持者(人間国宝)をはじめとする方々の縞彫、突彫、錐彫、道具彫などの彫刻技術と、彫刻した型紙を補強するための糸入れ技術の映像取材おこなうとともに、そのさいに製作された型紙を収集しました。 本企画展では、それらのビデオ映像と「伊勢型紙」を、江戸時代から明治時代頃に使われていた古い「伊勢型紙」や見本帳、国指定の重要無形文化財保持団体である伊勢型紙技術保存会の方々によって製作された現代の「伊勢型紙」、彫刻刀その他の型紙製作用具、「伊勢型紙」を使って染められた布やキモノとともに展示します。このビデオがすごいです一見の価値ありです。私は、染織の中でも、型染を一番一生懸命やってきた・・・つもりなんですが、映像で職人さんたちが見せてくれる技は、未知のものばかり。人間の創意工夫ってすごい、なんて陳腐にも感じるコメントが素直に出てきます。#「糸入れ」って、はじめて知ったし、はじめて見ました!そっかあ、こうやってたのね。・・・明治以降、型紙が、丈夫さを求めて、薫煙処理を施した柿渋紙になる以前は、すべての型紙に「糸入れ」が施されていたんだって。#彫師はみんな男性だけど、「糸入れ」だけはずっと女性がかかわってきたんだって。#型紙は何枚か重ねて一緒に彫られるのだけれど、糊置師にとって最高の型紙は真ん中の型紙で、一番外側の型紙は使い物にならない、という人もいるんだって。#道具彫は、彫師が道具から制作するんだって。・・・頬に柄の先を当てて彫っていく映像には驚嘆しました。#突彫は、彫刻刀の向きを変えずに、型紙の方をまわしながら彫るんだって。・・・何もかもが新鮮で驚きに満ちてました。穴の空いた板を使って彫るとか、爪の甲に歯を当てて彫るとか、端紙とか。
2010年04月25日
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文献の渉猟が圧倒的に足りない、との指摘を受けた私。 世の中には、よく勉強している人というのがいて。 そういう人から見ると、私などは怠惰でどうしようもなく見えて、いらいらするらしい。 ・・・実際、「君、それはさ、「怠惰」っていわれても仕方がないよね。」と指摘されました。とほほ。 さらに、二世代ほど前の大先生に言わせれば、最近の若手は全然勉強しとらんって話になる。 そういう先生の、「オレたちは、本を読んで生きてきたんだ。言葉で食ってるんだ。」っていう言葉は重みがある。 今の私は、自分の考えを伝えたり、人と議論したりするのに必要な土台ってもんがそもそも欠けてるのよね。だから、せっかく人と会っても、お互いのアイデアを交換する手段すらない。なんてもったいない話・・・。 これからの半年は、その土台を作る最初で最後の機会かもしれないので、ここはひとつ、このブログ並に実生活でも引きこもって、(禁欲的な)勉強をしたり、(自分を追い詰めて)論文書いたりしようと思います。 で、まあ、やってみると、本を読むのも案外楽しいもんでした。 特に古典は楽しい。古典でなくても評価の定まっている論文とかは、まず外れがなくて面白い。 まだこんなに読まなくちゃいけない文献があると思うとめちゃ重いので、まだこんなに楽しみが残っていると思うことにしよう。 このご時世に、引きこもって思う存分本を読めるしあわせをかみしめ・・・られるといいなー。
2010年04月20日
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ついに、あきらめてフランス語をやることにしました・・・。 この1年、フランス語できて当たり前みたいな周囲の反応に軽い眩暈を覚えていたのですが。例1)「この文献読んだことある?」って手渡されたのを見たらフランス語で。「・・・。私、フランス語できません。」って言ったら、「できないの!?・・・まあ、英語わかれば、なんとなく意味わかるよー。」(※注:全然わかりませんでした。)例2)「君、(ラオスやってるのに)フランス語できないの!?」と驚かれ「まあ、どんな研究があるか、タイトルくらいは押さえておくようにね」(※注:タイトルだって、フランス語じゃ何についての論文かわかんない。)例3)「君もラオスをやってくつもりなら、フランス語やった方がええで。英語より簡単や。」←ホント ※注:ラオスは、かつて、仏領インドシナの一部でした。念のため。 その上、昨年、私の研究テーマにかなーりストライクゾーンな博論(私の修士論文とほとんど同じタイトル)がフランス語で出てしまいました・・・。それを何とか入手し、読んでみたところ、ぜんっぜんわかんないの。わかるのは、ところどころに入っているラオス語表記のみ。 ラオス語だって四苦八苦してるのにーーーー。 ・・・という気持ちはとりあえずおいておいて、話せなくてもいい、数年後になんとなく読めるようになればいいという、しょっぱなからかなり後ろ向きな目標と動機でフランス語に手をつけてみることにしました。<やっぱりNHK>まいにちフランス語しばらく語学講座をきかないうちに、だいぶ形式がかわったんですね・・・。会話中心だろうけど、基礎をおさえるのにも、ペースメーカーとしても、もやっぱり王道かな。先週分の放送がウェブで聴けるようになってたのはうれしい。※しょっぱなから、3日間、ききそびれました・・・。<基本の文法書>* 新・リュミエール* ケータイ〈万能〉フランス語文法リュミエールを基本に、ケータイ〈万能〉フランス語文法を参照しつつ、文法をおさえてみようかと。<とにかく定着>* トレーニングペーパーフランス語/教養課程文法中心学習(1)新装版* トレーニングペーパーフランス語/教養課程文法中心学習(2)新装版* トレーニングペーパーフランス語/教養課程(読解編)新装版* トレーニングペーパーフランス語/単語新装版文法をひととおり押さえたら。トレーニングペーパーシリーズの効用は、中国語で体験済。はっきりいって楽しくはないけれど、効果は確実。
2010年04月19日
