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今日は父88歳の誕生日です。その父が2月14日 87歳で自宅で亡くなりました。1月末に発熱し、肺炎になりました。入院することなく、自宅で点滴治療、痰が絡むので吸引などを行っていました。食事はほとんどとれず、衰弱していきました。私は長期休暇をとり介護に専念しました。妹も助けてくれました。父の最後は平穏でした。痰を吸引した後に息が止まりそのまま息をしなくなりました。苦しまずに旅立っていきました。数時間前に私の手をぎゅ―っと握ってくれました。力強かったです。ありがとう。 私の家にきて6年半。トータル介護生活は約10数年。仕事と介護の両立は壮絶だったけど、この数年は介護が私の趣味となり、父が可愛くて可愛くて。そんな気持ちになれたのも父のおかげです。眼が見えない、食べれない、動けないしんどさから解放されたのはよかったね。まだまだ、仕事から家に帰ったら、いない父に声をかけて寂しい気持ちになります。お世話になったケアマネ、訪問医の先生、看護師さん、訪問薬剤師の先生、訪問入浴の方々、マッサージの先生、介護マットを準備してくれた方々、父のために本当にありがとうございました。母と妹にも感謝です。ありがとうございました。
2024.04.28
最後の記事から一年以上経ってしまいました。ほんと早いです。私の生活は変わらず、父を家で介護しています。仕事も夜勤しながらの生活は変わりません。父の様子は、視力の低下が進み明暗がわかる程度から、暗が強くなってきたようです。一緒に過ごしている娘の存在もわかっているのかいないのか?判断ができません。1日のうち、半分くらい寝てます。昼ぐらいに起きて、朝食を食べまた寝る。夕食は8時から9時ぐらいに食べて、夜中じゅう起きて朝方寝る事も。睡眠薬を飲んだら0時ぐらいに寝て12時間位寝たりもします。コロナにかからないように、日々気をつけています。
2022.11.03
週5勤務も半年が経過しました。慢性疲労は継続していますが生活に慣れてきたのかたんたんと生活している感じです。退職するつもりが引き続き働いています。退職しても50代半ばでは就職先がないですね。コロナ情勢もあり難しいと思います。働きなれた職場で働くことが賢明と判断しました。介護をしていることを理解してくれている上司がいることは、感謝です。しんどければ休ませてくれます。簡単には休みませんが・・・。父の記憶力・認知力は低下してます。食べると短時間寝てしまうことが多いです。さっき食べた食事も寝てしまうとすぐ忘れます。寝ると生活や考えがリセットされるようです。暴言は減りましたが、夜中も壁をドンドンとたたいたり、大きい声で叫ぶこともあります。静かにして!と言っても「チビが俺の物を取っていくんや、こいつ、しばいたろか!」と幻覚に向かって叫びます。夜中は静まり返っているのでどうしよう!っていう気持ちになります。また叫ばないか、様子をうかがうので私は眠れません。今日の夜中、父はずっと起きていました。私はそばで呼ばれたらすぐ起きるようにしながらうたた寝をしていました。寝たのは朝8時ごろ。私の仕事が休みでよかった。
2021.05.12
前の日記から半年ぐらいたったでしょうか。父の状況に変化はありません。毎日家で頑張って遊び?仕事をしています。朝は8-9時ごろに起きて(遅くても11時には起こす)夜は0時前後に寝ます。夜は睡眠薬を使用しますが数回起きます。持続して寝ていることはないです。以前と比較して、人や物の名前が出てこなかったりします。毎週水曜日の入浴も入るまでは戦いです。30分説得後に何とか入ってくれたりしました。訪問入浴の方には感謝の気持ちしかありません。髪の毛も半年以上散髪していません。またアインシュタインのようになりそうです。私は去年11月からフルタイムになりました。しんどいです。休息が減りました。5日連続勤務(日勤、日勤、日勤、夜勤)もあります。退職も考えています。でも職場に説得されます。いつまで仕事を続けていけるのだろう。今の課題です。
2021.02.21
なかなかブログを書くのが持続しないです。数か月に1回でしょうか。毎日、何をしているのかあっという間に過ぎていきます。仕事、家のかたずけ、炊事洗濯、テレビを見る、寝る、父の介護(食事介助、話し相手、排尿便管理、睡眠誘導(寝ないので寝るまで一緒に起きている)生活の一部が介護で比重を占めている。時間をうまく使えばよいのでしょうが、うまく時間管理ができません。最近は仕事の疲れも取れにくくなりました。特に夜勤明けはつらいです。交代の母は直ぐに実家に帰るものですから、私は帰宅と同時に介護が始まります。ふらふらですね。父は私が帰ると喜んでくれます。「帰ってきたかぁ~。待ってたぞ。」それは、私にたくさん頼み事をしてきいてもらおうとする魂胆やね。多いときで5分弱に1回、私を呼びます。リビングから父の部屋まで6-7歩。何十回も往復し疲れます。休息できるのは、遊びに夢中になっている数十分と父が寝ている時間です。何か対策を考えないとと思い、近いうちにヘルパーさんに短時間来てもらい、私が休息できる時間を増やそうと考えています。11月より介護時短勤務が終了し、週4日から週5日へ戻ります。勤務先は3年間しか介護時短勤務が使えません。法律では3年以上の介護時短がとれるとなっていたように思うのですが、最小の年数しか取れないように決定しているのだろうと思います。短期介護休暇を取って施設に入れることを検討してくださいと言われました。母には期待できず、妹の負担も大きくなると思うので不安です。自分で選んだ道だから、やれるとこまでやって介護と両立ができる職場に変わるか、ヘルパーさんフル活用させてもらうかと検討中です。やはり介護ができる社会環境は恵まれてないですよね。
2020.08.27
