PR
Keyword Search
New!
Gママさん
New!
隠居人はせじぃさんComments
Calendar
箱根駅伝観戦の後は、遊行寺に初詣。
通称「遊行寺」の名で知られているが、正式には藤澤山無量光院清浄光寺
(とうたくさん むりょうこういん しょうじょうこうじ)。

開山は俣野(現在の藤沢市、横浜市周辺)の地頭であった俣野氏の出身である
遊行4代他阿呑海上人。
その兄である俣野五郎景平の寄進により正中2年(1325)に創建。
創建以来、数度にわたる戦火、火災により堂宇は度々焼失し、その都度復興。
永正10年(1513)兵火により全山を失った際は、当時、遊行21代他阿知蓮上人が
滞在されていた駿河長善寺に本尊を移動。
その後、ようやく藤沢に再興されたのは、慶長12年(1607)と
パンフレットには。

ご本尊は阿弥陀如来坐像。

遊行寺境内案内図。
![f8e03dcd751d6e66424a9c1d1619a6f9[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/2/837016dab8cd5ed0abb7f6948eb6e5bc312dc268.15.2.2.2.jpg?thum=53)
一般的には寺にない建物が境内の国道側に。
神仏分離の為に諏訪神社と遊行寺が分かれていたが、日本土着の神祇信仰(神道)と
仏教信仰(日本の仏教)が混淆し一つの信仰体系として習合された
神仏混淆(しんぶつこんこう)により、今でも遊行寺境内に諏訪神社の神輿社が
残っているのだ。

こちらの神輿の最上部には龍が乗ってる珍しい神輿。

こちらは最上部には鳳凰が乗っている神輿。

境内の宗祖一遍上人像。
後ろは関東大震災で崩壊後、平成26年に再建された地蔵堂。
日限地蔵菩薩を安置。

一遍上人像を横から。
この一遍上人は入寂の際に「わが化導は一期ばかりぞ(私の教えは一代限りである)」、
「一代の聖教皆尽きて、南無阿弥陀仏に成り果てぬ(お釈迦様の教えは南無阿弥陀仏の名号の
中にすべて凝縮されている)」と言われたとのことであり、間違いなく一遍上人本人は
この様な銅像になんかなりたくなかった事まちがいなし。
そして毎年の正月の人出にウンザリされているのではとも。

本堂の屋根には遊行寺・時宗宗紋・「隅切三紋」 が。
一遍の俗名は河野時氏といって伊予国の土豪の家系。
この「隅切三紋」は「折敷に三文字紋」とも言われ、瀬戸内海の大三島に鎮座する
三島神社(大山祇神社とも称される)の神紋であり、大三島大明神を氏神とした
越智氏の家紋となった。そして、越智氏から分かれた一族も又、「折敷に三文字紋」を
家紋としたと。鎌倉期に河野水軍を率いて瀬戸内海を治めた一遍の家系の河野氏も
この家紋であったと。
開祖の出身家紋がそのまま宗派の寺紋となったのは親鸞聖人の鶴丸と同じと。

登録有形文化財の手水舎には初詣客の長蛇の列が。

明治100年記念として、手洗鉢が新設。
その説明書には「住古より余ってかへる遊行寺の手洗鉢と世人の諺にまで謂われ文化財にも
比すべき本堂前の手洗鉢が大東亜戦争の戦災に遭い資源不足のためにやむなく供出され、
茲に25年篤志家の御賛同を得て復元いたしました 昭和四十四年三月廿六日」と。

