照千一隅(保守の精神)

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「照千一隅(しょうせんいちぐう)」(一隅を守り、千里を照らす)は伝教大師・最澄の言葉。本を読み、考えたことをこのブログに書いて参ります。ご意見、ご感想など御座いましたら是非お寄せください。

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2025.01.14
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テーマ: 教育問題(406)
カテゴリ: 教育について

《このところどういうわけか、日本人は日清・日露の戦いまでは、困難な国際情勢のなかを立派によく生き抜き、その愛国心は健全であったが、それ以後、同じ日本人とは思えないほど人間がだめになり、傲慢になり、道を誤った、というような前提で自国の歴史をとらえている論調に出合うことが多くなった、という気がしている。

 日露戦争に勝ったがゆえに新たな災難が日本に降りかかってきた、という新しい問題の出現があるのである。どうしてこんな簡単な歴史の2区分法が成り立つのであろう。

 歴史についてある時点までが正しく、ある時点からは道を間違えた、という論法は歴史論としてどこかおかしいと思いつつ、ついそういう見方に取りすがりたくなるのは、そう考えるのが今の日本人にはじつに便利だからである。これを裏返して、逆の歴史観を立ててみると、たちまち説明に窮し、不自然に思えることから、いかにこれが便利かに気がつくであろう》(西尾幹二編『国民の歴史』(産経新聞社)、 pp. 611f

 戦後平和主義からすれば、かの戦争は否定すべきものである。が、それでは日本人としての「立つ瀬」がない。本来的に日本人は悪い民族ではない。一時的に道を誤っただけだ、そう思いたい。これは体(てい)の良いご都合主義である。

《すなわち2区分法を廃して考えると、日清・日露から次の戦争を経て今日まで、日本は一貫して他国を侵す犯罪の道だけを歩み、利己的で、倣慢で、その愛国心は不健全をきわめ、明治以後われわれは道を誤りつづけた、という言い方がひとつ存在する。その反対に、日清・日露から大東亜戦争を経て今日まで、日本は一貫して自国を犠牲にした正義と誠実の立場を貫ぬき、犯罪はなにもなく、他国に解放と繁栄のモデルを示し、顧みて恥じるところはない、というもう1つの言い方も存在する。

 この片寄った2つの歴史の立場をそれぞれ主張する人々がもちろん今も現にいるので、かならずしも克服された古い見方ではないのだが、各々に反証を提供することはきわめて容易である。ことに後者において「自国を犠牲にして」日本がアジア解放に殉じたなどということはありえない。

 右の2つはどちらも善悪という道徳意識に極端にとらわれている点で同一次元にある。戦争に「正義」と「不正」を持ちこむのは自然法に反する…戦時中に情報戦争に勝つためにアジア解放という「正義」をもっと利用したほうが政治的に賢明かつ有利であっただろう…あの戦争は日米いずれも「正義」の戦争ではなく、太平洋の覇権をめぐるエゴとエゴの衝突、東洋と西洋のあいだのパワーとパワーの必然の激突であった…正邪善悪の入る余地はできるだけ小さく考えたほうが健全である》(同、 p. 612






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Last updated  2025.01.14 19:00:12
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