6月8日、父は約1年ぶりの散髪をしました。ずっと散髪してくれていた近所の理髪店の方に出張で来ていただきました。ここ数か月、お願いしようと思いながら、個人店だし来てもらう時間とか難しいかもなと勝手に思い込み、私がカットやバリカンが出来ればと暗中模索していました。(バリカン購入しました。)入眠中に首にかかる髪を切ろうとしたら、「お前何やってる?」と寝ながら声を出す父。やばい、「髪の毛伸びてるから切りたいなと思って。」というと「やめとけ」と一言。何度も散髪に行こうと促しますが、なかなか外出するタイミングがありませんでした。近所まで車いすで5分程度です。父は車いすで行くことが人の目にさらされるようで嫌だったのかなと思います。ダメ元で理髪店に電話すると、「いいですよ」と快く返事を頂きとてもうれしかったです。父に、出張で来てくれると言うと、嬉しそうに「やっぱりプロに切ってもらわなあかん。」と言いました。当日、散髪は15分程度で終了し、父も「軽くなった」と満足。まるでアインシュタインのような髪型がすっきりと板前さんのような髪型になりました。久々に家族ともどもうれしい気分となりました。もっと早くに出張で来てもらったらよかったな。ごめんねと思いました。
2020.06.20
父が内服していた薬はセロクエルという、神経を過敏にさせないように穏やかに過ごせるように飲んでいました。また幻覚・妄想が激しいためそれを抑えることも目的でした。毎食後で処方されていましたが、きっちり内服できるはずはありません。主に夜、眠ってもらうための内服でした。錠剤を粉末にしてもらいました。そして苦いため、内服時には甘味料追加、コーヒーに混ぜて飲ませていました。飲まないときは、朝4時頃まで起きています。時に大きな声を出したり、壁をどんどんたたいたり、周囲を気にしながら生活していました。はじめは、それを止めるのに必死でしたが現在はなるしかないと見守ることがほとんどです。放置しているほうが、早くに暴言・暴力は終了します。幻覚・妄想がひどくなり、セロクエルは内服させにくいため、医師に変更をお願いして、最近はシプロキサン5mgを朝のみ内服しています。これはすぐに溶ける薬なので、ヨーグルトに混ぜて飲ませています。傾眠傾向になりますが、幻覚・妄想が軽減しました。まだまだ油断できませんが、コントロールしていければと思います。時に眠剤ブロチゾラムを使用することもあります。これはお茶にも溶けやすく少量甘味料を追加し飲みやすくします。5-6時間は眠ってくれます。家で介護するなら、薬のコントロールがほんとうに重要ですね。
2020.05.23
あっという間の1年。現在は、変わらず私が父をほぼ見ています。状況は変わりません。毎日が必死です。仕事に行くのが精一杯。仕事帰りの買い物がせいぜい。休日も外出がおっくうです。父の介護は大変ですが、家にいてテレビを見ることが楽しみです。去年の介護認定は介護度3から4になりました。訪問入浴を利用していますが、父の機嫌が悪いと入りません。何回かお湯をためてあとは入るだけという状況なのに怒り出して中止。または入浴中に暴れだし中止など、何が起こるかわかりません。去年1年間もハードだったです。友人の死があり、悲しい1年でした。でも介護は待ってくれません。日々前進のみ。
2020.05.16
4月17日、父の介護度認定調査であった。担当者が父に質問している。人が来るとしっかりする父。お名前は?年齢は?→正答。季節は?→秋かな 誤答。質問にちゃんと答えているように見える父。やはり刺激が必要だと感じた。訪問入浴を3月から開始し、(これについてはまたお話します)お風呂に入るときはほぼしっかりしていることが多い。人との関りがやはり必要なんだろう。毎日家の中で同じことの繰り返しはよくないのだ。もちろん父は外には出たくないと言う。しかし家になかでは人との関りは限界はあるし、ディやショートの検討が必要であると感じた。
2019.04.20
去年はあっという間に過ぎ去りました。今年もそうなんだろうなあ。父とは相変わらずの生活は続いていますが、この頃は「ご飯まだか?」「30分前に食べたよ。」「え?そうか?さっき準備すると言うてたやろ?」とさっきのことを忘れているようです。ある日の父の生活状況です。9時半ごろ 布団の上でごそごそしだす。隣で寝ている私は朝の準備のために起きる。 手洗い・うがいの準備と顔拭き・ヨーグルトを準備する。父のもとへ行き、洗面器を置き、あわ石鹸を手に乗せて水をかけながら洗う。うがいにて口をすっきりさせ、顔拭きを渡す。終了後ヨーグルトを自分で食べてもらう。これは一人でもできる。その間に食パンとコーヒーの準備。緑内障・白内障のためほとんど視力がないので、食パンを食べている間見守りをする。(食パンをコーヒーで浸しながらたべる)しばらくするといつもの父の仕事(ティッシュを刻んだのがギャンブルの元となる。それを増やすようなこと)が夜まで続きます。父の部屋から私を何回も何回も呼びます。例えば1分もたたないうちに、数分後、長くても30分くらいかな?私を呼びます。毎日、リビングと父の部屋を何往復もします。ほんと疲れます。何のために呼ぶのか?自分が稼いだ(?)と思っている成果を見せてくれたり、なぜか稼いだものが荷物に変化するのでそれを運送会社に配送しお金に換えるように私に言うのです。何を言っているのかちんぷんかんぷんで、話をなんとかあわせるのに必死です。しかし話が合うはずもありません。時々、「お前何してるんや、取るな、出て行け」と自分の物を取りに来た幻覚の敵に対して暴言をはきます。その敵に殴りかかろうと壁に手をぶつけることもあります。なぜか昼になると興奮することが多く、幻覚・暴言も多いです。食事時間もばらばらで、昼ご飯抜きとかパンだけ食べたりします。晩御飯は19時頃になったり、20時過ぎに多いです。父に振り回されるのです。21時ごろにコーヒーに混ぜた精神の薬を飲ませます。コーヒーが大好きなので薬を絶対に飲むのはこの方法しかありません。内服後は約1時間程度で寝てしまいます。寝ても、リハビリパンツやズボンの交換、布団まで父を運んでからやっと1日が終わります。
