JINさんの陽蜂農遠日記

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オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 朝食の食べそこないとは? 深酒? であれ…

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2020.12.29
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カテゴリ: 国内旅行
「中嶋公園」の紅葉を楽しんだ後は、国道254号で千曲川を再び渡り、県道145号線、
国道141号を進み、「洞源湖入口」交差点を左折し、この日の最終訪問地の
「貞祥寺(ていしょうじ)の門前に到着。
眼下に「佐久平」と右手に「浅間山」が見えた。



ズームで。浅間山の白き噴煙も確認出来た。



門前の緑地にあった「奉?百番供養塔」。
「百番供養塔」とは百の寺を訪ねたら建てる塔であると。



石灯籠と石碑。



貞祥寺は室町時代の大永元年(1521年)にこの地を治めていた伴野貞祥が開基した曹洞宗の寺で、

大勢の僧侶が住んでいる大きな寺院を示す言葉)を備えた佐久を代表する古刹。
正面の舗装された市道を山門に向かって進む。



正式な参道にあった案内板。
「洞源山貞祥寺 大永元年(一五ニ一年)創建
開山 節香徳忠禅師
開基 前山城主伴野貞祥公
七堂伽藍備わる曹洞宗の寺です。
末寺十ニケ寺を有す。
一 仏殿 本尊釈迦牟尼佛。
ニ 法堂 佛殿が兼ねる。法要の場(本堂)。
三 僧堂 枯木堂(座禅堂)文珠菩薩を祀る。

五 山門 左右に増長天、持国天(仁王)。
六 東司(西浄) 雪隠 烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)を安置。
七 香水海(浴室) 跋陀婆羅菩薩(ばっだばらぼさつ)を祀る。
外に開山堂、経蔵、知客寮、方文、江湖景、宝蔵、鐘楼、位牌堂、地蔵堂、三重塔(県宝)等が
ある・又、財団法人洞源育英会の図書館がある。




入口左の門柱。



禅の言葉「鳥啼山更幽(とりないてやまさらにしずかなり)」と。
右の反対側の門柱には何と書いてあったのだろうか?



貞祥寺境内の「配置図」。



境内の紅葉も期待できそう。



「圖書館入口」碑。



紅葉からの逆光の木漏れ日。



坂道の上に「鐘楼」、右手に「知客寮」。



境内の一角には先の大戦のける前代未聞必死必殺の水中特攻兵器人間魚雷「回天」の
創始者である仁科少佐の出身地であることから、戦没された方々への哀悼の意と、
世界平和を念じた「回天の碑」が建立されていた。



世界平和を念じた「回天之碑」。



「碑文
昭和十九年 太平洋戦争年を重ねて苛烈となり 戦勢ようやく我に利あらざる時 憂国の至情に
燃えて黒木博司少佐 仁科関夫少佐は第一特別基地隊に在りて 前代未聞必死必殺の水中特攻兵器
人間魚雷を完成 もって頽勢の挽回を計らんと「回天」と命名 徳山湾大津島に基地を定め 
日夜一人一艦必殺の戦法 操縦訓練に励む 黒木少佐は訓練に殉じたるも同年十一月回天特別
攻撃隊 菊水隊の先陣に立ちし仁科少佐以下 敵前進基地ウルシー パラオ コッスル水道 
ホーランジア グアム アブラ港に また硫黄島 沖縄付近海域 中西部太平洋上に 大津島 
光 平生大神の各基地より出撃し敵艦に体当り攻撃を敢行せり
戦遂に利あらず昭和二十年八月 兵を収むるまで戦没並びに殉職搭乗員の英霊百五十余柱 
帰らざる潜水艦七隻 その乗員八百十余柱を数う 散華せし勇魂を迎慕し回天の偉業を後世に
伝えんと 創始者仁科少佐の出身地佐久に永遠の世界平和を念じつつ 長野県出身者戦没並びに
殉職搭乗員 仁科関夫少佐 北村十二郎少尉 中島健太郎大尉 宮澤一信中尉 の霊安からん
ことを祈念し 戦友相寄り「回天之碑」これを建つ。」



人間魚雷「回天」の1/3 の模型であると。



「要目表  回天一型
炸 薬    1.6 トン
       速力     射程
能 力   10ノット   78,000M
      20      43,000
      30      24,000
直 径      1.000M
全 長      14.500M
全重量        8.0 トン
排水量        8.1 トン
仝上中心     8.800M
・・・      ・・・



モミジの先には「観音像」も見えた。



近づいて、



「鐘楼」を横から見上げる。



見事に赤く輝く紅葉。その先に「山門」。



歌碑
「母まさば 大内山に 初春の けふの節会(せちえ)の よし告げ麻之乎(ましを)」。
郷土の政治家、井出一太郎氏の歌碑。
農林・郵政、各大臣・三木内閣では内閣官房長官を勤めた清廉な政治家であり政治世界では
数少ない歌人。 歿84歳(1912 ~ 1996)。
歌会始めに召人として参列し、その栄誉を亡き母に告げたい気持ちが詠われていると。



