カテゴリ
ウィキペディアによれば、中央に日輪を配する定型の「旭日旗」は帝国陸軍によってはじめて採用された。 それ以前には内戦中において類似するものが 西軍 (官軍) の旗 として使用された。
旭日旗の一部の意匠は、民間の祝い事などの際に長らく用いられてきたが [1] 、
いわゆる旭日旗は明治政府が国旗を制定したのとほぼ同時に、建軍まもない当時の帝国陸軍において、日章位置が「日章旗」と同じく中央に位置し、さらに16条の光線( 十六条旭日旗 )を放つ図案を意匠とする旗(いわゆる旭日旗)として、日本史上初めて定型的に採用された。
背後に光線をあしらった軍旗としての旭日の意匠は、兵部省において考案され、1870年(明治3年)5月15日の太政官布告第355号で「 陸軍御國旗 」として制定された。新生日本の各藩統合陸軍のシンボルであるこの陸軍御国旗は1874年(明治7年)、天皇から近衛師団の近衛歩兵第1連隊と近衛歩兵第2連隊に親授された。1879年(明治12年)、従来の陸軍御国旗は旭日の意匠はほぼそのままに寸法を小さくし、房をつけたものに改正され名称も「 軍旗 」と変え改めて制定された。この軍旗は陸軍の基幹である歩兵連隊および騎兵連隊に授与されたことから、俗称として「 聯隊旗 」とも呼称された。その陸軍に遅れること19年後の1889年(明治22年)、勅令第111号で従来の日章旗(=軍艦旗)から変更されるかたちで、海軍は陸軍の軍旗の意匠(旭日旗)を流用しながら、 日章位置が旗竿側に寄る 旭日旗を「 軍艦旗 」として制定した。
戦後、日本の軍隊は「自衛隊」として事実上復活したことにともない、「旭日旗」も復活した。
第二次世界大戦敗戦に伴い、陸海軍共に解体され軍旗としての旭日旗の歴史が一旦途切れるも、1954年(昭和29年)に発足した 陸上自衛隊 では陸軍時代の軍旗を元に考案された 八条旭日旗 の「自衛隊旗(連隊旗)」が、同じく同年発足の海上自衛隊では海軍時代の軍艦旗と 同じ 意匠の「 自衛艦旗 」が採用され、旭日旗の使用が復活した。
民間の使用は昔から続き、国旗と同様ないし準ずる扱いを受けている。
私の知る限り、戦後、民間で使用されたことは無く、極めて例外的なものである。
長い歴史の中でも正式に軍事目的に使用されてきており、自衛艦旗は現在も戦(いくさ)の道具であることは明らかである。
したがって、 領土返還を要求している相手国
との試合において、わが応援団が旧「軍旗」や自衛艦旗の類を掲げることは、 スポーツの場に政治的挑発を持ち込む
ものであって、当方の民度を問われることである。
※
春牛圖
には類似する太陽の描写がある。旭日の意匠を慶事に利用する習慣は、中国文化の影響を受けたものと思われる。
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&site=imghp&tbm=isch&source=hp&biw=879&bih=291&q=%E6%98%A5%E7%89%9B%E5%9C%96&oq=%E6%98%A5%E7%89%9B&gs_l=img.1.1.0l2.4625.8016.0.10688.6.6.0.0.0.0.125.656.1j5.6.0....0...1ac.4j1.23.img..0.6.656.gIfZpWV30as
2014総選挙の勝敗 2014/12/19 コメント(1)
漁船に掲げる太陽の意匠 2014/01/18
PR
コメント新着
キーワードサーチ
フリーページ
カレンダー