JINさんの陽蜂農遠日記

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2025.11.29
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カテゴリ: JINさんの農園
「大東町内会館」を後にして、神奈川県道30号・戸塚茅ヶ崎線まで戻り、再び「収穫祭」の
行われていたJAさがみ鵠沼支店を見る。



本鵠沼2丁目4 の路地の奥に 朱の鳥居 が現れた。



奥に入って行った。



朱の鳥居の先に、 ふたつの覆屋 があった。



苅田稲荷社:準四41番震場
民家の脇、細い路地の奥に堂宇がニつあり、左側が大師堂、右が稲荷社てす.
大師堂には、文政三年の銘がある大師が納められています。稲荷社の創建時期は不明てすが、
江戸期の新四国八十八箇所案内にも”苅田稲荷社”と書かれ、この地に稲荷社があったことが
分かります。本四国の41番札所龍光寺は、江戸時代には稲荷寺と呼ばれ、稲荷明神を祀り
神仏習合の寺でした。それにちなみ、稲荷社のあるこの地を選んだのでしょう。
御詠歌:施しの 布きてむすぶ 草まくら さむるもをしき あかつきのゆめ
お堂の左前の標柱には、「文政十一年戊子八月苅田講中」と刻まれています。
【御詠歌:
旅の途中、施しでいただいた一枚の布を身にまとって草を枕に眠る。
夜明け前の冷えで目が覚めるようなつらささえも、よくよく思えばありがたく愛おしい、
仏さまを思いながら見る暁の夢なのだ。 と。



右側が「 稲荷社



稲荷社の内陣。
多くの狐様が鎮座。



左側の覆屋・ 準四41番震場・ 「苅田稲荷社」には、弘法大師像が安置 されていた。



弘法大師像



「南無大師遍照金剛」碑



「馬頭観世音菩薩」碑 。 



再び振り返って。



西・引地川方面に進むと路地横にあった「 本鵠沼の双体道祖神 」。
藤沢市本鵠沼5丁目11-1地先。




道祖神塔砂岩製蓮弁光背型
双体石像浮彫(造立年銘欠江戸時代)61cm
両側に欠損五輪塔



その先にあった「 庚申塔 」。
藤沢市本鵠沼5丁目13。



近づいて。



右手には教会が現れた。



藤沢バプテスト教会
藤沢市本鵠沼5丁目10−29。



さらに「普門寺」に向かって進むと右手にあったのが「 齋藤家住宅長屋門 」。
藤沢市本鵠沼5丁目10−35。

齋藤家住宅長屋門 文化遺産オンライン

正面から。



齋藤家長屋門(現在非公開) 
明治初期の鵠沼の三大資産家といわれた齋藤六左衛門家の邸宅と長屋門は、2021年には
国有形文化財に指定されています.
齋藤家は、鎌倉時代の寛元元年(1246 )に三河から移住してきたと伝わります。幕末には
鉄砲場見廻役を命ぜられ、苗字帯刀頭を許され「大齋藤」と呼ばれました。屋号は「南」。
関東大震災の倒壊を免れた建物は、代々名主を務めた齋藤家が江戸時代・明治期を通して
村役として活躍した旧家の様子を、今に伝える文化財です。
長屋門: 明治23年(1890) 木造平屋建、茅葺(鉄板仮葺 )、建築面積75㎡
     桁行七間半梁間二間、中央に門口、両脇に部屋を配し、部屋前方に下屋を付す。
主屋:  明治20年(1887) 木造平屋建、茅葺(鉄板仮葺)、建築面積227㎡
     桁行九間梁間四間半、整形六間取の大型民家て一部に中ニ階を設ける。
     ニ重梁の上に扠首(さす)組を架ける小屋組は、県下幕末期の大型上層民家の
     特徴を伝える.