逆光に、真っ赤に燃えて炎の如くに。



増長天と持国天の仁王を左右に配した茅葺の「山門」。
山門の屋根には伴野氏の松皮菱と武田菱が融合した紋が戦国の栄枯盛衰を伝えるようで印象的。
初層、上層とも桁行(横)三間、梁間(奥行き)二間の三間楼門。



四天王の増長天が正面左に。



網目にレンズを近づけてズームで。



四天王の持国天は右に。



網目にレンズを近づけてズームで。



扁額「禅那窟」。



「山門」と「鐘楼」、「僧堂」は回廊で繋がっていた。



「宝篋印塔(ほうきょういんとう)
この塔は、佐久仏教婦人会員が創立十周年を記念して般若心経を一字一石に謹写し、
この塔の中に奉蔵し、世界の平和を祈願して、昭和42年5月21日に建立されたもので
あります。」と案内板に。



「本堂屋根銅板葺記念塚」碑。



イチョウの大木も真っ黄色に輝いて。



紅葉の見事さに狛犬も驚いて「アッ!!」と。



植木屋さん?が松の手入れ中。



「仏殿(本堂、法堂)」。



扁額「覺皇寶殿」。



左側に「僧堂(枯木堂、座禅堂)」。



「道元禅師」それとも「開基 節香徳忠禅師」であろうか。



扁額「枯木堂」。



黃と赤のコラボ。



「山門」を潜って内部から。



「回廊」。



唐門形式の山門の右脇に建つ「通用門」。



裏山に廻って墓地の中を「三重塔」に向かって進む。



墓地の奥にあるのは「東司(西浄)」であろうか。



そして「三重塔」が紅葉の奥に姿を現した。
「三重塔」は本堂の裏山にある。神仏分離が実行され明治3年(1870)に小海町神光寺から移築。
江戸後期の建築と伝わり、扉に施された花鳥の彫刻、先端の水煙は繊細。



「蜻蛉(とんぼ)」五言絶句歌碑。
攢珠眼晴輝 四翼織紗妍 莫陷邨童計 繊綸柳畔懸」か?
「玉を集めたような美しいひとみが輝く、四枚の翅(はね)は薄絹を織ったように美しい
さて、邨童の計略に陷らないようにしなさい、細い糸が柳のそばにかかっているぞ」と
「蜻蛉(とんぼ)」に話しかけているのであろう。



「お道具塚」。



長年共にした大切な道具とお別れの供養をする塚。



正面に「三重塔」。



県指定文化財、江戸時代後期建立、銅板葺き、高さ 15.88m。



「長野県宝洞源山貞祥寺三重塔」



幕末の名宮大工といわれた小林源蔵の手になるもので神光寺にあったものを移築したと。



塔は、亀腹の上に建つ。擬宝珠高欄を付した縁をめぐらし、中央間桟唐戸、脇間板張りで
窓の部分に彫刻をはめる。中備えはない
二層部、中央間板唐戸、脇間板張り、軒は二軒繁垂木。
三層部、中央間板唐戸、中備えはない、軒は扇垂木。



扁額「大?観音」か。



先端の水煙は繊細。



見上げて。



中央間板唐戸の小窓の彫刻が華やかであった。



フクロウや花鳥が刻まれていたので、カメラで追いかける。



年輪が見事な造形。















歴史を感じさせる「三重塔」を振り返る。



紅葉のピークには、ネットより。



紅葉の木々の合間から境内の建物を見下ろす。



「三重塔」を後にし、石段を降り進むと池の中にも石仏が。



ズームして。



再び「山門」前に。



再び「鐘楼」前の紅葉を。



「鐘楼」を再び。



鐘をズームで。



更に。



別の木も負けじと。



「境内社」。



「惣門」を内側から。
惣門は承応2(1653)年の造営で銅板葺の切妻(平入)、正面1間・側面1間の薬医門(やくいもん)。
貞祥寺内で最古の建物である。



「惣門」の手前左に湧き水を石垣を貫通して導いた手水鉢が。



手水鉢。歴史を感じさせるユニークな木を中心を刳り貫いた樋も朽ちて。



「惣門」を再び。



扁額は「洞源山」。



「惣門」を斜めから。



「長野県宝 貞祥寺惣門及び山門
惣門
一間一戸草葺切妻造薬医門で承応二年(一六五三)に建立された寺最古の建物である。
小平(長方形断面)の親柱、控柱を円柱としたあまり例を見ないものである。
組み物につけられている象が鼻を上に巻き上げたような木鼻に特徴がある。
また大瓶束(だいへいそく)の結綿は室町後期の様式を持ち、 木鼻は複雑な輪郭をとる。
山門
三間一戸草葺入母屋造楼門で、寛文十ニ年(一六七ニ)に小泉三右衛門、重右衛門によって
建立されたものである
建立時資料が現存し大変貴重である。」



「貞祥寺 惣門」柱。



「惣門」前の美しい苔の庭。
参道はここで突き当り、左手(写真手前)が「惣門」へ、右手が「通用門」。



左手奥に惣門、右手に通用門、いずれも長野県宝。



「通用門」の奥の石積みの上に白壁が。





                              ・・・​ もどる ​・・・

                   ・・・​​ つづく ​​・・・





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Last updated  2020.12.30 15:01:54
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