JINさんの陽蜂農遠日記

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オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 朝食の食べそこないとは? 深酒? であれ…

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2019.07.15
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カテゴリ: 海外旅行
4日目(6月22日)のこの日も早朝起床、そして我が部屋の窓からは快晴の街並みが。
眼下に見えたのが『沈阳北站(瀋陽北駅)』そして駅前広場。時間は5:39。
市名・『瀋陽』は、「瀋水ノ陽」の意味で、市内の南部を流れる渾河の
古名・瀋水の北に位置することから由来するのだと。
瀋陽市の常在人口は825万人、従来より東北地方の最大規模の都市であり、
東北地方の経済・文化・交通および商業の中心地。

ところで『瀋陽』がどうして『沈阳』になるのであろうか?
陽➡阳は『勿』に似た部分が省略されていることは理解できるが、『瀋』➡『沈』は???
今回の旅行中に学んだ簡体字の主なものは
」、「頁」➡「」、「头」➡「頭」、「東」➡「 」、「風」➡「
「幾」➡「 」、「農」➡「 」、「聖」➡「圣」、「亜」➡「 」、「華」➡「
「衛」➡「卫」、「車」➡「车」、「園」➡「园」、・・・・・等々枚挙に暇なし。
なぜ簡体字ができたかというと、中国は日本とは違い識字率が低かったから。

中国内陸部では簡体字のみが主に使われますが、正式文書など公式文ではしばしば繁体字が
使われると。しかし、私はこの簡体字の採用には大いに??なのであるが。
古い漢字には、漢字本来の中身・意味が表現されており、その漢字の成り立ちが解るのです。
日本においても、戦後この「旧字体」が簡略されましたが、現在の中国ほど激しい簡略化
ではないので、日本が「旧字体」の漢字の成り立ち、意味を引き継いで守っていくしか




ホテル前そして東側方面のビル群。



『沈阳北站(瀋陽北駅)』前の広場は、緑も豊かに。
葉の色合いも意識した植栽であること間違いなし。



駅裏にも高層ビル群が。こちらはマンションなのであろう。



そしてこの日も6時過ぎにホテルを出て『沈阳北站(瀋陽北駅)』周辺の早朝散歩へ。
『沈阳北站(瀋陽北駅)』を正面から。
瀋陽北駅は、1986年11月に建設が始まり、1990年12月22日に完成。
駅主体の面積は6万m2で、駅の部分は3階建てになっており、4個のエレベーターと
7個の高架鉄橋があると。
瀋陽北駅は、中国東北地域で一番大きい鉄道運輸駅で、毎日の列車数が多く、最高時で
230以上の本数が運行していると。その為、瀋陽北駅は中国東北第一の駅と
呼ばれているのだと。
瀋陽北駅から至る都市は、北京、天津、上海、太原、広州、福州、ハルピン、長春、
大連、唐山など様々な地域に運行しているのであった。



駅前に通ずる『友好街』を『惠工广场(恵工広場)』に向かって歩く。
『阳光百货(陽光百貨)』の高層ビル。ショッピングモールであるようだ。



有料駐車場の文字は『一类收费泊位』と。
中国の自動車保有台数は2億台を突破し、毎年の自動車販売台数は3000万台近くになり、
毎年確実に増加していると。しかし、駐車場は大幅に不足しており、控えめに見積もっても
5000万台以上の駐車場が不足していて、この数字はさらに増加する見込みだと。



『惠工广场(恵工広場)』のロータリー・信号のない円形の交差点「ラウンドアバウト」。



『惠工广场(恵工広場)』の『友好街』入口のモニュメント。



多くのビルの前には対の獅子(ライオン)像が。
東アジアから東南アジア、南アジアから中東、さらには西欧に至るまで、
実にユーラシア全域に拡散したシンボルはこのライオンなのである。



『惠工广场(恵工広場)』の南側。



昨夜にビルの下まで訪ねた、中国の古代貨幣をモチーフにした『方圆大厦』ビルが前方右手に。



こちらの獅子(ライオン)像は阿吽像であった。
「阿吽」は仏教の呪文の一つで、その由来としては、インドのサンスクリット語で始まりの文字が
「阿(あ)」、終わりの文字が「吽(うん)」となっており、「宇宙の初めから終わりまで」を
示しているのだと。



駅前のバスターミナル。



『方圆大厦』ビル近くまで行く。



そして駅前の地下道を潜り『沈阳北站(瀋陽北駅)』舎に向かう。



地下道には様々な観光用ポスターが。
『国门名山 丹東鳳凰山』
遼寧省丹東市鳳城市にある名山。「箭眼」(チェンイェン)と呼ばれる最高点の海抜が836m。
遼寧省の四大名山(他は千山、医巫閭山、薬山)のひとつ。
丹東はこの日の翌日に訪ねる都市なのであった。



花崗岩でできた連山の絶壁に張り付く歩道。



巨大な吊橋も。そして吊橋の中にも階段が。
旅友Sさんにもぜひ歩いて欲しい吊橋なのであったが・・・。



そして『沈阳北站(瀋陽北駅)』構内へ。
時刻表と空席状況が表示されていた。



自動券売機。ネット予約のチケットもこの機械で受け取るのであろう。



こちらは有人の日本風・みどりの窓口。
多くの中国人がきちんと列を作っていたが、中国人同士では横入りはないのであろうか?