2019.02.02
父を介護してはや1年。やっと1年。父の病状は少しずつですが、わからなくなってきているようです。自分で「どうなっているかわからん。」と言い、いつものティッシュを刻んではそれをパチンコの玉や荷物に仕立てて、仕事?をしています。「ドル箱がいっぱいになったか?荷物は何箱できた?お金は数万稼げたな?」など以前やっていた運送仕事に関連した内容やギャンブル好きであった状況から今の父の姿があります。まだ私たち家族のことはわかってるようです。しょっちゅう、言い合いのけんかをします。往診の先生が来られているときには機嫌よく対応しています。現在は神経を高ぶらせない薬を飲んでいます。特に夜は寝てほしいので夕食後に必ず飲ませています。飲まないときは地獄です。夜明けまで付き合わされます。そうしないと仕事に行けないし、仕事を続けられないのです。何度も仕事をやめようと思ったけれど、それはおかしい、介護のためになぜ私が辞めなくてはいけないのか?と生活はどうなる?と考え今に至っています。宝くじが当たればやめれるのに。私は毎日のように施設に入れた方がよいと思っていますが、母は・・・?しんどいから何もしたくない、これからどうなっていくんだろう、なぜ親に振り回されるのだろう、私の人生は?といろいろな気持ちが私の中にあります。そこから何をどう解決していくのか、来年を変換期と考え前に進んでいこうと考えています。
2018.12.21
私の家で父の介護が始まってから、私の生活はある意味自由が利かなくなりました。家にいれば父の介護、仕事をして帰宅しても父の介護、私の時間は無くなりました。休日が2-3日持続すれば家での介護時間が増えるので、ほんとに気が変になりそうです。夜勤も月に4-5回しているので本当に疲労困憊の状況です。不眠が持続し仕事ができるのかと不安になることも多々ありました。父は変わらず、暴言などを言うため心身的につらくなる状況もありました。ケアマネさんは、グループホームに入った時点で担当が変わります。またグループホームを退所してからは、ケアマネさんとの契約はいったん終了です。いつでも相談してくださいねと言われましたが、介護をすると言った以上、弱音は吐けませんでした。ヘルパーさんに何度もお願いしようとか考えましたが、してもらうことが思い浮かばないのです。母はずっと専業主婦であったため、私の気持ちがわかる人ではありませんでした。70代後半で体力もない、今まで介護してきたから次は娘に?とでも思っているのでしょうか?何度も私の家に来る時間を増やしてほしいと言いましたが、黙ってうつむき話を聞こうとはしませんでした。ただ、勉強のための宿泊や友人との旅行の時にはもちろん父を見てくれます。介護して2か月目から、仕方なく仕事の量を減らしました。もちろん給料も減りました。唯一救いだったのは妹が夜に様子を見に来てくれること、私の夕食を準備してくれることが救いでした。介護は家族の協力が必要ですが、私の考えていた状況ではなく、このように負担割合が違うのは本当につらいというか、正直なところ許せない気持ちが強いです。なぜ、介護しているのだろう?わかりません。
2018.12.21
母がまた自分でみると言い出したのにはびっくりしました。グループホームの費用は父の退職金で支払っています。年金は母が自由に使っている状況です。それを少しでも年金の残を貯蓄してくれれば、退職金がなくなっても何とかなるのではと思っていました。また、いずれは私たち子供4人で分割していく可能性も考えないといけないなと思っていました。グループホームの方やケアマネジャーからは、自宅で介護をするのは無理です。費用が払えないようなら減免も考慮しますと言ってくれました。そこまでしてくれるのかと感謝しましたが、本当に自宅介護できないのだろうか?自分は母に任せっきりであったけど、協力して介護できるかもしれない。しないよりはしてから再度介護施設に入所しても良いかと思いました。もともといた家は狭いので、私のマンションの一部屋を貸すことで父を引き取ることにしました。11月6日、試験外泊という名目で私の家に連れて帰りました。グループホームの部屋は念のために置いておくことで決めました。もし、介護が無理なら戻そうと思っていました。父が帰宅して、母も私の家で待っていました。父には玄関横の6畳の洋室を準備しました。布団などの荷物を整理して父の状況を把握しながら今日からここで過ごすよと声をかけていました。そうしていると、母は「もう帰るわ」と言って帰っていきました。私はえっと思いましたが父の世話があるのでそれ以上のことは言えませんでした。慣れない介護が一人で始まったのです。夜ご飯は母が準備したものを父に食べてもらいました。夜はなかなか寝ないので菓子パンを食べて、やっと寝たのは夜中1時か2時だったと思います。次の日仕事はなかったので、朝から父を起こし朝食・昼食などの準備。「おーい」と呼ばれるので部屋に行き父の希望に沿って水分を補給したりしていました。何回何十回も部屋から呼ばれ私はリビングと父の部屋を往復するのです。その日、私の家に母が来ることはなかったのです。その夜も父は夜中の1-2時頃まで起きてその後寝る。私は先に寝ることもできず、一緒に起きていました。翌日、私は仕事だったので朝7時半に母が私の家に来て、私が帰宅するまで母が父の面倒をみるという生活が始まりました。
2018.12.20
