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一ノ倉は早々と敗退を決めてしまったので、あまった時間で榛名の黒岩に行くことになった。黒岩は榛名山の中腹にある古くからのゲレンデで、林道から歩いて10分ほどと便利である。私は初めての訪問だった。 岩場には講習風のパーティーと3人パーティーだけが取り付いていた。どちらも地元の人たちという感じを受けた。私たちは難しいルートは登れないので、アルパインルートのヤンキー稜と西稜を目指した。この二つのルートは顕著なルンゼ状の岩場を挟んで並んでいる。 パーティーを二つに分け、私たちのパーティーは最初にヤンキー稜を登った。終了点からは西稜の上部がよく眺められる。ちょうど私たちのグループのパーティーが西稜の終了点に着こうとしている時だった。なかなかの眺めにすぐに下降をしないで、仲間たちの登攀と懸垂の様子を写真に収めた。並行したルートを会話を交わしながら登るのも楽しいものである。クライミングの面白さはなにも困難に向かうだけではないと思った。 次に西稜を登ったが、このルートの方がヤンキー稜より少し易しかった。終了点である岩峰の頂上に座って待つが、ヤンキー稜のパーティーがなかなか上がってこない。私たちは懸垂のロープをセットしたままで待っていたのだが、別のパーティーが下から「このロープはどうなってるのですか」などと叫ばれた。あまり迷惑になってはと、仲間がヤンキー稜を登る写真を撮らずに下降してしまった
2009.06.15
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世に幻のクライマーという人たちがいる。1970年代の後半に独自の山行スタイルで活躍した細貝栄氏などはその範疇に入るのではと思っている。 昨日は山岳会の集会があり、久々に外出した。時間があったので登山用具店に寄った。顔なじみの若いスタッフから、いきなり「○○さん(私のこと)、細貝栄って知っていますか」と聞かれた。私の思い出などを交えて彼の経歴を説明すると。へぇーと言う顔をされた。 なぜ急にこんなことを聞かれたかが分からないままに店内にある喫茶室に行くと、テーブルの上に「あるくみるきく147号」のコピーが置いてあった。この原典は近畿日本ツーリストの雑誌で、この号は細貝栄著「限りなき山行」特集の形となっている。後で聞くと、店のお客さんが好意で持ってきて置いて行ったとのことだった。実は私はこの本の存在を知っていたが、読んだことはなかった。そしてずっと読みたいと思っていた本だった。私に語りかけたスタッフは「貴重な本なのですね」と言った。 細貝栄氏は垂直と水平の両方で存在感を示した岳人である。私が始めて彼の記録を山岳雑誌で目にしたのは、一の倉のクラッシックルートを1日で何本も継続した山行である。その後冬期一の倉のルンゼの単独行、日高や知床の長期にわたる山行、1ヶ月もの夏の那須岳から浅間山までの山行などなど、すごい岳人がいるものと驚いたことを覚えている。 彼は単独行が多いが、仲間との山行も多く実行している。彼が自らベストパートナーと書いていたKさんと言う男がいる。Kさんも単独での大きな山を実践し、その記録を著書にしている男である。実は私は縁あってKさんと北海道の山を歩いたことがある。私にとっては気合の入った山だったが、この山行については彼の著書では何も触れていないので、彼にとってはどうってことのない山行だったと思っている。上の写真がその時のKさんである。彼は当時は東京に住んでいたが、北海道の出身である。この山行後私は彼の実家に泊めていただいた。細貝氏も彼の実家にはお世話になっていたらしく、彼の母親は私のすべての動作を細貝氏と比べていた。その経験やKさんの話から、私は会ったことのない細貝氏にはおおいに興味を持ち続けていた。 細貝氏の詳細な経歴やその後についてはここでは触れない。店では時間もなかったので、本にはざっと目を通しただけだった。40数ページという限られたページでは、彼の生い立ちとその後の山行について、足早とも思える簡素さで書かれていただけだった。長い間読みたい本だったが、ちょっとがっかりしたというのが偽らざる感想だった。もっと別の形で書いて欲しかったと思った。
2009.01.29
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