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「源氏物語」の中には、よく囲碁の話が出てきます。かなり詳しく記されているので、紫式部は囲碁についてかなりのたしなみをもっていたとされております。囲碁の対戦ではなく、絵に描かれる場合もあります。源氏の君と紫の上が「葵祭(あおいまつり)」に見物に出かけるための準備をしている場面で出てきます。「葵祭の日、源氏の君は、紫の上がいる「西の対(たい)」に向かい、 惟光(これみつ)に見物に行くための車を用意させてます。 紫の上を祭り見物に誘います。紫の上は、美しく着飾っています。 髪がそろっていないので、源氏の君が小刀(こがたな)で、 紫の上の御髪(おぐし)を削(そ)いであげます。 この箇所は、「葵(あおい)」の巻に描かれています。 下の原文の写真11行9字目から21字目まで。 (源氏の君)「きみ(君)の御ぐし(髪)は、われ(我)そ(削)がん」 囲碁の碁盤の上に乗った紫の上の髪を 源氏の君がそろえようとする原文の箇所は、 慶安3年「源氏物語」の絵に描かれておりますので、 ユネスコの画像を下記に示しました。 源氏の君の右側に髪を削(そ)ぐ小刀と櫛が置いてあります。ユネスコの画像を直接見る場合、下記のサイトから見ることができます。ユネスコの画像 なお、「ユネスコ」のメインテナンスの関係で、画像を開けない場合もあります。
2003年10月25日
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「源氏物語」を原文で読むことを「素読(そどく)」と言います。 現代語訳では、ごくありふれた言葉が、原文で読んだ時に誰もが一瞬、顔を見合わせたり、微笑んだり、苦笑いをしたり、あるいは大きな声で笑う箇所があります。 これは、千年前と現代の日本語とでは、その言葉のもつ意味が違っている場合があるからです。 そこで、一つの例をあげます。「手習(てならい)」の巻の中の一場面で、誰しもが思わず微笑んでしまう箇所の原文があります。 入水した浮舟は、横川の僧都(そうず)に命を救われます。 静養していた浮舟のために、周囲の人々が横笛を奏(かな)でたりして、浮舟の心を少しでも慰(なぐさ)めようとしています。 横川の僧都の母で、八十歳になる大尼君(おおあまのきみ)が、中将の君が奏(かな)でる下手な横笛が聴くにたえないので、周囲の尼たちに琴を持ってきて奏(かな)でるように勧(すす)めます。 原文の箇所は、下の写真9行7字目から22字目まで。 現代語訳にすると次のようになります。「どうしたのですか、あなたがた。さあ、琴をとってきて弾いておあげなさい」 原文が記している箇所の「原文の読み下し文」を、後に記したのには理由があります。 原文の「素読」をしている時に、この箇所の原文を初めて読んだ人の多くが微笑んだり、苦笑いをしてしまいます。 9行目7字以下の原文の読み下し文は、次の通りです。「いづら、くそたち、きん(琴)とりてまいれ」 この「くそたち」という言葉は、「代名詞」で、千年以上も昔に使われていた言葉です。 ごくごく親しい仲間うちで、目上の人が目下の人に敬愛を込めて使う言葉で、「あなたがた」あるいは、「あなた達」という意味で使います。 この場合、大尼君は目下の尼たちに言った言葉になります。 千年前と現代とでは、使用する意味が違っているために、原文で読んだ場合、つい笑みがこぼれてしまう箇所の原文になっています。
2003年07月03日
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平安時代、男性が女性の元を訪ね、その三日目の夜に餅(もち)を食べ結婚の儀式とする習わしがありました。「三日餅(みかのもちひ)」或いは、「三日夜の餅」とも言います。 源氏の君が紫の君(後の紫の上)の元へ通い、三日目の夜に紫の上の枕元に「三日夜の餅」を届けるよう従者の惟光(これみつ)に命じます。 それが、源氏の君と紫の君の正式な結婚を意味します。「葵(あおい)」の巻に記されております。下の原文の写真末尾行7字目から末尾まで。「の給(たま)ひしもちゐ(餅)、志(し)のびていたう夜ふ(更)・・・」 原文の現代語訳文は次の通りです。「惟光(これみつ)は、源氏の君からご下命のあった三日夜の餅をほかの者には気づかれぬよう夜遅くなって・・・・<から、紫の君の枕元に届けた。> 平安時代の「三日夜の餅」の習わしは、鎌倉時代に入ると「三三九度の盃(さかずき)」に変形し、現代でもなお一般の結婚式では用いられております。 宮中では、平安時代からの「三日夜の餅」の伝統が、今なお皇室行事の伝統として残っております。 昭和34年4月10日の「天皇・皇后両陛下」のご婚礼の際にも「三日夜餅の儀」が執り行われました。「源氏物語」「総角(あげまき)」には、「三日にあたる夜、餅なんまゐる」とはっきり「三日夜の餅」の儀式について記しています。 今日(7月21日)の掲示板の中に「peko1214さん」が「葵(あおい)」の巻の「三日夜の餅」についての感想を記しておりましたので、関係する原文の画像を公開しました。
2003年07月21日