H29年3月、父はグループホームに入所しました。毎日のように面会に行きました。私は夕方勤務終了後いったん帰宅しホームに行くといった感じでした。夜勤勤務もあったのでその時には妹に行ってもらいました。毎日のように行く訳は、償いみたいなものです。それしかないんだろうと思います。私自身、しんどい思いをしてなぜグループホームに行くんだろう、自分がわからなかったです。ホームで時々暴れるようで、「手をつかまれた、たくさんでつかまれたと」話をしていました。手から出血していることもありましたが、仕方がないなと感じてました。家でも自分の思いどおりにならなければ暴言や物を投げるなどをしていましたから。食事は3食食べていましたが、夜になるとお腹が空くらしく、菓子パンを差し入れてはそれを食べていました。お風呂に入れてもらえる、散歩にも連れて行ってくれる、暴れてもお世話してくれる介護士さんには感謝の気持ちでいっぱいでした。母は父が入所して2か月ぐらいしてから面会に行きました。父の反応は「ふーん、戻ってきたんか」という感じで無関心でした。母のことは適宜話をしていたのですが、だんだん忘れていくのかなという感じでした。ホームでは、内科往診は引き続き行ってもらえましたし、いつも見守ってくれていたので安心でした。そのような状況が数か月続きました。入所費用は父の退職金で支払っていました。半年で100万円程度の出費となります。このままでは長期間ホームにいることができない状況になることは目に見えていました。数年でお金がなくなってしまうことを母が心配し、自分がまた面倒を見ると言い出しました。お金のために自分の生活を犠牲にして父の面倒をみるのか、私たちが少しずつお金を出していけば良いのかなど色々考えました。
2018.10.07
問題なく、最後のディに行き、帰宅予定時間は16:30頃。その時間に私はグループホームにいました。荷物を運び入れ父の帰宅を待っている状況でした。そのグループホームは認知症専門で1階に9人。2階にも9人の利用者さんがおられました。父は1階端の4.5畳程度の部屋でした。リビングやトイレや浴室は共同です。父が車に乗ってディのスタッフに付添われて帰ってきました。そこで私は迎えに行き、付添いながら父をグループホームの玄関、部屋まで連れて行きました。部屋に着いてから、お母さんが急に入院したこと、意識がないこと、しばらく入院するのでここで過ごしてほしいことを説明しました。(母の病気はもちろん嘘です)父は話の内容に混乱していたのか、顔を上げることなくずっと下を向いていました。「ずっとか?」「うん、いつまでかわからないけど、しばらくね」父をだまして連れてきてしまった、目はほとんど見えないし、自由が少なからずきかないであろう施設の生活は父にとっては苦痛だろうと思うと私は涙が出てしまいました。くそおやじと心に幾度となく思ってはみても、やはり可哀そうの思いだけでした。施設に入れるときには申し訳ないという気持ちがあるといいますがその通りでした。それから、私は罪滅ぼしのようにほとんど毎日面会に行くのでした。
2018.08.14
突然ブログを書きたくなりました。いつから書いてないんだろうと思ったらびっくりです。こんなに経っていたんだ、がむしゃらな日々だったなと感慨深いです。今も続いていますが・・・長くなりますが、読んでください。あれから・・・・ディに行っていた父は、介護度は要介護3となり、緑内障・白内障のため視力の低下は著しい状況でしたが実家で母とともに過ごしていました。しかし、ディでのトラブルが父をだんだんとかたくなにしました。新しい施設長が差別をするというのです。ある会社の元部長婦人が自分の立場を自慢し、それに文句を言った父でしたが施設長が部長婦人の肩を持つと。本当なのか実のところはわかりませんが、徐々にディに行く日が減少し夜になると幻覚を見るようになりました。「あいつ(施設長)が家に来ている」「出ていけ、何で来てるねん」と大きな声で壁に向かって怒っているんです。私に対しても「お前もあいつに出て行けとかなんか言え」と。そしてディに行かなくなりました。それより以前、父を初日からディに上手に連れて行ってくれた人は別の施設へ移動となりました。これは私たちにとって、とても残念なことでした。認知症のある父にとってはかかわる人が変わってしまうのは打撃です。この5年間でケアマネ、ディのスタッフさんは頻回に変わっていきました。介護される方が増える中で、介護職員が定着しないことはつらいです。その経営母体の方針なのか、介護職員が定着しない何か(給料、勤務条件など)があるのか?現在の介護現状の問題点だと強く感じます。これからもっともっと介護職員が必要となってくるのが目にみえているのに。定着できるような改善を期待します。(余談になりました。)その状況は数か月持続し、暴言や幻覚などはひどくなるばかりで母の介護は限界になってきました。私も仕事帰りなど毎晩のように実家に通い、寝かしつけたり泊まったりと努力はしていましたが、ケアマネの助言もありグループホームに入居する方向で話を進めていきました。もちろんショートステイにも打診していましたが、寸前で本人拒否や体調不良で中止となりました。そして平成29年3月、数か月ぶりにディにお風呂だけでも、ディにもう来ないとお断りをするためにも行こうと約束を父と取り付けて、ディに出発しました。夕方、ディから帰ってくるときにはグループホーム入居という段取りで進めました。スムーズに経過しました。続きはまた。
2018.08.11
かれこれ半年ぶりの日記です。相変わらず、ティッシュで遊ぶことに変化ありません。父親の体調は安定し、ディに週3日行くようになりました。昼夜逆転することもあります。日にちも徐々にわからなくなってきました。今日はディの日だと言っても、休みと違うんかと怒りだすこともあります。そんな時はディのNさん(ディに最初に連れて行ってくれた人です)に相談すると、機嫌が良くなり行ってくれるようになるんです。いろいろな人のお世話になり、生きていける父です。ありがたいです。
2013.03.11
