JINさんの陽蜂農遠日記

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2017.05.30
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カテゴリ: 国内旅行

大分前になりますが目黒を散策しました。

旧朝香宮邸をあとにし、目黒駅方面に歩を進める。

AOK MEGUROビルの壁は本物の蔓植物で覆われ、緑化、ヒートアイランド対策に

貢献していた。様々な蔓植物が植栽されており、その描き出す色模様は一種の芸術品。 

DSC04718_R.JPG

更に目黒通りを進むと右手にあったのが誕生八幡神社。

DSC04719_R.JPG

太田道灌が夫人の安産祈願のために宇佐八幡を勧請して建てた。その後、無事に

出産できたことから誕生八幡神社と命名されたと。 

DSC04720_R.JPG

ビルの間にたつ小さな神社であるが目黒のサンマ祭りの会場でもあると。

木製の本堂はこのコンクリートの鞘堂の中に安置されていると。 

DSC04724_R.JPG

そしてその隣にあるのが高野山真言宗・ 高福院。

永峯山 瑠璃光寺 高福院 (ながみねさん るりこうじ こうふくいん)。

DSC04721_R.JPG

本堂とその正面に巨大な石灯籠が。

ご本尊は大日如来。

DSC04722_R.JPG

江戸時代、高福院は誕生八幡神社の別当であった。

もともと高福院は高野山の山内子院で、行人方に属し、高野七弁天の一つ・

舟引弁天(綱引弁天)を祀っていた。慶安元年(1648)この地に讃岐高松藩下屋敷が

建てられた際、弘法大師ゆかりの寺院を建立することを望んだ藩主・松平頼重が高野山に

要請し、良尊和尚によって移された

(ただし、高野山の高福院も明治の頃までは残っていたようである)。

現在のご本尊は大日如来になっているが、江戸時代の資料を見ると随求明王になっていると。

本堂は、天保の改革で知られる水野忠邦から寄進されたものとのことである。 

DSC04723_R.JPG

目黒駅の高架橋を渡り暫く進むと目黒新橋に到着。 

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下を流れるのは目黒川。

この付近は桜の名所であるが、この日は開花までまだまだ。 

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目黒通りと山手通りの交差点の角にある大鳥神社に到着。

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手水舎。 

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言い伝えによると景行天皇の時代に当地に国常立尊を祀った社があり、日本武尊が

東夷平定の折に当社に立ち寄って祈願した。その後日本武尊の霊が白鳥として当地に

舞い降り鳥明神として祀られ、大同元年(806年)に社殿が完成したという。

この年を大鳥神社では創建の年としており、これは目黒区最古であると。

神社の酉の市は江戸時代の天保6年(1835年)に当地の農家が浅草から取り寄せて

売ったことから始まったといわれている。現在でも11月の酉の日には境内には

熊手を扱う店が軒を連ね賑わいを見せると。 

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授興所の文字が。 

守札やおみくじを扱う社務所なのであろうか?

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御社殿の屋根の銅板葺替え工事と御社殿の保存修復並びに耐震補強工事が

行われていた。昭和20年5月の大空襲に見舞われたが、氏子・崇敬者の奉賛により、

昭和36年に拝殿、昭和37年には御本殿が復興し、旧社殿に勝る立派なご社殿が完成。

しかしながら、55年の歳月を経て屋根の雨漏りの為、野地板・垂木・棟木など

木材の腐食も進んだと。先人から受け継いだ御社殿を後世に引き継ぐ事業として、

屋根の銅板葺替え工事並びに御社殿の保存修復補強工事を進めていると。 

DSC04739_R.JPG

工事中でなければ・・・。

大鳥神社_R.jpg

白格子の美しい神楽殿。

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「切支丹灯籠」 。 

天文18年1949年、ポルトガルのフランシスコ・ザビエルが、天主教(キリスト教の旧教、

カトリック教)をわが国に伝え、燎源の火の勢いで全国に広がったが、豊臣秀吉が

天下を統一した1587年に、晴天の霹靂の如く、切支丹の禁止令と宣教師の追放令を出した。

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信徒の中心的信仰の十字架は、燈籠の竿に十字架を生かし、が作図されたが、

燈籠の基礎をなくし、竿の下部を荒彫りとし、竿の下部を埋めることにした

そして、宇宙の中心に神が存在される教えを、礼拝物として○丸を描き宇宙を表し

仮託礼拝対象物として形成した。その結果、燈籠の竿は形に出来上がったのだと。

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狛犬 阿像。 

DSC04743_R.JPG

狛犬 吽像。 

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大鳥神社の隣にはあったのが天台宗 松輝山 大聖院。 

開山:良順僧正(永禄5年1562年寂)、1557年に開創。大鳥神社のもと別当。

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ここにも「切支丹灯籠」が三体。 

左の灯籠の支柱上部に ローマ字「FILI」の組み合わせ記号が彫られていると。

この「FILI」はラテン語で 息子よ 御子よ キリストよ との意味だと。

隠れキリシタンの崇拝物であることが解らないように 文字が簡単に解明できないように

解りづらくしてある との説があると。

島原藩主松平主殿頭(たのものかみ)の江戸下屋敷(三田千代が崎)の庭園の

小祠(しょうし)にあったものだと。1926.10.(大正15)ここ、大聖院に移されたと。 

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見返りの阿弥陀道標。

こちらの笠付石碑は、仏像の下に「目黒総ちん守 大とり大明神 みかへ里能りの阿弥陀佛」と

いう文字が彫られている。

本尊は、京都永観堂の像を模刻した阿弥陀如来像で、「見かへりの阿弥陀」と言われていると。

しかしこの「みかえりの阿弥陀」は戦災で焼失したと。

それを示す道標が境内に移されて残っていた。

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大聖院は隣接する大鳥神社の別当寺であったと。

明治の神仏分離令で大鳥神社と分離したものと思われると。 

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Last updated  2017.05.31 06:20:41
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