●斎藤家長屋門の特徴
1. 「両開きの大戸」+「潜り戸(くぐりど)」の構造
  中央に大きな両開きの門があり、左側に小型の潜り戸があります。
    これは 格式ある農家・名主の屋敷に典型的な構えです。
 2. 金具(蝶番・鋲)に緑青(ろくしょう)
    蝶番(ちょうつがい)や打ち込み鋲に緑青が出ており、
    銅製の古い金具を用いた本格仕様です。
    緑青は経年で自然に出るため、明治期からの歴史を物語っています。
 3. 太い柱と、深い軒(のき)
   長屋門は門だけでなく、門の左右に部屋(長屋部分)を連ねた構造を持ち、
   その基礎となる太い柱と深い軒が確認できます。
 4. 漆喰塗りの白壁&黒い腰板
   当時の富農の典型的な意匠。白壁は防火、防湿、黒腰板は雨から壁面を守る格調を示す
   という役割があります。
 5. 門の高さが低い(警備・防犯目的)
   名主クラスの長屋門はあえて高さを低くして、家の権威を示しつつ防御性を高めていることが
   多いです。



長屋門越しに 主屋 を見る。



主屋の写真をネットから
・明治/1887
・木造平屋建、茅葺(鉄板仮葺)、建築面積227㎡
・1棟
・藤沢市本鵠沼5丁目10−35
・登録年月日:20210624
・登録有形文化財(建造物)
代々鵠沼の名主を務めた旧家の主屋。
敷地中央に西面して建つ。桁行九間梁間四間半、整形六間取の大型民家で一部に中二階を設ける。
入母屋造茅葺(鉄板仮葺)で軒は出桁造。二重梁の上に扠首組を架ける小屋組は、県下幕末期の
大型上層民家の特徴を伝える。

齋藤家住宅主屋 文化遺産オンライン

そして「 普門寺 」に到着。
・宗派:真言宗
・山号:密巖山(みつがんざん)
・正式名称:密巖山遍照院普門寺
地域では古くから「大東観音堂(大東大師堂)」との結びつきが深く、
相模国八十八箇所霊場の札所を開いた善応密師や、庵主・浄心といった僧侶が関わっています。



山門。
山門は 木造の薬医門形式 で、 瓦の紋(五三桐)は寺紋 として多くの真言宗寺院でも見られる意匠。
山門の奥には本堂が一直線に見え、右手には 大きな石碑(普門寺と刻まれた寺号標) が立っていた。



高野山眞言宗
密巌山 普門寺
相模国準四国八十八個所第四十七番八十八番札所
普門寺は相模準四国八十八か所の47番札所と 88番札所(結願)を兼ねている。



いのち輝け
大師のみこころと共に
山号 密巖山(みついわやま)
院号 遍照院(へんじょういん)
寺号 普門寺(ふもんじ)
當寺は神奈川県藤沢市鵠沼にある高野山真言宗の寺。
相模国準四国八十八箇所のうち第四十七番札所と第八十八番結願の札所にあたる。
寺内に一八七ニ年(明治五年)から一九一三年(大正ニ年)まで、藤沢市立鵠沼小学校の
前身である鵠沼学舎、尋常高等鵠沼小学校が置かれていた。

縁起

密厳山遍照院普門寺と号し、高野山真言宗(古義真言宗)に属しており、藤沢・大鋸の感應院末
三十ニケ寺の一つであった。過去帳によると、一五ニ八年(享禄元年)五月、感應院三十五代
権大僧都良元師が、唐土ヶ原(平塚市)に草創し、十一面観世音菩薩を御本尊として御祀りしてきた。
その後、一六一七年(元和三年)三月、元朝何闇梨が、砥上ヶ原の現地に再興開基の折、本尊を
不動明王に遭座し、元の御本尊の十一面観世音菩薩は現在大東町内公民館の一室に御祀り
されている。

本堂
木造瓦葺きの本堂が中興・生田浄耕師により建立されたのは一八七八年(明治一一年)五月一一日の
ことであった。
一三日、遷仏式が挙行され、その後一九八ニ年(昭和五七年)五月四日に本堂を改修し、
現在に至る 御本尊 不動明王 本堂正面の須弥壇上に御祀りしている。
脇侍仏 矜羯羅童子(こんがらどうし)
    制咤迦童子(せいたかどうし)
木造両部大日如来
 金剛界(知恵) 大日如来は智拳印
 胎蔵界(慈悲) 大日如来は法界定印

阿弥陀如来    以上の諸尊は鎌倉扇谷の後藤仏姉の作
弘法大師 相模国準四国八十八箇所第八十八番結願の札所
胎内に一七六五年(明和ニ年)作の「大乗妙典奉吶」と
一七六九年(明和六年)作の『四国中奉納大乗妙典日本廻国震場」を納める。
他に鐘楼や地蔵菩薩、愛染明王や多くの諸尊曼茶羅を始めとした多くの仏画を
御祀りしている。
◯永代供養
◯人形供養
◯ペット埋葬
   宗教法人 普門寺」 