今日は、夕方、仕事帰りに実家に行きました。すると、父は下半身が裸でトイレ近くで立っていました。母は出かけており、いませんでした。「どうしたの。おしっこ間に合わなかった?」「うん。そうや。」「そっかあ。年を取ったら間に合わないことは当たり前だよ。大丈夫・大丈夫」と言って着替えの準備や拭き掃除をしました。その後、母が帰ってきてその旨を伝えると、「いつものことよ。」そうなのか・・・。今までも父の生活の一部分しか見てなかったけど・・。新たな発見をしました。父の衰えと、母の苦労を知った日でした。
2012.10.15
約2カ月ぶりに登場です。父は相変わらず、ティッシュで遊んでいます。1日何回も、ちぎったティッシュをパチンコ玉にしてパチンコをしています。入った、負けた、など勝負している様です。魚釣りや荷物運びの話は、めっきりと無くなりました。現在は、ディでは人気者のようです。ディでの出来事や仲間の話をたくさん嬉しそうにしてくれるようになりました。また、内科の医師が月2回訪問してくれています。また、義歯が合わなくなったので、歯科訪問診療を開始しました。食欲も夏よりは出てきています。義歯が治ればもっと食べれるようになって元気になってくれると信じています。このような日々が続いてくれると嬉しいです。
2012.10.14
このごろの父は、昼寝というか、夕寝というか合間合間に寝ています。今日も、21時前に実家に行くと父が家の中をうろうろしていました。「どうしたの?」と聞くと、「お母さんがいない。もう少ししたら仕事に行かないとあかんのに」と言います。自分で服を選び着替えていたのです。靴下も履きひげそりもしていた・・。仕事とはディに行くことです。明日なのに今日だと勘違いしています。母は外出していました。外出する前には、少し寝るわと言っていたようです。母がいない間に起きたのでしょう。そして起きたら朝だと思って、準備を始めたのだと思います。このような日にちや時間がわからなくなる見当織障害がよく見られるようになりました。わたくし事ですが、先日、車と自転車の接触事故に遭ってしまいました。大きいことにはなりませんでしたが、自転車であっても、とまれの表示があれば、一旦停止をしなければいけないそうです。自転車も車両の一つであるとのこと。気をつけなければいけないと思いました。自転車に乗られている方、ご注意いくださいね。
2012.08.23
なかなか、ブログを書く状況ではなくご無沙汰していました。父の状況は変化なく経過しています。夏に弱い父なので、食欲が低下しやせ細っています。更に、食べろ食べろと周りが言うので、父の機嫌が悪くなるのです。先日、往診医師より採血指示がでて、看護婦さんが自宅で採血してくれました。その結果、栄養状態は悪化していませんでした。父も「お前らが心配するほどのもんでもない」と結果を聞き機嫌がよくなりました。病院に行きたがらない父には往診はホントにありがたいです。相変わらず、生活は不規則ですが、何とかディサービスに通っています。ティッシュ遊びも毎日です。夏を乗り越えたら、食欲の秋。あともう少しこのまま元気に乗り越えてほしいです。
2012.08.13
父の怒りの後、2日後に実家に行きました。毎日のように様子を見に実家に行っていましたが、父の怒りを駆ったので訪問を控えていました。母から聞いた話によると、「悪かったなあ。」と反省しているようだとのこと。いつものことです。怒りの後は反省・・・。やはり父は、可愛い父です。何もなかったように実家に帰りました。「ただいま・・・。元気?」父も何もなかったように私に接してくれました。自然に仲直りしました。(^v^)本日午前中、医師の訪問診療です。機嫌が悪くなるかと案じていましたが、何事もなく終了しました。良かった・・・。「これから、隣と斜めの家にも行くんやな?」訪問の先生が、順番に年寄りの自宅をまわっていると思ったのでしょう。「うん、そうやね・・。順番に回って行くから先生も大変やね。」医師の訪問診療も父の中では何とか、クリアできたようです。
2012.07.19
本日はディの日です。朝からしんどいと言っていたようですが行きました。午前中、微熱が出て血圧も低く、入浴はできず体を拭いてもらったようです。体調を崩しているのかもしれないので少し心配ですが・・・。今日は、訪問診療のおかげで、薬剤を宅配してもらうことになったのでその説明のためにたまたま薬剤師さんが来てくれていました。エンシュアリキッドを40缶ほど持ってきてくれました。ディからの帰宅後にその場面に遭遇しました。そのやりとりを見ていた父は、薬剤師さん帰宅後に「なんやあれ」と言いだし、「家でごろごろしているこいつに薬を取りに行かせたらいいんや」と言い出しました。こいつ・・とは母のことです。「おまえらは何の相談もなしにこんなことしやがって・・」と言い出しました。「行きたくないものまで行かせやがって・・」ディや昨日の医師の往診のことも許せてないのでしょう。父が話す内容から、医師が訪問していると周りに知られたくない・・というような口調もありました。父のプライドを傷つけたのかもしれません。父に相談しても嫌やといわれるだけだし、私たちが勝手に進めたのも確かです。父のためにやってるつもりと言っても、父は嫌がっている・・。病気がそう思わせるのか?難しいですね。へこたれずに頑張ります。
2012.07.13
今日は訪問診療の初めての日です。案の定、父は「おまえらまた勝手なことをしやがって」と怒り口調でした。心で叫びながら「仕方ないやん。」医師と看護婦さんが来てくれて、自己紹介してくれました。ティッシュ遊びに夢中だったのが、中断することになってやや機嫌の悪い父でした。優しそうな医師だったので安心しました。血圧測定や聴診をしてくれました。今回は自己紹介だけで、今月はあと2回来てくれるとのことです。認知症を患って入院すると、大変です。転倒や骨折などの可能性・・・。薬を使って眠らされるかもしれません。できるだけ、家で暮らさせてあげたいという思いでいっぱいです。24時間体制のクリニックにお願いしたので、安心です。このようにたくさんの人に支えられて生きているのだと実感しました。父にとってはうっとおしいかもしれませんが、できることはやっていきます。
