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再び、Jinmo氏の体験談からの引用である。 私も彼の考えに大いに同意したいので、ここで公表することで、みなさんにことの是非を問いたい。 彼は、下戸である。だからして一切Alchoholは飲まないのだが歓迎会と称してかれに酒を無理強いする人が多いのだということだ。もちろん日本でのことだ。 何度断っても、飲まなきゃつまらんでしょうの一点張りであるということである。 日本の知的文化の水準は、このようなオヤジたちによって価値が下げられているのである。 本人曰く、「私は宴会の桜」であったのだ。 要するに飲む口実にされていたのであって誰も彼を歓迎などしていないのだ。いわゆる、花見というものも桜の花など誰も見てはいない。飲む口実が欲しいだけである。平安の昔とは、打って変わって、現代は、バカの屑人間が多いのである。 ところで、彼が海外公演に行ったときのことである。Hotelでくつろいでいると支配人がわざわざ来て市民に良い演奏をと言って、労をねぎらってくれるのだと言う。 楽器を持ってTaxiに乗れば、運転手のおじさんが、やはり、市民に良い演奏をと言ってくれるのである。どこの誰かも分からない人間に、芸術家ということで敬意を表してくれる国民性に大変驚いたのだと言う。 さて、打って変わって、再び日本である。楽器を持ってTaxiに乗る。すると運転手のオヤジ、楽器を一目見るなり、「あんたBand Manかい?、好きなことで食っていけていいよねー」と吐き捨てるように言ったということだ。 この落差は一体なんなのだろう? この国に、芸術活動が根付かない理由が一つある。差別心である。汗をたらして働かないのは、村八分なのである。 未だに、そういう意識を無意識に持つ人が多いのだ。現在のフリーターも一つの職業ではあるが、それをバカにしてろくな人間じゃないと言い放つ奴がいると聞く。 これも日本だけで通用していることである。 この国の常識は、他の国には全く通用しない非常識である。 この国の文化の一端を継承する人間として、Jinmo氏に同意する。 この国は一度壊さなければいけない。 現代日本人は、屑である。 これだけ情報網が進んでも、意識構造が変わらないのである。世界に通用するのは、100万分の1位かなと感じる。 こんなバカ日本人はいらない! 正直言ってそう感じる。 しかし、これも、実際感じる悲しい現実なのである。
2004.07.31
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現代人の特徴を一言で言えば、夜型人間が多いことである。 人によっては、朝帰り常習犯もいるかと思われるが、これが実は、自分を壊す絶好の機会なのである。 眠りというものは、単純なものではありません。人間の知的、肉体的活動の基礎となるとても大事なことなのです。 例を挙げて紹介しましょう。 身体は、眠っている間に身体を補修し成長します。Exerciseをいくらしても、睡眠が不足すると結果がでないことも稀ではありません。Fitnessをいくら心掛けて運動、栄養に気をつけても、睡眠が疎かになると効果は激減します。 睡眠時にホルモンの分泌が盛んになり、身体が強く成長するのに必要な力が与えられるのです。ですから、睡眠なしには、逞しい身体も得ることはできません。 逆に、眠らないと異化作用と言って、筋肉を分解してEnergyに変えようとします。すなわち眠らないと筋肉が分解され脂肪は燃えない状態なので除脂肪体重が減ってしまいます。早く言えば、太ってしまうのです。人間の身体はいつもこのバランスの上に成り立っているのです。 一方で、睡眠時には、頭の中で様々なことが整理されています。ですから、睡眠の質が低いと頭脳労働のPerformanceも当然低くならざるを得ません。 ところで、みなさんは、レインボーマンを覚えていますか?インドの山奥で修行して超人になった人の物語です。これが、なぜ、Synchronizeするかと言うと、彼は、一定のEnergyが切れると、自動的に睡眠状態に入ってしまうのです。それも何日間も寝てしまうんですね。まあー、これは物語なので、実際にこのようなことはありませんが、それでも睡眠が大切なのに違いはありません。 Sportsでも勉強でも、いい結果を残したければ、睡眠の質を高める努力をするのが一番の近道です。
2004.07.30
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みなさん、お金が欲しいですか? 欲しい、欲しい!って言う声が聞こえてきますね。 しかし、よく考えて下さいよ。 今、あなたの口座に1億円あるとしますね。一体何に使いますか? 飲み食い、ギャンブル、ものを買う等の豪遊には使えないとしましょう。 そうすると、どうやって使おうか迷ってしまいませんか? 実際に、お金の使い道が分からないのに、やたらお金を欲しがるのは、生きながらして、餓鬼道に落ちつつあるのです。 商業活動をして、お金を儲けるのは勝手ですが、人間ができていない人が大金を手に入れると、大概みんな身を持ち崩して、悲惨な人生の幕を閉じています。 それと言うのも、等身大の自分を見失ったからに他なりません。 もし、お金があれば、自己実現の予算として使って下さい。 お金なんてなくても、一向にかまいません。自分の身の丈にあった金額があればいいのです。 とかく情報操作された人々が、われもわれもと拝金主義に走るのはどう見てもまともな状況じゃありません。 さっきの1億円は、ユニセフにでも寄付するのが一番ですね。 子どもの将来のために使ってもらうのがいいでしょう。
2004.07.29
