JINさんの陽蜂農遠日記

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2020.01.17
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次





『やすらぎ』



『山屋敷用水碑』。
大きな碑石だが、文字はとても解読意欲の起きない不鮮明さである。
大正5年(1916)年建立の山屋敷用水開削を記念した碑のようであった。



『知立松並木』
「慶長九年(一六○四)江戸幕府は諸国に対し、五街道へ一里塚と並木を設置することを命じた。
この知立の松並木は、幅七m、約五百mにわたり凡そ百七十本の松が植えられている。
側道を持つのが特徴で、この地で行われた馬市の馬を繋ぐためとも推定されている。
この松並木の西の地名を引馬野と呼び、大宝2年(702)持統天皇が三河行幸の際詠まれた歌
「引馬野爾 仁保布榛原 入乱 衣爾保波勢多鼻能 知師爾 長忌寸奥麻呂」
から、浜松市・宝飯郡御津町と共に天皇行幸の推定地とされている」



左に『万葉の歌碑』、右に『馬市句碑』。



昭和28年建立の万葉歌碑には
「引馬野爾 仁保布榛原 入乱 衣爾保波勢 多鼻能知師爾」
と刻まれている。
大宝2年(701)10月に持統上皇が三河國に行幸の砌、随行の長忌寸奥麻呂が詠んだ歌である旨
刻まれている。この付近を引馬野と呼んだことから浜松市・宝飯郡御津町に並ぶ持統上皇行幸の
推定地として建立したものである。裏の撰文・書は当時の知立町長加藤玉堂。



『池鯉鮒宿 馬市之趾』
三河は、奈良時代から度々馬を献上し、古くは鎌倉街道に近い牛田周辺に馬市が開かれて
いたそうです。東海道が整備されてからは、池鯉鮒宿近く、慈眼寺あたりに移り、
街道一の賑わいを見せました。
裏面には、麦人の句が刻まれている。
「杜若 名に八ツ橋の なつかしく 蝶乙鳥 馬市たてし あととめて」



『馬市句碑』は『池鯉鮒宿 馬市之趾』の裏に。
 「かきつばた 名に八ツ橋のなつかしく 蝶つばめ 馬市たてしあととめて」
  俳人麦人は、和田英作を尋ねてこの地を訪れたことがある。
『万葉の歌碑』
 「引馬野に にほふはりはら いりみだれ 衣にほはせ たびのしるしに」
  この辺りの地名を引馬野といい、昔時より万葉集引馬野の跡と伝えられている。



『歌川広重 東海道五拾三次之内 池鯉鮒 首夏馬市』 天保3~4年(1832~1833)頃



「歌川広重が浮世絵東海道五十三次の池鯉鮒で描いているように、当地では馬市が盛大に
行われていた。 鎌倉時代の初期に書かれた「海道記」に「池鯉鮒が馬場を過ぎて・・・」とあり、
早くから馬にかかわる地であったことがわかる。 また、江戸時代の浅井了意の「東海道名所記」、
梅月堂宣阿「富士一覧表」、井原西鶴「一目玉鉾」、秋里籬島「東海道名所図会」等に、
馬市の盛大な様子が述べられている。 これらによると馬市は毎年4月から5月はじめ頃まで
開かれ、遠く甲斐や信濃から馬が集められ、その数は4~500にもおよんだ。
馬を売買する人はもとよりその他の商人や遊女、芸人、役者、人形遣いまでが集まってきて
にぎやか極まりない有様であったという。 
刈谷藩では山町に馬市番所を設けて馬市の監督にあたった。」



歩いて来た『知立の松並木』を振り返る。
写真右手が国道1号線。



『御林』交差点・松並木の街道が国道1号線に突き当たる手前右手に、
交通安全の『観音菩薩』が建っていた。



松並木とは不釣り合いな建物は『イズモ葬祭 知立』。



昔は結婚式場であったが現在は葬儀場になっていると。



この御林交差点で、国道1号と合流し、その先は右から国道1号・県道51号・旧東海道の
3叉路となり、一番左の細い道を行く。横断には地下道を使った。
地下道でくぐると、出たところに『東海道池鯉鮒宿碑』が建っていた。
街道は、宿碑の先のY字路を左に進んで行く。



『東海道池鯉鮒宿碑』 ➡:鳴海 ​​⬅​:岡崎
本陣1、脇本陣1、旅籠35、家数292、人口1620・・・天保14年(1843)時点
古くは「知立」と書き、語源は「茅立」で、茅の育つ湿地帯を意味している。
御手洗池の鯉と鮒から江戸時代は「池鯉鮒」と書いたが、明治2年(1869)に再び「知立」が
正式名になった。知立神社の神主の館である知立古城があったため、古くから城下町的村落で、
鎌倉街道の要衡の地としても栄え、開かれていた木綿市や馬市は江戸時代には
特に盛んだったようだ。
ここが池鯉鮒宿の東の入口となる。



国道1号線から別れた池鯉鮒宿の旧東海道を進む。



知立市のマンホールには、
中央に伊勢物語の有名な折句
「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」
周囲には『カキツバタ』が。



