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隠居人はせじぃさんComments
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報恩閣まで連絡通路を進む。
立教開宗750年慶讃事業のひとつとして建築されたこの「報恩閣」は、受付と信徒休息所を
備える。また、『バリアフリー』であることも大きな特徴。
身延山 久遠寺 五重塔 を撮したポスターが壁に。

久遠寺の御首題を頂きました。

報恩閣から拝殿裏の庭園を見る。奥に御真骨堂の白亜の八角堂。

報恩閣と仏殿の間の廊下の壁の宗祖御真骨前で一礼。

法華経の教えが描かれてていた。
しょうろうびょうし「生老病死」。
仏教語で四苦ともいい、生まれること、老いること、病むこと、死ぬことの四つの苦。
人生における免れない四つの苦悩のこと。

日蓮聖人の生涯を描いた絵巻・日蓮聖人傳絵巻。

全36巻のうちのその主要な場面6点が壁に掲げられていた。
1)善日麿誕生 4)滝ノ口法難
2)旭ヶ森立教開宗 5)身延入山
3)伊豆法難 6)聖者涅槃への道

御真骨堂拝殿内部。

祖師堂横の妻飾り。

巨大な力神が。
力強い姿、形相をして、いわゆる金剛力士像をアレンジしたような形。

拝殿回廊からの開基堂。

真骨堂拝殿の見事な彫刻。

ズームで。

御真骨堂は白亜の八角堂。

身延山周辺案内図。
身延山・久遠寺の周囲には多くの宿坊が取り囲んでいるのが理解出来たのであった。

祖師堂の回廊。

祖師堂から大本堂への連絡通路。

大本堂地下にある宝物館入口。

階段を降り、地下にある宝物館へ。

宝物館に入場し内部を。
身延山宝物館は、国宝・重要文化財・指定文化財を数多く所蔵する身延文庫の収蔵品を、
随時、適宜に展示中。

地獄図。

日蓮聖人御影。

美しいお顔の像。

日蓮上人像。

ロビーの一角では一生懸命写経をされている女性の姿も。
宝物館入口ロビーにはこんなコーナーも。

内部の見学を終え再び境内を散策。
祖師堂正面。

扁額には「棲神閣」と書かれていた。
祖師の日蓮上人の御魂が棲んでおられるという意味で、74世日鑑上人の筆と。
![3a6c1b467571ff067acd4a45aa65d927[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/1ef48539bdbda3ebf3a6d98d10bb01aafdd73e93.15.2.9.2.jpeg)
祖師堂向背の彫刻。

祖師堂拝殿正面の妻飾りの力神。
中央の太平束に当たる部分で屋根を支えるような形。
つまり、「建造物を力の神がしっかり支える」という意味合いの像。

報恩閣。
身延山久遠寺の総受付。91世日光上人の発願で平成14年落成。
内部からは気がつかなかったが、屋根はドーム・3次曲面の美しい形状であった。

報恩閣前庭には見事な枝垂れ桜の巨木が。
この枝垂れ桜は樹齢400年で全国枝垂れ桜10選のひとつ。
桜の花が地面に垂れ下がる様子は大変見応えがあり、満開の時期は
非常に多くの観光客で賑わうのだと。

開基堂。
開基堂は、もともと上ノ山にあった(といわれる)文明4年(1493:一説には寛文10年:1670)
建立の多宝塔を何度か移築した末、昭和54年2月本堂の建設に伴い、現在地に移転。

現在、開基堂は上階部を丹塗りとし、下階部を土蔵造りとされ、
久遠寺開基の南部實長(法寂院日圓上人)の座像を安置していると。
日蓮聖人は文永11(1274)年、この領主南部實長(波木井)公の招きにより
ここ身延の山に入ったのであった。