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道を極めた人の物語なりを読んだり、当の本人に会ったりすることがある。 その時、驚くのが、当の本人は意識していないのだろうが、えらく謙虚で、物静かな人が多いのである。 それを考えると、まだまだ自分は、甘いなーと感じてしまう。 同じ極めるにしても、「レベル」があるのである。 初心者が見ても分からないが、上には上がいるのである。それは、ちょうど、同じ山でも、富士山とエベレストの違いのようなものである。 そういうときは、ああー、凄いなーと手放しで感心してしまう。 それに、滅多にそういう人には会えないから、凄くうれしいし、Energyを貰って帰ってくることになる。 さて、宮本武蔵という剣豪がいた。 彼は、剣術を極めたあと、五輪書を書き、絵画を有名な絵師に師事して独特な画風も極めたのである。 最近、再評価の動きが活発になったのであるが、武道と芸術の接点とは、「如何に無心になれるか」にかかっていると言っても、過言ではないと感じるのである。 ところで、Jet Leeの主演の映画で、Heroというものがあった。 ここに描かれている剣客の修行が、なんと習字なのである。ここに描かれているのもまんざら嘘じゃないだろうと感じた。それも、宮本武蔵の例があったからである。 上る道は違っても、やはり頂点は一つなのである。
2004.07.28
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Jinmo氏(Guitarist)のコラムでおもしろいものがあったので、紹介しよう。 彼の奏法や音楽性は、私の好みではないのだが、彼の物事を見る視点は、さすがだなと思う点がいくつもある。 その中の一つである。 十数年前に100年間の数が分かるカレンダーが売り出された。 しかし、その後、数ヶ月のうちに自殺者が急増したそうである。どうやら、そのカレンダーの購入者らしいのだった。発売した会社も、社会的な反響を恐れたのか販売を中止し回収してしまったとのことである。 人間は、日常的にいつ自分が死ぬなんてことは意識していない。 それが、カレンダーという日常性の中に投げ込まれると、そのカレンダーの半分くらいの所からあとは、生きられないという自分の意識に直面してしまうのである。 この時、自分に向かい合える良いきっかけになれたら良かったろうが答えは逆だったのだ。 あるLiveで、Jinmo氏に遺書を書いた客がいたと言う。 「俺もあんたのようになりたかったよ!」 だったら、どうして自分に向き合わなかったんだ! バカやろう! 命を粗末にしやがって。 自分から逃げるな。 逃げても逃げ切れんぞ ところで、武士は、毎日が死との直面だったのだ。 だから、逃げることもせず絶えず死と自分に向かい合っていた。 さて、今は、何でも表現できる時代である。 だからこそ、他人と違うことに二の足を踏む情報難民に喝を入れたい。 人ができない、自分が極められることを見つけろ! それが使命だ。 もうカウントダウンは始まっているぞ。
2004.07.27
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音楽も刃物も共通項がある。 それは、一言で表現すれば、切れ味である。 切れにくい刃物を使えば、すっと切れないので余分な力が入り怪我をするし、料理の食材だって台無しになってしまうに違いない。 一方の音楽で切れ味の悪い演奏は、客を怒らせてしまうだろう。 何か瞬間的なものだが、動作の瞬間瞬間に内側から外に向かって迸るものがなければこの切れ味というものは出て来ないのである。 それは、一瞬ごとの気合でもあるし、集中力でもある。 それ故に、肉体的、精神的、技術的鍛錬が疎かになると切れ味は数段落ちるのである。鬼気迫る雰囲気になるまで自分を精神的に高めないと、技術はあっても閃光を放つような切れ味は出て来ない。 それは、気迫の固まりである。 気を高め間合いを取り対象物に迫り、一刀両断に仕留めるのである。 楽器も精神修養を怠ると、とかく技術に走りがちになるが、そこに警鐘を鳴らしたい。技術はマネできるのである。同じ人間がやっているのであるから、できないことはないのである。 ただ、武道のように、三身一体となるような核が本人にないと、人を圧倒する切れ味は出ないのである。 音楽も気合が入ってないと感じたら、一から鍛え直すのだ。 すべてが、不断の鍛錬の賜物だ。 最初からできる者は、ほとんどいないのだから。 押忍
2004.07.26
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青春時代は別として、年を取るごとに、人や物事に対して冷めている自分を発見してしまう瞬間がありませんか? もし、気がついたら要注意でしょう! そういう感覚があなたの感覚を枯渇させて生気を放出してしまいます。 年をとっても、ときめく気持ちは重要なのです。 とある老人ホームで、ボランティアの人たちが、入居者の髪を染めたりお化粧をしたら、とても活気が出てきて何組かカップルもお付き合いを始めたそうです。 やっぱり、いくつになっても、ときめく気持ちが最高の薬なんですね。 中には、寝たきりになりそうだった人が、動けるようになったということもあるそうです。恋の力なんでしょうかね。 物事に興味がなくなり、精神的に燃え尽きてしまう時に、人間は、身体的に若くても死ぬのだと感じます。若くてもそういう状態だと身体はあっても、内面が空っぽですから、ただの張りボテが息をしているようなものですね。そういう状態では、相手を引き付けるEnergyを発散できないので、仮に側にいても、それはまるで幽霊のように感じるでしょう。 いわゆる気のPowerが、あなたの内から外に溢れる時、そのオーラが相手をあなたの魅力の虜にしてしまうのです。 ところで、自分の姿を確認するいい方法があります。 とかく、人間の目は、前についているので、よくよく注意しないと後ろには気がつかないのですね。後ろ姿を想像してみましょう。そして、理想的な姿になるようにimageするのです。 後ろ姿の良い人は、いいですよね。
2004.07.25
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眠りに落ちし夢の泉そっと寄り添う愛しき姫その麗しき姿は見えねども瑠璃色の影はすべてを包むまさに地を覆う空の如し眠りから目覚めし夢の淵そっと寄り添う愛しき姫その微笑みは我心を潤し翡翠色の瞳は我を酔わすまさに宴の夜の残り香の如し平安時代に思いを馳せ、時代絵巻を表現してみました。愛しい姫よ、そっと側にいてはくれまいか?そんな、男の切ない気持ちを詠んでみました。各々が、自分に当てはめて詠んで下さい。あなたの愛しき姫は、いまどこに?