初詣のポスター。

本堂には初詣参拝の長蛇の列。
箱根駅伝観戦者が一気に参拝に押し寄せたのであった。

大きな常香炉は、身を清めるために煙を浴びる参拝客で大混雑。

おみくじ結びところ。
おみくじ一つ一つにそれぞれの願いが。

鐘楼。
この大晦日の除夜の鐘で新しい年を迎えたのです。
人には百八つの煩悩(ぼんのう)があり、その煩悩をはらうために、
除夜の鐘をつく回数は108回と。

酒井忠重逆修六地蔵。
銘文によれば萬治3年(1660)1月15日に酒井長門守忠重が施主となって、
遊行十七世慈光(じこう)上人(遊行三十九代)の代に建立された。
施主の酒井長門守忠重は出羽鶴岡城主酒井忠勝の弟で逆修のために建立されたと。
この「逆修」とは「生前に、自分の死後の冥福のために仏事をすること」と。

本堂の巨大な屋根を背景に六地蔵を。

酒井忠重五輪塔。
この五輪塔には、「寛文六(1666)丙午歳 光岳院殿従五位 前長州太守 鏡誉宗円大居士
酒井長門守忠重 九月十八日」と記されている。
忠重は、萬治3年(1660)六地蔵供養塔を建立しており、翌年には万日堂(念仏堂)をも
寄進している。遊行三十九代慈光上人は羽州最上(うしゅうもがみ)の出身であることから
忠重との関係は深いものがあったのではないかと。
忠重は下総市川に蟄居中(ちっきょちゅう)に不慮の死を遂げており、
六地蔵供養塔・万日堂(念仏堂)の寄進者としてその遺骸(いがい)を
遊行寺に葬(ほうむ)ったと考えられていると。

本堂を国道側から。

安政年間に建造された遊行寺で最古の中雀門(ちゅうじゃく もん)。
四脚門で、高さ約6m、幅約2m70cm。

紀州藩の徳川治宝(とくがわはるとみ)の寄進。
側面の大棟に菊の紋、屋根の下に葵の紋が刻まれていて、
フクロウなどの鳥の彫物も素晴らしい。

遊行寺宝物館。

特別展『遊行寺の什宝』 〔1 月 1 日(日)~2 月 13 日(月)〕 が
行われていた。

境内には多くの食べ物の出店が並んでいた。
以前は骨董市が行われていたが、正月の今日4日(水)と15 日(日)に行われると。

テーブルも並べられて。

高さ16m、幹周り6.84mの樹齢700年と言われている大銀杏の下のベンチでは
出店で買った食べ物を楽しむ家族連れの姿が。

出店の前の獅子舞人形が可愛らしい動きで楽しませてくれていた。

遊行寺山門跡を出ていろは坂右手には早くも梅の花が。

いろは坂・参道を下ると左手には真徳寺(赤門)が。
真浄院は遊行寺山内の筆頭塔頭寺院。

惣門前の巨大灯籠。
高さ約2m80cmの青銅製の灯籠で、惣門前に対になって建立されている。
江戸講中をはじめとした信徒たちにより建造が望まれ、1848年以降に建立したと。
鋳造師は、江戸で活躍した西村和泉守藤原政時。
すでに指定を受けている江の島入口青銅鳥居とともに、市内にある青銅製の大型建造物として
希少であり、江戸との文化的交流を伝えていることから、市指定重要文化財に指定されている。

名古屋・熱田神宮で見た信長塀に似た塀が惣門の両側に。

惣門前の建物のシャッターに描かれた浮世絵。
『東海道五拾三次 藤沢(狂歌入東海道)』の水墨画風。
遊行寺の側から大鋸橋(現遊行寺橋)と江の島一ノ鳥居を
描いたもので、背景にある山は大山。
橋の上の人物が担いでいるのは御神酒枠で大山詣を象徴。
橋のたもとの高札場など、宿場の様子も窺える。

そして再びバスに乗り帰路へ。
途中、源義経公を奉る白旗神社前には、ここも初詣客の「茅の輪くぐり」の列が
道路の歩道まで伸びていたのであった。

江戸東京博物館へ(その9) 2026.05.26
江戸東京博物館へ(その8) 2026.05.25
江戸東京博物館へ(その7) 2026.05.24