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亡き祖父が通ってゐた大阪大倉商業学校(現:関西大倉高校)の卒業アルバムが出てきた。時代は戦前、貴重な歴史的資料を前に、暫し時を忘れてしまった。卒業生のお寫眞などを拝見したが、みんな使命感溢れる顔つきをされてゐる。男は日頃の行ひがまともに顔に出る生き物だが、なるほど此の時代の若者は、人生に対する真剣度が違ひ過ぎるのだ。もちろん、我が祖父も拙者より遥かに男前です。上から「タイプライティング」「読書會」「競算會」と、商業学校らしい授業風景。えー願いましてはーの世界はまっぴら御免で御座います。拙者は計算苦手で苦手で。そろばんと云へば、神戸電鉄小野駅を降りた時のことを思ひ出しました。「御観閲式」と云ふ題からして何やら物々しい雰囲気。重厚な御車で颯爽とお出ましになったのは、もしや大元帥陛下(昭和天皇)であらうか。もしさうであれば是は大変なこと。生徒諸君も整列してゐるが、会場の片隅に立たせてもらうだけで名誉とされたのであらう。教師陣の中には、恐らく「宇垣軍縮」で失業したらしい軍人さんがゐる。だから軍事演習もあります。まぁ当時としては不思議でも何でもない、男の嗜みぐらいの感覚であらうか。ちなみにアメリカの大学では現在でも「予備役将校訓練課程」と云ふ制度があり、学生が予備士官になる教育を受けることは普通に行われてゐる。運動会もなかなか突っ込みどころ多い。鉄棒と跳び箱、なかゝゝレベル高そう。なんかダルマみたいな被り物の競争が楽しそうであります。防毒マスクを被った競技が左寄りの人を刺激しそうだが、別に防毒マスクの操作を知っていて損は無い。偉そうな服装のおっさんは誰?学校校舎と共に写る大礼服のおっさん。名は「大倉喜八郎」と書かれてゐる。名前のとおり学校を開いた「偉い人」なのだが、いろゝゝ調べたら、渋沢栄一のやうな偉大な実業家であることが分かった。其の残滓は現在も脈々と受け継がれてゐて、例えば「ホテルオークラ」なんかも其の一つ。拙者は現在横浜市在住。そごうで御馳走を物色してゐたら、「ホテルオークラのハットケーキ」なるものを発見。弐割引きだから買ってしまった。メープルシロップやバターも高級感を出してゐます。是はぜひとも珈琲と一緒に。札幌在住時代に見に行った大倉山ジャンプ競技場も「あの大倉さん」から来てゐるのですね。知らなかった!リフト乗り場脇に大倉喜七郎顕彰碑があるらしいが、全く見落としてをりました。
2024.12.31
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日本自動車博物館にて旧東ドイツのトラバントや80年代のトヨタ車、そして画像のメルセデス300SLなどを拝見し、お腹一杯になった処で引き揚げることにした。粟津駅までてくてく40分くらいかけて歩き、並行在来線で金沢駅まで戻る。金沢駅を降りたのも人生初めて。比較するものが無いので、へぇーこんな処かと眺め、後は食べる処を探しに。初めて降りる駅は勝手が分からず迷った。ふと目に留まったのが「金沢カレー」と云うお店。金沢のカレーとはなんぞや?出て来た一皿を眺めて、初めて見るような何処かで見たような微妙な小宇宙なり。銀皿に御飯を敷き詰めた上にカレーとカツと千切りキャベツが乗り、スプーンでなくフォークで食す。フォークでカレーをすくえるのか?と思いきや、意外とイケる。カレーはデミグラスソースに近い風味だ。面白い料理をありがとうございました。萬久=ばんきゅうと読みますさて、新幹線に乗る前に嫁さんへのお土産を買う。もう金沢と云えば金箔、お土産コーナーは方々金キラ金と景気がいい。迷いに迷った結果、金箔のカステラと決めた。金に投資して二十年、このところの金価格上昇は嬉しいが、其の金を敢えて食べて仕舞いにする贅沢感も悪く無い。帰宅した翌日、「阪急百貨店大阪ブレンド」と共にいただきます。