JINさんの陽蜂農遠日記

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オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 予約時に保養所から確認の電話があるけど…
JINさん@ Re:再び大涌谷へ(05/16) Dさんが申し込んで下さいましたが、朝食を…
オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 朝食の食べそこないとは? 深酒? であれ…

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2020.11.21
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カテゴリ: 国内旅行
「トラピスト修道院」を後にして、再び国道228号まで戻り南下する。
この先で国道228号から道道5号線に入り「木古内駅」に向かう。



正面にJR「木古内(きこない)駅」が姿を現す。
木古内町の中心駅であり、北海道新幹線「はやぶさ」「はやて」合計13往復のうち、
8往復16本が停車するのだと。



駅前ロータリーに面した場所に「道の駅 みそぎの郷 きこない」が建っていた。
北海道、北の大地の玄関口である木古内駅。
「木古内(きこない)」の名はアイヌ語に由来し、干満の差が激しく、満潮時に潮が川を
逆流する(感潮河川である)ことから名づけられた「リリオナイ(リロナイ)」
(波・入れる・川:潮の差し入る川)からとされる。
別説として、沢のあたりが自然に高く上がっていたことから名づけられた「リコナイ」
(登る・沢)からとするものもあるとのこと。



マスコット「キーコ」がお出迎え。キーコは木古内町特産の「はこだて和牛」をモチーフ。
チャームポイントは、津軽海峡をイメージした「津軽ブルー」の目と、プリッとした






「みそぎの郷きこない」は、2016年1月にオープンした、木古内町(きこないちょう)の新しい
道の駅。
施設内には土産品・特産品を扱うショッピングコーナーが設置され、「世界の料理人1000人」に
選ばれたシェフ・奥田政行氏が監修するレストラン「どうなんde's Okuda Spirits」が人気。
施設の正式名称は「木古内町観光交流センター」であり、愛称の「みそぎの郷」とは
1831年(天保2年)から続いている神事『木古内町寒中みそぎ祭り』に因んで名づけられ、
複数の候補から選ばれた。 施設の内装・外装には町木「道南スギ」を使用しているとのこと。



「道の駅満足度 ランキング2020」3年連続 北海道の総合1位 であると。



そして「大鳥圭介 陸軍奉行」掲示塔。



そして裏側には力作の説明文と絵画が。



馬上から指揮する大鳥圭介 此処が木古内口の戦場地跡
1868日(明治元)年11月、松前を撤退した旧幕府軍は、同月木古内に人る。本営を木古内市街に
置き、江差、松前方面からの新政府軍を迎え討つべく薬師山からふもと、海岸に及び数箇所の
砲台や壕を築いた。
1869 (明治2 )年4月、江差山道より進軍してきた新政府軍と対峙、大鳥圭介『南柯紀行』に
よれば「十一月なりしか、木古内ロへ敵兵回りし注進、知内辺守衛の彰義隊より申し来りしに
依り、前頭兵隊を率いて五稜郭を出発し木古内に着せしに、彰義隊五十人程に伝習隊一小隊許り、
既に在し」という状況であった。木古内ロの戦いでは再度陣地を奪還するなど大奮戦を見せたが、
戦況悪化に伴い4月下旬、大鳥は諸隊の反対を押し切り、撤退を命じた。」







「1832 (天保3 )年、現在の兵庫県にうまれる。1867 (慶応3 )年、幕府の歩兵奉行となり
伝習隊を結成する。翌年4月、旧募府軍が市川(千葉県)に集結すると総督となり
各地を転戦する。木古内ロの戦いでは、薬師山の頂で白馬に跨り全軍を指たと
伝えられている。」



星 恂太郎 1840~1876
1840 (天保11 )年、東照宮宮司の息子として生まれる。仙台薯士。江戸で洋式銃隊訓線を学び
額兵隊を組する。戊辰戦争で仙台藩は降伏するが、星はそれを受け入れず額兵隊を率いて
蝦夷逃れる。木古内ロの戦いでは単身で斬り込むという離れ業を決行し名を馳せた。」

歩兵頭 伊庭 八郎 1843~1869
1843 (天保1 4 )年、剣の名門心形刀流の伊庭家の長男として生まれる。臣。名は秀額。
1868(慶応4)年、鳥羽・伏見の戦いに参戦、箱根の戦いて左腕を失い、片腕の美剣士として
名を馳せる。錦絵や丹下左膳のモデルともいわれている。木古内での激戦中、胸部に深手の
銃創を負い箱館病院に搬送されるも亡くなる。亡骸は五榎郭の一角に理葬されていると
伝えられている。享年26歳。」

歩兵頭 本多 幸七郎 1845~不明
1845 (弘化2 )年生まれ。幕府の士官として歩兵頭を務める。戉辰戦争では大蔦圭介の腹心人物
といわれ、伝習隊を率いて南関東から箱館まで各地を転戦した。木古内ロの戦いにおいては、
伝習歩兵隊を指揮して新政府軍を撃退している。」







そして「木古内駅」を後にして、道道5号線を利用して
「道南トロッコ鉄道鶴岡公園駅(旧江差線渡島鶴岡駅跡)」を目指す。



「道南トロッコ鉄道鶴岡公園駅(旧江差線渡島鶴岡駅跡)」に到着。



「道南トロッコ鉄道」は廃線となったJR線の線路の一部を活用し、トロッコ乗車体験が
できる施設。動力付きトロッコ1両と足こぎトロッコMax3両の編成で運行し、ゆっくりと景色が
楽しめるのだと。



