JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.05.30
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カテゴリ: 鎌倉市歴史散歩
『​ 鎌倉散策 目次 ​』

「洪鐘道」が南参道と合流する場所にも石碑が。



道標「國寶大鐘道」。國寶大鐘への道と。



裏門・通用門の守衛所になっている藁葺き屋根の「看門寮」。
この裏門から工事用車両が出入りしていた。



「看門寮」 に向かって右奥に「般若水」が湧き出ていた。



そして中央参道に戻り、右手の階段上に「三門」を見る。



次に訪ねたのが「桂昌庵閻魔堂(けいしょうあんえんまどう)」。



寺号標石「閻魔堂」。







「身がわり地蔵」。



「閻魔堂」、「矢柄地蔵菩薩」と刻まれた石碑。
浄光明寺にも矢柄地蔵がある。ここの矢柄地蔵は、宝鏡寺の地蔵堂から明治以降に
移されたものであると。



桂昌庵は、円覚寺境内の塔頭で、十王堂とも呼ばれて木造十王像がまつられている。
十王とは冥土の亡者に裁きを加える十人の王のこと。亡者は順番に十王の裁きを受けて
来世を定められると言われている。
もっとも象徴的な閻魔像が80センチほど。宋帝王の胎内に納められた名札から
1717年(亨保2年)頃に次々と造られたことがわかっている。
鎌倉市山ノ内409。



「閻魔大王



ズームして。



「和顔愛語」。

笑顔で愛情のこもった言葉で話すこと。
この言葉は、学校での教訓になったり、額や 書幅 にも書かれたりして、おなじみになった。
この言葉は『 無量寿経 』に出てくる言葉であると。




出来たのであった。先代住職が造ったのだという。



弓道において一番大事なのは「正射必中」。正しい射は必ず当たるという意味だが、
正しい射には正しい射法を実践し、自分と向き合い、自己の鍛練によって平常心を保つことが
できなければならない。攻撃のためではなく、平常心で弓に集中することが、武道のひとつに
なって行ったのだと。



高齢の先輩が練習中であった。



弓道において「的に当たるか当たらないか」は使用した用具が同じであるならば、
すべて自己の修練の足りなさに原因があるのだと。
技も心もコントロールをし、平常心で弓を引く境地に達しないと「正射必中」とならない。
そのため、弓道は所作や射法が精妙に決められ、きれいな姿勢、きれいな射形であることが
求められるのだと。



「弓道教室開講のご案内」。
流派は?