[普門寺  準四47、88番霊場 および 5番霊場(移設)
密巖山遍照院普門寺(真言宗高野山派)。 本尊 不動明王。
開山は享禄元年(1528 )、藤沢宿の感應院三五代権大僧都良元が唐ヶ原(平塚)に創建、
この時の本尊は十一面観音像でした。元和3年(1617)、元朝阿闍梨が本尊を不動明王とし、
砥上ヶ原(現在地)に再開基しました。草創時の本尊は、後に大東観音堂(現大東町内会館)に
移されます。
中興は延宝年間(1673 ~1681)、善龍という住職の時代てす。その後、現在の普門寺の基礎
築いたのは、安政六年(1859)に52世住職となった、生田浄耕と云われます。
江戸時代後期、普門寺の檀家浅場太郎右衛門が当時の住職善応密師に相談し、相模国高座郡、
鎌倉郡に、四国八十八箇所の巡礼地を写した。新四国八十八箇所を設けました。これを記念し、
境内には文政十年(1827)に、「光明真言三千三百万遍供養塔」が建てられました。
参考:鵠沼を巡る千一話
 第0053話 普門寺草創 第0063話 普門寺再開基

供養塔の碑文(大意) 転載:「寒川町史10」 第5章参詣講と村の人々
四国八十八箇所は遠くて巡拝するのは容易ではないのて、私が同志とはからい、相模国高座郡・
鎌倉郡に八十八ヶ所の小震場を営み、私もいくばくか心をつくしたつもりてある。もし信仰を
もつ者があれば、これを巡拝していただきたい。いやしくも四国震場とどこに異なる事が
あろうか。私は相模国準四国八十八ヶ所の設立は一大事というべき勲功だと思う。これは、
私一人の勲功ではない。じつに同志の勲功てある。よてこの塔を建て光明真言三千三百万遍を
唱えて、その供養をすべきものである。浅場翁これを記す。
    于時 文政十年丁亥三月廿一日 願主 光明真吉総講中


山門を正面から。



「創造的帰源 と。
語の意味
・創造的 … 新たな価値や世界を生み出す力・はたらき
・帰源 … ものごとの源に立ち返る、根本へ戻る
➡ 「創造へ向かう根源へ帰る」・「創造の源へ立ち返る」 という意味になる と。


柱の両面には、
「創造的帰源」、「帰源的創造」という対句が刻まれていた。
帰源的創造 」は「根本へ帰って、そこから創造する」と。 
真言宗(特に大日如来思想)では、すべては「根源(法界)」から生まれ根源へ帰りまた
創造が生まれ続けるという宇宙観があります。
この柱は、その思想を象徴しており、
✧「創造は根源への回帰から始まる」
✧「源に帰ることが、新しい創造を生む」
という教えを示しているとのこと。



境内に入って右手に石碑群が並んでいた。



庚申塔が二基。まずは、青面金剛庚申塔、



普門寺 本堂 に向かって歩く。
入母屋造(いりもやづくり)の屋根。
緑青色の銅板葺き。
唐破風(からはふ)の向拝がついた、非常に典型的な真言宗系寺院の本堂。
普門寺の本堂は 平成11年落慶(1999)
伝統様式+現代の強度設計を取り入れた構造
内部には
 ・不動明王
 ・弘法大師像
 ・地蔵菩薩
 ・各種一切経・法具   などが安置されている。



右手に 手水舎
扁額は「 」。
寺院の手水舎に「清心」と掲げることで、
手・口を清めるだけではなく、心も澄ませて本堂に参拝せよ
という仏教的なメッセージを示している。



清心 」。
● 「清心」の意味
  清らかな心・濁りのない心・まごころを表す仏教語。
・「清」
  汚れがなく澄みきった状態。
  手水舎の“身を清める”という行為と深く結びつく字。
・「心」
  人の内面、真心、仏心。
・ 二字で
  「心を清めて仏に向かう準備を整えること」と。

