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2018年04月21日
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カテゴリ: 広井勇&八田與一
「代表的日本人」と内村鑑三の日記と手紙 その6

He grew up to be a big fat man, with large eyes and broad shoulders very characteristic of him. "Udo," the big-eyed, was the nickname they gave him. He rejoiced in his muscular strength; wrestling was the favourite sport with him, and he liked to roam in the mountains much of his time, a propensity which never left him till the very end of his life. His attention was early called to the writings of Wang Yang Ming, who of all Chinese philosophers, came nearest to that most august faith, also of Asiatic origin, in his great doctrines of conscience and benign but inexorable heavenly laws. Our hero's subsequent writings show this influence to a very marked degree, all the Christianly sentiments therein contained testifying to the majestic simplicity of the great Chinese, as well as to the greatness of the nature that could take in all that, and weave out a character so practical as his. He also delved a little into the Zen philosophy, a stoic form of Buddhism, "to kill my too keen sensibilities," as he told his friends afterward. So-called European culture he had absolutely none. The broadest and most progressive of Japanese, his education was wholly Oriental.
 彼は成人して大きく太った男になった。大きな目と広い肩は最も彼の特徴だった。『うど』、大目玉は、仲間が彼に与えたニックネームだった。彼は筋力を喜び、すもうは彼の特に好むスポーツだった。そして彼は時間があると多く山の中を歩き回ることを好んだ。この性向は生涯の最後まで決して変わらなかった。彼は早くから王陽明の著書に心を惹かれていた。王陽明は、中国の哲学者の中で、同じくアジアに起源を有するあの最も威厳のある信仰[キリスト教]の最も近くまで来た人である。彼の偉大な教義は、良心と慈悲深いが厳然とした天の法則に関するものである。私たちのヒーローがその後書いたものは、この影響を非常に示している。その中に含まれているキリスト教的な心情のすべては、この偉大な中国人の威厳のある単純さと共に、それをすべてよく把握して彼のような実践的な性格となった資質の偉大さを証明する。彼はまた仏教のストイック的な形態というべき禅の哲学を少し研究した。これは後年、彼が友人に語ったところによると『あまり鋭い感情を殺す』ためであった。彼にはいわゆるヨーロッパ的な教養は絶対に無かった。日本人のうちで幅広く、最も進歩的な人である彼の教育はまったく東洋的であった。


『ボーイズ・ビー・アンビシャス第2集 米欧留学篇』p.90

一八八五年二月十四日 私の知る限りが、私自身の知識であり、真理である。世界は異なる意見を有するであろう。しかし、それらは私の意見ではない。したがって私はそのために責任を負わない。私をして私の知るところに注意を向けさせよ、それ以外に向けさせることなかれ。
  今や私に信認を迫る無数の意見がある。それに対し私自身武装するために、私の知識と限界が定められる必要があった。アメリカは教派(セクト)の国である。各自、他を犠牲にしてその数の増大を試みつつある。ユニテリアン主義、スウェーデンボルグ主義、クエーカー主義、等々のような、このような聞きなれない主義が(他の私が熟知しているものは言うに及ばない)、すでに私に対して試みつつあったのである。憐れむべき異教徒回心者はいずれを自分のものとなすべきかに当惑した。それゆえに私はそれらの何一つをも受けるまいと決意した。それぞれ長所と短所のある幾十の教派の中から、誰が一体『正しい選択』をなしえようか。なぜ、憐れむべき回心者をバプテスマの語源をもって苦しめ、『浸(ひた)され』ねばならぬと彼に向かって主張するのか。しかし敬虔で偉大な点で劣ることのない権威者たちは水のそそぎさえ永遠の救いに必要でないことを主張するのではないか。憐れむべき回心者に対して慈悲深くあれ、汝ら『本国のキリスト信徒』よ。

第六二信(英文封書)〔ジョンズ・ホプキンス大学 新渡戸稲造あて エルウィンより〕日5p.117
一八八五年二月十六日、エルウィンにて
 親愛なるモンク

 一、夜のしじまをゆるやかに
    さあお休みの鐘ひびく
   「北館二階異状なし」
    いざわれも休みにつかんかな
二、いらだつ心は一日の
    仕事のたかを数えつつ
   世界はひねもす多忙なるに
    わが時は速やかに去り行きぬ
 三、スーダン土人の勇猛は
    女王の軍をたじろがせ
   イタリヤ艦隊は潮をば

 四、東の方よりしらせあり
    基隆港の戦に
   「天子」のたのむ堅塁は
    三国旗の手に陥ちたりと
 五、シナの無残の要求に

   武器をとれとの叫び声
    日出ずる国にこだましぬ
 六、エルウィン丘わがために
    定められたる仕事あり
   ハシゴに昇るすべ教え
    手拍子打って歩ましむ
 七、感動に心ふるわせわれみつむ
    玩具にたわむる少年を
   あるいはおしの一少女
    同じ不幸の子と語るを
 八、青春の盛かりのうちにわれありて
    (体と心はよしぶざまなりとも)
   世界情勢のうちに賞を得て
    富と栄えをもたらすべきか
 九、祖国の叫びきこゆなり
    《唐の大将》を降すため
  進軍つづけ進みゆく
   「車押す」ため若者来たれと
 十、なぜ、われは異国の地に
    涙と悲しみこらえつつ
   人のうちにていとはかなき
    白痴のむれを求むるや
 一一、ああ!わがさすらう心中は
    メディアの丘〔エルウィンの真向いの丘〕の月と静けさ
   地球と星との造り主は
    なんじの努力の要を知る
 一二、さらばスウィート・ホームの喜びに
    住わんことはわが人生にあらず
   あるいは世界をさすらいて
    わが名を留め行くことも
 一三、さらばサタンが大地をば
    罪と悪もて荒らすとも
   アダム以前のよきさまに
    取り戻されんその日まで
 一四、カルバリ丘のいただきに
    そそがれしキリストの血により
   われをしてこの世の喜びときずなをば
    呻く大地にささげしめよ
 事務所はもうしまる。それではサヨウナラ。来週手紙をくれたまえ。 常に君のヨナタン・内村鑑三
 君の質問には次便で答える。この「詩」に大した時間がかかったことを忘れないでくれたまえ。





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最終更新日  2018年04月21日 03時23分43秒
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