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研究とは、書くことです。 ・・・と、昨年、アドバイスされました。 査読論文1本通すまでは、長期で(海外)調査に来ちゃだめだよ。 ・・・とも言われました。 ところが、「このままじゃ論文にできないよ」「叙述のしかたがマズいよ」 ・・・というのが、修士論文の口頭試問での先生方のコメント。 ※おまけに、この間まで、パラグラフってもんを全く無視して文章書いてた私がいました。 さて、どうしたもんか、ということで、とりあえずハウ・ツーものに走ってみました。 実践的な手法を教えてくれる本。 * これから論文を書く若者のために 大改訂増補版 * 論文の書き方 (講談社学術文庫) 博士課程での研究ってどんなものかを教えてくれる本。 * 論文の技法 (講談社学術文庫) * 博士号のとり方 学生と指導教官のための実践ハンドブック 上記の本は、研究職を目指す人向け。それ以前の基礎編を一冊。 * 勝つための論文の書き方 (文春新書) 要するに、 書きながら考えるしかないわな~。 ・・・ってことになる。 でも、 読まな書けんで。 ・・・というのが指導教官のお言葉。 それなのに、 半年もあったら、3本は書けるよなぁ。 ・・・って、まじですか
2010年04月18日
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昨年度1年間、何やっても説教され、何を持ってっても叱られる日々を経て、やっと悟りました。 勉強は大切だってこと。 私の勉強不足ぶりは、もはや、無知を通り越して無恥のレベルに達しているからね。 そんな私に、今必要なのは、こつこつ本を読んで勉強しつつ、データと向き合って、こつこつ書くこと。 しばらく世間からフェードアウトして、それをやってみようって思います。 なにしろ、読むべき本のリストに、学部の学生が読むような本まであるからね・・・。 その記録をつけるために、新しいブログに移ってみようかとも思ったけど、使い方に慣れたり、ページを新たにカスタマイズすること考えたら、それこそ時間の浪費だと思い、あきらめました。 楽天ブログは、画面上に広告が氾濫してて、なんじゃこりゃ??だし、広告メールは強制的に送りつけられて来るし、スパムコメントは絶えないし、アフェリエイトに興味ない人間が使うサービスじゃないって思うんですがねー。
2010年04月17日
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New Years Resolution 2010を更新。今年のプライオリティーは、読書&論文書き。そして、なんとか時間を見つけて、染織を実践していくことも、大切にしてみようと思う。<今年&来年(!)の大まかな予定>1月 ラオス調査。 リサーチ・プロポーザル発表。2月 科研費申請。助成金報告書書き。 ラオス調査。3月 ラオス調査。4月 データ整理&文献読み込み&論文書き&助成金報告書書き (織物教室&フランス語教室&バイク免許教習所探訪。)5月 データ整理&文献読み込み&論文書き&布の実見6月 文献読み込み&論文書き&布の実見7月 ラオス補足調査。8月 わざゼミ。9月 わざゼミ。 映像記録ゼミ。 文献読み込み&論文書き&布の実見10月 文献読み込み&論文書き 本調査準備&助成金申請書書き(翌年用)11月 ラオス調査。村入り。12月 第1回本調査。*2011年1月~4月 ラオス調査4月~5月 助成金申請 データ整理&論文書き6月 学会発表&データ整理&論文書き7月~10月 助成金申請 データ整理&論文書き&調査準備10月 ラオス入り。11月 第2回本調査。(~2012年10月まで)
2010年01月01日
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今年は、ラオスで研究・調査をするための実際問題(博士課程に入学して所属を得る、金銭的問題を解決、調査許可を取得)をなんとかすることに専心した年でした。今年の成果は、それらを解決したこと。1月 修士論文提出→口頭試問。2月 博士課程入試。→合格。 ラオス調査。3月 某欧州旅行。ラオス研究者と知り合う。 修士課程卒業4月 博士課程入学。引っ越し。5月 学会発表他、発表を4回こなす。6月 助成金2&留学奨学金1の採択を受ける。7~9月 ラオスにて調査&調査許可の取得。10月 リサーチプロポーザルの準備&某パーティー幹事に。11月 特別研究員に採用される(でも仕分けが・・・) 某パーティーの準備&開催 リサーチプロポーザルの準備12月 ラオス国立大から受入許可証を受け取る。→IDまで受け取り完了。 ラオス調査 特別研究員への本採用通知が届く。反省点は、研究の実際(書き仕事や読書を通じて思考を深める)がほとんど進展しなかったこと・・・。いや、某H先生のコメントによれば「悪口を言えるくらいには進歩した」かな・・・。調査の実際面を解決したことが今年一番の大仕事でした。で、それ以外での一番の収穫(?)は、自分の無知(いやむしろ無恥?)さがよーーーーくわかったことです。はい。ホントに、何も知らなさすぎて、取り繕おうにも取り繕う材料すらない。恥ずかしいを通り越してあきれてしまうくらいのレベル。トホホ。でも、とりあえず、まだ愛想を尽かされていない(と信じたい)今は、いろいろな心を抉られるアドバイスをもらえるありがたい環境にいるのだから、来年は、腰を落ち着けて、本を読んだり、書き物をしたりして、人類学プロパーのはしくれを目指してみようと思います。
2009年12月31日
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英語、中国語も、やめたわけじゃないんです。英語は、読んだり、書いたり、聞いたり、話したり、ふつーーーにできないとなの。昨年も、必要に迫られてやってました。読むのは確かに早くなった気がする、、、。中国語も、ラオスじゃ、中国人に遭遇することはよくあるので、できると役に立つのよね。仕事も一応してるしなあ。でも、検定受けてるヒマは、もうないだろうなあ(遠い目)。・・・というわけで、実践力重視、質より量で勝負の目標にしてみます。活用させてもらっているのは、Lingusit。β版とはいえ、中国語を作ってくれてアリガトウゴザイマス。できれば、ラオス語とはいわないから、タイ語も作ってくれるとうれしいんだけどなーー。今年の、英語・中国語の目標*英語Known Words:10,000 LingQ's Created:1200 LingQ's Learned:600 Hours of Listening:100 Words of Reading:100,000 Words of Writing:3000 Hours of Speaking:100 読むのが多め。聞くのと話すのも多め。実践でラオスで使う分はたぶんカウント不能だから、入れないつもり。*中国語Known Words:7500 LingQ's Created:600 LingQ's Learned:300 Hours of Listening:50 Words of Reading:36000 Words of Writing :1500 Hours of Speaking:50 微妙に減らしてみたが、、、達成は難しいとは思うけど、、、。できるだけガンバリマス。
