「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2018.08.14
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カテゴリ: 美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​パリ『ルーヴル美術館』イタリア「ボローニャ派」・・・とは?「カラッチ一族」・・・とは?

ルドヴィコ・カラッチ、アゴスティーノ・カラッチ、アンニーバレ・カラッチの作品も並びます♪


​きらりのわがまま「パリ旅日記」・・・第101回​


ボローニャ派・・・とは?

北イタリアの古都「ボローニャ」を中心として栄えた流派

15世紀までは、伝統的なビザンチン画風であったが・・・

1470年以降、地理的関係から

「フェララ派」のコスタが移住してから影響を受ける。

16世紀後半「カラッチ」より、イタリア画壇の主導的地位にまでのし上がる


カラッチは・・・

カラチ兄弟(アゴスティーノ、アンニバーレ)とともに

1589年、ボローニャに美術専門学校



コレッジオ、サルト、ティツィアーノ、ティントレットをはじめ

ミケランジェロやラファエロらの優れた先人の各種技法を

組織的に研究してそれを教授し、

そこから多くの英才を排出させた。

このアカデミアから・・・

グイド・レーニをはじめ、すぐれたバロック画家が育った


『カラッチ一族』・・・とは?


★ルドヴィコ・カラッチ  1555年4月21日-1619年11月13日(64歳没)
 Ludovico Carracci

 イタリア・バロック初期の画家・版画家(エッチング)


★アゴスティーノ・カラッチ  1557年8月16日‐1602年3月22日
 Agostino Carracci

 イタリアの画家・版画家(アンニバレ・カラッチの兄、ルドヴィィゴ・カラッチの従兄)


★アンニーバレ・カラッチ  1560年11月3日-1609年7月15日
 Annibale Carracci



 イタリア美術における初期バロック様式を確立した画家のひとり


Ludovico CARRACHE(Bologne,1555‐Bologne,1619)

La Vierge et I’Enfant.(vers1616‐1619)

パリ「ルーヴル美術館」1階(日本で言う2階)DENON

ドウノン翼にて2018年4月28日(土)9:00~16:00ほしのきらり。撮影


ルドヴィコ・カラッチ・・・とは?
Ludovico Carracci

1555年4月21日、ルドヴィコ・カラッチは、ボローニヤで生まれる。



フィレンツェ⇒パルマ⇒ヴェネツィアを旅し、ボローニャに戻る!


1585年、従兄弟の

「アゴスティーノ・カラッチ」「アンニバーレ・カラッチ」と一緒に

「アカデミア・デリ・インカミナーテ」と言う

折衷主義(せっちゅうしゅぎ)エクレクティシズムの

絵画学校を設立・指導したが・・・

学校とはいうものの、事実上は、

従弟を助手にした工房だった

が・・・弟子たちは、

次々とローマや他の都市で有名になった


16世紀後半の『ボローニャ派』と呼ばれる画家たちを助成したのである

その中には・・・

フランチェスコ・アルバーニ

グエルチーノ

アンドレ・サッキ

グレイド・レーニ

ジョヴァンニ・ランフランコ

ドメキーノらがいた


ルドヴィコ・カラチは・・・

自然の観察、無理のないポーズに的を絞ったスケッチの練習をさせ

人物を描く時には、

はっきりとした比率を使わせた。


ルドヴィコ・カラッチは・・・

イタリアの絵画、特にフレスコ画を生き返らせ

それが、形式的な「マニエリスム」に包括されたと信じられている。


ルドヴィコ・カラッチ自身の作品は

はっきりとしたジェスチャーに寄って

かきたてられる力強い雰囲気と

スピリチュアルな情緒を生み出す

光のゆらめきが特徴である
​​


​​​​ルドヴィコ・カラッチは・・・

1619年11月13日ボローニヤにて64歳で亡くなった。


Augustin CARRACHE(Bologne,1557‐Bologne,1602)

L’Annonciation

パリ「ルーヴル美術館」1階(日本で言う2階)DENON

ドウノン翼にてほしのきらり。撮影


アゴスティーノ・カラッチ・・・とは?
Agostino Carracci


1557年8月16日、ボローニャで生まれ

建築家として教育を受けた。

1574年~エングレービングの製作を始め

フェデリコ・バロッチ、ティントレーット、アントニアカンピ、コレッジォらの

16世紀の画家の模写を描いた。


アゴスティーノ・カラッチは・・・

1586年~1587年、パルマ

1587年~1589年、ヴェネテツィアを旅した。

 ボローニャに戻ると、アンニーバレとルドヴィーコと共にフレスコ画を描く

1592年、最高傑作『Communion of Jerome』を描く

1586年、祭壇画にとりかかる

1598年、弟とともにローマで、フェルネーゼ宮の装飾に取り組む

1598年~1600年、風俗画の制作

1600年、パルマ公ラヌッチョからパルマに召還され

 Palazzo del Giardinoの装飾を行ったが

完成を待たずに1602年3月22日、亡くなる。

1583年、ヴェネツィアで生まれた息子「アントニオ・カラッチ」も画家で

 父の作った学校で学んだ。

Annibal CARRACHE(Bologne,1560‐Rome,1666)

La Vierge aux cerises.(vers1593)

パリ「ルーヴル美術館」1階(日本で言う2階)DENON

ドウノン翼にてほしのきらり。撮影


星
​ Annibale Carracci

17世紀に活躍したボローニャ派の巨匠

自然的でありながら・・・

大胆な構図と躍動感に富んだ人体表現によって

マニエリスムとの離別を果たした革新者


アンニバレ・カラッチは・・・

1560年11月3日、ボローニャで生まれ

カラッチ一族では、技量の点でもっとも優れていると評価され星

画家「パルトロメオ・バッサロッティのもとで修業をした。


初期は、師の影響で風景画を描くが

本領は、キリスト教や、古代神話に題材をとった歴史画であり

宮殿などの大規模な装飾に力を発揮した


ガレリア・ファルネーゼ天井画で

後のイタリアバロックの大きな特徴となる

古典主義的天井画の到来を告げる


実の兄「アゴスティーノ・カラッチ」

従兄弟「ルドヴィコ・カラッチ」と共に

カラッチ一族として・・・

共同作業による数々の傑作を残すほか


一族によって設立された

「アカデミア・デリ・インカミナーティ」で

古典的な様式と革新的な様式の教育をおこない

「グレイド・レーニ」や「ドメキーノ」など

古典主義における重要な画家たちを輩出した


宗教画、風景画のほか

風俗画や肖像画など活躍は、多岐にわたり

古典主義的美学の基礎を築いた


「アンニーバレ・カラッチ」は、

一族の中でも特に優れており・・・

国内のみならず、フランスなど諸外国でも高い評価を得ていた

・・・つづく・・・

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最終更新日  2018.08.14 07:21:18
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