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源氏の君の子である夕霧は、元服後「従四位下」に叙せられるならわしでした。特に源氏の君の権勢を考えれば「四位」に叙せられることも可能なはずでした。それが、「四位」ではなく「六位」に叙せられたことは祖母の大宮にとっては不満でした。源氏の君がなぜ、自分の息子を高位に任官させずに下位に任官させたかについて源氏の君は、「少女(おとめ)」の中で次のように語っています。(源氏の君)「思ふやうにはべりて、大学の道にしばし習はさんのほゐ(本意)はべるにより、いまふたとみととせをいたずらの年に思ひなして、おのづからおほやけ(朝廷)にも仕うまつりぬべきほどにならば、いま人となりはべりなん」原文の現代語解読文は次の通りです。(源氏の君)「思うことがありまして、夕霧を大学に入れてしばらく勉強をさせようと以前から考えておりました。もう、二、三年ほど学問のために遠回りをさせたとしても、その方が得るものも多いことでしょう。そのうち、朝廷に御仕えするようになりましたなら、人並みの官位に就くことができるでしょう」この後、夕霧は父・源氏の君の願い通り勉学に励んだことが「少女(おとめ)」の巻に記されております。下の原文の写真7行14字目から10行8字目まで。 「もんにん(文人)ぎさう(擬生)などいふなることどもよりうちはじめ、すがすが志(しう志(し)は(果)て給(たま)へれば、ひとへに心にいれて、師も弟子もいとどはげみし給(たま)ふ」 原文の現代語解読文は次の通りです。「夕霧は、擬文章生(ぎもんじょうせい)という試験をはじめ、どの試験もすんなりと合格した。今はひたすら勉強に励んでいるので、教える師も弟子も共に学問に勤(いそ)しんでいる」「平安時代の大学」とは、式部省大学寮のことで、文章(もんじょう)明経・明法・算の四道を学んでいました。
2004年11月25日
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平安時代、貴族の服の色は階級によって分かれていました。六位の色は、「浅葱(あさぎ)」で、葱(ねぎ)の葉の青白い色に似た青緑色でした。 三条殿で元服の式を終えた夕霧が祖母の大宮邸に挨拶に行きます。すると、着ていた服の色を見た大宮が不満に思います。原文には、次の通り記しています。 下の原文9行4字目から10行14字目まで。「あさぎ(浅葱)にて殿上にかへり給(たまふ)を、大宮はあかずあさましきこととおぼ(思)したるぞ」 原文の現代語訳は次の通りです。「孫の夕霧が、六位の浅葱(あさぎ)姿で殿上にお帰りになるのを見て、祖母の大宮はご不満で心外なことと思っておられる」 平安時代、皇族は元服後、四位に列せられるのがならわしでした。 源氏の君は親の七光りにさせないために息子の夕霧を六位にしました。「夕霧が雲井雁(くもいのかり)に逢いに行った時、着ていた服の色で侮辱されました。当時は服の色で明確に階級がわかっていたのです。 平安時代の貴族の正装は、「束帯(そくたい)」で、それよりもくつろいだ場所で着るのが「直衣(のうし)」です。 天皇・上皇・皇太子・親王などの皇族のほか、天皇の「勅許(ちょっきょ)」を受けた者がこの「直衣(のうし)」を着ていました。原文でわかる通り、服の色で階級が区別されていました。なお、正装ではなく、くつろいだ場所で着る「直(ただ)の衣」なので「直衣(のうし)」と呼ばれていました。 夕霧が六位の服を着て雲井雁(くもいのかり)と出逢った時の服も「直衣(のうし)」です。「なおし」とも言います。 実際の「直衣」の写真は、インターネットで見ることができます。服の色分けによる階級の区別は、「少女」の巻の方がわかりやすいのでこちらの箇所の原文を公開しました。
2003年12月26日
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「源氏物語」の中に「かぐや姫」が登場しています。「絵合(えあわせ)」の巻で藤壺中宮(のちの冷泉帝の母君)の御前で「かぐや姫」と「宇津保物語」では、どちらが物語の中で描かれている絵として優れているか、その優劣を競う「絵合」という場面で記されています。下の原文の写真2行末字から4行3字目まで。「たけと里(竹取)のおきな(翁)にうつほ(宇津保)のとしかげ(俊蔭)をあ(合)はせてあらそふ」現代語訳は次の通りです。「竹取物語の翁(おきな)に、宇津保物語の俊蔭(としかげ)を合わせてどちらの絵がおもしろいかその優劣を争うことになる」 また、「かぐや姫」について原文の写真5行9字目から6行18字目まで次のように記しています。「かくやびめ(姫)の此(この)よ(世)のにごりにもけがれず、はるかに思ひのぼれるちぎりたかく・・・」 現代語訳は次の通りです。「かぐや姫は、穢(けが)れたこの世において汚れることなく、はるかに高い天に上られたことは気高い・・・<ことです>」備考:「かぐや姫」は、原文では「かくやびめ」となっております。
2003年06月17日
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