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家人と佐敦(ジョーダン)で別れて、1人で翡翠市場へ徒歩で行くことにしました。いつ来ても佐敦はごちゃごちゃしてますね。でもこのごちゃごちゃ感が香港らしいです。途中で漢方茶のスタンドを発見香港ではいたるところにある立ち飲みの漢方茶屋で、現地では「涼茶舗」というそうです。そういえば廿四味茶(二十四味茶)が身体によい、と何かの本で読んだのでオーダーしてみました。が、店主が「悪いことは言わないからこっちにしろ」と、五花茶を勧めてきました。でも私は廿四味茶が飲みたい読んで字のごとく24種類の漢方材料を配合し煮出したお茶です。相手は英語が通じず広東語オンリー。2~3分ほど押し問答が続いた結果、根負けした店主がしぶしぶと廿四味茶を注いでくれました。もう色が真っ黒ですわ。一口飲むと、苦ーい思わず近くの椅子にヘナヘナと座り込むほどの苦さ。それ見たことか、と店主。地元の人はこれをぐっと一気に飲みほして、トンッと器を机に置いて去っていきます。デトックス効果があるようです。たぶん効いたと思います。気を取り直してまずは炮台街(Battery street)へ2年ぶりの翡翠市場になります。前回の翡翠市場の日記は、こちらこの炮台街を右折してしばらく歩くと、翡翠や玉器を扱うお店が目立ち始めます。お客も店主も男性が多いのですが、みなさん翡翠がお好きですね。中華圏では天然の無処理、無着色の翡翠のことをA貨というのですが、どの店の人に聞いてもA貨と言い張るので悩みます。あとルースで買っても加工までできるようでした。そうこうしているうちに翡翠市場へ到着。ガード下に2つの棟(バラック)があります。まずは大きい棟へバラックの中には小さな店がたくさん。すべて翡翠や玉器を扱っているからすごい。明らかに偽物を扱っているお店もあります。なぜか偽物のお店のほうが客引きが激しいです。ただ客引きは自分のお店の前だけという暗黙のルールがあるようで、次のお店の前に一歩踏み入れると追ってはこないです。A貨、B貨(樹脂浸透あり)、C貨(染色あり)ごちゃまぜで、玉石混合とはまさにこのこと。これだけ揃うと圧巻です。結局ここでは辛抱強く値引き交渉を重ね2点ほど購入。まだ鑑別には出していないので真偽のほどは分からないです。さて、楽しかった翡翠市場を後に油麻地へもうこの辺りも慣れたものです。有名な茶餐廳の美都餐室(Mido Cafe) その前にある天后廟(觀音廟)天后廟の詳しい日記は、こちらそして油麻地に到着。ここから地下鉄(MTR)で尖沙咀へ戻るのですが、なんだか地下へ下るのが面倒になってしまった私。香港の地下鉄は地下道を歩かされることが多くて、けっこう面倒くさいんですよね。どうせ彌敦道(Nathan Road)を南下するだけだ、ええい、もうバスに乗ってしまえということで、適当なバスに乗ってしまった車窓を見れば降車のタイミングもわかります。こうして無事にインターコンチネンタル香港へ戻ってきました。インターコンチネンタル香港の日記は、こちらこの後はクラブラウンジでアフタヌーンティーを。食べ過ぎたからホテル内のジムへ。こんな時間にジムへ来る人はあまりいないらしく、この時はたった一人で貸し切り状態。トレーナーがつきっきりで見てくれました。窓の外にはペニンシュラ・ホテルが。この後は何もしないまま2日目は終了。部屋から見たシンフォニー・オブ・ライツが綺麗3日目へ、つづく。
2016年03月03日
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ベルヴェデーレ宮殿からトラムDに乗ってハイリゲンシュタットへ行きます。それまでの日記は、こちらトラムのハイリゲンシュタット駅今回はベートーヴェン関連はまわらずホイリゲ直行ですベートーヴェンの家をまわった日記は、こちらベート-ヴェンガング(ベートーヴェンの小径)の入口ベートーヴェン・ガングここを歩いていると自然と頭の中で交響曲第6番「田園」が鳴ります。ハイリゲンシュタットの街並み Heiligenstadt そして着きましたお目当てのホイリゲです。Mayer am Pfarrplatz(マイヤー・アム・プファールプラッツ)プファール広場のマイヤー、ホイリゲであるとともにベートーヴェンが交響曲第9番を作曲した家でもあります。ベートーヴェン・ハウスであることを示す銘板そして新酒のワインが置いてある目印入り口の軒先に小枝の束が目印としてぶら下げられています。マイヤー・アム・プファールプラッツの入口中庭中庭をはさんで左側がビュッフェ・コーナー(デリ)、右側がレストランに鳴っています。ビュッフェ・コーナーの入口ビュッフェ・コーナーホイリゲでの食べ物はビュッフェ・コーナーで購入します。チーズや自家製ハム、ソーセージやサラダなどがあり目移りします。