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《日本国憲法では、この条の第2項に「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とある。それで十分なのである。つまり政府の義務・責任としてシビル・ミニマムの「追求」があるということだ。私見では、シビル・ミニマムの概念は、市民の欲望に応える義務が政府にはある、という理路にもとづいて構成されるものではない。むしろ「法の秩序に従う」という基本的責任を市民が遂行しやすくするための条件がシビル・ミニマムなのだと私は考える》(西部邁『わが憲法改正案』(ビジネス社)、p. 182)
この辺りがいかにも西部氏らしい論立てである。生活の最低保証、すなわち、生活保護をはじめとする<安全網>の設置は、国民の権利ではなく、政府の義務だと言う考え方なのである。
《「法の秩序」は、市民が「健康で文化的な生活」を送れないような状態にあるとき、是非もなく不安定化する。そのことによって市民相互の経済的取引、政治的交渉、社会的交際、文化的接触も動揺し、それが国家全体の活動力を衰弱させる。政府に責任として課せられるのはこの衰弱を阻止することであり、そして市民がそうしたものとしてのシビル・ミニマムに潜在的にせよ同意せざるをえないのは、自分の個的かつ直接的な欲望のためではなく、国家全体の活力低下がひいては自分の活動可能性を弱めると判断してのことだ。それも市民の欲望といえなくはないのだが、私的な視野にもとづく欲望ではない。市民それぞれのもつ法秩序の安定化という社会的視野のいわば最大公約数、それがシビル・ミニマムである。つまりシビル・ミニマムは「市民のミニマム」であるよりも「市民社会のミニマム」である。以下ではこのことをさして「社会のシビル・ミ二マム」とよぶことにする》(同)
市民が政府からどれだけの保障を勝ち取れるのかという「市民の権利」の話ではなく、社会が市民に対しどれだけの保障を保証するのかという「政府の義務」の話ということなのである。
《試案では「日本に長期に滞在する外国人」もシビル・ミニマム保障の対象にしている。これも外国人への恩情からではないし、外国人の「生存権」を認めるからでもない。「法の秩序」は当然ながら外国人とのかかわりにおける秩序のことも含んでいる。外国にいる外国人とのかかわりは条約や国際法で律せられるが、日本に長期滞在している外国人は日本国内の法秩序に直接関与するかたちで――就業するかしないかにかかわりなく――活動している。そうである以上、シビル・ミニマムが彼らについても配慮されて当たり前であろう》(同、 pp. 182-183
ここからは私の偏見を大いに交えて話すことになるが、日本にいる外国人が日本社会に貢献しているというのならこのような保障があっても良いと思うが、話は逆であろう。在日外国人の犯罪がいかに多いことか。日本人に帰化することもなく、参政権を要求する。日本人の発言をヘイトスピーチだとして封じ込める。シナ人に至っては、対日戦がはじまれば、シナの兵士となることが義務付けられてもいる。このような状況下で、在日外国人に対しても社会保障をするなどというのはお人好し過ぎやしないか。
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