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隠居人はせじぃさんComments
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次
次に向かったのは藤枝市に残る駿河『田中城跡』。
前方には薩埵峠の姿が。
そして興津川を渡る。
国道1号線 新宇津之谷隧道に入る。
『田中城』位置図。
JR東海道本線、西焼津駅下車、バス7分「西益津中学校前」降車、徒歩すぐで田中城本丸跡。
Google map より。
県道30号線から県道224号線に入る場所にあった『田中城跡』石碑が。
田中城は天文 6
年( 1537
年)に駿河今川氏によって築かれた。
永禄 13
年( 1570
年)の武田氏による駿河侵攻以降、三河の徳川氏に対抗する駿河西部の
城砦網の要として重要視された。
天正 10
年( 1582
年)、徳川勢により攻められ開城。天正 18
年( 1590
年)の徳川家関東移封後は
駿府城主中村一忠の管轄となった。慶長 6
年( 1601
年)、酒井忠利が田中藩主となり城域の拡張や
藤枝宿の城下町への取り込みなどを行った。酒井忠利は慶長 14
年( 1609
年)に川越に転出し、
以後は駿府に居を構える徳川頼宣・徳川家康によって支配された。
なお、元和 2
年( 1616
年) 1
月に徳川家康は田中城に立ち寄り、茶屋四郎次郎に供されて
鯛の天ぷらを食した。これが家康の死因とする説がある。
寛永 10
年( 1633
年)以後、松平氏、水野氏、北条氏等が封じられた後、享保 15
年( 1730
年)、
本多正矩が 4
万石で封じられ、以降明治維新まで同地に拠った。
明治元年( 1868
年)、最後の田中藩主本多正訥が安房長尾藩に移封される。
駿河国に転封となった徳川本家(静岡藩)の支配地となり、高橋泥舟が城を預かる。
のち廃城となった。









































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