“ここで心を清めて本堂へ進みなさい”という優しい教え・案内 なのである。



普門寺の 手水舎(ちょうずや)に設置された 水口(みずくち) の「龍神像」



左:聖観音(しょうかんのん)像
(白御影石製・蓮華座に立つ)
聖観音は「現世利益」と「救済」の観音さま。
胎児・母子・家内安全・身体健全などに功徳があるとされます。
台座の正面には「聖観音」 と刻まれていた。
普門寺は不動明王を本尊としつつ、観音信仰も大切にしている と。
右:子育て地蔵(子安地蔵)
赤いよだれかけ(スタイ)をつけ横に小さな子供の像を従えていた。



子育て地蔵(子安地蔵) に近づいて。



太子堂 」。
相模国準四国八十八箇所のうち第四十七番札所と第八十八番結願の札所



弘法大師坐像が2体並んでいた。



左:「相模国準四国八十八ヶ所第四十七番」弘法大師像。
右:「相模国準四国八十八ヶ所霊場 第5番鵠沼 原地蔵堂」弘法大師像。



本堂の前に建てられたお堂には、2体の弘法大師像が納められています。向かって左側が
普門寺の弘法大師像(第4 7番)、右側は原の大師堂から移された弘法大師像(第5番)です。
第47番 御詠歌:まことある ふることきけば 初かりの 声を普く 門にこふらん
【仏さまやお大師さまの、
まことのこもった昔からの教えや縁起話を耳にすると、
ちょうど初雁の鳴き声が空いっぱいに広がるように、 その尊い教えが、すべての人の
門口(心)のところまで
広く行き渡るようにと、 私たちはこの寺の門で仏さまに祈るのです。】
第5番   御詠歌:このさとの 人の心も 月かけを 砥上が原に みがきあぐらん
【この里の人びとの心も、
月の光のように清らかになるよう、 ここ「砥上が原」の地で
きっと磨き上げていくことでしょう。】
原の大師(地蔵)堂跡は、茂兵衛の辻より南の本鵠沼2-19-10にありました。令和元年の秋の
彼岸までは、およそ一間四方の堂宇があり、向かって左側に弘法大師像、右に厨子に人った
地蔵菩薩立像が納められていました。大師像は普門寺に移されましたが、地蔵菩薩立像の
行方は確認できていません。

くく 結願所 > >
普門寺の本堂には、木造弘法大師像(寄木造り、彩色)が祀られています。この像が、
相模国準四国八十八箇所の結願となる弘法大師像です。江戸期の新四国八十八箇所案内には、
普門寺別堂と記されていることから、本堂とは別のお堂が設けられていたものと見られます。
第88番御詠歌:たひ衣 はるはるここに くげぬまの あまねき門に 来るうれしさ
【巡礼の旅衣のままで、
はるばる遠くからここ鵠沼までやって来て、 すべての人に広く開かれた
この霊場の門前に、今こうして立てたことの なんとうれしいことだろう。】
普門寺には、複数の木造弘法大師像があります。現在の結願の弘法大師像は、令和六年に
新調されたものです。
最も古いものは、造立年耒詳ですが、その像様から室町期から戦国期のものと見られています。
また、先代の結願の弘法大師像には、胎内に銘札おさめれられており、江戸前期に造立され、
江戸中期に彩色修理が施されたことが記されており、準四国八十八箇所の霊場をつくる前の
作であることがわかります。
このようなことから、準四国八十八箇所として各地に置かれた石造りの大師像は、普門寺の
木造弘法大師像が基準作ではないかとみる説もあります。

木造弘法大師像の胎内納人銘札(右図)
転載:藤沢市文化財総合調査報告書第5集(南部地区 西)承応ニ年(1653)、
善龍大僧都鎌倉仏師右近(後藤)に造立させたこと、享保三年(1718) 5月に
盛観大僧都が関根伝左衛門・斎藤甚左衛門らを施主として鎌倉大仏師三橋薩摩に再興(修理)
させたこと、安永六年(1777)、智英河闍梨が惣旦中を施主として鎌倉仏師後藤勘弥に
彩色修理させたこと、等が判明する。基準作となり得る典型的な江戸前期の大師尊像である。



木造弘法大師像(現在)



弘法大師(空海)像を祀ったお堂(納骨堂・供養塔)。
南無大師遍照金剛 」と。





                                ・・・​ もどる ​・・・


                ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2025.11.30 05:07:40
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