2004.07.24
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伏し目がちに話す君時折まっすぐ僕を見つめるその瞳に心奪われる瞳の奥に静かに燃える情熱の炎を見た時僕は恋に落ちた忘れかけていた生きる歓び君は教えてくれたほとばしる気をたたえたその瞳で言葉少なに語っても君の瞳が口以上に雄弁だ言いたいことは目を見れば分かるよこういう出会いはそんなに多くはないね一緒にいるだけで電気が背中を突き刺すようさこういう感覚は、特別の人にしか感じないはじめて会ってもなぜか懐かしいこの思いDejavuなのだろうか?僕は自分の感覚を信じたい100万分の一の確率
2004.07.23
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以前読んだ音楽記事の中で、印象に残っているものを不意に思い出したので、紹介しよう。 標題にあるように、Drumですべてに意思の疎通をする村が、あるらしいのだ。 そこで、筆者である某Pro Drum Playerが、1ヶ月間武者修行と言うか他流試合と言うか生活を共にして、Rhythmを肌で感じるという企画だった。 生活自体は、極めて原始的な村なのだ。まず、筆者が驚いたのが、子どもでももの凄いRhythmを簡単に叩いていることだったと言う。 その筆者曰く、最初聴いたときは耳を疑ったそうだ。そのフレーズが、どうやっても叩けない!のだということだった。 敵の襲来から、獲物や各家庭生活に必要な情報をDrumで伝達するうちに、自然と難しいRhythmになっていったらしいのだ。だから、ポリRhythmもあるしもの凄く複雑で速いものもある。そのうえ、現代のRhythmのカウントの仕方では、割り切れないものが多いので閉口したのだった。 ところで、1ヶ月近くになると子どもに混ざって叩けるようになったと言うことだ。やはり、生活を共にして慣れてくると頭で考えなくても自然と分かってくるらしい。その生活にどっぷり浸かれることができれば自ずと身につくのであった。 その村は、唯一原始的なRhythmが残っている場所なので、Rhythm Playerにとっては、現代に繋がるRhythmの源流を探り体験する巡礼の旅だったということであった。 何でもそうだが、一度、源流に立ち戻り、その歴史を確認する旅が、自分を育てる贈り物となることが多いのも、また事実である。 時代を遡り源流を探検すれば、思わぬものが手に入る可能性もあるのだ。
2004.07.22
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甘やかしは、もっとも人間を卑しくする手段だ。 品性の嫌しい人間が、見事に出来上がる。 成長過程を見ていると、目の色が変わってくるから一目瞭然だ。成長と共に、顔が卑しくなってくるのである。絶えず何かを伺い隙あらば、何か悪いことをしそうな、ずる賢そうな目だ。 大体この手の輩は、目を見ると分かる。澄んだ目をしていないのだ。己の考えが目に出ているのである。だから目を覗くと、小心者の品性がまず見え、次に何とも言えない嫌なものが見えてくるのである。 それは、例えれば、餓鬼である。 生きながら餓鬼道に落ちているのである。こういう人間を救うのは、もっとも難しい。父親が保護司もしていたので、犯罪者心理については、一般の人より理解しているが、彼らは、総じて気が小さいのである。 犬に例えれば、弱い犬程、よく吠えて噛み付くのである。その人間版であるから、ちょっとしたことで問題を起こし人を傷つける。その上、社会で問題を起こしても、網の目をくぐって逃げることだけは、心得ているからたちが悪い。 昔は、社会の恵まれない者が、やむを得ず犯罪を起こしたことも多かったが、今は逆だ。ちょっとしたことで、怒りに任せて人を殺してしまう。 喧嘩にしても、これくらいやれば、もう良いだろうと言う境界が分かるはずだが、勢いで最後までやってしまう。これも、甘やかされて、自分で痛みを経験していないから、そういうことになるのだろう。 さて、一線を越えるも越えないも自分次第だ。 良い意味で、開花すれば良いが、悪いことに手を染め出すともう止められなくなる。回り始めて惰力の付いた車輪は、悪の坂道を転げ落ちるように走って行くのだ。 生きながらにして、地獄の入り口へと向かって突っ走のである。 誰も止められない。 そうなる前に、改心して許しを請え。 人間でいるうちなら、まだ間に合うはずだ。
2004.07.21
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生物学的男女の差と精神学的男女の差には、かなり差があるようである。 一般的には、男は絶えず変化を求め、女は絶えず安心を求めるというのが、定説だったのである。 しかし、文化や社会的にその中間に位置する人間も独自の文化を持つ今日、理論で簡単に割り切れるほど容易ではないのである。 女性の社会進出に始まり、中性的存在のゲイやレズビアンももはや日陰の身ではなく社会的にその存在がますますclose upされている。 さて、これから飛躍する女性にひと言言いたい。 文化的軋轢に負けてはいけない。 今、母系社会ではないが女性の活躍が、key wordsとなっていると感じるのだ。 女性だって冒険したいし活躍して自己実現したいのである。 安定は、すなわち子どもを産み育てるためにどうしても必要な基盤である。 今までは、男は子どもを産ませるだけで、育児その他は、任せきりだった。 構造的に、男は外、女は内であり様々な言葉の語源となっている。妻を言い換えて、あえて、家内、奥方などと言う。つまりは、家の中の細々としたことを司る人ということだ。 そういう歴史的経過が、言葉として残ってはいるものの、女性の地位向上は著しく、能力面でもほとんど対等の扱いを受けるに至っている。 もはや、このしがらみから解放された一人の人間として生きなければならない時が来ているのである。扶養者、あるいは被扶養者といった範疇でもおさまらないのである。 今までの枠を壊した新しい夫婦も数多くいるのである。夫が家事、妻が外で仕事といった家庭もあるのである。 今までのお仕着せの生き方には、異議を唱えるのだ。男なんだから、これこれしなければならない。女なんだから、これこれしてはいけないなんて、誰が決めたのだろう。すべての人に自分の人生を探す機会は、均等にあるはずである。 時が過ぎれば、今までの非常識が常識となり、常識が非常識となる。歴史が見事に物語っているではないですか?歴史を学ぶのは、常識と言う名の非常識に囚われないために必要なのである。 今までの、価値観をそれに照らして良く議論することが道を拓くのだ。