店内ウィーン名物のゲシュプリッター Der G’spritzteその奥のワイングラスに入っているのが今年の新酒です。当然ですがまだ若いです。お料理ドイツ風のお料理はボリュームがあって美味しい長い旅の最終日ということもありゲシュプリツターをがぶ飲みしてしまいました。最高に楽しい一時でした帰りはU4のハイリゲンシュタット駅まで歩いたつもりが、道を間違えてドナウ川に突き当たってしまい。。。ドナウ川通りかかった犬の散歩のおじいさんに道をきき、トラムでU4のハイリゲンシュタット駅までカール・マルクス・ホーフ Karl Marx Hof駅前にはオットー・ワーグナーの弟子であるカール・エーン設計によるカール・マルクス・ホーフという集合住宅がありました。こちらもユーゲントシュティルの建築で、長さが全長1km以上にもおよぶそうです。ハイリゲンシュタット駅こうしてヒルトン・ドナウ・ウィーンの最寄り駅スタディオンに戻ってきました。ヒルトン・ドナウの日記は、こちら駅前のスタジアムの広場にあるバスターミナルでびっくりなんとハイリゲンシュタット行きのバスがある今度来ることがあったらこれに乗ろう。。。ヒルトン・ドナウのエグゼクティブ・ランウジこうしてロサンジェルスから始まった長い旅は終わろうとしています。明日はいよいよ帰国です、つづく。
2012年02月05日
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MTRで深水埗(サムスイポー)から(ジョーダン)にやってきました。佐敦駅のA出口を出ると中国系デパートの裕華國貨があります。ここは後ほどのお楽しみとして、遅めの昼食をとりに雲呑麺の名店、麥文記麺家(マクマンキー)へ佐敦も下町情緒あふれる街並みです.でも尖沙咀(チムサーチョイ)に近いだけあって、深水埗の方が混沌としてカオス度は高いかと。もうお昼の時間をとうに過ぎているのに麥文記麺家は満員御礼。ひょっとしたら地元の方は昼食と夕食の間にも軽く食べるのかな。香港ではこの手のお店は相席がふつうなので何とか席を確保、一人の時は相席の方が周りの人とお話が出来るのでかえって助かります。椅子に座ってふと目の前の張り紙をみると、なんだか見覚えのある地図がタイムズスクエア(時代廣場)に勿地臣街、これって銅鑼湾(コーズウェイベイ)?しかも宿泊しているクラウンプラザの真ん前じゃない?なんと麥文記麺家は銅鑼湾に支店が出来たそうですそう言われてみれば朝出かける時にホテルの前に行列が出来ていたような。あれはきっと麥文記麺家の行列に違いない。わざわざ佐敦まで来なくても食べられたのでした、ゴーン人気のワンタンは新鮮なエビだけの中身でつなぎは一切なしだそうです。でも私は池記の方が好みかなぁ。さて次は裕華國貨へ。中国茶や漢方などをはじめ、陶磁器や刺繍などの工芸品、翡翠のアクセサリーやチャイナドレスなどの服飾品などなど幅広い品揃え。地下1階から5階までまるごと中華のデパート見ていて飽きません。最後にお土産のミッションのドライマンゴーを求め地階へ。香港ナビではドライマンゴー・ランキングが掲載されているのですが、裕華國貨で取り扱っているマンゴーは第3位なのです。 香港ナビの記事は、こちらさてここからジェード・マーケット(翡翠市場)を目指します炮台街(Battery street)に入ると翡翠をはじめとする天然石のお店が増えてきます。この通称ジェード・ストリートは予想外に楽しい道歩きとなりました。露店ではなくちゃんとした店舗なので一軒ずつ回って行きます。日本ではあまりみかけない水晶などもあって何点か購入しました。さらに炮台街を油麻地(ヤウマテイ)方向に歩いていくと、高速道路の高架の下にジェード・マーケット(玉器市場)があります。マーケットは道路をはさんで2か所に分かれていました。市場の中には屋台が200軒ほどあり、すべてが翡翠や天然石を扱っています。「どうせ偽物ばかりだろう」とあまり期待していなかったのですが、これだけの数が並んでいるとテンションあがります品揃えですが素人目から見てもプラスチック製やガラス玉もありまさに玉石混合。品質の良し悪し、本物か偽物かの判断は完全に自己責任のようです。本当はラベンダー翡翠が欲しかったのですが、「翡翠が買えない負のスパイラル」に陥ってしまい。。。翡翠の負のスパイラルとは、・高い翡翠は本物だろうけれど高額だから買えない・安いものは偽物だから買わない・その中間は玉石混合だから素人では見分けがつかないというものです。品ぞろえは天然石を糸で編んでいく中国結びのストラップやブレスレットなど、旅行者向けのアクセサリー系が圧倒的に多いです。自分の好みのパーツを好みの糸で中国結びをカスタマイズ出来るお店はないかなぁ、と思いながらお店の人に聞いてまわりました。調査の結果、どのお店もほとんどご自分で編んで作られているようです。