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隠居人はせじぃさんComments
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次
旧東海道の左手にあった『海老坂薬師』。
この鳥居には大正十年と彫られていた。

こじんまりした神社。
そして次に訪れたのが東海道線が前を通る『木之本神社』。
本堂は修復工事中のようでテントの中に。
田子の浦港の東岸・鈴川は、吉原宿の前身「見付」があった場所。
中世まで田子の浦港の対岸まで渡船が営まれ、商人や富士道者の休憩・宿泊所、倉庫基地として
栄えた交通の要衝だ。そんな鈴川の産土神が、字砂山鎮座の木之元神社であると。
祭神は木元神。
木之元神社の『ムクロジ』は市天然記念物の御神木。
木之元神社のムクロジは、高さ11.6メートル、太さ1.8メートルあり、
樹勢はよく珍木として市内では貴重な存在であると。
昔はこのムクロジの黒い種を使って羽子板の羽根の黒い玉を作っていたのだと。
子供の頃の正月の遊びであったことを懐かしく想い出したのであった。
赤い鳥居は、木之元神社の境内にあった『伏見稲荷大明神』。
そして木之元神社の裏から『富士と港の見える公園』に向かって坂を登る。
振り返ると富士山の勇姿が、電線も映らずに。
大きな墓地越しに富士山が。
『日蓮宗 大乗教会』。
そしてここにも『妙法寺』が。
こちらは 日本山妙法寺。

本堂。
本堂前の芝生は、芝焼きが行われていた。
この地には鎌倉時代のはじめのころに「見付」が構えられ、東海道を往来する旅人を改め、
吉原湊から対岸の前田まで舟渡しをしていたという。
その後、徳川家康によって、東海道駅伝制が敷かれ、吉原宿として指定されたという。
その案内板と石碑が立っていた。

『見附と(元)吉原宿』説明ボード。
「鎌倉時代のはじめころ、このあたりに見付が構えられ、東海道を往来する旅人を改め、
吉原湊から対岸の前田まで舟渡しをしていました。
その後、南北朝から戦国時代になると、吉原湊が、軍事的、商業的に重要視され、
この見付には、道者商人問屋も置かれ、宿場、港町としての機能を合わせ持つようになった。
しかし、この地は湊からの高浪や、砂丘からの漂砂の害がひどく、天文年間(1532~1554)に、
今の鈴川、今井地区へ所替えし、まもなく吉原と改名され、東西への旅人で繁栄しました。
慶長6年(1606)に至り、徳川家康によって東海道駅伝制が敷かれ、吉原宿として指定されました。
しかし、この地も寛永16年(1639)に度重なる漂砂や高波の被害で、依田橋
村西方に所替えしました」
奥にあったのが『阿字神社奥宮』。
奥宮は社というよりも、祠というほどのもの。
こちらは『大隅稲荷大神』。
『田子浦仏舎利塔』がデーーンと。



























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