2004.07.20
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人を愛するとは、慈しみ大事に感じることだ。 言葉で伝えることも大事だけれど、じっと大事な人を抱いているだけで伝わることもあるのだ。 時には、いかなる雄弁さも体の温もりには勝てないのである。 しかし、愛は、実体となる身体と思念との一体化があってこそ生まれると確信している。 どんなに相手を思っても、以心伝心では伝わらないのだ。 あなたの相手に伝えたいMessageがあってこそ、初めて成立する。 あとは、それを相手が受け入れるかどうかが問題だが.....。 ところで、愛は、相手が受ける受けないに関わらず存在して良いのである。 受ける受けないで成立しないものなんて、所詮は、形式にこだわる人間のものであって、それが愛かどうかは、また別の問題なのである。 すべては、世間に向けた格好付けに他ならない。 愛は、無限だし、最強で無敵なのだ。 少なくとも、私は、そう信じている。
2004.07.19
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どこかで聞いたような題名だが?、そこのところは、ひらに容赦してほしい。 まず、場面構成を考えてみたい。 どんな時、男と女は恋に落ち、迷い、愛に昇華出来るのだろうか? 問題なく好きな人が、自分に向かって、笑顔で何か囁いてくれたら気持ちが舞い上がるかな? 現実には、そんな高揚感は一瞬で終わりを告げるのだ。後は、腐れ縁の状態でしょうがないから一緒にいるというのが、本心というCoupleも多いと思う。それは、恋から愛に昇華出来なかったからである。恋から愛に変わる時に打算が入ってしまったのである。時には、計算してはいけないこともあるのである。 「無償の愛が前提条件である」とは、言うものの、映画のように万事Happy Endで終わってくれないのが人生模様だ。人生も、天気のように移ろいやすく、変わりやすいものなのかもしれない。 ところで、年輪というものがある。木が年を重ねるたびに一回りづつ描く軌跡である。人は、その代わりに皺を顔に刻んでいく。何も恥ずかしくはないのである。 年を重ねれば、それだけ深みが増して然るべきだから、その年回りに応じた良い年をとりたいものである。 さて、AmericaのWifeの実家に行ったときのことだ。Bus Stopに老人が座っていた。日本と違うのは、老夫婦が、実に仲睦まじいのであった。それは、おじいさんの膝にちょこんとおばあさんが腰掛けているのが非常に自然なのである。日本だと違和感があるが、自然になんでもなく座っていると妙に感心してしまった。 これが、夫婦のあるべき姿なんだなーと、無言のうちに教えてもらったのだ。 力まずに自然体で向き合えば、必ず良い年のとりかたがお互いにできると確信した瞬間だった。
2004.07.18
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君のその熱き想いに乾杯今日語りあったお互いの夢いつまでも保ち続けよう自分の夢に恋して恋いこがれるまるで愛しい人を求めるようにいつか本当に夢が叶う日が来るその日のことを思い浮かべれば少しくらいのことでくよくよできない一段一段階段を上るのだまるで雲の上の天海を目指すように天海の高みより見下ろせばそこは絶好の見晴らしだろうでも君はそこで止まるべきではない階段はさらに君を高みへと誘うのだまるで情念の火柱が燃えるが如くに姫、ごめんね。これは君のために書いたんだけどネタがなくて載せました。だけど、all for you!だからね。
2004.07.17
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どうすればダメ人間を創り出せるか?これは私の経験から感じた一考察である。1甘やかして何でも買い与えること。2人生の厳しさを教えないこと。3身体の鍛錬をさせないこと。4良い食事の習慣をつけないこと。5金で何でも済むと教えること。6人の悪口を常に言うこと。7物事に感謝することを教えないこと。8目的のためには、手段を選んではいけないと教えること。9他人のためになることは、死んでもしてはいけないと教えること。10自分の気分次第で人を傷つけるように教えること。本人の自覚しないうちから、これらのことを気づかずにやっていませんか?優しく強い子にするには、これらの逆をしないといけないですよね?両親がこういう気持ちの人が多いから、最近、特に問題行動が報道されてるんじゃありませんか?自分の背中を見せられない親は、子どもを持つ資格はありません。私は、国家認証制度の確立を望みます。不適格者は、子どもを持てません。そのくらいしないと生まれた子どもがかわいそうです。何しろ、子どもは親を選べませんからね。
2004.07.16