「木古内町郷土資料館 周辺マップ」。



「木古内町郷土資料館「いかりん館
木古内町郷土資料館「いかりん館」は、平成23年3月に廃校となった鶴岡小学校の校舎を
利用して平成27年3月に開設しました。館内は、縄文土器などを展示する「大むかしの木古内」、
民俗資料を展示する「マチの歴史と発展」、農機具や漁具などを展示する「木古内の産業」、
昔の家庭で使われていた日用道具などを展示する「人々の生活と文化」、JR松前線・江差線
などの鉄道資料などを展示する「木古内と鉄道」の5つのカテゴリーに分けて、約2000点を
展示しています。
特に幕末から明治維新にかけて活躍した「咸臨丸」のものとされているイカリは、天井に
届きそうなくらいの大きさと歴史の1ページが刻み込まれた本体にロマンを感じさせます。」



「禅燈寺 Zentoji Temple
禅燈寺は、姉妹都市である山形県鶴岡市にある善寳寺の末寺で、本堂の隣リでは龍神様を
祀っています。お寺の創建は木古内開拓の歴史とつながリ、山形県の庄内藩士1 05戸が
明治18年に入植したのに伴い、明治33年に建立されています。
大正7年には山門を建立し、山門内に設置されている2体の仁王像(左に密迹金剛・
右に那羅延金剛)は、函館市に在住した仏師、風間壮慶作です。
また、平成26年5月1 1日のJR江差線(木古内~江差間)廃止までは境内の敷地内を線路が
通っていた、全国的にも珍しい鉄道スポットとしても有名でした。廃止に伴い、列車は
通過しなくなリましたが、レールは残されておリ、現在は、道南トロッコ鉄道が
運行しています。」



料金は大人:700円 子児:400円 とのこと。



西側(松前方面)の線路。



東側(木古内駅)方面の線路。



「令和鶴岡(江差)方面時刻表。」



トロッコは、行きは、スタッフが運転する「動力付きトロッコ」がアシストし、MAX3両編成で
乗り場から山側の「キーコの郷」駅まで進みます。そして、帰りは、動力付きアシストの
「急行便」1両と、乗り手自身で自転車のようにこいで動かす「快速便(足こぎトロッコ)」
2両とに分かれて、乗り場まで戻ります、往復約18分  と。



そして次に「鶴岡農村公園」に車を駐める。
「山形庄内藩士上陸之地」碑。
この地は、山形県鶴岡市の人々が開拓したので「鶴岡」と名付けられているのだ。



「山形庄内藩士上陸之地
北門の警備と蝦夷地開拓、自立自営の大使命を帯び、明治18年から同19年にかけて山形県鶴岡を
出発、酒田港より御用船にて此の地に上陸し、庄内藩士、佐藤洋孝と共に105戸が帯刀を鍬にかえ
土地墾闢を志向す。所謂、士魂を農魂にと皆をあげ決然轉身の勇を揮い、大谷地、棚部岱、瓜谷、
吉堀、中野、達川に移住し、爾来 鏤骨の辛苦と苦難の農耕を続け、歴代に受け継がれ、ここに
87年の今日、水田酪農郷鶴岡を築く。改めて先人の労苦と偉業を偲び永遠に伝えん 酒井忠明書」



「碑の来歴
この碑山形庄内藩士百五戸開拓者上陸地之標は昭和40年鶴岡地区開基八十周年記念事業として
字本町七百三番地に標柱を建立をしたのが始まりです。昭和47年この標柱建立地が町立病院
建設地となったため移転せざるを得ず、協賛会を組織し、辛亥会の協力を得て移転、新設の形を
もって石造碑を建立することに決し中学校通り線の町有地に同年六月建立したものであります。
なお、この碑の標記及び碑文は旧荘内藩主酒井忠明氏の揮毫をいただいたものです。
平成23年9月、北海道新幹線建設に伴い(支障となり)移設を求められたため移設委員会をつくり
協議の結果、ここ鶴岡農村公園に移設建立してものであります。
平成23年9月 庄内藩士上陸の碑移設委員会」



「木古内町 鶴岡多目的集会施設」の前のには様々な石碑が。



「記念碑
鶴岡市・木古内町 姉妹都市盟約宣言十五周年
朝暘第一小学校・鶴岡小学校姉妹校交流四十周年
明治十八年より旧庄内藩士開拓団百五戸がここ鶴岡地区に入植したことを縁に、昭和三十九年
五月十ニ日、鶴岡市立朝暘第一小学校と木古内町立鶴岡小学校は姉妹校の契りを交わし、
今年で四十周年を迎えました。
また、平成元年四月ニ十七日、鶴岡市と木古内町は姉妹都市盟約宣言を行い、今年で十五周年を
迚えました。
両都市は、教育・支化・経済の交流を深め、相互の信頼と友愛の絆を一層強くすることを誓うと
共に、互いの限りない繁栄を念願し、記念碑と致します。」



学校前にある碑とは別に開拓 開校百年の碑があった
「開拓 開校百年の碑
碑文前面「開拓 開校百年の碑」裏面には「開拓 明治18年6月11日/開校 
明治22年6月30日/鶴岡地区開基百周年並び鶴岡小学校/開校百周年と
新校舎落成祝賀協賛会/辛亥会/昭和62年11月22日建立」と。



「開拓繢蹟功碑」



白樺の木であろうか?




                              ・・・​ もどる ​・・・

                   ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2020.11.21 00:00:20
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