2009年01月17日
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今年の、ラオス語・タイ語に関する目標*ラオス語でプレゼンテーションができるようになる。*ラオス語の読み書きができるようになる。できたら・・・*タイ語の読み書きができるようになる。*タイ語で日常会話ができるようになる。研究のため、特にラオス語の習得は、読み書き含めて、必須。やっと(?)覚悟を決めました。ええ。私は、ずーーーっとラオスでもいいかな。もう。ラオス語、がんばろうって思います。
2009年01月17日
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最後は語学編。昨年の目標はこんな感じ*ラオス語・タイ語で日常会話ができるようになる。・・・いちおう達成?*ラオス語の読み書きができるようになる。・・・最低限は達成。*TOEFL・IBT:Score of 100(plus 24/30 in the reading and writing subtests and 20/30 in the listening and speaking subtests.)*IELTS: overall grade of 7.0 with a minimum of 6.0 in each of the subtests・・・UCL(Univercity College London)material culture course のPh.D program の要求による得点也。・・・それどころじゃなかったのね。海外に進学はなくなったしさ。*通訳案内士試験(英語)に合格する。・・・1次は合格。現在、2次の結果待ち。*TOEIC990点。*通検2級の取得。*C-TESTB級取得・・・同じく、それどころじゃなかったのね、、、。*タイ語の読み書きができるようになる。・・・いちおう習ってみた、、、
2009年01月17日
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次に染織編。昨年の目標はこんな感じ*着物2枚、帯4本を作品として仕上げる。・・・帯1本、着物1枚はなんとなーく完成。でも、そんだけ。*→クリエータズマーケットに出店。→いつかやってみたいけど、、、*着物2枚、帯1本、タペストリー1枚を製作する。・・・最初の目標も達成できてないのに、無理って話です。*染色作品を公募展に出してみる。→もはや願望です*IllustratorとPhotoshopが使えるようになる。→2009年には!年はじめには、かなりのピッチで工房に通って製作にはげんでいたのだけれど、その後はラオス調査と修士論文に追われて、ほとんどなーんにもできなかったなあ、、、。そして、今年の目標*着物2枚、帯3本、タペストリー1枚を製作する。*手描友禅を習う。*IllustratorとPhotoshopが使えるようになる。*クリエータズマーケットに出店。だいぶ願望入ってマス。でも、、、少しでも、やりたいなあ。
2009年01月16日
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2008年の目標はこれ*修士論文を完成、修士課程卒業。*大学院博士後期過程に進学。*学術振興会特別研究員に応募。*↑↑でなくても、何か、奨学金を当てる。*論文を最低1本は投稿する。*全国レベルの学会で発表を1回はする。*日本語の研究関連書を50冊以上読む。*英語の研究関連書を12冊以上読む。*研究関連論文を100本以上読む。*Athabasca University, Anthropology 275を受講し、3単位取る。今後にむけて、しっかり準備とお勉強をしましょう、っていう年です。
2009年01月16日
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1年の計は元旦にあり。・・・だったのだけれど、修士論文の締め切りに追われ、結局、今日になってしまいました。え、修士論文?書き終わりましたよ~。審査をされる先生方への配達も終了。もう、まな板のコイですとも、ええ。で、落ち着いたところで、、、。いまさらですが、昨年の反省と今年の目標を書いてみます。大学院生だし、まずは、研究編。昨年の目標はこんな感じ*学芸員資格の取得・・・博物館経営・情報論の単位を取る。・・・達成。*大学院を卒業する=修士論文を書く・・・単位は取得済。・・・達成予定。*学術振興会特別研究員に応募。・・・締め切りを間違えてて、応募できませんでした、、、。昨年最大のアホでした。ハイ。*日本語の研究関連書を50冊以上読む。*英語の研究関連書を10冊以上読む。*研究関連論文を100本以上読む。 本関係の達成率はよくわかんないの・・・。いっぱい読んだ気もするし、あんまり読んでない気もする、、、。落ち着いたらちょっと整理してみます。ハイ。
2009年01月16日
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久々の更新。下の↓↓日記を見ると、ラオスの雨季がはじまったとことだったりして、、、。今日で2008年も終わり・・・。この間始まったばっかだったような気もするんですけどね~。とにかく、恒例の(?)1年の総括です。1月着物と帯を染める。2月着物と帯をなんとか完成させる。 学内研究助成金に応募3月ラオス国立大学の研究員になる。4月ラオスにて調査&ラオス北部旅行5月ラオスから帰国6月演習で発表3回→大いにヘコむ。7月再び渡ラオス ラオスに来ちゃってから、学内研究助成が当たったことを知る。8月帰国。(カウンセリングを受ける。「「~ねばならない」を少しずつ減らしていけるといいね。」とアドバイスを受け、大復活。)9月~10月ラオス調査(2ヶ月)11月ラオスから帰国 総合研究大学院比較文化学専攻(in みんぱく)を受験することになる。~12月修士論文執筆に向け演習で発表3回 博士後期過程の出願書類を作成、提出。 修士論文を執筆中。1番のイベントは、去年と変わらず、ラオス調査。今年の半分(6ヶ月)はラオスにいたんだよね。1番の幸運は、なんとか、それなりに満足のいく修士論文を書けそうなこと。ラオスのみなさんと、先生に感謝。1番の驚きは、みんぱくを受験することになったこと。これって、さりげなく、6~7年前からの希望だったことを思うと、感慨深いものあり。