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猫は、定期的に毛繕いをしたHair Ballを吐き出す習性がある。 ふと、人間も嫌なことを、このように全部出してしまえたら、すっきりするだろうななどと感じてしまったのである。 どうしても生まれ育った環境や本人の性格で自分の中にStressを抱え込んでしまいやすい体質の人がいる。 自分もその中の一人であるので、日常のふとしたことで、ハッと気がつくこともあるのだ。動物は、本能のまま生きているから、自分の気持ちがいいことが何かを既に分かっている。 人間は、考え学習することで今の地位を確立したが、何か手枷足枷をされたような気持ち悪さが絶えず付きまとう。 精神的に自由になれないのである。 絶えず何かに追いつめられているのである。 こういう状態だと、自分の中に悪いものを溜め込む一方で、一向に何もOutputできずに苦しむことになるのである。 これは、何かを創り出すときの産みの苦しみではない。 一方的に、どんどん溜まるヘドロのようなものだ。 これを、何とか出すようにできれば、苦しまずに済むと感じたとき、そこに猫の姿があったのだ。 最近、身近なものから学ぶことは多いのだ。 時には、ボーとする時間を作って、精神衛生的に良いことをしませんか?
2004.07.15
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大冒険と書きたい所だが、今の体調では、目的地と家の往復をどうするかといった所で悩んでしまうのである。ちゃんと、一人で行って来れるだろうか?行くときが一番緊張するのである。 そんなことであるので、病院に着くと暫し気を失うのである。着いて安心してしまい思わず力が抜けるのであった。 先日の病院の通院帰りに駅に佇む美女発見! かねてより待ち合わせをしていたのだが、彼女には華がある。直線距離で60m位離れていた雑踏の中でさえ、彼女を見分けるのは難しくなかったのだ。 自然と視線のFocusが、彼女に合ってしまったのである。これには、正直言ってかなり自分でも驚いた。彼女のEnergyが、私はここよと手招きでもしてくれたようだったのである。すぐ、はっとしたので、手を振って駆け寄った。彼女は、ちょっと驚いたように会釈をした。 こんにちは、初めまして!と、挨拶を交わす。 今までもいろいろやり取りをしていたせいか、初めて会う気がぜんぜんしないのである。何だか久しぶりに会う友人のような気がして驚いた。 ちょっとはにかんだその笑顔、華があるなー。そういうオーラを放っているんだなー。 いつもは疲れるとしょんぼりとしてしまう私だけれど、美女の前でそんな醜態は、死んでも見せられません。 彼女に無理を行って話をする時間まで作らせてしまって、申しわけないやら有り難いやらでどうしましょう? 久々に元気なEnergyをもらって、とても意気揚々な気持ちがしますよ。 P.S. 君の情熱は、しっかりと受け止めた。 僕も早く良くなって、君を猛烈にsupportしたいぞ。 病人の私をこんな気持ちにさせてくれる君は、やっぱり素敵な人なのであるのだ。 女神に出会った私は、きっとすぐ良くなるのであろうなー。 素敵な出会いに感謝します。 生きてるといいこともあるものだね。
2004.07.14
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どうも、漢字から英語に置き換わった所で、Culture Gapが生じてしまっているので、この言葉について考えたい。 どうも、Americaでは、ポルノ関係でSamuraiという言葉を多く見かける。どうも紹介のされかたが、Mysteriousな国日本の精力絶倫男!風なのである。 どういうわけだか知らないが、Wifeの実家にポルノのカタログが何冊も送られてきたのである。 それが、Samurai ポルノなのである。 どうも、英語でのSamuraiは、威勢がいい響きなのだろうか? 日本語の侍とは、とんでもなく違う意味でとらえられているようだ。こういうのがあるから、Culture Gapが埋まらないのである。 誤解が誤解を生んでしまう。 武士の方がまだいいと思う。 武は、Armed=武器を持った、士=男である。士のもとの意味は、縦棒が勃起したPenisを表しているのである。まだ、こっちの方が威勢がいいと思うのは私だけだろうか? 比較文化論のつもりが、すっかり脱線してしまった。 ただ、私が言いたいのは、所変われば品変わるであった
2004.07.13
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自分の見た目に劣等感を持っている人たちは、統計によると以外に思ったより多いらしいですね。 身体のComplexが、新しい出会いを躊躇させたり、自信喪失に繋がっているという報告もあるくらいである。 遺伝的に生まれ持った先天的な要素は遺伝子レベルの治療でないと無理な話だが、私たちには自分を変える秘密の方法があるではないですか? そう、それはExercise Life Styleです。 いい身体になれば、周りのあなたを見る目が変わります。ぜひ、別人に生まれ変わるつもりでやってみませんか? 「死んだつもりでやれば、何でもできる」とは言いますが、何も死んだつもりにならなくても理にかなった方法で行えば、必ずいい身体になりますよ。 人間の身体は、外部からの負荷に対して身体を強くして対抗しようというPowerを誰もが持っているのです。 要は、身体が変化するに足る必然的要素を、どこまで実践できるか?にかかっているのです。 それは、Training理論と栄養、休息のバランスです。 Fitnessを正しいやり方で行えば、今の身体のSizeに見合ったちょうどいい身体を手に入れられます。身長が高い人は高いなりに、低い人は低いなりにいい体つきになるのです。 そして、いい身体をしていると人々の羨望の的になります。 せっかくの人生を落ち込んで過ごしてはいけませんよ。 自分を磨き自信をつけて人生の再出発のChanceです。 さて、これから本格的な夏ですね。 肌を出すのをためらってる、あなた。 身体を鍛えて、それをみんなに見せましょうよ! 自信の漲るあなたの笑顔に賞賛の拍手は鳴り止まないでしょう!
