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少なくともそうしたとらえ方が、不幸な事件を
少なくできるのではないか、と思うのである。
道徳や倫理の話にしてしまうから曖昧になり、
繰り返されるのである。
人には,後悔や反省があるが、人ではない企業には
それらがあろうはずがないからである。
談合事件などまさにその典型的事例であろう。
ばれなければ、得。ばれるリスクをマイナス計算すれば、
やつた方がが得、と考えるから、やっている。これは花より団子の論理である。
この倫理では解けないことは明らかなのである。
だから、ここはなぜそうした企業存亡の危機を賭してまで消費者を裏切り、背を向けさせる言動をとるのか、
さらにその結果、企業の業績は落ちるしあなたの地位も危なくなる。
どうしてそんな損と不幸を招く決断をするのか、と、突き詰めることである。
私なら、さらにくどくどと追い打ちを掛けて、
「企業の命取りになる馬鹿なことをして、どうするの?」。
「大切な自分の人生を反故にしたのでは間尺に合わないではないか」と、
企業の論理、採算の論理で、冷厳に考えてみて欲しいと、
紙と電卓、鉛筆を与えて、計算させ、はなから、問う。
「花と団子、どっちが得になりましたか」。
まともな経営者なら、いや人間なら、
自らの破滅、所属する企業の破滅を、自ら招くことこそ、自分たちの信条としている「採算の合わない投資は見合わせる」
という企業の論理に合わないことはわかるはずである。
まっとうなら損することを決断するはずがないのである。
かねがね思っていること為していることが違うことだから、
誰が考えても論理矛盾、自己矛盾には気づいているはずである。
結局、そうした人たちは、まともな判断が出来ない人か、
あるいは経営のイロハ、企業論理を知らない人、といった方が
正解ではないのだろうか。
だから、倫理の勉強ではなく、
判断学、戦略論、人間学の基本の勉強をぜひとも勧めたいのである。
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