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玉陵(たまうどぅん)を構築したのは、琉球王国第二尚氏王統の第3代国王・尚真王。
50年にわたって王位に在り、琉球王国の最盛期を現出。地方の按司(豪族)らを首里に
集居させて中央集権化を図るなどして、王権を強化した人物。

昭和47年に玉陵墓室石牆(たまうどぅん ぼしつ せきしょう)が国指定有形文化財建造物に、
玉陵は国指定記念物史跡に指定。また、2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として
世界遺産に登録。

チケットを購入し最初に奉円館(ほうえんかん)に入る。
地下1階は資料展示室になっていて,玉陵の概要や玉陵内部の様子が展示説明。
歴代の王の納骨の壺の写真。

お墓の 内部のミニチュア模型や遺品が展示されていました。

金属製品の遺品の数々。

パンフレットより玉陵配置図。

資料展示室を出て、玉陵に向かう。

両側に木々が植えられたまっすぐな道を進むことに。

ガジュマルの樹。

幹は多数分岐して繁茂し、囲から褐色の気根を地面に向けて垂らしていた。
垂れ下がった気根は、徐々に土台や自分の幹に複雑にからみつき派手な姿に。
ガジュマルの名の由来は、こうした幹や気根の様子である「絡まる」姿が訛ったという説が。

右に石塀が見えて来た。ここが世界遺産 玉陵。

正面の小さな入口。

そこから入ると綺麗に掃き清められた広場に出た。

外郭内の左隅にあった玉陵碑(タマウドゥンひ)
この碑文は1501(弘治14)年に建てられたもので、タマウドゥンに葬られるべき人々を
規定したものとのこと。尚真王他8人の名が記され、この書き付けに背くならば、
”天に仰ぎ、地に付して祟るべし”と結んでいると。
碑文には長男・次男の名が見えず、王室内に勢力の対立があり、廃されたと見られていると。

内郭に入る中門。
玉陵は中門のある壁に仕切られて形で外郭と内郭に別れている

1501年、尚真王が父尚円王の遺骨を改葬するために築かれ、その後、第二尚氏王統の陵墓に。
墓室は三つに分かれ、中室は洗骨前の遺骸を安置する部屋。
創建当初の東室は洗骨後の王と王妃、西室には、墓前の庭の玉陵碑に記されている
限られた家族が葬られたと。全体のつくりは、当時の板葺き屋根の宮殿を表した石造建造物。
墓域は2.442m2。 沖縄戦で大きな被害を受けたが、1974年から3年余りの歳月をかけ、
修復工事が行われ、往時の姿を取り戻して今日に至っているのだと。
玉陵は中室、東室、西室の3つの建築物に分かれている。
中室は葬儀の後、当時の琉球の葬制に基づき遺骸が骨になるまで放置し、数年後に骨を
取り出して洗骨。洗骨した後に遺骨を骨壺に収め、王及びその妃の骨は東室に納められ、
他の王族は西室に納められた。建造物の外は外庭、中庭に石壁で仕切られ、中庭には
珊瑚の破片が敷き詰められていた。
こちらが西室。

東室。

玉陵の屋根には墓守護のため3匹の石獅子が設置されていた。
陵墓に向かって左側の屋根にいる獅子は子獅子を抱いていました。

右側の塔の屋根には、玉紐をくわえて玉で遊ぶ獅子が。
どちらの獅子も表情がユーモラスで、沖縄に数ある石彫刻の中で最もユニークで
異彩を放つ逸品と言われていると。

東の御番所(あがりぬうばんじゅ)。

沖縄戦前までお墓を守る番人がお墓の管理をしていたと。
王国時代には墓参りに来た王様が休憩をしたところでもあると。

西の御番所の部屋割を描いた図を反転させると、ほぼ柱の位置が一致。
そこで、遺構や写真などを元に分析し、この東の御番所を復元したのだとのこと。
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