が、仕事が細かくて丁寧な高齢の方のお店は広東語しか通じず、それ以上会話が先に進みません諦めかけた先に1軒のお店を発見ここは天然石のパーツと糸(アジアンコード)のストックも持っていました。このミズ・リー(李太)、なんと英語も話せたので、早速ローズクォーツの干支のパーツを選んでその場で編んでいただきました。水晶に関してはこの私でも見分けられます。また店頭に並べられている商品のパーツを取り出し別の糸で編みなおして、という鬼のようなリクエストにも笑顔で応じてくれました。その間1時間、リーさんとお話ししながらまったく退屈することなく、鮮やかなお仕事ぶりを楽しく拝見させていただきました。作っていただいたのは、こちら糸が定番の赤で無くて、ローズクォーツだけのシンプルなデザインがポイント。ここは本当に楽しかった機会があったらまた行きたいこの界隈まるまる一日でも過ごせそうです。名残惜しいですがもう夕方になってきたので油麻地へ、つづく。2015年に再び翡翠市場へ行った日記は、こちら
2013年02月01日
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2014年ハワイ旅行の初日。今回はレンタカーを借りないので、ホノルル空港からヒルトンまではチャーリーズタクシーを使うことにしました。ワイキキのホテルまでは定額料金で$29なり(チップは別)。予約は渡航前にHPより既に手配済み。口コミ等では今一つ分からなかった現地での手続きを記したいと思います。まず今回のエアーは成田空港19時25分発のユナイテッド航空880便でした。UAラウンジのユナイテッド・クラブ食べ物がほとんどおいていないラウンジです友が濱田屋のお弁当を買ってきてくれました、美味しいケーキはラウンジにあったもの。シャワーを浴びて、夕食を済ませて、機内ではひたすら寝るのみです。飛行機は定刻の朝の7時半にホノルル空港に到着イミグレーションもガラガラであっという間に着いてしまいました。ユナイテッド航空はラウンジや機内食は最悪、サービスも今一つですが、日系キャリアよりも一足早く着くのが良いですね。さて、まずチャーリーズタクシーへ電話で到着の連絡です。個人出口を出てすぐ右側にインフォメーションがあったので、公衆電話の場所を聞いてしまいました。こんなところにインフォメーションがあったのね。探すのが面倒なので何でも聞いてしまう私。その際「どこにかけるの?」と聞かれたので、「チャーリーズタクシーのフリーダイヤルです」と答えると、「とりあえず50セント入れてかけてね」と言われました(やりとりは英語)。公衆電話はインフォメーションの逆側、個人出口の左側のパネルのある部屋にずらりと並んでいました。言われたとおりに50セント(クォーター2枚)を入れて、念のためにアメリカの国番号「1」を押してから、フリーダイヤルの番号をかけてみました。24-Hour Toll Free: 877-531-1333おおっ、ちゃんとつながりました。日本語対応の電話番号ではないので相手は英語です。そのまま英語で続けてもよかったのですが試しに、「すみません、日本語が話せる方はいらっしゃいますか?」と英語で聞いてみました。そうしたら片言の日本語で「ちょっとまってね~」と言われ、しばらく待つと日本語の担当者が出てきました。予約した旨を伝えると、 道路を渡ったところにある緑の屋根の前で待っていてください、 10分くらいで車が向かいます。との返事がありました。公衆電話から見ると緑の屋根が見えたので、「分かりました」と言って電話を切りました。そして投入した50セント(クォーター2枚)ですが、ちゃんと戻ってきましたよこの緑の屋根のある柱で待つこと5分。ものすごく立派なタウンカーがやってきました。SFやKLのインターコンチネンタルホテルで配車されたのと同じ、シートが総革張りの立派なタウンカーです。この車で$29の定額料金でいいのか?と不安になったので、すぐにドライバーに確認したら定額でOKとのこと。私は不安になったらすぐその場で聞くようにしています。そしてタウンカーだけあってBGMがベルリオーズの幻想交響曲でした。しかも第4楽章の「断頭台への行進」が流れている。ちょっと不吉すぎではありませんか(笑)「断頭台への行進」にのってタウンカーは空港からH1を走りぬける。ハワイの車窓には笑っちゃうほど不釣り合いなBGM。まぁこの曲が似合う都市はそうそう無いですが。このまま断頭台の露と消えて、グレゴリオ聖歌「怒りの日」に突入するのかと固唾を呑んで聴いていたら、処刑のドラムロールの直前でドライバーがハワイアン音楽に切り変えました。このドライバー、分かっていたのか?今もって謎です(ここは聞かなかった)。ちなみに今回チャーリーズタクシーをweb.予約したのは往路のみです。復路に関しては昨年ワイキキアンの車寄せから、ベルボーイ経由でチャーリズタクシーを問題なく利用できたからです。