2003.11.30
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純純の好きな映画監督に岩井俊二がいる。
この監督の作品に「UNDO」という作品があるのだが、ご存知の方は
いるだろうか?


ある日、妻の萌美が様々なものを縛り始める。
最初は夫の買ってきたペットの亀。そしてサボテン タワシ 時計など、、、
セラピストは言う。
「何か強迫観念のようなものでしょう。自分が縛られているというような」
夫は言う.
「縛られているんじゃなくて、むしろほどけているんだとおもいます。
僕らの生活にしたて、前よりずっとほどけてるし」

結局ほどけてるのか縛られているのかはっきりしないまま、萌美の症状だけが悪化していく。
緊縛症の末期になった萌美はやがて縛れないものを縛りだす。
水道の水 石鹸の泡 蛍光灯の光 暗闇 午前中 午後
土曜日とか日曜日 四月とか五月

セラピストは言った
「そうなったら患者を縛ってください。縛りたいというのは縛られたいという
感情の裏返しなんです。縛られることでいくらかの安心感が得られるでしょう」
言いつけどおり萌美をロープで縛り上げる。ところが、、、
「ねえ ちゃんと縛ってよ」
「ちゃんときつく縛ってよ」
今度は跡が残るくらいきつく縛った。
「ねえ ちゃんと縛ってよ」
それ以上構う気になれず、萌美を放っておいた。

翌朝目を覚ますと、夫はベッドの上でがんじがらめに縛られていた。
そして床の上に縛られて転がっていたはずの萌美の姿はなかった。



「UNDO」という作品、観てもらえればわかると思うが、
人によって様々な解釈の仕方があると思う。
純純的解釈としては、萌美はきっと色々なものを縛ることで、ほどけかけた自分たちの関係を
それになぞらえたかったのではないかと思う。
だがそんな行動に自分が縛られた時、自分を自らほどき、
二人の関係もほどいてしまったのではないか。


ほどけかけた関係を元通りに縛りたくなる気持ならよくわかる。
だがあまりに強く紐を縛ろうとすればやがて切れてしまうのと同様、
大切な相手への強すぎる縛りつけは逆効果となり、かえって関係がほどけていくことの始まりに
なってしまいはしないだろうか?
束縛と拘束は違う。大切な人をいつなんどきも、手元に置いておきたいという気持ちはわかるが、
その大切な人の行動や思想、考え方を拘束することは
相手にとっては愛情ではなく、苦痛にしか感じられないだろう。

相手を縛りつけて自分以外の世界を見せないことにより
自分を相手にとっての一番だと思わせることよりも
相手を縛りすぎず、相手の中の世界と自分を比較させてもなお、自分を一番だと思わせることができるよう、
自らを高めていくことがなにより大事なのだと思う。


最初から縛らないことだ。縛らなければほどけることなどありえない。
縛るからこそほどける。
もっとも、、、多少なりとも縛りあわなければ相手の気持ちすら確認し確信することができない、
それが人間の悲しいさがではある。
だから世の中別れる男女が後を絶たない。






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Last updated  2003.12.01 08:21:04
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