PR
Keyword Search
New!
隠居人はせじぃさんComments
Calendar
『旧東海道を歩く』ブログ 目次
『正法寺(しょうほうじ)』山門。
境内の『鐘楼』。
『本堂』。
正法寺の創建は聖徳太子が赤坂の地を訪れた際、太子堂を建立したことが始まりと
伝えられている。弘仁7年(816)、万巻上人が病により太子堂で亡くなったことから、
上人を開基と定め寺院として開山した。
当初は天台宗の寺院でしたが貞永元年(1232)に親鸞が太子堂の参拝に訪れた際、
当時の住職範円(源範頼の子息)が親鸞に教化され浄土真宗に改宗している。
本堂扁額の『正法寺』。
寺宝が多く、鎌倉時代に製作された絹本著色釈迦如来像が愛知県指定文化財に指定されている他、
室町時代に製作された十三仏唐画、室町時代に呉道子が筆した十三仏画像、江戸時代に
制作された関白草紙、江戸時代に製作された業平涅槃之図、室町時代に製作された不動尊画像、
鎌倉時代に制作された源範頼の守り本尊である観音立像、聖徳太子立像、江戸時代に
徳川家康から寄進された
網代団扇、同じく徳川家康から寄進された木蘭地袈裟、鎌倉時代に親鸞が筆した六字名号、
室町時代に蓮如が筆した六字名号、室町時代に蓮如が筆した九字名号、が豊川市指定文化財に、
正法寺のワビスケ(有楽椿)、正法寺のイヌマキ(雌雄)が豊川市指定天然記念物に
それぞれ指定されている。
「正法寺の文化財
絵 画:六 幅
彫 刻:二 躯
工 芸:一 領、一 柄
書 籍:八 幅
天然記念物:ワビスケ(有楽椿)一樹、イヌマキ(雌雄) 二樹」 
真宗大谷派の『太子山』。
寺務所。
正法寺の山門を入ってすぐ右手にあった、市指定天然記念物『有楽椿(うらくつばき)』。
『市指定天然記念物 正法寺の有楽椿(うらくつばき)』。
「正法寺のウラクツバキ(有楽椿)
ウラクツバキは、茶人織田有楽斎(織田信長の弟)が、茶花として愛好したことから
この名が付いたといわれています。 関東では「太郎冠者」とも呼びます。
この木の樹齢は約400年で、花は、1月上旬から3月末まで咲きつづけます。
わずかに淡紫色を帯びた桃色で、白斑の入った花もあります。
形状は一重中輪です。」
花の写真。
この日の蕾の姿。
旧東海道に戻り進むとすぐ右手にあったのが『御休処 よらまいかん』
平成14年にオープンした赤坂宿の旅籠をイメージした休憩施設。
当時の建築様式を再現し、2階には赤坂宿を描いた浮世絵を展示しており、宿場町として
栄えた江戸時代の様子を観覧できます。
また、内外にベンチを配し旅行者が足をのばしてくつろげる空間になっており、
トイレ・駐車場なども設置してあります。
9時に開館であったが、係のオバチャンが親切にも開けてくれたのであった。
『東海道赤坂宿』と刻まれた石碑。
「東海道宿駅・伝馬制度 制定400年記念事業 平成13年 音羽町」 とも。
京へ四十九里十六町、江戸へ七十六里二十六町と。

石碑の横に刻まれた「飯盛女」?の姿か。
こちらは大名行列の姿が。
施設内部。
『赤坂の文化財(絵画、彫刻、工芸)』
総木造作りの『御休処 よらまいかん』の天井の梁の造作をしばし鑑賞。
『御休処 よらまいかん』を振り返る。
『御休処 よらまいかん』の斜め向かいの駐車場の前にあった
『赤坂陣屋跡(三河県役所跡)』説明板。
「陣屋〔じんや〕とは代官所 ともいい、年貢の徴収や訴訟などを取り扱ったところであった。
赤坂陣屋は、三河の天領支配の中心であり、当初この奥の大藪地内に設けられたが
元禄二年(一六八九)神木屋敷(現赤坂保育園附近)に移された。
幕末に三河県 役所と改められた。手狭になったため明治二年(一八六九)再び大藪地内へ
新築移転された。(上図)廃藩置県後、明治五年に廃止となった。」
中央分離線のない旧東海道を進む。
『赤坂の舞台 伝統芸能公演』が10月27日に行われると。