昨年のヒルトンから空港までの日記は、こちら念のため今年もカリアタワーのコンシェルジュに確認したところ、チャーリーズタクシーはヒルトンの契約会社だから予約の必要はないとの事。そして話は帰国の日に飛びますが、復路のドライバーは日本人でした。これ幸いとシステムを質問してみました。それによるとチャーリーズタクシーの車はすべてオンラインで繋がっているそうです。ホノルル空港で予約確認が入ると一番近い車に配車要請が来るのだそうです。私たちの時は一番近い車がタウンカーだったのですね。納得です。さて、こうしてあっという間にカリアタワーに到着。チェックインをすませたもののお部屋はまだ準備中とのこと。いつものように巨大ポケットベルを渡されました。HGVCのグランド・ワイキキアンにあるホオキパ・ラウンジに行ってみます。じつはホオキパ・ラウンジを使うのは初めてです。まだ朝の8時半だったので誰もいません。ここでしばらく休んだ後、いよいよ長いハワイの初日のはじまりです、つづく。2015年にチャーリーズタクシーを利用した日記は、こちら
2014年06月10日
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今年のGWもオアフ島へ行ってきました。今回は過去最大の宿泊数でなんと9泊まずは序章から書こうと思ったのですが、写真を整理しても驚くほど何もしていないことが判明その中でなんといっても個人的に特筆すべきは(笑)ヒルトン・グランド・バケーションズ(HGVC)の3つのタワー、カリアタワー、ラグーンタワー、グランドワイキキアンを梯子したことでしょうか。まずは広いヒルトン・ハワイアン・ビレッジにあるHGVCの、3つのタワーの位置関係をおさらいしてみます。まずはイリカイのヨットハーバーから見た,3つのタワーとなります。次はヒルトン・ラグ-ンから真正面に見てみます。ラグーンタワーはヒルトンラグーンに面していて、3つのタワーの中では一番海に近いです。ワイキキアンはビレッジの一番西側、カハモナク通りとアラモアナ大通り(バス通り)に面しています。そしてカリアタワーはカリア通り(バス通り)に面しているので、ビレッジの正面ゲートに一番近いタワーになります。ビレッジにはそのほかホテル棟としてあと4つのタワーがありますが、総合的に一番海に近いのはレインボータワーとアリイタワーになると思います。今回の滞在では最初の2泊をオープン予約にて、カリアタワーの1ベッドルームを抑えました。カリアタワー・1ベッド(シティビュー)一番ポイント&室料の低い山側シティ・ビューですが、中層階以上の部屋(12~18階)が確約されているため、リピーターの人気が高い部屋らしいです。しかもカリア通りの向こうはフォート・デ・ルッシー公園なので、シティー・ビューでも前に遮るものがありません。特に夜景が素晴らしいということでしたが、刻々と変化していく様子が素晴らしかったです。実際は宝石のように輝いていてもっと綺麗でした。本当は海側1ベッド・プラスを希望していたのですが、なにせオープン予約のため取れるという確約がなく、この部屋に空きがあった時点で速攻抑えたのでした。その後ワイキキアンを抑えるために予約画面をウォッチしていましたが、海側も含めてカリアの空室はついぞ見ることはありませんでした。海側に泊まった時の日記は、こちら と こちらちなみに1ベッドと1ベッド・プラスの間取りはまったく同じ。ビューのみの違いです。改めてカリアタワーの隠れた人気を思い知ることになったのでした。今年のカリアの詳しい日記は、こちらそして次は家人と合流したので、ラグーン・タワーの2ベッドルーム・プレミアへ移動。ラグーンタワー・2ベッド(オーシャンフロント)今回は久々にラナイから虹を見ることが出来ました。2ベッド・プレミアの詳しい日記は、こちら今年のラグーン滞在の日記は、こちらここで6泊したあと家人が一足先に帰国したので、残りの1泊をグランドワイキキアンにしました。こちらもオープン予約で1ベッドルームを2泊分おさえました。実際の宿泊は1泊でしたがオープン予約は最低宿泊数が2泊からなのです。なので前日から予約を入れたので、ラグーンのチェックアウト後にすぐに部屋へ入ることが出来ました。こちらもシティービューだったのですが、グランドワイキキアン・1ベッド(シティビュー)一番下の5階でしたなんとヤシの木ビューといううーん、繁忙期のオープン予約だとこうなってしまうのかラグーンのオーシャンフロントから移動すると、この落差には凄まじいものがあります。ただヤシの木の借景があると思えば、中途半端な低層階よりはマシかも、とどこまでもポジティブに考えるわたくし(笑)最終日に各部屋に洗濯乾燥機のあるワイキキアンは、やはり捨てがたい魅力があります。しかしグランドワイキキアンには過去に3回宿泊したことがありますが、部屋のカテゴリーによって印象が全く異なるタワーだと痛感しました。