2012.07.12
お久しぶりです。このごろの父は安定しています。毎日のティッシュ遊びは欠かせませんが、週2回のディサービスも文句を言いながら行ってくれています。この変化のない生活が幸せなのかもしれません。食事量が減っているのが気になります。ティッシュ遊びをしだすと食事もせず夢中です。エンシュアアリキッド缶で栄養を補っています。でも以前よりも痩せてしまいました。今週から訪問診療に来てもらうことになりました。父が病院拒否なら医師に来てもらうしかない!!さて、どんな医師が来るのだろう・・・。
2012.07.10
昨日「お茶ないか?」と言っていたので、仕事帰りに十六茶を買って持って行きました。父が好きな茶です。しかも昨日は微熱が出て、もしかしたら今日は発熱?かもと思っていましたが、いたって元気。安心しました。相変わらずのティッシュ遊びは続いています。ほんと1日中です。大阪では、昼にかなりの雨が降りました。そんなこと知る由もなく・・・・。「今日はかなりの雨だったよ」「おっ。そうか・・・」 聞いてるのか聞いてないのかわからない返事です。とにかく、一つのことに集中しています。これが病気なのかなあ・・・。
2012.07.01
「頭が痛い」実家に行くと父が言いました。熱を計ると、37.5度。咳はないのですが声がかすれてる。風邪ひいたかな?老人の肺炎は怖いです・・・。入院でもしたら、父にとっても家族にとっても大変です。そのような状況でもティッシュで遊ぶことは忘れてません。様子を見れそうだったので、そのままとしました。今週からは週2回の訪問診療を依頼しました。24時間体制ということも、選んだ理由です。病院に行くことをしないので、今後のことを考え往診してもらえる医院を探していました。父のことばかり気にかけていましたが、母も不整脈が多く出ているため薬が始まりました。心労も重なったのでしょう。これからも、いろいろなことが出てくるでしょうが、最善と思われることを考えてやっていこうと思います。
2012.06.30
親戚のおばあちゃんが90数歳という高齢で、昨日の晩に亡くなられました。(ご愁傷様です)今日は通夜に行きました。両親と妹が先に行っていました。家から10分ぐらいのところなので、私も仕事が終わって駆けつけました。無事終了し、帰宅の途につきました。父はディサービス以外の久々の外出です。足はやはり長距離になるとフラフラです。「この靴が重いなあ」と一言。靴の重さが堪える足の筋力になってしまったのです・・・。腕を支えようとすると「いらん・・。」とあくまでも自分で歩こうとするのです。見守りながら進んで行きました。そんな父に一言。「手をつなごうか?小さい時、手を繋いでくれた?繋いでくれてないよなあ。繋いでよ・・」と言いました。が、父は歩くのに必死で私の話は聞いてくれてはいないようでした。私は身長150センチですが、私よりも低くなった・・腰の曲がった父の姿勢に感慨深いものがありました。
2012.06.24
昨日の夜、妹と実家に帰りました。確か20時すぎだったと思います。父はいつものごとく、ティッシュでいつものことをしています。母がいません。「あれ、お母さんは?」「胸にペースメーカーつけてなあ。出ていったんと違うか?」「え、病院に行ったの?遅い時間やね。ペースメーカー?それ、心臓の動きを24時間みる心電図の機械のことじゃない?検査終了してはずしに行ったんやね。」母は数日前に脈が少ないと訴えていたので、かかりつけ医院に行くと言っていました。そんな会話をしたあと、今日ディサービスで将棋をした話などをして機嫌良く過ごしていました。21時過ぎても母は帰ってきません。「おかしいなあ、ほんとに病院だろうか。途中で倒れたのかな?・・やばいな」と話しながら、私たちも帰らないといけない時間が迫ってきました。私はふと、隣の両親の布団が引いてある部屋にいきました。真っ暗な中、布団に寝ている母を見つけたのでした。「あれぇ・・・・。お母ちゃんおるでぇ・・」そのあと、私と妹は「ギャハ・・ギャハ・・」大爆笑。「お父ちゃん、出て行ったって言ってたやん。」「ありゃ。そうかあ。おったんか。」父は平然と答えます。「しんどいの?」寝ている母に言うと、「心臓の付けてるから、あまり動くとあかんやろ。」と早々眠りについていたようです。心電図の機械を付けていたって、何をしているか行動の記録を書いておけば早く寝なくてもいいのにな。両親の面白い言動や行動に大笑いしたのでした。
2012.06.23
「今日はお父さん朝から怒ってね。」母から電話がありました。ディサービスに行く朝、便が出にくいとトイレにこもっていたようです。その時に母が「不規則な食生活をしているからね。」とその一言に父は激怒したようです。1日3食食べたり、食べなかったり、時間もバラバラ・・。仕方ないですよね。「うるさい。ほっとけ・・」ズボンも、普段使用しない汚れたものをはき、入れ歯はつけ忘れ散々な状況で出発したようです。母の言動には父も過敏です。「そうやね。便出てないの?もうすぐ出るよ。」などとにかく、嫌味を言わないように・・・と話をしました。「そんなこと言ったって・・お母さんにはいつも怒ったように言うよ・・こっちも言いたくなるわ・・・」心を許せる相手には厳しい父のようです。そんな父はディサービスから帰ってきたときには機嫌が良かったようです。私が母の立場だったら、そんな口調が続いたら熟年離婚してるだろうけど・・。「なんで離婚せえへんかったん?」てきいたら、「子供のためにね・・・」昔の女の人は我慢強いですね・・・・。尊敬します。
2012.06.20
