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<堅牢地神(けんろうじしん)>
仏教における天部の神の1柱で大地を司る、大地を擬人化した神様です。
通常は女神ですが密教では男神と一対とされています。
十二天の一である地天と同一視する考え方もあります。
なお、地天は元はバラモン教の女神プリティヴィーでしたが、
後に仏教に取り入れられました。」とネットより。
拝殿に向かって右側にあったのが「姥母(うば)神社」。
姥母神社は、安産の神、病気平癒の神と。
近づいて。
扁額「奉納 姥母神社」。
姥母神社に社殿に貼られていた「茅ヶ崎の轍(わだち)」。
第18回「小和田」 協力/茅ヶ崎市文化資料館
江戸時代、小和田村と菱沼村は入り組んでいました。大山道に近いあたりが菱沼村、東海道
(国道1号)の両側から海までが小和田村だったようです。
鎮守の熊野神社の境内に祀られている姥神社と尾根明神社は、市内の他の地域では見られない
祭神です。拝殿右側に、石に彫刻された髪の長い姥神が祀られています。子どもが風邪をひいた
とき、お茶を供えて治してくれるよう祈ったといいます。尾根明神は、拝殿左側の石碑にその名が
あります。『皇国地誌』に元は姥島にあったが風波で何度も壊されるので、元禄の頃
(1688~1703)「ツト田」(菱沼3丁目の辺り)に移したとあります。
また、『風土記稿』に「海浜に砲術場あり」とあります。江戸幕府が鉄砲の演習をした場所です。
その範囲は現在の藤沢市片瀬、鵠沼、辻堂の各村と市内小和田村から茅ヶ崎村の海岸砂丘に
またがる広いものでした。『茅ヶ崎市史』には設立の享保13年(1728)以後21年間は毎年、
江戸後期は不規則に演習が続けられたとあります。明治になると鉄砲場に代わり、辻堂、小和田の
海岸が横須賀海浜団演習地となり、終戦までは頻繁に訓練が行われ、戦後は米軍の演習が
行われました。」と。
こちらにも「拝殿」からの出入口が。
「青龍神門」と。東方を守護する青龍。
姥母神社の左側にも三基の石碑が。
「姥母神社」「八雲神社」「八大龍王」と。
歌碑と句碑が。
「 相模なる 小和田が浦の 姥島は 誰をまつやら ひとり寝をする
」。
京都の公卿近衛某が東下りの途中に詠んだ歌で、因みに姥島とは烏帽子(えぼし)岩のことで、
茅ヶ崎海岸の沖合約1.4kmにあり、高さは約14.6mの島である。
「 姥ヶ島 尉の姿 耀くはかり 春の潮
」。
尉は能楽の翁のこと。郷土の俳人、新田濤哉は姥ヶ島を見て高砂の翁の姿を想い、
この句を詠んだのだと。
茅ヶ崎・浜降祭へ(その5) 2023.08.15
茅ヶ崎・浜降祭へ(その4) 2023.08.14
茅ヶ崎・浜降祭へ(その3) 2023.08.13