1ベッドプレミアの日記は、こちら2ベッドプレミアの日記は、こちら と こちら今年の1ベッドルームの詳しい日記は、こちらさて今回はタワー間の移動を2回行ったわけですが、荷物の移動はベルさんにお願いせずすべて自力で行いました。貧乏性ゆえ、自分でやらないと気がすまないという。近道などもおいおい書いていきたいと思います。そのほか今回はこちら、公共バスで出雲大社へ行ってみました。出雲大社へ行ったのは初めてです。目新しいことはそのくらいで、あとはいつも行くところばかり行っているというよく言えばHGVCのキャッチフレーズ、暮らすように過ごすハワイを実践したような滞在でした。それではこれよりハワイ日記を書いていきます。よろしくお付き合いくださいませ。クカニロコ・バースストーン
2016年06月11日
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ハワイの日記は今回宿泊したホテル(コンドミニアム)から 今回はヒルトン・ハワイアンビレッジに出来た新しいタワー、 グランドワイキキアンに宿泊しました。 最初は27階の2ベッド・ルームです(今回は滞在中に部屋を移っています)。 アサインされた部屋は建物のオーシャンフロントにあたる部分でした。 グランドワイキキアンは海に対して直角に建っているので、 オーシャンフロント部分の部屋は各階に2部屋しかありません。 ただ海からはちょっと距離がありますので、 正確にはオーシャンフロントとはいえないですし、 ホテル側のカテゴリーも「オーシャンビュー」となっています。 扉を開けると、このような長~い廊下がありました。 視線の先には海が飛び込んできます。 右側の2つの部屋は主寝室とゲスト用の寝室です。 この廊下は長くて、ボーリングとかキャッチボールが出来そうです。 この廊下の奥に、リビングとダイニングキッチンがありました。 まずキッチンから見たリビングです。 そしてフル装備のキッチンです。 炊飯器、ジューサーまであるのですが、見えますか? 出来たばかりでピカピカです そしてダイニングスペースです。 ここからのビューはというと、こんなかんじ。 窓から見えるのは、ヨットハーバーです。 4時頃フロントをふら~っと通りかかったらいただいた ウエルカムドリンクとクッキー リビングスペースからのビューはこんなかんじ。 そして主寝室です。 主寝室はシャワーブース、洗面台、バス、トイレがそれぞれ独立していました。 そしてリビングのラナイから左方向のビューです。 27階は思ったよりもかなり高いです、下を見ると足がすくみます。 滞在中は風も弱く穏やかだったのですが、手すりの方に近づくのが怖かった 高所恐怖症の人はダメかも。。。 あとこの部屋にはゲスト用寝室にもラナイがついていました。 このタワーは39階建てです。 35~39階がペントハウス、33~34階がHGVCのオフィス、 そして32階以下が通常の客室になります。 間取りや階数、ビューによってカテゴリーが定められ、 それぞれの使用ポイントが違います。 金曜日恒例のアロハフライデーの花火はこんなかんじで見えました。 この位置ですと、手前のラグーンタワー越しにみえるかんじです。 この部屋を二人で使ったのですが、かなり贅沢だったかもしれません。 あと部屋に洗濯機と乾燥機があったのもよかったですね。 私はもともとカリアタワーが好きなこともあり、 ワイキキアンもとても気に入りました。 リゾートの非日常性とホテルの快適性・利便性が、 ほど良いバランスで保たれているからです。 さて、次は1ベッドルームのご紹介になります、つづく。 ラグーンタワーの様子はこちらの日記 カリアタワーの様子はこちらの日記
2009年09月16日
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今日は冷たい雨が降っていたのですが、家から一番近くのアウトレットに寄ってみました。アウトレットの入り口にハワイアンなワゴンを発見! ハワイのカハラナッツのワゴンでした。ハワイでは手軽なおやつのカハラナッツですが、東京にも売っていてビックリです。 ナッツはマカデミア・アーモンド・ピーカンナッツの3種類でした。いろいろなサイズがありましたが、三角形の紙に包まれたのが有名ですよね。一つ600円でちょっと高めかな。コーヒーも売ってました。 それで今日私が買ったもの、マカデミアナッツ味のカハラナッツと、ロイヤルコナコーヒーのバニラ・クレームビュレです。 マカデミアナッツは早速食べてみましたが、シナモンフレバーで「食べだしたらとまらない」美味しさでした。店舗は12月まであるので、また行ってみたいと思います。
2007年11月10日