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《「源氏物語」薄雲(うすぐも)の巻》原文左上には「四望唯煙雲」《四望(しぼう)するも唯(ただ)煙雲(えんうん)のみ》という白楽天の漢詩の篆書印が押捺されている。漢詩の意味は、「あたりを眺めても靄(もや)と雲しか見えない」という意味。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名な一節です。(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。《ひんかし(東)の・・・・ゐん(院)に物する人の、そこはかとなくて、心くるしうおほ(覚)えわたり侍しも、おたしう思ひなりにて侍り。心はへのにくからぬなと、我も人もみ(見)給へあきらめて、いとこそさはやかなれ。かくた(立)ちかへ(返)りおほやけの御うしろみつかうまつるよろこひなとは、さしも心にふか(深)くし(染)ます。かやうなるすきかましきかたは、しつめかた(難)うのみ侍るを、おほろけに思ひしの(忍)ひたる御うしろ(後)み(見)とはおほ(思)しし(知)らせ給ふらむや。あはれとたにのたま(宣)はせすは、いかにかひなく侍らむ」とのたま(宣)へは、むつかしうて、御いらへもなけれは、「さりや。あな・・・・・《こゝろ(心)う》左下2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。(2)・自筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。《「源氏物語」薄雲(うすぐも)の巻》《源氏の君、美しく輝く梅壺女御(六条御息所の姫君)を訪れ恋心を訴える》《(源氏の君)「ひところ、生きる瀬もなく落ちぶれておりましたときに、いずれはああもしよう、こうもしようと願っておりましたことが、少しずつかなえられてきております。東》・・・・・の院におります人(花散里の姫君)が、以前は頼りない暮しなのでいつも痛々しく思わずにはいられませんでしたが、今では安心のゆくようになっております。 気だてのよいところなどを、この私(源氏の君)のほうでも、また先方(花散里の姫君)でも、はっきり理解し合ってのお付合いですから、まったくさっぱりした間柄なのです。こうして京に戻って朝廷の御後見をさせていただく喜びなどは、それほどありがたいものと感じているわけではなく、このような色めいた向きのことでは、いっこう心を抑えにくい性分でございます。したがって、あなたに(梅壺女御・六条御息所の姫君)対しては並大抵ではない辛抱を重ねての御後見であることがお分りいただけましょうか。せめて、かわいそうとだけでもおっしゃっていただきたいのですが、それすらかなえられませんのなら、どんなにはりあいのないことでしょう」と君(源氏の君)がおっしゃると、女御(にょうご・梅壺女御・六条御息所の姫君)は、どうにも応じようがなく困惑して、ご返事もないので、(源氏の君)「やはりそうでございますか。ああ・・・・・《情けない」とおっしゃって、ほかのことに話を紛らわしておしまいになった。》(3)・自筆の「英訳文」は次の通りです。《A Rack of Cloud(薄雲)》《There is the lady in the east lodge, for instance:》… she has beenrescued from her poverty and is living in peace and security.Her amiable ways are well known to everyone, most certainlyto me, and I should say that in that quarter mutualunderstanding prevails.That I am back in the city and able to be of some service toHis Majesty is not, for me, a matter that calls for very loudcongratulation.I am still unable to fight back the unfortunate tendenciesof my earlier years as I would have wished.Are you aware, I wonder, that my services to you, such asthey have been, have required no little self-control?I should be very disappointed indeed if you were to leave mewith the impression that you have not guessed."英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)(4)・自筆の「中国語訳」は次の通りです。《薄云(薄雲)》住在院的那人,以前孤苦伶,在安居福,无所了。 人性情温和,我与互相解,密无。我回京以后,官晋爵,身帝室屏藩,但我富并不深感趣,惟有月情,始于抑制。当入之,我努力抑制的恋情而当了的保人,不知能解我此心否?如果不寄予同情,我真是枉苦心了!”梅女御得,默默不答。中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
2025年08月20日
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