今週の父は、ディサービスにも自分から用意して行ってくれました。仕事と自覚してくれているようです。12日には月に1回の催しがあり、ゲーム大会で1番を取って景品をもらったと、話してくれました。毎日、何時間も座ってティッシュで遊んでいるので、お尻が痛いようです。お尻の肉が無くなり、お尻の骨が直接床に当たっているのでしょう。父の日には低反発の座布団を買おうかなと思っています。腕や足の筋肉も衰えて、痩せてしまいました。週2回のディサービスは、そんな父にとってはありがたい気分転換と運動です。
2012.06.16
父の怒りの日から約1週間。何だったのかなと思うくらいに機嫌よくしています。毎日、ティッシュがパチンコ玉・魚のえさ・荷物に変化しながら「玉が増えた・魚にえさを取られた」などと言って一人で遊んでいます。またよくしゃべります。ディサービスにも行っています。食事は何を食べたとか、おばさん達がこんなことを言っていたなど、伝えてくれます。こんな穏やかな日がいつまで続くのだろう・・・。
2012.06.11
なかなか書けずにこんなにも日数が経過してしまいました。ばたばたと忙しく過ごしていました。持続は難しいですね。今後はゆっくり・・・。今週の日曜日に事件が起こりました。父がある出来事をきっかけに怒ってしまいました。その理由は、母が父の大事なティッシュの一部(父にとっては大事な遊び道具です)を捨ててしまったことです。ゴミだと思って捨てたことが・・・。「ご飯なんか食べへん。いらん。」「こいつ(母)を外に出せ」「お前らが帰るとこいつは何もしゃべらん。電話かかってきたぞと言っても無視や」など母への不満を。それに対しては一言。「お母さんは片方の耳が遠いの。だから聞こえないの・・。」私と妹には、ディサービスの件を「お前らが勝手に決めた。おれは行きたくない。」なだめても無理で、母も私も疲れ果て、最終には「わかった電話して断るわ。その代わり、風呂には入る。ひげはそる。ちゃんとやってや。」と言うと「ちゃんとやってるやろ・・・。2日に1回」自分ではやってるつもりなのでしょう。また違うところを探さないと・・。ケアマネージャーに相談しようと思っていたところ・・。月曜日の朝には「お父さん行くって言ってるわ。」と母より電話がありました。私も妹も唖然としてしまいました。病気がそうさせたのだ・・・。そう思うしかありません。でも、よかったねぇ・・・と私たち。 事件解決です。
2012.06.07
Nさんと父との会話は約1時間にもなりました。同じような繰り返しです。私たちは途中、何度も「もう今日はいいです。」と言いそうになったことか。でも言ったら、次は無いなと思ったのです。父は今後も、簡単に「行けへん」と言うだろうし。せっかく良いところを探すことができたのに・・・。1時間も、格闘し、どうなったか・・・Nさんの、何回も「一緒に行きましょう。」「また行くわ。」「またじゃないですよ、今ですよ。」「ねえ、来てください」「このままじゃあ帰れないですよ。」「もう・・・。しゃーないな。」Nさんの粘り勝ちです。父も半分怒ったような様子でしたが、連れ去られるように車に乗って行きました。私たちはついては行かず、Nさんにまかせました。そのあと、母と妹の3人で良かったなと話をしましたが、父の「おまえらがしつこく・・・」の言動にはショックでした。病気がそう言わせているのか、本心なのか・・・。父には、私たちの考えた、この方法が負担なのか・・・。昼ごろ施設に電話したら、楽しくしているとのことでした。最後まで過ごし、問題なく帰ってきました。Nさんから、「娘たちにはほんまにしつこいんや。」「でもいなかった困るでしょう」と言ったら黙り込んだようです・・・。と車の中での様子をおしえてくれました。そして、「すまんのう。」と私たちに謝る父でした。 それから・・・。
2012.06.01
2回目・・。父は全くディサービスに行く気はなかったようです。朝から母より電話があり、「行かへんて言ってるわ・・・」私は施設にも電話を入れ、行きたくないようですと伝えました。担当者に伝えておきますと言われました。今日は無理か・・・。10時前、迎えに来てくれましたが、「今日はやめとくわ。」初日にも来てくれたNさんが「どうして?テーブルの寸法終わってないよ」「寸法ぐらい自分で測れるやろ。おれは車が無いんや。運ぶこともできへん。」「それはこちらも困るわ・・。もう1回、テーブル見てくれないかな?」 二人の戦いは続くのです。「こいつらが勝手にしたんやろ。毎日毎日、家に来やがって。いつもいつも出そうな良い時に(毎日しているゲームみたいなものをやっている時です。自分が勝っている調子の良い時。)やって来るんや。ほんで途中で、止まってしまうんや。」と私たちに怒りの矛先を向けてきたのです。父の本心でしょうか...毎日のように実家に行き、あれやこれや私たちが言っていたことを、このように思ってたのかも知れません。私たちは黙ったまま、どうしてよいのか二人の戦いをただ見守っていただけでした。それから・・・。
2012.05.30
初めてディサービスの施設に行った翌日に父が言った言葉・・・。「だまされた・・」「どうしてそう思うの?」と聞くと、「テーブルを運んでほしいと言ってたのに、結局何やったんや。あれは関係ないんか。だまされた・・・。」と言うのです。よくわかっているな・・・と私たちはまた、本当に認知症?と思うのでした。「でも、楽しかったやろ?いいやん。」言うと「何が楽しいねん。しょうもない。もう行くかあ。行けへんぞ。」と真面目な顔で言います。あんなに楽しそうな顔をしていたのに・・・演技なの?おかしいな?こちらは本気に受け止めていいのか。それとも言ったことをすぐ忘れてくれるか・・・。まずは父の言うことを受け止めよう。「そうなんや、もう行きたくないんや。そうか・・そうかぁ・・行きたくないんやね・・・。」でもディサービスには行ってもらわなければ・・・週に2回は・・・。次は・・2回目行ってくれるのか・・・ それから...