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この日はセドナからギリシャの首都・アテネへの移動です。まず早朝にセドナを出発して、アリゾナ州の州都・フェニックスへフェニックスが近づくと背の高いサボテン群が増えてきます。レンタカー・センターで車を返却して、シャトルバスでスカイハーバー国際空港へ。このあたりは2回目なのでもう慣れたものです。ガーミン(GPS)もよく頑張ったフェニックスからアテネまでは、デンバー→フランクフルトと2回の乗り継ぎです。アメリカのチェックインは自動が多いですが、ここは地上係員にお願いして慎重に手続きを進めます。ロスト・バゲージはいやだし、目的地がアテネだし。。。まずフェニックスのスカイハーバー国際空港から、コロラド州の州都・デンバーへ約2時間40分のフライトです。12時57分発のユナイテッド航空UA714この時のフライトは今回の旅行で行った上空を通るという、信じられないような、夢のような飛行ルートでした。まずフェニックス上空左端に流れているのがソルト川で、その横がフェニックス砂漠植物公園です。フラッグスタッフ上空付近白い雪を頂いた山がサンフランシスコ・ピークス(標高3,851m)そして極めつけのセドナ上空セドナで一番高いサンダーマウンテンを中心に、4大ボルテックスがはっきりと確認出来ました次はモニュメント・バレー上空写真ではわかりにくいのですが、肉眼ではビュートがはっきりと見えました。そして飛行機はロッキー山脈を超え、デンバー国際空港に定刻に到着ここから国際線で大西洋を越えてフランクフルトそしてアテネへ、つづく。
2011年11月14日
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いよいよアテネからイスタンブールへの移動です。アテネ国際空港13時40発のエーゲ航空3992便で、イスタンブールへは14時55分着、とても近いです。エーゲ航空はあまり馴染みが無いエアラインですが、スターアライアンスに加盟していて評判も良いようです。 まずホテルのシャトルバスでシンタグマ広場まで行き、そこからリムジンバスでアテネ空港へ行くことにしました。ところがバスに乗ったものの途中の道路が封鎖されていて、これ以上先に行けないから降りろですと一瞬「大規模ストライキか」とドキッとしましたが、そうだ、今日は日曜日11時から国会議事堂前の無名戦士の碑で、大がかりな衛兵交代式を行うため道路を封鎖するのだそうです。でもここで相手の言いなりになって降りてはいけないのです。「荷物もあるので最寄りのメトロの駅まで行って」と強く主張。結局メトロのアクロポリ駅近くで下ろしてもらい、アテネ空港まではそのままメトロに乗って行くことにしました。またこの空港行きのメトロが死ぬほど時間がかかったなぜ各駅ごとの停車時間がこんなに長いのか。時間に余裕を持っていたからよかったものの、そうでなかったらかなり焦ったと思う。空港に着いたらタックスリファンド(免税手続き)のため税関へ税関はパスポートコントロールの直前にありました。店舗で作成してもらった書類と購入品を持って並ぶのですが、周りの大半の人(外人)は購入品を持っていないのです。どうなることかと見守っていたら、税関のお姉さんは「今度来るときはちゃんと持ってきてね」と言いながら、バンバンとスタンプを押していました。いいかげんな国は良いこともあるものだこれがドイツ語圏だったら間違いなく受理されないであろう。そして出国審査のすぐ後に、払い戻し手続きのためのカウンターがありました。グローバルブルー社のカウンター還付金の受け取り方法ですが私はクレジット決済にしました。クレジットカードをその場で読み取るので絶対に間違いなし。もう翌月に還付金が振り込まれていました(処理上マイナス請求になります)。やるなぁ、アテネ。セキュリティエリア内には免税店が並んでいて、あのコレス・ナチュラル・プロダクトのお店もありました。ここで少し買い足しましたが化粧品なので液体物です。ただ今回は乗り継ぎがないので袋にシールドをしてもらい大丈夫でした。ちなみにアテネ空港の液体物を含む手荷物検査は、搭乗の直前にあります。お買い物の後はラウンジへ行ってみるとオリンピック航空のラウンジでした。Olympic Airあまりお腹が空いていなかったのでケーキとコーヒーのみその後ランチの時間になると軽食が並べられました。飛行機へはバスでの移動でした。Aegean Airlinesエーゲ航空の現地での発音ですが、当然の事ながらエイジアンになります。エーゲ航空のCAはビックリするほど綺麗な方が多かったです。この方は機内安全説明のために黄色いベストを着用していますが、私はこれほどまでに美しいCAを見たことがありません。エーゲ海を思わせるサファイアブルーの瞳、ギシシャ彫刻のような美しい顔立ち。まさに、Wind is blowing from the Aegeanううっ、古いなぁ。。。