2008年12月31日
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今日はカオ・パンサー。というわけで、部屋を借りてる店のオーナーのTさんと一緒に、お寺へ托鉢(サイ・バーツ)に行ってきました。私ともうひとりの日本人の男の子の分まで、サイ・バーツの準備をしてきてくれて、感激。こういうところ、本当にラオス人は親切だなあと思う。サイ・バーツの必需品は、水とデイップ・カオに入れたもち米。その他に、お菓子や粽、花、果物、お札をつめた器(主に銀器)を持って7時すぎに出発。ちなみに、服装は、シンとパビアンでそれなりの正装をする。私はパビアンを持っていなかったので、店の商品をかりちゃいました~。お寺に入ると、お坊さんがお経(?)をあげている。床に座って、自分の前にサイ・バーツの器を置き、ろうそくをたてて火をともしてお経をききます。最後に、みんなが器をかかげてお坊さんのいうことを復唱するとお経(?)は終わり。外に出て並んでサイ・バーツ。サイ・バーツするものを額に近づけてから用意されている器や袋に入れていく。最後に、庭に並んでいる植木鉢に持ってきた水を注いで終わり。<水は、水注に入れるのが本当なんだろうけれど、150(栄養ドリンク)のビンに入れて持っていったりもしていたw。お寺では、ラオス人そっくりの上海人に遭遇。仲良くなれそうだったけれど、もうすぐ帰国してしまうらしい。残念。
2008年07月17日
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今日は、午前中は工房Pのオーナーに会い、午後は街中にあるサムヌア出身の奥さんとアメリカ人のSさんがやっている店を訪ねる。最近不思議で仕方がないことは、どうして、サムヌア人はどこに住んでも盛んに織物をしているのか、どうしてサムヌアの名前が織物の産地としてこんなに有名なのか、ということ。織物をするのは、作れば売れるからなんだろうけれど、、、。不思議に思うのは、彼らの作っているものが、ホント、ピンからキリまであるからというのが一つ。それから、布を売りさばいているのもまたサムヌア人だということがもう一つ。サムヌアは、まさに織物の里。とはいっても、そこはユートピアではなく、リアリストたちが住む布商人の里なんだという気がする。
2008年07月16日
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やっと風邪もよくなってきたので、ラオス語のレッスンに通いはじめる。先生は前回と同じK先生。文字を読むのは、だいぶ慣れたなー、という感じ。<テキスト、ラオス文字だから。書く方はまだサッパリだけど、、、。さて、私のまわりにいる日本人はみんなわたしよりはるかにラオス語がうまい。よって、誰もはめてくれないから、自分で言ってみる。ラオス語は、来るたびにうまくなってる気がする。今回は、けっこう雑談ができてる。人によって、全然言ってることわからない、通じないってことももちろんあるけど。話すのに緊張しなくなったし。さて、学校帰りに、アンティークっぽい布が置いていあって気になっていた店に入ってみた。そしたら、そのアンティークの布は、サムヌア人から預かって委託販売している布だった。さすが、サムヌア人。
2008年07月14日
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風邪が抜けきらない。食欲がないので、ゼイタクをして夜は日本食レストランにうどんを食べに行く。素朴だけどなかなか美味しいうどん。どこで作っているのかきくと、特注だという。なるほど。それで太さがふぞろいなのか。でもおいしい。そこでマラリアの話をきく。マラリアというのは、マラリア原虫が体内に入って起こる。このマラリア原虫、血の塊である肝臓に残ったりして、なかなか全滅しないものらしい。一度マラリアになると、体が暑さで弱る夏などに、毎年症状が出たりするらしい。こわー。とはいえ、マラリアの薬はある意味もっとおそろしいし、、、。というわけで、薬を飲まないでマラリアの症状を消す方法を教えてもらった。熱~いお茶に生姜もしくは梅干を混ぜ、必要なら少量の解熱剤を加えて飲み干す。これを数回くりかえす。その極意は、とにかく汗を山ほどかいて、マラリア原虫を汗と一緒に外に出してしまうというものらしい。誰にでも効くのかな?でも、体験談だし、抗マラリア薬を飲む前に試して見る価値はあるかも。
2008年07月11日
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風邪の日々が続く。体が元気じゃないと、心も元気じゃない、というのが困りもの。そんな中、大学から、また少しお金がもらえるとのお知らせ。・・・3月に応募したやつだぞー。すっかりあきらめて、ラオスに来てしまったので、ちょっと複雑。もちろん、嬉しいけど。そもそも、いそいでラオスに来たのは、事務手続きをしてくれる先生が10日に外国へ行ってしまうと言ったからだ。ところが、来てみたら、別の調査でラオスの南部に行っていていない。外国に行くんじゃなかったんかい。まー、よくある話だから、しかたがない。さて、これからどうしようか。ラオスで公式に調査できる期間は4ヶ月だけで、すでに1ヶ月は消費済み。つまり、残り3ヶ月。大学からもらえるお金で調査できる期間は2ヶ月。が、これは日本に帰って書類を受け取って再渡航してからの話。どうせ再渡航するなら、11/1~5の手工芸フェスティバルは日程に入れたい。今回は、あと2週間分だけ調査許可証をもらって主に市場を調査して、その後に帰国か旅行に行くか。というのも、マイルで渡航したので、帰国便の変更ができない。片道だけ買って帰るか、それとも、、、。うーん。悩む。
2008年07月10日
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本格始動か??・・・と思った矢先に風邪をひく。今回は、出発前から胃が元気じゃなかった。<オマケのデザートを断ったりしてたw。体温計を持ってこなかったのでわからないけれど、多分、発熱していた。歯茎に歯が浮くような不快感があって、夜もよく寝られなかった。運動不足が原因か??
