JINさんの陽蜂農遠日記

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オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 予約時に保養所から確認の電話があるけど…
JINさん@ Re:再び大涌谷へ(05/16) Dさんが申し込んで下さいましたが、朝食を…
オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 朝食の食べそこないとは? 深酒? であれ…

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2020.11.24
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カテゴリ: 国内旅行
「福島町 青函トンネル記念館」を後にして、さらに松前半島を南下すると
「横綱千代の山・千代の富士記念館」が右手に。
この場所は、「​ 2013年にも訪ねており ​」👈リンク、館内にも入り見学したので
2回めの訪問なのであった。
手前の「道の駅 横綱の里 ふくしま」。



交差点角にあった案内表示。



前のコンビニの駐車場に車を駐め、水分補強用にお茶を購入。
正面に「横綱千代の山・千代の富士記念館」。

歩みと大相撲の文化を知ることが出来るのだ。館内には横綱の綱や優勝トロフィー、千代の富士が
断髪した際の大銀杏、国民栄誉賞状など、たくさんの展示物がある。
その他にも九重部屋の稽古場と土俵が再現されており、同部屋の合宿も開催されると。



第41代横綱千代の山、第58代千代の富士が向かい合って横綱土俵入りを。



第41代横綱千代の山。



第58代千代の富士。
2016年7月31日に61歳の若さで亡くなったのであった。



「横綱の里 ふくしま」。
巨大な軍配には千代の山、千代の富士の文字が。



高さ約16mの櫓太鼓。
江戸時代は報道機関がないため、太鼓をたたき相撲興行を市中に知らせた。

知らせたが、いまは客をよぶ「寄せ太鼓」、その日の興行が終わった「はね太鼓」など、
違った太鼓の打ち方をするのだ。



そして次に国道228号沿いにあった「伊能忠敬北海道測量開始記念公園」を訪ねた。
「大日本沿海輿地全図」を作成した際、蝦夷地測量は福島町吉岡から始まったとする記録が
残っており、その功績を後世に伝えるため伊能忠敬没後200年の節目であった2018年に




測量器具を使い測量する姿の「伊能忠敬像」。
測量器具は上下角と、羅針盤により方位角が測定できる「中方儀」。
中方儀としては初期の型式。
望遠鏡のような照準器の中にはレンズは無く、針が筒の中心に突き出ている。



青森県三厩から函館を目指していた伊能忠敬、どうやら風の影響で流されてここ福島町へ
辿り着いてしまったのではと下記に。
この地から蝦夷地測量が始まり北海道地図が生れたのかと思うと、不思議と熱き思いが。



「伊能忠敏の北海道測量開始地点は福島町吉岡
五十五歳の伊能忠敬は寛政十ニ年(一八〇〇)閏四月十九日(新暦六月十一日)江戸深川の
富岡八幡宮に参詣後、師匠の幕府天文方高橋至時に挨拶し、蝦夷地といわれた北海道に
向かって測量の旅に出発した。年内に測量を終わり、地図を作成提出する計画だったので、
大急ぎで奥州街道を北上し五月十日に津軽の三厩(みんまや、青森県外ケ浜町)に到着する。
津軽藩の役船で函館に渡ろうとしたが、風が悪く八泊も風待ちし、五月十九日漸く出航。
しかし途中で風が変わり、やむなく福島町吉岡に着船。一泊して風を待ったが変わらなかった。
幕府折衝に手間取った為であるが、北海道まで往復して地図を作るのに、新暦六月十一日の
出発では大変遅すぎた。
時間が限られていたので、決断して吉岡から函館に向かって測量をはじめる。一日一日が
非常に貴重だったから、測量しながら歩いたに違いない。吉岡は伊能測量隊の北海道測量
開始地点となった。函館でも諸手続きのため七泊しているが、函館山に登って本州の目標
との方位を計ることができた。六月一日北斗市市ノ渡に先輩村上島之丞を訪問、従者だった
間宮林蔵に出会い御縁が結ばれた。
北海道東南岸を厚岸の近くまで歩測し、さらに別海で天測したあと引き返す。
福島で天測し、吉岡を経て、松前まで測って役船で三厩に戻る。江戸帰着後は内妻お栄も
動員してデータ整理と地図の製作にあたった。
堤出は十ニ月ニ十一日、年内ぎりぎりだった。
(注)五月十九日「松前領吉岡という所へ昼九ッ後に着。暫時見合候ても同風に付吉岡に泊」
(国宝・伊能忠敬測量日記より)」



反対側から。



伊能忠敬も眺めたであろう福島町吉岡からの海の眺め。



先端は「矢越岬」であろう。
先端の高台に白きものが見えるが、これが矢越岬灯台であろう。



「光る海」津軽海峡。



白神岬トンネルの手前。
ここは岩がせり出しているところなので、覆道ではなく、トンネルになっているのか。



赤石覆道。



そして「白神岬」。
「海底下の 列車のひびき 聞こえ来て 白神岬は さざ波の列 清一」と。
あなたは今北海道最南端(北緯:41度 東経:140度)に立っております。
この場所の下近くには、青函トンネルがあり、北海道新幹線が走っているのである。



石碑の裏面には
「作者村上清一は白神生まれ教師として二十年白神小学校大沢中学校に努め
歌集(岬みち)等を残してふるさとを深く愛しました」と。



実際には、青函トンネルは先程の「伊能忠敬北海道測量開始記念公園」近くの下を
通っているのであったが。



「北海道最南端 北緯41度23分  東経140度12分」碑。
松前町にある「北海道最南端」の岬で、本州最北端の大間崎(下北半島)から15kmほど南に位置。
対岸の津軽半島最北端の竜飛崎からは19.2kmで、晴れていたので本州を眺望出来るのであった。