飛行機は定刻に離陸さようならアテネ、まさに波瀾万丈の3泊4日でした。そして機内食はとても美味しかったでも今まで気が張っていて、その緊張が一気に解けたせいか、途中でうとうとしてしまい半分しか食べられなかった食後に配られたチョコレートはレオニダスだったようです。イスタンブールのホテルでしっかり食べました。そうこうしているうちに着陸態勢となり、マルマラ海のかなたにイスタンブールが見えてきました。もう少しエーゲ航空を楽しみたかったかも。そしてあわただしく飛行機を降りたためここで大失敗を一度も開くこともなく座席のポケットにつっこんだままのこちら、最新版の「地球の歩き方 イスタンブールとトルコの大地」を、完全に忘れて機内に置いてきてしまいました。じつはイスタンブールの街並みはものすごく複雑で、これが無いために後々ものすごく苦労する羽目になったのでしたこうしてイスタンブールの旅がはじまります、つづく。
2011年12月11日
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念願のローマ水道橋とアッピア街道へ自力で向かいます。古代ローマ帝国2大インフラの旅のはじまりまずルートですが、チェントロ(中心部)から郊外へ下るか、郊外からチェントロへ上るか、ギリギリまで決めていませんでした。「すべての道はローマに通じる」という言葉がありますが、ここでいうローマは正確には「カンピドーリオの丘」を指します。午前中行ったミケランジェロが設計した美しい広場があるところです。 その時の日記は、こちらまだ体力も残っているので、アッピア街道を歩いてローマを目指そうやっぱり郊外からローマ中心部を目指すことに決めました。大好きなレスピーギ作曲「ローマの松」の終楽章「アッピア街道の松」でも勝利の凱旋軍はカンピドーリオの丘を目指してます。 新たに昇る太陽の輝きの中、 執政官の軍隊は神聖街道を勢いよく進み、 勝ちてカンピドーリオの丘に登る (作曲者自身による説明文より)この上りルートのデメリットは、途中で棄権が出来ないこと。郊外へ向かう下りルートでしたら疲れたらバスやメトロで引き返せます。上りルートの場合は基点を自分で設定するので、ひたすらゴールの市内の城壁を目指すしかないのです。(まぁ義務ではないので途中で棄権してもよいのですが。。。)さて、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂から、アウレリアヌス城壁にあるサン・ジョバンニ門をくぐり城壁外へ城壁の外から見たサン・ジョバンニ門 Porta San Giovanniサン・ジョバンニ駅からメトロA線に乗ってジュリオ・アグリコーラ駅へこの間なんと9駅、けっこう遠いです、そこはもう郊外です。今メトロに乗ってきた距離を、徒歩で市内へ戻るんだ。。。と思うとかなり不安になる。ジュリオ・アグリコーラ(Giulio Agricola)駅を出たところここは新興住宅地のようで、同じような団地が続いています。持ってきたのはGoogle mapをプリントしたペーパー。辺りに通り名を示す看板が無かったので、方向が判らないそこへ通りかかった強面のおじさまに、 「アッピア旧街道はどちらの方向ですか?」ときくと、英語混じりのイタリア語で、 「アッピア街道へ行くだって!? 正気なのか、ここから恐ろしく遠いぞ」と驚かれてしまいましたイタリア語は渡航前に1ヶ月特訓しましたが、まだ上手く喋れません。でもイタリア人は手振り身振りが大きいので分かりやすいのです。言っている内容はでほぼ間違いないです。 「それはよく分かっているので、とにかく方向を教えて欲しい」と頼むと、 「悪いことは言わないからコッリ・アルバーニ(Colli Albani)駅まで戻って そこからバスで行くことだ」と目をむいて言ってこられたので、本当は 「ローマ水道橋を見てからアッピア街道に行きたいから」と言いたいところ、肝心のローマ水道橋のイタリア語&英語がわからず、 「ほんとうに大丈夫だから教えて欲しい」の一点張りで頼むと、しぶしぶと指を指してくれました。今までで一番真剣に道を教えてくれたイタリア人おじさま、グラッツィエ・ミッレしばらく行くと最初の目標である公園が見えてきました。アクエドッティ公園(Parco degli Acquedotti)です。水道橋のイタリア語はアクエドッティ(Acquedotti)でした。。。ローマ水道橋は、Acquedotti di Roma、水道橋公園は、Parco degli Acquedottiになるんですね~。 今頃分かっても遅い。。。公園内は日曜日だったこともあり、たくさんの家族連れがサッカーをしたり、ワンコのお散歩やサイクリングをしたりしてくつろいでいました。入口に、 PARCO REGIONALE DELL'APPIA ANTICA(アッピア旧街道州立公園 ) の地図つきの看板があったので、ここで間違いありません。