そして「桂昌庵」の入口左にあった「円覚寺」の案内板と「御朱印所」の建物を見る。



「​ 円覚寺 配置図 ​」👈リンク。
ここに示されている塔頭等の建物も、一般公開されていない「舎利殿」他を除き
全て訪ねたのであった。



その横に「​ 円覚寺案内 ​」👈リンク。
円覚寺案内
当山は、臨済宗円覚寺派の大本山であり弘安五年(1282)の開創。開山は中国(宋)より渡来の佛
光国師無学祖元。開基は鎌倉幕府の執権北条時宗公。国師は時宗公の熱心な招請に接し弘安二年
来日。初め建長寺に住し、時宗公はじめ鎌倉の武将を教化し、多くの門弟を育てた。
時宗公は弘安四年再度の蒙古の来襲を撃滅した後、翌五年正法を興隆し、師恩に報じ、また文永・
弘安の両役に戦死した敵味方両軍の菩提を弔うため当山を建立した。
国師の流派を世に佛光派と称し、弟子に佛国国師、孫弟子に夢窓国師が出て、室町時代には国師
の法孫は天下に満ち、五山学僧の主流となった。
江戸時代やや衰微していたが、江戸時代末期に中興誠拙禅師が出、明治に至って今北洪川、釈宗
演の二大禅師が出世され再び関東禅界の中心となった。
山 門
天明年間、中興の誠拙禅師が再建。「円覚興聖禅寺」は、伏見上皇の勅額。
佛 殿
大光明宝殿ともいう。大正十二年の大地震で倒壊後、昭和三十九年三月再建。唐様禅宗様式の鉄
筋コンクリート造り。本尊は宝冠釈迦如来。禅宗様式七堂伽藍の中心の建物である。
方 丈(ほうじょう)
禅林の住持の居間をいう。維摩居士の居室が方一丈であったことに由る。今は主に檀信徒の法要、
座禅会、研修会等の教化の場に用いられる。
  昭和四年竣工。平成十年改修
国宝 舎利殿(しゃりでん)
源実朝公が宋国より拝請した佛牙舎利を弘安八年(1285)北条貞時公が当寺に遷祀した。舎利殿は
日本に残る唐様建造物の中、最も代表的な美しい建物である。
開山堂
舎利殿の背後にあり、開山佛光国師の木像を奉安す。
木像及び須弥壇は重要文化財に指定されている。
開基廟
佛日庵境内にあり、開基北条時宗公並びに貞時公、高時公の尊像を安置す。
北条家歴代の祠堂でもある。
白鹿洞(びゃくろくどう)
円覚寺落成慶讃の日 佛光国師の法話を聞くため この洞中から一群の白鹿が現われたという。
この奇瑞により山号を瑞鹿山と号することになった。
居士林
禅を志す在家の人の坐禅道場。もと牛込にあった柳生流の剣道の道場であったものを昭和三年
に柳生徹心居士により寄進され移築した。
国宝洪鐘
正安三年、北条貞時が二千五百人の善男善女 当山二百五十人の僧衆の合力により鋳造。当時
その巨大なること関東第一。江の島の弁天の助力により鋳造が円成したとして、側の弁天堂に
その尊像を祀る。



受付の向かい側にある「休憩所」では、ジュース類の自販機があるほか、
グッズも販売していた。



「御朱印所」



以前戴いた「円覚寺 洪鐘大辨財天」の「御朱印」です。



総門を入って左手に入山「受付」。



そして「総門」。



「総門」を潜り振り返る。
これほどの大寺でありながら、誠に簡素な四脚の総門だが、築地塀には、門跡寺院級の格式を
示す五本の白線がしっかりと刻まれている。万延元年(1860年)に「総門」が修復された
旨の記録があるが、実際に建築された正確な年は分かっていないのだと。



扁額「瑞鹿山(ずいろくさん)」。



石段の途中から「総門」を見る。



秋には紅葉の撮影スポット。



2017年12月に訪ねた時の写真。



朝の陽光に紅葉が輝いていた。



寺号標「臨済宗大本山 円覚寺」。

円覚寺は、鎌倉市山ノ内にある寺院。山号を瑞鹿山(ずいろくさん)と称し、
正式には瑞鹿山円覚興聖禅寺(ずいろくさんえんがくこうしょうぜんじ)と号する。
臨済宗円覚寺派の大本山であり、鎌倉五山第二位に列せられる。
本尊は宝冠釈迦如来、開基は北条時宗、開山は無学祖元である。
調べてみると、新たに寺院を建立することを「開山(かいさん)」といい、
その初代住職のことも同じく「開山」と呼ぶ。
その際に経済的、政治的援助をした人物、つまりいわゆるパトロンのことを
「開基(かいき)」と呼ぶとのこと。
なお、寺名は「えんがくじ」と濁音で読むのが正式であると。




「北条時宗公御廟所」碑。



掲示板には
「花には散ったあとの悲しみはない ただ一途にさいた喜びだけが残るのだ   坂本真民」
坂村真民は国民的な人気の持ち主の仏教詩人。
坂村真民先生を知らなくても、「念ずれば花ひらく」の作者といえば誰でもが。



円覚寺・説教会・座禅会等案内板



「瑞鹿山 円覚寺
円覚寺は一ニ八ニ年(弘安五年)鎌倉時代後期、北条時宗公が中国より無学祖元禅師を招いて
元寇の戦で亡くなられた敵味方の諸霊位を供養する為に創建されました。
当山は国宝舎利殿・国宝洪鐘をはじめ文化財指定の建造物を存し古都鎌倉時代の代表的な
境地であり国際的にも親しまれる禅刹として今日に至りました。
当山は専門道場、居士林の上曜坐禅会・土日坐褝会・学生坐褝会、毎朝の暁天坐禅会・
日曜説教・夏期講座等仏法に帰依する老若男女にさまざまな門を開き、多くの人材を
輩出し関東禅界の中心を成しております。
「こころの寺」として多くの人々から親しまれることを祈願しています。」