下の石碑は、身延山久遠寺内の御真骨堂と仏殿の丁度間に位置しており、
身延山で有名な枝垂れ桜の近くにあった。
石碑には日蓮聖人の御遺文が書かれており、この御遺文に刻まれた文字の書が
本覚寺開山加藤雲洞上人によるものと。
●親は十人の子をば養へども 子は一人の母を養うことなし
●異体同心なれば萬事を成し 同体異心なれば諸事叶ふ事なし
●矢のはしるは弓の力 雲の行うことは龍の力 男のしわざは女の力なり
一番下の「矢のはしるは・・・」の日蓮の言葉が身に沁みたのであった。
すなわち
「矢が飛ぶのは弓の力があるからであり、雲が流れるのは竜の力であるといわれているように、
男性(夫)の振舞いは女性(妻)の力のおかげである。」。妻に感謝し合掌!!

仏殿納牌堂 獅子口瓦。
この獅子口瓦は、仏殿納牌堂の大棟西側に備えられていた鬼瓦で、
昭和6年(1931)日蓮大聖人第六百五十遠忌の報恩事業として仏殿納牌堂が
新たに建立されてより、日蓮大聖人御降誕八百年の慶賛事業として、
平成24年に屋根瓦を銅版に葺き替えるまでの約八十年間、仏殿納牌堂の屋根を
平穏ならしめてきた鬼瓦であると。

仏殿・納牌堂。
昭和6年(1931)に竣工したこの堂は、日蓮聖人第六百五十遠忌を記念して、
八十一世日布上人のとき全国寺院檀信徒の丹精にて出来たもの。
全国信徒の御納骨・御納牌・追善法要が毎日ここでおこなわれていると。

大客殿と庭園。

見事な境内の松。

法喜堂。
法喜堂は、寺務所・職員寮・学生寮・台所等があり庫裡といわれるところ。
かつて豊臣秀吉の姉瑞竜院殿がわが子関白秀次の菩提のため、慶長13年(1608)
十八世日賢上人のとき本堂・唐門と共にこの庫裡を建立寄進されたが、
明治8年(1875)の大火で焼失したため、明治16年(1883)に七十四世日鑑上人の時
山梨・静岡両県寺院檀信徒の総協力のもとに再建したのが現在のこの法喜堂であると。

鶯渓閣(おうけいかく)は売店。

甘露門(かんろもん)。
菩提梯下から女坂を登った先に甘露門が。
甘露の語源は「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」の経文中の
「濡甘露法雨」(観世音菩薩が我々を救うために甘い雨を降らす)からと。

時鐘(じしょう)。
その名の通り時を告げる鐘。
明治20年(1877)山梨県の南条講題目結社の建立によるも、昭和27年(1952)焼失し、
永田雅一氏が再建。梵鐘は四国松山城主久松家の祖定頼の正室養仙院殿の寄進で、
延命8年(1680)に鋳造され、三十一世日脱上人の鐘銘があると。

釈迦殿納骨堂。
仏殿手前6階建の建物。本堂建立により釈迦堂を移した釈迦殿は6階にある。
納牌堂は1階から5階までとなっており、全国の信徒の先祖の遺骨を安置してある建物。

再び御真骨堂 拝殿を境内から。

真骨堂拝殿向背兎の毛通(うのけとおし)。

梅福(ばい ふく)。
梅福は、前漢後期の人物。
「梅福は中国前漢時代の人。もともとは役人であったが王莽(紀元前45~紀元後23) の
専制に嫌気がさし、仙人となるために諸山遍歴の旅に出た。
空同仙君に教えを請いつつ、飛鴻山で庵を結んで修行した結果、金童玉女が
青鸞(せいらん)を連れて梅福の前に現れた。梅福は青鸞に乗って天空に飛び去った」と。
青鸞はキジ科の鳥、鳳凰(ほうおう)のモデルといわれると。

江戸東京博物館へ(その10) 2026.05.27
「かんなみ仏の里美術館から江川邸へ」(そ… 2026.04.05
「かんなみ仏の里美術館から江川邸へ」(そ… 2026.04.04