公園内をどんどん入っていくとインフォメーション・センターがありました駅からここまで750m、約10分。ここのお兄さん達からパンフレットをたくさんいただきました。アッピア街道の資料は少ないのでとても嬉しい ここでいただいたパンフレットの内容はここからダウンロード出来ます。 PARCO REGIONALE DELL'APPIA ANTICA の公式サイト公園には土手のような煉瓦造りの堤が続いていたのですが、これがフェリーチェ水道橋だそうです。いただいたパンフレットによると、次のように書かれています。 1585年~1590年の間にローマ教皇シクストゥス5世の命によって造られ、 市内のサン・ベルナルド広場にあるモーゼの噴水まで引かれているすごい、今も現役の水道橋なんですね。古代ローマではなくルネッサンス期の水道橋ですが。さて、肝心の古代ローマの水道橋を探しに、このアーチをくぐって野原に出ると、Acquedotto Claudioありました クラウディオ水道橋です。先ほどのパンフレットによると、 カリギュラ帝の時代の38年から建設が始まって、 52年の次のクラウディウス帝の時代までかかったと書かれています。約2000年前の水道橋です。ここは水道橋が分断されていますが、もっと連続した水道橋を見るべく、さらに奥へ進みますああ、さらに市内が遠ざかる。。。つづく。
2010年06月22日
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ヴァチカン博物館で充実した時間を過ごしたあとは、お隣のサン・ピエトロ大聖堂へ初日に下見に行った時よりは人は少なかったですが、それでもものすごい観光客がいました(この時点で11時30分)。Basillica di San pietro色鮮やかな制服のスイス・ガード(スイス傭兵)。セキュリティー・チェックがあるので行列は仕方がないのですが、クーポラへ登る行列がまたまた凄まじかったです。ここで並んでいる時が今までの旅の中で、正直一番きつかったです。クーポラへの登りはとりあえずエレベーター・コースを選択。ただしチケット売り場付近に、下記の注意書きが。 クーポラに到達するには、 エレベーターを使っても、320段の階段を登らなくてはなりません。 お年寄りや、慢性の病気をお持ちの方、 心臓病の方は、ご承知おきくださいちなみにエレベーター・コースは7ユーロ、階段コースは5ユーロ。あまり差が無いのね。さて、エレベーターで登り、しばらくスロープを歩くとちょうどドームの下に出ました。壁の天使のモザイクが間近にとても綺麗です。Cathedra Petri でも高所恐怖症にとっては恐ろしく怖い大聖堂の下の人がもう豆粒くらいの大きさなのです。後陣(アプス)のベルニーニによって手がけられた聖ペテロの司教座(カテドラ・ペトリ)がはるかかなたに見えます。ミケランジェロが設計したクーポラの天井の方が近いさて、ここからが階段になります。心の中で一段ずつ数を数えていきました。階段は、ドームに沿って作られているので上れば上るほど、どんどん狭くなり、しかもだんだん傾いできます。真ん中が磨り減っている階段。大きい方からどんどんドロップアウトしていきます。↑アメリカ人率高し。私は数を数えていたので、もう150段だよ、あと半分だよ、とか周りに声をかけながら上りました。段数を数えているのか?とかなり驚かれましたが、ええ、数えますとも。几帳面で計画的な日本人ですから。個人的にこの階段は楽勝でした。ステップの段差が低いし、私自身小柄ということも幸いしました。8月のダイヤモンド・ヘッドのほうがはるかにきつかったです。ただここも盛夏の晴天だときついかもしれません。ですが上りきった後が怖かった。びゅーっと吹き付ける強風、空が近い。「疲れが吹き飛ぶ」という言葉の意味を身をもって体感したのですが(ちなみに昨日は「足が棒になる」です)ふと下を見ると、360度のパノラマが広がるでも正直、怖いです、怖すぎます。もう地平線が丸いではないですかっ。なんか床が外に向かって斜めになっているような気がするし、柵が、柵の隙間が広くて、風も強い。これがもし日本の建物だとしたら、もっと囲ってしまうと思う。こんなにむき出しの状態って、無い、絶対に無いもう中央の壁に背中をつけたまま、カニ歩き状態で出口へ向かいました。階段は一方通行なので、出口に向かって約半周しなければならずいったい何のために登ったのか。。。今、あらためて家人が撮った写真を見て、すごいところだったんだなぁ。と思います。クーポラへの注意事項に、高所恐怖症と閉所恐怖所も付け加えた方がよいと思う。。。さて、これからサン・ピエトロ大聖堂の中へ つづく。
2010年07月05日
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