2004.07.12
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愛情の裏返しが、相手への憎さに変わるときがあるという。 家族は、いつでも、この相反する気持ちを持ちながらも暮らしているものだ。 100%愛情で包み込める人は、余程精神が強いのではないか? 例えば、新婚1年目位は、痘痕もえくぼだが2年、3年と月日を重ねるうちに相手の嫌いな面が目につき始めるのである。 そして思うのである。 最初の手応えとGapがあるんじゃないか?どうしてしまったのだろうか? 何が、お互いを変えたのか? 夫婦もそうだが、一緒に暮らしてくると似てくるのである。 もう一人の自分を目のあたりにして、それで嫌になることもあるのである。 夫婦になり、子どもが生まれると、とたんに呼び方を変えてしまう夫婦がいる。 パパ、ママとお互いを呼ぶのである。 心当たりがある方は、要注意だ。 あんたの夫をパパと呼ぶなかれ! あんたの妻をママと呼ぶなかれ! とても自立した大人の会話じゃないと感じるのは、 私だけではないだろう。 急に所帯づいたとかいって、お互いに浮気しちゃ、それこそ Hate&Hateだぞ。
2004.07.11
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日本語で一言で済ませれば、閃きである。 ただ、多分に霊感的な要素を含んだ言葉だと私自身は思っている。 私は、考えさせられることよりも、ハッとして電気が背中を直撃するようなそういう出会いを好む習性がある。 最近は、私自身が右脳人間に移行したので、何らかのimagesを与えられると自然に何かが朧げに頭に浮かぶのである。そのうちに、はっきりとしたものに像を結ぶのであるが、その体験が楽しいのであるし刺激的なのである。 こういった体験は、とてもThrillingである。一度、体験すると次の出会いが、とても待ち遠しいのである。 感情的には、愛情にも似た感覚であると感じている。 自分が、上に一段引き上げられたような高揚感があるので、感謝の心とともにその人に対して愛着が湧くのだ。 私は、血縁とか他人とかといった区切りで人間関係を捉えていないので、愛着のあるものや人すべてを愛したい。 最近出会った人でさえも、私にとっては兄弟同様なのである。 同じ波長を持ち一事専心する志があるならば、私の兄弟でなくてなんであろうか?自分の家族同様に愛を注ぎたいのである。 わたしが、一般常識なんてもので縛られてたまるか!