2008年07月08日
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今日はラオス人スタッフからラオス料理を教わる会に入れてもらってラオス料理を作った。作ったのは、ナスのジェオ、ケンノーマイ、オーラムそしてタムマクフーン。美味しかった。学んだこと。市場で買った肉は水洗いすべし。パデークはしょっぱい。引越しも完了。明日からはいよいよ、いろいろと本格始動??
2008年07月06日
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借りる部屋を探して、2箇所を見に行く。街中の2Fで水道・電気代込み、カード払いができて、そうじが週2回、雨漏りなし+荷物をおいておけるなど融通がきく=200$街の中心からは少し外れた4F角部屋で、水道代込み・電気代なし、、そうじが週2回で=150$結局、街中の2Fを今月は借りることにした。8月はまた考えよう。
2008年07月05日
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それにしても、モノの値上がりがすごい。ラオスにはじめて来て1年。数ヶ月おきに来るたびに、何もかもが値上がりしている。お米の値段は、去年の2倍になっているとか。4月のラオス正月明けに、学生の大移動に遭遇したが、みんな巨大な麻袋を複数持参していた。中身はコメ。あんまりたくさん積んだので、バスのドアがつまって開かなくなって、無理やりこじ開けたら袋が破れてコメがざざーっと流れ落ちてくるなんて事件もあった。売値が2倍じゃあ、持参するコメはそりゃあ大事だよね。ガソリンの値上がりで、日本からラオスへの渡航費はついに10万越え。ホント、世の中、早く落ち着いてほしいよ、、、。でも、そんな中で、ラオスにやって来る人の数は増える一方。雨季の真っ最中なのに、ゲストハウスもホテルも連日満員。道にも市場にも人があふれてるの。あと、どうでもいいけど、韓国の国際放送が頻繁にアラビア語字幕を入れるようになっているのが笑えるに感心。エンターテイメントメディア産業、アジアナンバー1なのがわかる。
2008年07月04日
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修士論文の構想が蜃気楼だった件についてもう少し。今の私の状態を数式で表すと、12+a+b+35+c+28+15+d+e+・・・・=約350みたいな感じ。英字は不明な数字。つまり、大体の見通し(カン)がある。手持ちのデータもいくつかあって、でも答えの実証には十分じゃない。ちなみに、抜けているデータの数も不明。そりゃ批判もされるわな。これって、、、、見通しそのものが、修士論文には大きすぎてふさわしくないってこともありうる??がーん。
2008年07月04日
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私のひそかな趣味、サッカー観戦について。ホント、見るだけw。やってみようとか思わない。数年に一度、何かのきっかけで火がつく。一度火がつくとしばらくいはサッカー欠乏症になるから不思議。最初はベンゲル名古屋時代の天皇杯決勝。→名古屋地元だし。Jは今も名古屋ひとすじ。でも、ベンゲルがいなくなって、なんとなく熱が冷める。(オイ)次はありがち、2002W杯→欠乏症時代に見たマドリー・バルサ一挙放送でなぜかデポルのファンに。好きな選手はバレロン。デポルが弱体化して放送がなくなってきた2006年頃なんとなく熱が冷める。今回のEUROではスペインとトルコに楽しませてもらったなー。気がつけば、名古屋もデポルも復活してるし。帰国するとちょうどシーズン開幕だし、もひとつ楽しみが増えたよー。
2008年07月04日
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無事、ビエンチャンに到着。今年は雨が多くて、結構涼しいみたい。ところで、今回の入国管理官はビザを30日分しかくれなかった、、、。前回は2ヶ月丸々くれたのに。がっかり。それにしても、数ヶ月ブログを放置したら、ヘンな書き込みがいっぱい、、、。こういうヘンな書き込みを削除するだけで人生の数%を使ってる気がする。なんというムダ。
2008年07月03日
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長らく放置状態だったこのブログ。ルアンナムターにいたのはもう2ヶ月半も前のこと(!)。あれから、ポーンサリー→サムヌア→ルアンパバン→ビエンチャンとまわって、5/12に無事帰国。ところが、体調がイマイチで大学に行けずにいたら、いつの間にか学振の校内締切がすぎており、こんなマヌケな理由で学振を棒に振る。そのショック冷めやらぬまま、学会を二つ覗きに行き(注:単に覗いただけ。少しだけ知り合いが増えた??)、博物館や美術館の特別展を8つ、9回見に行き、、、。6月には大学で発表を3回。キビしい数々のコメントをいただき、すぐ近くに見えた修士論文の構想が実は単なる蜃気楼だったと気づく。染色はひたすら型彫り。が、これが終わらない。隠れた(?)趣味だったけど最近下火になってたサッカー観戦が、EUROでまた少し火がついて。。。とまあ、日本にいた一ヶ月半の間にもそれなりにいろいろあったようななかったような、、、。完全に放置していたできなかったのは、語学と読書(オイ)。それから、運動(汗)。そして、今、また、いつの間にかバンコクにいて、ビエンチャン行きの飛行機を待っているわけなのでした。
2008年07月02日