そしてその隣には直ぐに安全検査のゲートが。
我々切符を持たないものは中には全く入れない仕組み。
『实名验证(実名験証)』の文字も。
中国には「中国大陆火车票实名制」と言われる制度があり、いわゆる和谐号などの鉄道
(G、C、Dの頭文字を持つ便)に乗る際に実名による登録が必要になるという制度であるのだと。
一説には「鉄道事故が起きた時に誰が死んだか分からんから、すぐに分かるように全員登録制に
している」という、まことしやかな噂もあるのだと。



安全検査を通過すると、エスカレーターで待合室(スペース)に上がれるようであった。



X線検査装置に荷物を入れる乗客たち。
新幹線のX線検査は金属類については飛行機の国際便より厳しいと感じたのであった。
やはり飛行機と異なり、新幹線車内でトランクからでも取り出せるからなのであろうか?



瀋陽北駅前の広場のオブジェ。
鳳凰の姿であろうか、ここが人口約 825万人以上の省都の玄関前。



広場一面のタイルが濡れていて雨が降ったが如く。



しかし散水車と洗浄車が朝の清掃の真っ最中であった。
散水車がゆっくりと水を出しながら、動いていた。



回転ブラシが前方に2個ついた洗浄車。



瀋陽北駅前の広場全面が洗浄対象、徹底的な清掃作業なのであった。
日本では、最近散水車は偶に見るが、回転ブラシ洗浄車はほとんど見ないのではとも。
札幌や函館で昔『ササラ電車』は見たことがあるが。



そしてホテルに戻り朝食を取り、8:30にこの日の沈阳(瀋陽)市内観光のスタート。
最初に『張氏帥府』の観光に向かう。車窓には『方圆大厦』ビルが再び見えた。



早朝散歩とは逆ルートで『惠工街』を『惠工广场(恵工広場)』に向かう。



バスの中から高層ビルを。



『惠工广场(恵工広場)』ロータリーを走る。



時間は8:37。



『中国銀监会沈阳干部培訓中心』ビル。



『性の体験』とはどの様な看板???



『広宜街』。



『辽宇煤矿安全監察局』。



『正阳街』を南に進む。



『正阳街』の寺院の如き建物。



道路の渋滞が既に始まっていた。



『沈阳新恒基国际大厦』とその手前に復元された撫近門(大東門)も見えた。



『趙一荻故居』。
張学良が夫人の為に建設した住居。



瀋陽の『張氏帥府』の大青楼の外観
ここは張学良旧居張作霖と長男張学良の官邸兼旧邸宅。
張氏帥府はまたの名を「大帥府」もしくは「小帥府」といい、遼寧省瀋陽市で有名な観光スポット。
1914年に張作霖によって建てられた。その後も増築によって、主に大小の青楼と西院の紅楼、
そして張四小姐楼から構成されている。
それぞれの建築デザインは中国伝統建築やヨーロッパの建築など多種多様。
全国優秀近代建築群とされ、1985年には瀋陽市人民政府に市の文物保護に指定された。
張親子ここで政務を執り、諸外国の要人と会談。内部に入ると歴史の波に巻き込まれる親子の姿を
垣間見えることができるのだと。
しかしこの日は外観のみで、中に入ることは出来なかった。



1918年から1922年までに建てたこの建物はローマ様式で、耐火煉瓦となっていると。
張作霖が日本軍に爆殺されて瀕死の重傷を負ったとき、この建物に運ばれたと。



歴史を感じさせる小路。



チケットオフィス。



『張氏師府』入口。
戦時中まで「奉天」と呼ばれていた瀋陽の軍閥、張作霖とその息子で中国統一に
大きな役割を果たした張学良親子が住んでいた邸宅跡。
彼らはここで関東軍の要人や外国からの商人との面会、政務を行っていた。



瀋陽故宮の近くの瀋陽路にある『張氏帥府』の入り口に立つ
『张学良将军』像。



( りょうねい ) 省)の人。
( あざな ) は漢卿 ( かんけい ) 。張作霖の長男。父の爆死後、日本の反対に抗して、
国民政府のもとで全東北の実権を握ったが、満州事変によって下野。
外遊後、内戦の停止、抗日救国を要求して蒋介石を監禁する西安事件を起こしたため、
禁錮刑に処された。



 49 年蒋介石の台湾逃亡に伴い張も連行され, 90 年まで自宅軟禁状態にあった。
94
年名誉回復,同年ハワイに移住した。
20歳の時訪日したが、同年生まれで当時皇太子だった昭和天皇と容姿が似ていると
周囲に驚かれたのだと。なるほど・・・・!!



『沈阳故宮博物院』と書かれた門。



張氏師府西院紅楼群 一号楼
九・一八事件(満州事変)後の建築された西院の紅楼群は6棟に及ぶが
瀋陽市文化局が使用しているようで公開はされていなかった。



敷地の右側にあったのが『張氏師府西院紅楼群 六号楼』



この八ッ菊紋に似た紋章は?



美味しそうなブドウが露天で売られていた。




                              ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2019.11.01 23:58:25
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