2004.07.10
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どんなに言葉で飾り立てても伝わらない思いがある。募る思いを胸に秘めて、出るのは溜め息のみ。そんな思い出が誰にでもあるはず。もしくは、現在進行形であるかもしれない。愛は、思いやりだと感じる。なぜ、思うと言わないのかと問われれば、考えるとそこに打算が働くからである。愛情は、掛け値なしで相手を思いやる感情である。だから、君が相手をどう感じるかにかかっているんだ。ロマンチックに物語を語ってあげてもいいだろう。時には、そばに抱き寄せてハグしてさえいれば、言葉はいらないかもしれない。秘めたる思いは目を見れば分かる。「目は口ほどにものを言う」とは、よく言ったものである。君の言いたいことが、目から溢れているよ。君の輝く瞳の中に、僕の姿を見た時君を初めて大切な人だと感じたよ。そして、いつまでもハグしていたいと思った。限りある人生の時間の中で、ともに同じ空間を共有しそしてお互いに思いやる。苦しいこと、どん底なことはあったけど、今でも熱き思いは枯れぬ。僕が苦しいときは抱き寄せてハグしてくれ。それだけでいいんだ。君が悲しければ、側にいてハグしてあげる。ハグは人類を救う。理由なんて無いのさ。ただ、ハグしてくれるだけで気持ちが落ち着くのさ。
2004.07.09
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以前に映画を見た。 Hedwigという題名だった。 なぜこう印象深いのかと言うと、Gayの青年がRock Starを目指すが、生活を友にした少年に曲を盗まれ、愛と憎しみの葛藤の中でどう生きるかを模索するというものだった。 Storyが、よくできているし、曲の作りもよく楽しめた。何よりも惹かれたのが、詩の内容だったのである。 それは、こんな感じだった。 昔、男女は背中合わせの一人の人間だった。それを神が二つに裂いてしまって離ればなれになってしまったそうだ。 その結果、男と女はお互いのPartnerを見つけるのが習性となり、今でも自分のより良き半分を探して、世界中を探しまわるのだと言う。 何だかいい話だと思いません? ちょっと、ロマンチックでおとぎ話っぽくてね。 私は、好きなんですよ、こういう話。 正直な話、あんまり現実主義者じゃないんですね。 すべての人に良いとは、言いませんよ。 ただ、音楽好きでロマンチストには、この映画をお勧めします。 きっと、より良き半分を探したくなるでしょうね。
2004.07.08
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私の日記やContentsを読んだ人は、私という人間は、大体こんな感じの人間であるのかな?と、私の実態に近づいているかもしれない。 私は、自分で極めようと思ったことについては、人からものを教わったことがない。自分の感覚で勝負できないものは、所詮本物ではないからである。それが、私が経験から得た答えである。 壊しては作り、また作っては壊す。 昔の陶工のように、納得できないものは作りたくないのである。 あるいは、武者修行で様々なエッセンスを吸収した後、自分の武術を極めて流派を興した武士のような面持ちでいるのである。 それには、只管に打ち込んでこそ見えてくるものがあるのだ。それは、人に教わってばかりだと受け身に回ってしまい、なかなか自分のいい所に気づくのが遅くなると感じるからだ。 同じ人間の生み出したものなら、あなたにもできるはずだ。 合理的な方法を分析してみよう。 必ず、そこに答えはあるはずだ。
2004.07.07
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縁あって、日本という国に生まれて、最近特に感じるのだけれど、人生に勝ち負けなどあるのだろうか? 人は、時に道に迷い、躓き、地に這いつくばう、それでも生きねばならない。 私は、悲しい言葉を耳にした、勝ち組や負け組という言葉だ。 こう言った二元論でしか物事を考えられないことは、率直に言って心が貧しいのだなと直感的に感じた。人生はこんなに簡単に割り切れるほど単純ではない。 今、世界に生きている人の数だけあるのである。それも、一つとして同じものはないのである。興味本位で書かれた情報に操作され道に迷う人たち。目の前の道が全く見えていないのであろう。 そのまま行けば、その先は崖だとしても狂った馬車馬のように突っ走るのだ。 断崖から墜落する時に、一体何を思うのだろうか? 勝ちも負けもないのである。 他人と比較することでしか自分の位置を確認できないのは、無性に悲しいことだと思うのである。 それは、あなたが、この世で比較などできない唯一無二の存在だからだ。 あなた以上に大事な人は、いないのである。 自分を大切にしよう。 縁あってこの世に生を受けたのは、自分を愛するため、そして愛する人を探して答えを見つけるため。あなたを満たすBetter Halfを見つけ幸せになり、相手も幸せにすること。 君をそばに抱き寄せこの腕に抱けるだけでいい。 理屈なんてどうでもいい。 君を抱いて、体温が伝わるこの瞬間が、人生なんだと感じている。 愛を貫こう! お互いが寄り添うだけで、感じるこの幸せ。 一人でいるよりも2倍にも4倍にも感じるよ。 寂しければここへおいで、僕が抱いてあげるから...。 真摯な愛情は、この世のすべてを超越するのだ。 これを私の日記を読んで下さるみなさんに捧げる!ハグ ハグ ハグ ハグ ハグ ハグ ハグ ハグ ハグ ハグ
2004.07.06
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人生一度や二度の躓きで済めば、しめたものである。壁に突き当たったときは、一度そのことから離れると良い。熱くなりすぎると判断が出来ずに自暴自棄になってしまいがちになるからである。人生の早期には、経験を積むことが重要である。それは、どんな本にも勝る体験が、君を待っているのだから....。迷ったら、一度自分を空っぽにしてみるがいい。今までの価値観から離れれば、もっと違う次元から自分と向かい合えるようになる。言わば、人生の仕切り直しである。だらだら生きていると、人生の節目節目で苦難にであった時にへこたれてしまうのである。人生の再生を定期的に行えば、気持ちも軽やかである。その度に新鮮な気持ちで人生を踏み出せるのだ。とにかく前に進んでみよう!何が待っているか分からないが、冒険と一緒だ。行ってやってみないことには、始まらないのである。自分でその手触りを確かめ噛み締めることが、最大の宝物だ。その時、ふと自分に対面し才能に気づいたり、気づくきっかけになるのだ。ふとした弾みでとはよく言うが、人生とは不思議なもので往々にしてそういうきっかけで人生の次の扉を開いてしまうこともあるのである。そんな時は、前に進んでみよう。自分を信じて!間違たっていいじゃないか。出来なくってもいいじゃないか。要は君が挑戦したことに最大の意義があるのである。それを持つものと持たざるものでは、今後の人生の経験値に自ずと差が出来てしまうだろう。
2004.07.05
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もともと泣き上戸ではないのだが、悲しい思いをすると涙が止まらないのである。生理的な反応と言えばそれまでだが、なぜか自分に素直でいたいと思うのである。 我慢は、心にも体にも良くない。 Stressの受け皿が、溢れそうなところにまたStressが注がれれば、こぼれてしまうのは自明の理であるからだ。我慢せず、そうなる前に受け皿を空っぽにすることが必要だ。 ただ、あまりに我慢強く体力もあると病気になっても気づかず悪くしてしまうことも多いのである。 映画を見ると如実だが、悲しいのはダメだ。悲しみ100%増しで、もう観てられない。かみさんに、これ映画だから大丈夫だよ!と言われようが主人公に感情移入しているから、もうなにも聞こえないのである。 一体、私に何が起きているのだろうか?