走って来た道を振り返る。



本州・津軽半島の姿がはっきりと。
ここ白神岬から、青森県津軽半島最北端・龍飛崎の距離は、津軽海峡を挟み19.2km。
本州と北海道の距離としては屈指の近さなのであった。



津軽半島・「小泊岬」と大きな貨物船の姿が。
砂浜2m上から見えている水平線までの距離は約5km(地球は丸いので)であることから、
この貨物船はここ北海道側から7~8kmより手前の「公海」ルートを航行しているのであった。
(この場所を水面より4m高さと仮定)



「小泊岬」をズームで。



大きな船?をズームしたが・・・。



そして白神岬覆道を出ると前方に紅白の「白神岬灯台(しらかみみさきとうだい)」の姿が現れた。
実際にはこの先、「白神岬灯台」の下が「北海道最南端」の地であるようだが・・・。
離島を含めた実際の北海道最南端は渡島小島(松前小島)であると。



「白神岬灯台」は、北海道松前郡松前町の白神岬に建つ、北海道最南端の灯台。



「白神岬燈台」銘板。



1888年(明治21年)9月15日 - 初点灯。 
1951年(昭和26年)6月1日 - コンクリート造に改築。



白神岬灯台裏の山の上にあり、レーダー等を用いて津軽海峡を通航する艦船の警戒、監視等を
行っていると。
また、津軽海峡に海底ケーブルを敷設し、音響観測による監視も行っていると。
すなわち潜水艦の監視であろう。



「昭和52年に制定された「領海法」により領海は基線からその外側12海里(≒22km)までと
されたが、 国際航行に使用されるいわゆる国際海峡である 宗谷海峡、津軽海峡、
対馬海峡西・東水道、大隅海峡 の5海峡は特定海域として、同海域に係る領海は
基線からその外側3海里(≒5.6km)の線及びこれと接続して引かれる線までの海域と
されたのだ。
平成8年に制定された「領海及び接続水域に関する法律」により直線基線が採用された
ことによって、 特定海域内の領海の限界線は若干の修正が加えられた。
仮に、この5海峡の領海幅を3海里から12海里のままにしてしまうと、5海峡は完全に
日本の領海になる。一方、国際法(海洋法条約38条2)では国際海峡における外国の船舶及び
航空機の通過通航権が認められている(それは核兵器を搭載した外国の軍艦あるいは軍用機で
あっても同じである)。とすると、核兵器を搭載した外国の軍艦が当該海峡を通過する場合、
日本は国際法上、軍艦の通過は拒否できず、結果として領海内に核兵器が持ち込まれた
こととなり、非核三原則の「持ち込ませず」の原則を堅持できなくなるのである
そこで、海峡上に領海に含まれない海域を残し、核兵器を搭載した軍艦をこの海域上を
通航させることによって、こういった事態に対処しようとしたのである」とネットから。
以下の図は、特定海域での領海の限界線を表示したもの。


   【http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=1221】より

津軽海峡の詳細図。
濃青色は内水を、青色は領海を表している。
よって水色の部分は公海部分となっていて、核兵器を搭載した外国の軍艦を含め原子力潜水艦
等も自由に通過することができるのだ。


  【https://www1.kaiho.mlit.go.jp/JODC/ryokai/tokutei/tokutei.html】より

そして「陣屋覆道」を通過し「白神岬展望広場」にも立ち寄る。



反対側から。



「白神岬展望広場」



蒼き「津軽海峡」。



「松前燈台」方面を見る。



「渡島小島(おしまこじま)」をズームで。
「渡島小島」は、北海道松前郡松前町に属する無人島。松前小島(まつまえこじま)とも
呼ばれる。松前町の沖約23km付近に位置している。面積は1.54km2。
小島の名は渡島大島に対してのもの。島の南端は北緯41度20分58秒であり、離島も含めた
広義の北海道最南端である。住所は全域に亘って松前郡松前町小島であると。



「伊藤整 生誕の地」碑が立っていた。



「「伊藤整 生誕の地」
伊藤整(いとうせい、1905年~ 1969年 64才没)
本名は伊藤整(いとうひとし)
1905年(明治38年)、北海道松前郡炭焼沢村に生まれ、その後塩谷村(現小樽市)に移住し、
北海道庁立小樽中学校(現潮陵高校)を経て、小樽高等商業高校(現小樽商科大学)を卒業し、
小樽市中学校(現長橋中学校)の英語教師に就任。2年後に教師を退職して上京。
詩人として出発するが、小説家・評論家に転じる。
ジェイムス・ジョイスの「ユリシース」、D. H.ローレンスの「チャタレイ夫人の恋人」を
翻訳紹介。
小説「鳴海仙吉」「火の鳥」「若い詩人の肖像」「氾濫」「変容」など
評論「小説の方法」「日本文壇史」など。
1967年、日本芸術院賞を受賞、翌年、日本芸術院会員に選定される。
生誕地の炭焼沢村とは、現在の松前町字白神であり、生まれた場所からは難れて
いますか、白神地区としてこの地に生誕の碑を設置しました。」
「伊藤整」の作品を読んだ記憶がないのであるが・・・。



再び「津軽半島」を見る。



巨大な貨物船が津軽海峡を進む。



松前港方面を見る。
先端に見えるのが「弁天島」であり「松前灯台」がある。





                              ・・・もどる・・・

                   ・・・つづく・・・





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Last updated  2020.11.24 10:02:31
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