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おとといの夕方、ビエンチャンを出て、バスを乗り継ぐこと20時間。ルアンナムターにやってきました。ルアンナムターの新バスターミナルは町から遠くて不便きわまりありません。<バスの時間は、外国人のよく行くレストランなどで確認できます。町はだだっ広い道路が印象的。でも、一歩その裏へ行けば、そこは村。機織をしているタイダム族の村へも歩いていけます。とはいえ、教わらなかったら、その存在も知らないまま町をあとにしたかもしれない。おそるべし、ガイドブックの影響力。さて、明日から10日間、ルアンナムターは停電するらしいです。。。昨日の夜から今朝9時ごろまでも停電したし。水が出ないよりはずーっといいんだけど。明日は、午前中、レンテン族の村に行った後、午後にはまたウドムサイにもどって、日曜日にポーンサリーに行く予定です。
2008年04月18日
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あさっての日曜日から3日間はピーマイ(ラオス正月)です。いろいろありつつも、大学での手続きをなんとか終え、工房で織子(ちゃん)たちから聞き取り調査を数日したら、もうこんな時期になってました。今日は、工房の仕事納め。みんな昨日から朝から、すでに気分はピーマイモード。お昼休みの前からホッナーム(水掛け)をはじめ、お昼休みも1時間を過ぎる頃にはには全員びしょぬれ。でも、これだけ暑いと、水が気持ちいいの。とっても。ホッナームを考えついた人って偉いわ~。
2008年04月11日
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今日は、ラオスの病院に狂犬病の予防接種の2回目を打ちに行ってきました。というのも、日本では、狂犬病が騒がれたせいでワクチンが品薄。。。1回しか打つことができなかったのです。保険がきかないせいでバカ高い予防接種は、しかし、2回目を1ヶ月後に打たないとまた最初からやり直しになるという悲しさ。幸いラオスはワクチンがふんだんにあるらしいので、日本できいた「犬に噛まれた後に打つワクチンもこれと同じ」という言葉を頼りに病院へ。が、2回目の予防接種をしたいというと、「どのワクチンを打ったの?」ときかれる。へ?狂犬病のワクチンっていろいろあるの?しかも、接種後にもらったスケジュールによると、3週間後にまた来ることになっている。。。日本できいた説明では、3回目は6ヶ月~1年後のハズ、、、はたして、今日受けた接種は、本当に日本で受けた接種と同じワクチンなんだろうか???
2008年04月02日
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今週の月曜に受け入れ許可の用紙をもらってから、火曜日の昨日も、水曜日の今日も、大学へ行ってきました。でも、先生の都合で午後遅くに会う→時間が遅くなって事務手続きのオフィスが閉まる。できると言っていた分割払いでがきないとわかる→担当の職員を待ってみるも、来ず。などなどで、まだ手続きが完了しません、、、。結局、明日、お金の支払いをし必要な書類をそろえて、来週月曜にはサヌーとビザ申請に必要な書類をそ受け取れるようにしてもらうことに。月曜に、その書類を持って、自分でビザ申請に走ることにしました。来週中にビザが取れなければ、今回はビザをあきらめるしかないかも、、、。なぜなら、再来週はピーマイ(ラオス正月)で、オフィスが一週間閉まるので、来週中に取れない=その翌々週まで取れない、ということになるからです。ピーマイ明けには、北部へ行きたいので、21日まで待つのはイヤだなあ、、、。
2008年04月02日
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今日は、最後のラオス語レッスンを受けた後、ヘッドクウォーターオフィスへ行き、受け入れを許可するということを記した(らしい)用紙をもらいました。これを持ってまずは所属する学部へ行き、手続きをして調査許可証(サヌー)をもらい、それを持ってビザを扱うオフィスに行って、ビザの手続きをするらしい。私の担当になる先生は、少し年配(に見える)の女性でした。払うお金等等は、なんだかかっちり決まっていて、値引きなんて到底無理そう、、、。とりあえず、明日、手続きをしにまた来ることになりました。
2008年03月31日
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今日は、とある工房で、織子の女の子たちからアンケートをとりました。この2週間、待たされて宙ぶらりんの状態の中で、やることがあまりないので、ラオス語のアンケート用紙を作ってました。下書→先生にチェックしてもらう→パソコンにラオス語環境を導入して打ち込み→先生に再チェックしてもらう→訂正→プリントアウト&コピー。これをやるのに、結局2週間くらいかかりました。今月最初のヒマな時間に、文字を練習しておいて本当によかった。。。という感じ。というのも、やはり、私の発音はまだアヤしいので、外国人発音に慣れていない子には通じないことが多々。アンケートと言っても、相手に書き込んでもらうのではなく、私がきいて、彼女たちの答えを私が書きこむ形式なので、アンケートの文字は、言葉が通じなかった時に見せる用なのです。できるかぎり雑談なんかもしながらやるので、一人30分くらいかかり、1日がんばっても10人ちょっとがやっと。でも、ラオス人はみんなとても人がよくて優しくて、みんな私の質問に答えてくれました。本当に、感謝です。