2004.07.04
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この2ヶ月ほど、日記やContentsがかなり増えている。 なぜかと言うと、頭が悲鳴をあげているのであり、自分でそれを感じるのが怖いのである。 今は、一端、頭に入る情報を遮断している最中である。 それは、私の中に様々なIdeasや情報が溢れているのである。それらが、混然一体となり、耐え難いChaosとして、津波のごとく突然私を襲うのである。 これが、本当に嫌なのである。 一度、頭の中の情報なり思考回路をすべてDownloadして、頭をすっきりさせたらどんなに気持ちが良いことだろうか? 私が本を読んだりTVを見ない理由は、そこにあるのだ。私自身が、膨大な智慧の貯蔵庫となってしまっているのである。人間の頭も決して無限ではないから、入ってきたものはをどんどんOut Putしていかないと危険なのである。 質問でも何でもいいから、相談してほしい。 そうすれば、いろいろなものを出し切れると思うのである。 本当に、一度、頭を空にしたいのだ。 頭を空っぽにして、心の静寂を取り戻せれば、また以前のように前に進めそうな気がするのである。
2004.07.03
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親という字を分解してみよう。 そこには、木に立って見るという各々のPartsで構成されているのが分かると思う。言われてしまえば、ああー、そうだよねで終わりにしてしまうもしれない。 しかし、親という字を見るたびに、これにまつわる思いでが脳裏に浮かぶのである。 あれは、まだ、母が元気な頃であるから、14年ほど前のことである。 東京にいる学生時代の友人を尋ねるので、Taxiを頼んだのだ。それでTaxiに乗り込む時、母が見送りにきて気をつけていっておいでと声をかけてくれたのだ。 私は、ただ、ああ分かったよとだけ返事をしたのだった。Doorが閉じ車が走り出す。母がぺこりとお辞儀をした。それを見ていた運転手のおじさんが間髪を入れずに言ったのだ。 お客さん、親って字を知っていなさるよねー。これを分解すると親ってもんはいつも我が子を見晴らしのいい木の上から黙って見ていてくれる存在なんだよねー。ありがたいよねーっと、何気なく言ったのだ。 その時ほど、これまでの人生で驚いたことはなかった。 何とも人生の襞を感じさせる言葉だったのでいたく感動したのであった。 かくして、この真実の物語りは、子を持つすべての親に捧げたいのである。 これをナーンだと感じるか、それとも真摯に受け止めるかはあなた次第だ。 私は、これを思い返す度に親の恩に感謝を捧げている。 レクイエムである。 今、これを書いている最中にも、すでに私の頬に涙が流れている。 これを、いつも木の上から黙って見守ってくれた母に捧げたい。 ありがとう! 私もいずれは、そのような存在になるからね。 心安らかに眠って下さい。 あなたの息子より、愛を込めて。
2004.07.02
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今、現実の空間からVirtualな空間へ作業が移行しているのである。 実際には現実空間なのだが、Simulation技術自体がかなり高度なため、あえてこういう言い方をするのである。 要は本人の使い方にかかっているのである。 最近では、数年前まで必要だった大きな空間が、Recordingに必要ではなくなってきているのである。但し、Classic musicは、この限りではないことを了解してほしい。 それは、すなわち、Computer上の処理が高速化した恩恵で、物理的に一定の容量の空間の演算Speedが上がり実用に堪えるようになったため、音作りが格段に容易になったのである。 その結果、大きなStudioを大金を払って維持する必要もなくなってきたのである。 ということは、たとえVirtualであっても、それは、すでに現実空間と何ら変わることがないのである。 映画のMatrixではないが、Virtualがもう一つの現実になりつつあるのである。 現時点で、Virtualと現実を分けて考える人には賛同しない。なぜならもう生活の一部になっているからである。 さて、映画にしても、実際に大きなセットを使わずに済ませているのにも関わらず、壮大な風景を映し出しているものも出てきている。近くで見ても、合成なのか実写なのか区別できないものまである。 音楽にしても、実際の楽器の如くComputerに入っているSoftwareを使って自己完結してしまっているものもあるのである。その音色も限りなく本物に近いので、本物の音源とSoftware音源を効き比べてみないと明確な答えは出せないほどである。 言うなれば、持ち運べるStudioを手に入れたのである。Computerがあれば、音楽がどこでも作れるし、ideasを練ることも出来る。 極端な話、Musicianによっては、飛行機の中で作曲している人さえいるのだからである。それをComputerにRecordingして完成、あるいはDemonstrationの出来上がりである。 本当に、たった一人で、できてしまうのである。 これからは、実際の演奏技術にComputerを使うセンスが加わるのだ。 Musician諸君は、準備はできているのかな?
2004.07.01
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