左手にあった連子格子の民家。軒先には販売用?の焼き物が並べられ展示されていた。
右側にも2階建ての民家が。エアコンの姿から既に住人は不在か。
右手に石鳥居が姿を現す。
『杉森八幡社』』入口。
「郷社 八幡社」と書かれた柱も。
石鳥居の足元には『赤坂の舞台』と書かれた木柱が。
『宮路山(みやじさん)』の案内板。
標高362mの小高い宮路山は、万葉集などにその名が登場するなど、古くからもみじの
名所として知られている。山にはコアブラツツジが数千本自生しており、秋には温かい赤色・
オレンジ色などに染まる。山頂からは三河湾や豊川市街が一望でき、天気の良い日には富士山も
拝むことができるスポットとなっているのだと。
『杉森八幡社』の参道を進む。
『郷社 八幡社』の社殿と巨木の楠の木。
『郷社八幡社』案内板は木目が美しかった。
杉森八幡社(すぎもりはちまんしゃ)は、愛知県豊川市赤坂町に建つ神社である。
祭神は天照大神、誉田別尊(応神天皇)、大鷦鷯尊(仁徳天皇)、息長足姫尊(神功皇后)。
社伝に大宝二壬寅年(702)10月、持統天皇この地に来られ、頓宮に在りし際、伊勢の大神と
八幡大神を勧請し神鏡を納めた。寛和2年(986)以来の棟札あり。慶長6年(1601)2月、
黒印の社領三石を寄進する。伊勢の大神の事は旧伝につき正徳年間(1711~5)
神主金沢兵部伊勢に行き、度会貞盈神主に尋ねたところ、伊勢にも旧録ありと更に
神鏡を下賜せられた。この鏡は正保4年(1647)9月11日、勅使参議左大弁藤原綵光が外宮に
12面奉納したものの1面なりという。明治5年10月12日、村社に列し、同40年10月26日、
供進指定となり、昭和7年4月20日、郷社に昇格する。
『杉森八幡社の楠』。
「杉森八幡社の楠
杉森八幡社境内・拝殿向かって左側、前から2本がそれであり、根株が一本化し二本に
成長していることから「夫婦楠」とも呼ばれている。
当社は大宝二壬寅年(702)持統上皇が東国巡幸のとき当地の頓宮におられたとき、
伊勢神宮領厨跡に大神宮・八幡社を勧請し、両宮とも神鏡を納められたと伝えられている。
社の発生から考察し、また調査したところ、この楠は推定樹齢約1000年と考えられる。
目通り6m、高さ20m、根張りが楠の特徴をよくあらわしている。」
巨木をしばし見上げる。
根株が一本化し二本に成長していることから「夫婦楠」とも呼ばれている。
『杉森八幡社 社殿』。
社務所であろうか。
境内奥にあった『 農村舞台
』👈リンク。
『赤坂の舞台』
「明治5年に建てられた農村舞台が復元され、年1回、歌舞伎の公演が行われているのだ。
建築面積243m3(間口10.4間 奥行7間)
当舞台は、心棒の先を支点として盆が回るように仕組んだ皿回し式の回り舞台である。
奈落はなく、舞台上で回した。
赤坂宿では、江戸時代には人形浄瑠璃、明治以降は歌舞伎が演じられていた。
現在の舞台は、赤坂の芝居愛好者が中心となって、近隣の同好者に建設を呼びかけ、
明治五年七月に舞台開きをしたと伝えられている。平成十二年に改修復元した。」
再び『赤坂の舞台 伝統芸能公演』のポスター。
赤坂の舞台の『小屋掛け作業見学会』のポスター。
拝殿右側の農村舞台の前に建設途中の小屋掛けの姿。
見事な竹ドームの屋根も。
孟宗竹を組み合わせてアーチ状の屋根が。

杉森八幡社の境内にある小さな社は末社。
『社殿』と『夫婦楠』を再び。
手水舎も。
左側の駐車場前にあった『十王堂跡』の碑。
『十王堂跡』の碑の上の写真は『地蔵菩薩像(向称寺所蔵』。
道路の脇の小さな祠には石仏が。
その先左手にあった『常夜灯』。
更に西に進む。
・・・ もどる
・・・
・・・ つづく
・・・
藤澤浮世絵館・「御上洛東海道と幕末の浮… 2020.08.14
藤澤浮世絵館・「御上洛東海道と幕末の浮… 2020.08.13
藤澤浮世絵館・「御上洛東海道と幕末の浮… 2020.08.12