JINさんの陽蜂農遠日記

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オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 朝食の食べそこないとは? 深酒? であれ…

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2020.12.02
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カテゴリ: 国内旅行
「上之国館(勝山館)跡」の散策を楽しんだ後は、再び国道228号に戻り、「上之国館(勝山館)跡」
のスタンプを頂きに行く。
「続日本100名城」のスタンプラリーのスタンプは、平成31年4月6日(土)から
「勝山館跡ガイダンス施設」に設置してあるとのことであったがこの日は休館日。
ネットで調べてみると「勝山館跡ガイダンス施設」が休館日や閉館期間の場合には
「上ノ国町総合福祉センター ジョイ・じょぐら」に設置をしてあるとのことであった。



「上ノ国町総合福祉センター ジョイ・じょぐら」を探したが、良く判らない為、TELし確認すると
「建物の入口に『鳥居』がある」と。『鳥居』のある建物が見つからず更に国道228号沿いの
「上ノ国郵便局」に立ち寄り尋ねてみると、目の前にあることが解ったのであった。




ここは教育委員会の事務所にもなっているのであった。
入口には、地元の方の手作りの作品が展示されていた。
ところで「ジョイ・じょぐら」の名前の意味は?「じょぐら」はこの地方の方言?



巨大な鯉の絵画も。



そして、なんとか「上之国館(勝山館)跡」の続日本百名城のスタンプをGET出来たのであった。



次に訪ねたのが、近くにあった「史跡 洲崎館跡」。
北海道檜山郡上ノ国町北村92。



「史跡 洲崎館跡
 長禄元年(1457年)の戦いで功を挙げた武田信広が上ノ国守護であった蛎崎季繁の養女である
安東政季の娘を妻とし同年築いた館である。
またこの時信広は「建国の大礼」を行なったとされている。

近年中国銭2,500枚、中国製青磁、白磁、国産の珠洲系陶器や人骨が発見されている。
館の内部構造については未調査の為不明なところが多い。
この館は武田・蛎崎氏が道南和人社会の中で支配者として成長する基礎を固めたところであり、
更に和人勢力の移り変わりを知ることのできるところとして大変重要な遺跡である。
又この館は北海道の館の中でただ一つ成立年代が明らかである。




「史跡上之国館跡のうち洲崎館跡」碑。



そして右手には「上ノ国小学校発祥之地 砂館小学校跡」碑が立っていた。



そしてこの場所には「砂館神社(すなだてじんじゃ)」もあった。



狛犬も風雪に耐えて(左)。



狛犬も風雪に耐えて(右)。



「社殿」。
「砂館神社」はもと毘沙門堂といって、寛正3年(1462)松前氏祖武田信廣が洲崎館内に
建てた社で、以後、洲崎館の守り神として祀られた。
洲崎館はコシャマインの戦い後、武田信廣により長禄元年(1462)8月に築かれ、後に造られた
勝山館とともに松前藩の基礎を築いた館として貴重な史跡。
これらのことから、砂館神社は上ノ国八幡宮、夷王山神社とともに上ノ国三社として、
松前藩から敬われ、江戸時代末頃まで、藩主による一代一参(藩主が代わった時に1回は
参拝すること)が行われ、また、毎年正月には家臣たちが藩主に代わって参拝した。
安永7年(1778)12月の火事で焼失したため、翌安永8年藩主松前道廣によって再建された。
再建の経緯を示す棟札4点が、合わせて北海道指定有形文化財 に指定されているのだと。



扁額は「砂館神社」。



「社殿」の奥に「本殿」。
洲崎館からは、現在までに、銭2500枚、中国製青磁、白磁、国産の珠洲焼擂鉢、人の頭骨等が
発見されているのだと。



そして再び国道228号に戻り江差方面に向かって進む。
前方に我が市にある「江の島」の如き島が見えて来た。
鎌倉の海岸から見る湘南海岸の景色にそっくりなのであった。



島の名は「鴎島(かもめじま)」。
島の手前に帆船の姿が確認できた。



これが次に訪ねる「開陽丸」なのであった。



途中、廃線になった「旧江差線江差駅」にも立ち寄った。
函館から各駅停車で約2時間半。峠を越え、凍(い)てつく川を越え、日本海沿いへ。
渡島(おしま)半島をゆっくりと走る江差線は、しかし非電化区間の
木古内(きこない)~江差駅間42.1kmが2014年(平成26年)5月12日に廃止になったのだ。
さらに北海道新幹線の新青森駅 - 新函館北斗駅間の開業に伴い、2016年(平成28年)3月26日に
並行在来線区間となる五稜郭駅 - 木古内駅間が第3セクター・道南いさりび鉄道へ移管され、
「道南いさりび鉄道線」となったのであった。



しかし「​ 旧江差資料展示館 ​」👈リンク は開いていなかった。
町では江差駅があったことを記憶にとどめるため、また地域の方々が気軽に立ち寄り交流できる
スペースを設けるため、江差駅前の空き店舗を利用し、2018年(平成30年)3月26日に
「旧江差駅資料展示館・地域交流館」をオープンさせた。
資料館では実際に江差駅で使われていたイスや備品などのほか、JR北海道から提供された
制服を展示していると。
また、江差町在住の写真家辻晴穂氏が撮影した写真の巨大パネルや、開業当時と廃線当日の様子を
伝えるパネルも展示しているとのことであったが。



「旧江差線江差駅」に立つ「 ありがとう江差駅 ​」👈リンク​。



その下には線路も残されていた。
木柱の上には駅長の帽子が載っていた。



線路も途中までで線路止めがあった。しかしここが江差線の終点駅であった。



駅名標「えさし 江差」。手前の駅が「上ノ国(かみのくに)」であったと。



「江差線のあゆみと記念モニュメント
 江差線は、湯ノ岱・江差間が昭和11(1936)年11月10日に開業し全線が開業となりました。
檜山の人と物との輸送で活況を呈し、昭和36(1961)年には準急が定期列車化となり、
昭和43(1968)年には準急が急行へ昇格しました。
その後自動車の普及に加え人口も減少し始めたことなどから鉄道の利用者も少なくなっていき、
昭和55(1980)年には急行が廃止され、北海道新幹線が開業すると同時に江差線
(五稜郭・木古内間)が第三セクターに移行するため、木古内・江差間がいわば飛び地と
なることもあり平成26(2014)年5月11日の最終営業をもって江差線(木古内・江差間)が
廃線となりました。
最後の江差駅となった駅舎は昭和50(1975)年にコンクリート造に改築されたものですが、
江差線(木古内一江差間)の廃線に伴い、平成28(2016)年にレールとともに解体・撤去
されました。
跡地には町営住宅とともに公園を整備しましたが。江差線があったことを偲ぶため、
公園内に実際に江差線で使用されていたレールや枕木などを利用したモニュメントを
整備しました。」



在りし日の「江差駅」の姿をウィキペディアより。



平成26(2014)年5月11日の「最終便を見送る町の人々」をネットから。


  【https://www.iza.ne.jp/kiji/life/photos/140511/lif14051122300027-p4.html】より

 の当日、駅前で配布されていた号外 もネットから。


   【http://bono-kingston.blogspot.com/2014/05/】より

そして旧江差駅を後に国道228号を北上すると、次第に太陽も水平線に近づいて。
時間は16:03。




                              ・・・​ もどる ​・・・
                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2020.12.02 18:43:13
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