「円覚寺」の真ん前をJR横須賀線が通過する。
新型車両であろうか?山手線のE235系の青色仕様。



明治21年(1888年)以来境内を横切ることになった踏切を渡って進み
石の太鼓橋を渡り「円覚寺」を振り返る。



「白鷺池(びゃくろち)」は、総門の前、JR横須賀線を挟んだ反対側の左右対称の池。
円覚寺開山の無学祖元(仏光国師)が白鷺に姿を変えた鶴岡八幡宮の神霊に導かれた
場所がこの池だったのだと伝えられている。
池に架けられている太鼓橋の名は「偃松橋(えんしょうきょう)」。
1889年(明治22年)のJR横須賀線の開通によって、池の半分以上が破壊されて
しまったが、名勝指定を受けている庭園の一つであると。



県道21号線(旧・鎌倉街道)の南西側までが円覚寺の境内となっており、「大本山円覚寺」
とある寺号標碑と素朴な五重石塔が総門正面の参道入口両脇に建っていた。



そして引き返し、再び踏切を渡り総門前を右折し線路沿いを鎌倉駅方面に進む。
少し進むと左手奥にあったのが先ほど訪ねた「円覚寺」の「裏門・通用門」。



その先、生垣の奥にあったのが「臥龍庵(がりょうあん)」。
臥龍庵は、第十七世大川道通(だいせんどうつう)の塔所。
本尊:大川道通。
室町期の「木造大川道通像」を安置。
開祖書写の「金剛般若波羅密教」を蔵する。

ここまでが「円覚寺」の境内の建物。
この日は、久しぶりに訪ねて、今まで訪ねたことがなかった塔頭も可能な限り訪ね、
新緑と牡丹、シャガの花等を楽しみながら「円覚寺」の全体像を掴むことが出来たのであった。



その先の「北鎌倉古民家ミュージアム」の板塀には「おひなさま展」のポスターが。



「北鎌倉古民家ミュージアム」。
 江戸時代の古民家の館内で四季の様々な企画展を開催してと。



様々な種類のポスターが貼られていた。







「つるし雛」がミュージアムの入口に。



そして更に進むと線路のカーブの先に、10名弱の若者が立派なカメラを構えて
電車の通過を待っていたのであった。
私も暫く立ち止まり待っていたが来たのはいつものこの電車であったため。この場を
立ち去ったのであった。新型車両を待っていたのであろうか?



ここが「明月院」へ向かう「明月院通り」。



「明月院」と刻まれた石碑。



紫陽花のシーズン他に「​ 明月院 ​」👈リンク は何度か訪ねているのでこの日は訪ねなかった。
以前に戴いた鎌倉三十三観音霊場第三十番 「福源山 明月院」の「聖観音菩薩」の御朱印です。



併せて、「​ 東慶寺 ​」👈リンク も同様である。
以前に戴いた鎌倉三十三観音霊場第三十ニ番 「松岡山 東慶寺」の「聖観音菩薩」の御朱印です。



​「 浄智寺 ​」👈リンク も同様である。
以前戴いた鎌倉五山 第四位 「浄智寺」の御朱印です。



以前戴いた鎌倉三十三観音霊場第三十一番 「金宝山 浄智寺」の「観世音菩薩」の御朱印です。



以前戴いた鎌倉二十四地蔵尊霊場十二番 「金宝山 浄智寺」の「聖比丘地蔵」の御朱印です。



鎌倉十三佛霊場第六番 「金宝山 浄智寺」の「弥勒菩薩」の御朱印です。



県道21号線に出て進むと右手にあったのが「創業文政元年 友野風呂」店。
創業約200年の老舗。店頭には、風呂桶や腰掛け、まな板、 おひつなどが並んでいた。



その前の左手にあったのが「去来庵」。
ビーフシチューが人気の店であると。



暫く進むと右手にあったのが「デル クロッカス(Del Crocus's)」。
スペアリブと肉のビストロ 店であると。




                              ・・・もどる・・・


                  ・・・つづく・・・





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Last updated  2022.05.19 15:31:35
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