JINさんの陽蜂農遠日記

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2025.12.11
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カテゴリ: 藤沢歴史散歩
次の目的地の「 宇賀神社 」に向かって進む。



右手にあったのが、「赤毛氈」の敷かれたベンチと小さな池。



池の奥には小さな滝が。



ズームして。



「宇賀神社」への石段を上る。 



宇賀神社 」。



遊行寺の宇賀神
遊行寺の宇賀神は、徳川家の祖先、有親公の守り本尊といわれています。
有親公は、遊行十ニ代尊観法親王の弟子となり、名を徳阿弥と改めました。
応永三年(一三九六)徳阿弥は、宇賀神に子孫繁栄を請い自筆の願文を添えて当山に勧請しました。
宇賀神は、天女の様で頭上には白玉と白蛇を刻した宝冠をのせていました。のちに、徳川幕府に
より神殿を奉納されましたが、明治十三年遊行寺が類焼にあった時に焼失し、現在の神殿は
のちに再建されたものであります
宇賀神には戝施の意味があり、この宇賀神を供養尊信する者は、金・衣・食・住・田畑・
豊穣の福を授かり、特に金福の徳を授かると伝えらています。
寛政六年(一七九四 )十一月に当山が消失した際に宇賀神も類焼し、徳川幕府より白銀参拾枚を
再建費としていただいております。」



「宇賀神社(登録有形文化財)」。
現存の社殿は1880年(明治十三年)に再建されたもの。



社殿の見事な彫刻。
その社殿を飾る彫刻は、規模こそ小さいものの、精緻さ・柔らかさ・力強さの三拍子が揃った、
まさに「小堂に宿る匠の魂」といえる素晴らしいものなのであった。



●懸魚まわりの人物と鳥:「仙人乗鶴図」
葉の茂る枝葉の中に、ひげのある人物が座りその下に大きな鳥が翼を広げている姿が。
この図は、江戸期の社寺彫刻でよく使われる「仙人が鶴に乗って天界と往来する図」。



●「木鼻」の彫刻(右)。
非常に力強い 唐獅子(からじし) が彫られていた。



●「木鼻」の彫刻(左)。



裏手の湧水でお金を洗えば金運上昇にご利益のある「 銭洗い弁天 」としても信仰されている。



湧水が上部の石碑の裏から。



「銭洗い弁天」。
「銭洗い」用の多くの柄杓が置かれていた。そして多くの一円玉も。



「銭洗い」用のザルも置かれていた。



「宇賀神社」境内左手にあった「 通暁の句碑 」。
日のいりて くれぬや富士の うしろ空 通暁
通暁については藤沢の俳人ではないかといわれているとのこと。



「宇賀神社」を振り返って。



左: 廻向堂 遊行寺本堂の巨大な屋根



廻向堂 に近づいて。
「廻向(えこう)」とは、
自分が修した功徳(善い行い)を、他者・亡き人・すべての衆生のために回し向ける
=「功徳を分かち与える」
という仏教の根本思想を表す言葉。
したがって 廻向堂は「亡き人への回向」や「先祖供養」の中心施設。
宝珠を乗せた宝形造銅板葺の屋根が印象的。



移動して。
● ① 二重の屋根構造(裳階風)
下層の幅広い屋根に、上層へ向かって反り上がった屋根が載る形。
これは 「宝形造(ほうぎょうづくり)」系の堂塔建築 に見られる意匠で、
「供養の堂」として格を示す形。
● ② 軒下の密な垂木
上層の軒裏の垂木(たるき)が非常にきれいに並び、寺院建築としての 荘厳さ・清浄さを
視覚的に表していた。
● ③ 外壁の白と黒(こげ茶)の対比
白壁と黒(濃茶)の構造は、
時宗系寺院に多い“簡素・清浄” の美意識を感じさせた。
● ④ 上層部に「請(うけ)」の組物
上層の屋根を支える組物が複雑に造られており、仏堂としての格式を示す部分。



石段の上に「 歴代上人の墓 」。 







近づいて。



左手にあった墓石。



藤堂彦子の墓
筑前国秋月藩主黒田長興と佐竹氏の娘であり、伊勢国久居藩主藤堂高通の正室である。
遊行四十二代他阿尊任上人との親交により、当山に埋葬されている。」



美術工芸家 藤井 達吉の墓 一八八一~一九六四 」の墓石。



美術工芸家 藤井 達吉の墓 一八八一~一九六四
愛知県出身。近代工芸の革新を志した人物。戦後は愛知県で和紙工芸を振興した。
遊行七十一代他阿隆宝上人との親交によりこの地に眠る。
ニ〇〇八年に碧南市藤井達吉現代美術館が開館した。」



「歴代上人御廟所」の山門。



中央正面に開山塔、左右に歴代上人の墓塔が。
徳川以前のものは多く無縫塔(むほうとう)で、それが整然と並んでいた。
無縫塔(むほうとう)は、主に僧侶の墓塔として使われる石塔(仏塔)。塔身が卵形という
特徴があり、別に「卵塔」(らんとう)とも呼ばれる。また、墓場のことを「卵塔場」という。


中央正面の「開山塔」。
4代遊行上人、藤沢山遊行寺開山の呑海上人と他歴代7人の墓碑。



卵塔(無縫塔)の各部の構造と名称。



左奥の無縫塔群。



ズームして。
無縫塔の丸みを帯びた一体形は、仏の身体そのもの、円満・悟りの境地・
生死を超えた完全性を象徴すると言われます。



右側の無縫塔群。



右側奥に見えたのが「 長生院 」。



白壁で囲まれた「歴代上人御廟所」前から「 長生院 」を見る。  
長生院 」は、神奈川県藤沢市西富にある時宗の寺院。別名、小栗堂。時宗総本山である
清浄光寺(通称:遊行寺)本堂裏手にある。
長生院 」は、神奈川県藤沢市西富にある時宗の寺院。別名、小栗堂。
時宗総本山である清浄光寺(通称:遊行寺)本堂裏手にある。
永享元年(1429年)、清浄光寺の塔頭として建てられた。本尊は阿弥陀如来。
かつては「長照院」とも表記された。
小栗堂の別名の通り、小栗判官伝説に登場する照手姫が晩年尼となって住んだという伝説が残る
江戸時代には『小栗略縁起』を発行した。また周囲には小栗判官と十勇家臣の墓、照手姫の墓、
名馬鬼鹿毛の墓もあり、小栗判官伝説伝承の中心地となっている。



「長生院」下の遊行寺の墓石群。



遊行寺「本堂」を裏の墓地から。



墓地の中の狭い通路を歩く。正面に「長生院 小栗判官墓所」案内。



歴史を感じさせる多くの名家の墓地が並ぶ。



「長生院」を見上げて。



先程訪ねた「遊行寺 歴代上人御廟所」を横から見る。
現在の遊行寺(時宗総本山)の 住職は75代目の他阿一浄上人  と。



通路に迷い、「回向堂」まで戻る。



八重咲きの山茶花(サザンカ)。



近づいて。



再び「長生院」を。この裏にこの後訪ねた「小栗判官墓」があるのだ。  



「髙瀬家累代之墓」。巨大な墓地なのであった。



そして「長生院」への坂道に出る。



ここにも「無縫塔」墓石があったが・・・詳細不明。



金井家先祖代々の諸霊の文字が塔婆にはあったが。



「南無阿弥陀佛」と刻まれた墓石が並んでいた。




                               ・・・もどる・・・



                ・・・つづく・・・















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Last updated  2026.02.23 13:03:51
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