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第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。 3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。【2005年自民党案】
第20条 信教の自由は、何人に対しても保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式叉は行事に参加することを強制されない。
3 国及び公共団体は、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超える宗教教育その他の宗教的活動であって、宗教的意義を有し、特定の宗教に対する援助、助長若しくは促進又は圧迫若しくは干渉となるようなものを行ってはならない。
【2011年自民党案】
第20条 信教の自由は、保障する。国は、いかなる宗教団体に対しても、特権を与えてはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない。
第20条は、「信教(宗教)の自由」( freedom of religion )を謳った条項である。同時に、「政教分離」条項とも解されるのであるが、ここには誤解がある。本来「政教分離」( Separation of Church and State )とは、「国家と教会の分離」ということであって、「政治と宗教の分離」ということではない。が、日本ではどういうわけか「政治と宗教の分離」であると曲解されている。
「政教分離」とは、優(すぐ)れて西洋概念であって、歴史上、日本にはまったく馴染まない。だから、「教会」を「宗教」に置き換えて西洋の「猿真似」をしているのだろう。が、「国家と教会の分離」とは、「権力の集中」を否定し、権力を分散させようという趣旨なのであって、西洋における教会権力に該当するものが見当たらない以上、的外れの憲法解釈と言わざるを得ない。
例えば、首相の靖国参拝が第20条に違反するかのような話が出たりもするが、戦没者の慰霊を「政治と宗教の危険な集中」などと考えることは「妄想」以外の何物でもないことは明らかである。第20条を「政治と宗教の分離」と解釈するから、政治家が宗教施設に立ち入ることが問題となるのであって、第20条は「信教(宗教)の自由」を謳ったものであることを確認することが先決であろう。それをせず、条文を弄(いじ)くっても、言い訳がましくなってしまって、綺麗な条文にはならないだろう。
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