『名鉄 三河線』の踏切が前方に。



この先に『三河知立駅』がある。



『かきつばた』のデザインのマンホール。



中央分離白線のない狭い旧東海道を進む。



知立市中山町中山付近の街道脇には明治41年(1908)の小さな常夜燈が。



そして『知立中町交差点』まで歩を進める。
旧東海道(県道285号線)が県道51号線に合流、100m程で中町交差点へ。
旧東海道はこの交差点を渡り正面の小道へ。ここを左へ曲がると吉良道。
中町交差点の角に「ゑびすや」
所在地:愛知県知立市中町中39
ここの手前で、この後、ブルガリア・ルーマニア旅行を御一緒した岡崎の旅友Kちゃんが
応援に来て下さったのであった。
横断歩道を小走りで渡る旅友Kちゃん。



知立市の『かきつばたまつり 花しょうぶまつり』のポスター。



カラーの『かきつばた』のデザインのマンホールに遭遇。



伊勢物語句碑のマンホールの『かきつばた』の花もカラーで。



『池鯉鮒宿 見て歩きマップ』



都築屋美廣の先の変則十字路を左折すると、街道の南西を走る県道51号線側に
『池鯉鮒宿本陣跡』があった。



『池鯉鮒宿本陣跡』碑。



「本陣とは、江戸時代の宿駅に設けられた、大名や幕府役人、公家等が宿泊する公認の宿舎である。
品川からかぞえて三十九番目の宿駅である池鯉鮒宿には、本陣・脇本陣(本陣だけで対応できない
時の予備の宿)が各1軒置かれていた。本陣職は、当初峯家が勤めていたが(杉屋本陣)、
没落したため、寛文2年(1662)からは永田家によって引き継がれた(永田本陣)。
敷地三千坪、建坪三百坪と広大な面積を有していた。明治となり宿駅制度が廃止され200年以上
続いた永田本陣も、明治8年(1875)に取り壊された。」



『明治天皇行在所聖蹟』。



『本町山車蔵』
街道に戻ると左手に本町山車蔵があった。
ここには知立祭りで使われる山車が収納されており、知立祭りでは山車文楽(人形浄瑠璃芝居)や、
からくりが上演される。現在、山町・中新町・本町・宝町の4台の山車で 「三番叟」 
「傾城阿波の鳴門」 「壷坂観音霊験記」 「神霊矢口の渡し」 などが上演されるのだと。



左に『知立古城跡』。
城跡は天正9年(1581)頃、刈谷城主の水野忠重が信長接待のために御殿を建て、江戸初期に
子の勝成が増築して将軍や藩主の休息所としたが、元禄12年(1699)の大地震で倒壊。
明治期には碧海郡役場や明治用水事務所などが置かれた。現在は児童公園となっており
奥には大楠がある。

「知立古城跡」の画像検索結果

石垣の上に青銅製の『明治天皇駐蹕址碑』が建っていた。



公園の真ん中に立つ丸い石柱『知立古城址』そしてその奥に『大楠』。

「知立古城跡」の画像検索結果

『知立古城址』
「江戸時代前期の様子を伝える屏風に描かれた御殿と知立神社。
知立古城は桶狭間の戦いで落城し、江戸時代の初めには将軍の休泊用の御殿となっていた。」



『東海道案内図』。



『知立古城址』の先のT字路突当りに浄土宗の『神前山 浄林院 了運寺』そして見事な『山門』が。
山門は入母屋、桟瓦葺、一間一戸、四脚鐘楼門(上層部が鐘撞堂の山門)。



『知立三弘法第二番札所』



『了運寺』の『本堂』。
了運寺は、平安時代に天台宗の高僧・慈覚大師が知立神社の別当寺院として開山したのが
始まりと言われている。当初は天台宗であった明応2年(1493)浄林了運大和尚が浄土宗に改宗。
了運寺の創建は不詳ですが知立神社の別当寺院であった神宮寺七坊(平安時代に天台宗の
高僧である慈覚大師が知立神社の別当寺院として開山した寺院。)として開かれたのが始まりと
伝えられています。当初は天台宗でしたが明応2年(1493)、浄林了運大和尚が浄土宗に改宗し
現在の寺号である了運寺に改めています。明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後に
吹き荒れた廃仏毀釈運動により同じく神宮寺七坊の1つ総持寺が廃寺になる多くの仏像が
了運寺に移されています(大正時代に総持寺が再興されると戻されています)。
寺宝である法然上人御絵伝は昭和40年(1965)に知立市指定文化財に指定されています。
本堂は寄棟、桟瓦葺、平入、桁行6間、正面1間向拝付、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ。
知立三弘法第二番札所(札所本尊:弘法大師)。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。



宝暦4年(1754)の手水石が置かれた『手水舎』。



『庚申堂』と『青面金剛』。



『三十三観音』。



『延命地蔵菩薩』。

​​​​​​

『了運寺』先の右手にあったのが『知立毘沙門寺』。
写真だけ撮り引き返す。




                              ・・・​ もどる ​・・・

                   ・・・​ つづく ​・・・






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Last updated  2020.05.01 15:44:04
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