「ばんきゅうのカステラをはんきゅうの珈琲といただく」訳ですな(笑)。食べ物はさっさと食べる!其の割り切りも人生必要ですよ。箱を開け、カステラの表面を覆ってゐる和紙を丁寧に剥がし、見事な金箔の表情を愉しみます。徹底的に薄く伸ばす技術がキモだが、そら単価が上がってゐるのだから薄くせねばならぬのだ。カステラは既に包丁入れてありました。是が何とも有難い。一般家庭の包丁では、こんなに上手く切れないだろう。処で味の方だが、ちょっと甘めのカステラでございます。大阪ストロング珈琲との組み合わせが乙です。フォークも金で揃えれば良かったと今更「あー」っと云う感じ。でもまぁカステラの味は長崎の「底が砂糖ジャリジャリのアレ」に軍配ですかな。砂糖の使い方が憎い程上手いのは、長崎の歴史的経緯から必然でしょう。もはや思い出となり歴史となり・・
2024.12.14
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初めて乗った北陸新幹線、初めて訪問した石川県、目的は「旧東ドイツのトラバントを見たい」なのだから、ちょっと頭がどうかしてゐるかも知れぬ。其の東ドイツ車が収蔵されてある有難い場所は「日本自動車博物館」。金沢よりもっと先の小松にあるのだ。北陸新幹線に初めて乗って金沢より先の小松で降りる人間は拙者くらいかも知れぬ。早速駅界隈を探検、かつて北陸本線で活躍したボンネット特急が鎮座してゐた。特急白鳥は、大阪-青森間千キロを走破した、現代では考えられない長距離列車。全盛期は食堂車も併結してゐた。最近、有志の皆さんによって往時の食堂車車両を持ってくる計画があるのだとか。今や食堂車こそ、鉄道浪漫の最たるものであります。小松と云えばそもそも「コマツ」がある。駅前には「コマツの杜」と云う公園のやうな施設があって、コマツの巨大重機がドカーンと鎮座。此のパワーショベル、道路工事の機械とは大きさの次元が違います。日本自動車博物館は、小松駅からさらに在来線で一駅の「粟津」近郊にある。約40分の道程を歩いた。地方都市らしく超クルマ社会なので、歩いているのはもちろん拙者だけ。実は此の界隈でツキノワグマが出たそうで、無事に着けたことを神に感謝。瀟洒な外観の博物館トラバントと往時のトヨタ車に注目やはり特別なクルマであることの証拠に、「ベルリンの壁が崩されて急に有名になった車」と注意書きがあった。壁の向こう側の世界が西側メディアに曝け出された直後、東独人民が乗ってゐるトラバントの驚異的な低性能に世界が仰天したのである。インパネに燃料計なし、ライトの上下も運転席から操作不可、こんなクルマを1980年代になってもドイツ人らしい生真面目さで量産してゐたのだ。同年代のトヨタ車を眺めて、同じ時代だったことに改めて驚く。そんなに日本は進んだ国だったのかと。1984年のクラウン~憧れましたよ。デジタルメーターに萌え死にしそうでした。こんなクルマ、もう二度と現れないでしょう。セダンと同じ顔なのにツードア・ハードトップ。後席だって富永愛さんが座れるほどゆったりしてゐる。フェンダーミラーに違和感全くない。トラバントはしょぼかった、でも同年代のトヨタ車はこんなに輝いてゐた、此の見事なコントラストに酔いしれてゐる自分を発見しました。結局「ハイソカー」に憧れてゐた世代なんですよね。ボディカラーはホワイトでも、こんなに恰好良かった訳です。トラバントや最近のクルマと違って。 いつかはクラウン、だから懸命に働いて稼ごう!と云う野心も、時代と共に萎えて行きました。もはやクラウン自体が、自分の思い描いたイメージではないクルマになってしまい、そもそもクルマを持つ必要性とか、そんな大前提も変わっていく。少年の頃に思い描いた憧れの存在は、代替も出来ぬまゝ脳裏の片隅に宿ってゐるのであります。
2024.12.07
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