2008年03月29日
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今日は、多分、昨日の朝、カビが生えたパンをうっかり食べてしまったため、朝は体調がいまひとつ。念のため、ラオス語レッスンをお休みし、午前中はゆっくりしました。そして、昼過ぎ、国立大から電話がきました。約束どおり、きっかり一週間後。まだ、ビザの期間や料金など最終的な交渉(?)が残ってはいるけれど、とりあえず、一番の懸案が片付きそうでよかった。。。夕食を食べに行った先で出会った人たちに、私が請求されている額を話したら、「高い!」と言われてしまった、、、。でも、「高いと思ったら買わなければいい」という状況でもない今、選択の余地もなく何の後ろ盾もない私にどうしろと???はあ、、、人から高い!高い!と言われながらする買い物はつらいなあ、、、
2008年03月28日
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ラオス語を教わっている先生に、今日、今まで何人の外国人に教えたことがあるの??ときいてみた。そしたら、今までひとりだけ。私が2人目、らしい。しかも、最初の一人はすでにラオス語ができる中国人だったとか。それで、いろいろと納得。ラオス語の先生なのに、私の発音が悪いとなかなか通じず、外国人のラオス語にあまり慣れていない風なとことか。授業の進度がかなり速く、話し方も自然で、外国語を学ぶ学習者の覚えなさ加減に慣れてあきらめた様子があんまりないとことか。一生懸命教えてくれて、何度も、私の教え方は大丈夫?わかる?ときくところとか。こういうところ、今の私にとっては、みんなプラスポイントで、特に何の問題もないんだけど、ひとつだけ、、、。先生の部屋は、ラオス人の学生が使う学習資料がいっぱいで、ふだんは学生が来て、そこの本を見ながら勉強しているのね。でも、私が習う時間は、学生を全部追い出して、先生と私の2人がその部屋を使うの、、、。先生の割のいいアルバイト(なのよね、実際)のために、学生が部屋を追い出されるのがちょっとね、、、。
2008年03月26日
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朝、起きてトイレに行ったら、痛みとともに血尿が。。。ハッキリ言って、生まれてはじめてのことだったので、少しうろたえてしまいました。が、どこの病院に行ったものかもわからないし、とりあえず、いつもどおり、国立大にラオス語のレッスンを受けに行くことに。そのうち自然に治るかもしれないし。国立大で先生に話したら、絶対に病院に行くべきだと言われ、セターッ(ティラート)病院をすすめられました。その後、在ラオスが長いMさんに相談したところ、日本人の先生に相談することができました。結局、私は、膀胱炎になったらしい。。。膀胱炎って、血尿が出るのね。。。知らなかった。膀胱炎ってくらいだから、言われれば当然なんだけど、膀胱炎=すでにバイ菌が入って炎症を起こしているということらしい。これが悪化してさらに内部に広がると、腎炎になるとか。*今後のための膀胱炎覚書。・症状:頻尿、残尿感、時に排尿時の痛みや血尿。・対策:水分をたくさんとって内部をキレイに。抗生剤を3日間飲む。 ※おすすめの抗生剤 ・・・抗生剤は、町中の薬局でも買える。 (1)レボフロキサシン(LVFX: levofloxacin hydrate) (2)セフジニル(CFDN: cefdinir)→3日経っても症状が改善しない場合は、病院に行った方がよい。特に、腎炎になってくると、腰に痛みを感じたりするらしい。・オプション:病院(セターッ(ティラート)病院)で尿検査をしてもらう(30~50$はかかるとか??)・・・この検査で、尿に白血球、細菌、膿が混じっているかいないかみてもらう。混じっていれば炎症を起こしている=膀胱炎(もしくはもっと悪くて腎炎)だというてことがわかる。水分をしっかりとらないと膀胱炎になるとは知りませんでした。。。体のしくみってよくできているのね~
2008年03月24日
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ラオス語のレッスンも今日で6日目。全11日の予定なので、ちょうど半分です。担当してくれる先生はまだ若い女性の先生なのだけれど、おとなしめで真面目な感じ。ラオス語を教えはじめて3年目という話だけれど、誠実にやってくれているので満足してます。外国語はできないけれど、ラオス文学を教えているというから、ラオス語の先生としてはかなり理想的かも。発音をちゃんと見てほしいとお願いしたら、本当に厳しくチェックしてくれるし。。。今日はテキストで指定されている以上の書き取りテストをしました。。。<ちゃんと書き取れない=ちゃんと発音できない、ってことだよーっていわれちゃったあ。どんどん進めよう計画は早くも挫折。思えば、ラオス文字の勉強をはじめたのは今月1日。今は、もう、書き取りテストまでできるようになったのだぞー、と、自分で自分をほめておこう。。。午後は、日本語のスピーチコンテストをききにいきました。出場する学生にきいたので。教えてくれた学生が学習暦2年半だから、きっと、出場者の中では長い方なんだろうなあ。。。うーん、みんな、すごい。特に、中級部門の後半の出場者は。さすがは、日本への留学希望者たち。そして、学んだことは、発音は大切ってことでした。もちろん、聞き取りもね。
2008年03月22日
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今日の夜明けには大雨が降りました。そうしたら案の定、私の部屋は雨漏りで洪水に。。。土間にひいてあった足ふきマットも、スリッパもびしょぬれ。部屋の角にあるクローゼットの真上から雨漏りするため、クローゼットの一番上の棚にも水溜りが。。。が、よいこともありました。ラオス国立大学の受け入れの件。今日になっても何の連絡も来なかったら、またヘッドクウォーターオフィスの先生の部屋を訪ねなくてはいけないなあ・・・と思っていた今朝、やっと電話がありました。なんと、オフィシャルレターがまだ届いていないとな。先週、私からも、国立大の先生方宛に届いてますかメールを送ったのに。。。まあ、こんなことになるんじゃないかと思い、オフィシャルレターをメールで送付する時、私のメアドにも送ってもらってあったので、それを届けることにしました。オフィシャルレターを運んでくれなきゃいけない唯一のフラッシュメモリーがウイルスに感染したらしくドキュメントがなかなか読めない事件などもありつつ、なんとか、国立大で、オフィシャルレターをプリントアウト。必要な書類をそろえ、それをひとまとめにしてハンコを押していたのを見て、手続きに入れるらしいことを確認。とりあえず、一安心です。今回連絡がきたことを思えば、多分、受け入れが決まった段階でちゃんと連絡は来るでしょう。。。うまくいけば、来週には受け入れの値段交渉に入れるはず。。。その翌週にビザを取りに走れればいうことなしなんだけどなー。雨漏りの件。とりあえず、クローゼットにビニールをかけてもらうことに。洪水するのは仕方ないってことかなー。その上にたらいも置いてもらえないかなー。どちらにしても、雨季にここに住むのはちょっといかがなものかって感じはあるなあ。うーん。
2008年03月21日
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この数日、いろいろと不安に感じる情報ばかりを入手。タイはラオスと違ってわけのわからないお金を払わなくていい、とか。国立大から、とんでもない金額を請求された、とか。強力なコネのあるところからやらないと、いつまで待たされるかわからない、とか。やはり、ラオスは社会主義国で、いろいろなことが民主化されていないので、いろいろな手続きがとても不透明。意味のわからないお金を請求されたり、期日のはっきりしない約束をひたすら待ったり。。。そんな私が今一番ほしいもの、それは、コネ。それも、超強力で、どんな手続きも、びっくりするくらい速いスピードで終わらせてくれて、かつ、ヘンなお金を払わなくてもいいようなやつ。手続きひとつにしても、それぞれみんな払ってる金額が違っているのはなぜ???オフィシャルな手数料「も」どころか、それこそを値切らないといけないなんて、これも社会勉強とは割り切れ、、、、ないよー、やっぱり。・・・それでも、できることなら、ラオスで調査をしたい。というのも、ラオスには、私の知りたいこと、やりたいことが全部つまっている場所だから。なんとかしてくれーっっ。
2008年03月20日
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ラオスに来て、気がつくともう3週間が過ぎてました。前回は、なかなか時がすぎていかない気がしたけれど、今回は住むモードになっているからか、時が過ぎるのがあっという間。この間に得た成果(?)といえば。。。*ラオス語の読み書きがなんとかできるようになった。*国立大への受け入れ手続きをお願いした。*2つの工房で聞き取りができるようお願い=調査の段取りをした。*ラオス語のレッスンを受け始めた。たかが3週間、されど3週間。今、そこはかとなく不安なのは、なにもかも国立大への受け入れ手続きのせい。先週会った先生たちの言っていた「1週間で受け入れできる」という話、一度痛い目(?)にあっているだけに、どうしても信用できない。そして、それをこちらの日本人に話すと、それは絶対無理だと言うので、ますます不安になるわけです。今週末になっても何の返事もなかったら、一度またオフィスに行ってみなくちゃいけないだろうなあ。。。いやだなあ~~
2008年03月19日
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今日から、ラオス国立大でラオス語の勉強です。予習はしたし、道順もばっちりのはず。。。が、朝食を食べに入った店が思いもかけぬ大混雑。ちっともごはんが出てこない。。。おまけに、テキストを入れていた袋に一緒にミネラルウォーターを入れておいたら、大洪水に。。。バスに乗ったら乗ったで、今日は乗り降りがいつも以上に激しく、見事に遅刻。しかも、日本から持参の日傘をバスの中に日傘を忘れてしまい、全力疾走して、大学の敷地を4分の1周くらいバスを追いかけることに。息を切らし、あせびっしょりになって、教室にたどりつくと、コーディネーターの先生がちゃんと待っていてくれたのには安心しました。<どうしたの!!??と驚かれましたが。。。そして無事、クラス開始。先生は、まだ若い女性で、おとなしくて上品そうな人でした。発音をよく見てね、とお願いしたので、今日は、発音の基本で終わり。そして説明はすべてラオス語。英語はそんなにできないみたい。。。私は、まあ、なんとなく少しはラオス語ができる&日本語テキストで少し勉強していた&タイ語も少しわかる、からいいけれど、そうでない場合、これで理解するのって相当大変かも~。やっぱり、予習中心の生活でないとダメみたい。。。
2008年03月17日
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