2012.05.29
お風呂に入った後、看護師さんが爪切りなどをしてくれました。うわあ・・。爪まで切ってくれるの?また、水分補給を適宜してくれました。さすが老人相手だものなあ。脱水予防かあ。私たち家族もお茶を何回もいただきました。そして、豪華な昼食は専属の調理師さんが作ってくれています。父は全量摂取しました。午後からは、将棋などを一緒にしてくれていました。15時にはおやつです。至れり尽くせりに、私たちは感心していました。 父は、楽しそうにしていました。すごいところだなあ。ここを選んでよかった・・・。結局、10時から15時半まで施設にいました。本当は16時までですが、疲れないように早めに帰ることにしました。帰りに父の弟の家に寄りました。元気な顔を見てもらうためです。叔父も叔母も喜んでくれました。自宅に帰った父は疲れたのか、うとうとしだしました。緊張しただろうな・・。疲れただろうな・・。よく頑張ったよなあと家族で話していました。それから・・・。
2012.05.28
施設には全部で6人ほどの利用者の方がおられ、4名ほどの職員がおられました。定員は最高1日12名だそうです。曜日によって人数に変化があるようです。利用者さんは、ほとんどが女性で、男性は父を入れて2名でした。父は椅子に座って、「どのテーブルを運ぶんや。」と言いながら落ち着かない様子でした。まずはラジオ体操から始まりました。ゆっくりと体を動かします。私たちも一緒にやりました。父も周りを見ながらやってました。「何をしに来てるんや?」という感じでした。そうしていると、入浴の順番です。「入りましょう?」「ええわ・・。」そりゃあ、始めは断るでしょうね。「わあ・・。久々やん。入っておいでよ・・・」と促し、しぶしぶ連れて行かれるように浴室へ入っていきました。施設では個別浴になっており、一人ひとりお湯を変えてくれているそうです。家にいるような感じで入浴できるそうです。私たちは、父の何週間ぶりに入るお風呂に感動していました。「お父さんの様子を見てください」と言われ、覗いてみると、お湯につかっている父を見て気持良さそうだとこちらがうれしくなりました。「良かったね。」母・妹と話しながら、帰ったらどうなるのかという不安も抱えながら・・。それから・・。
2012.05.27
ディサービスの体験に行く日がやってきました。10時に迎えに来てくれる予定だったので私と妹は、9時半ごろに実家に向かいました。父は何の準備もせずに座っていました。それとなく感じ取っている様子で「行かへんぞ・・」母はディサービスで入浴する着替えなどを準備していました。そこへ施設のベテランMさんが来てくれました。「おはようございます」と訪問してくれました。父は「なんや?誰や」という感じでした。以前、運送の仕事をしていた父に「テーブルを運んでほしい」いう話から始まり、テーブルの採寸もかねて来てほしいと言って外に連れ出してくれました。約20分ぐらいかかったと思います。父は頼まれて、しぶしぶながら外出したのでした。ひげはボーボー・足元はふらふら状態です。Mさんに支えられながら車に乗りました。私と、妹とそして母も一緒に行きました。さすが扱いに慣れている・・。Mさんに感謝です。また、母が一緒に行くなんて・・・びっくりしました。それから・・・。
2012.05.26
施設は決定しましたが、実際に利用するのは父です。まずはケアマネジャーが家を訪問してくれ、父と面接をしてくれました。野球の話や、仕事の話、釣りの話などで父の機嫌も上々でした。その時に、元気になるように外に出て行きましょうという話をしてくれました。日まで決めてくれて約束をしました。父はとくに何も言いませんでした。しかし、前日の日にそれとなく外出することを話すと拒否するのです。困ったな・・・。どうやって父を連れていくか・・・。任せるしかないのか・・・。私たち家族は不安でした。 それから・・。
2012.05.25
そのディサービス施設は、認知症専門として去年の10月に開設されました。ホームページではいろいろな催しをされており、関心を持ちました。また自宅から10分程度車で行ったところにありました。勇気を出して電話をしました。対応も丁寧で認知症のことをよく理解していただけていると思いました。2、3日後には妹とともに見学にも行きました。この施設を利用するには、ケアマネージャーを介して契約をしないといけないことを教えていただき、系列のケアマネージャーを紹介していただきました。その紹介していただいた方も、認知症専門の方で、安心できる方でした。この出会いを本当にうれしく思いました。一歩前進・・・。 それから・・。
2012.05.24
認知症の患者を十分理解してもらえる医師は今の世の中、少ないのではないでしょうか? 老人内科?脳外科?神経内科?どこで診てもらえばいいのでしょう。私の父も、家の近くの内科に診てもらっています。血圧の薬をもらっているのでその延長で診てもらっているようなものです。私たちがその医師に、認知症の貼るシールみたいなものを出してくださいと言ってもらったりしました。受診したがらない父の訪問診療をお願いしたりと認知症患者の病院受診は家族を悩ます原因の一つです。先生が優しい先生で本当に良かったと思います。今後、認知症は増加していくでしょうし、専門化していくべきだと思います。認知症に理解のある専門の医師の育成を希望します・・。介護認定を受けた後も、なかなかケアマネージャーは決まらず。妹と一緒にどこにしようか・・。と意見を出しながら、まとまらず・・・。母は一切何も言わず、毎日父を見守っていました。何も変化のない毎日。風呂に入らない、ひげは伸びほうだい。家の中で、必死にティッシュを細かく刻んだものを指で転がしながら「おっ かかったぞ。ほら見てみ・・。増えたやろう。(パチンコの玉に変化している)」「ほら、荷物が増えたやろう。こんなにたくさんあっても困るわ。車で運んでくれや。」など・・。ティッシュはその時その時に、パチンコの玉、魚、荷物に変化していくのでした。私も妹も慣れたもので、「ほんまやね。たくさんになったね。荷物は私が車で運んであげるから、心配しないでね。」と答えるのでした。その様子を見ながら、このまま家においてはいけないと思うのでした。父にとって・・・一緒にいる母にとって・・・何がよいのか・・・。そのように悶々としていた日々が介護認定を受けて4カ月を過ぎたころ、ホームページを探していると、認知症専門のディサービスがある施設を見つけたのでした。それから・・・。
2012.05.23
介護認定を受けた後、どうやってケアマネージャーを探せばよいのかわかりませんでした。家の近くの介護センターにしようか、少し離れたほうがいいかも。父と気が合わなかったら断らないといけないかもしれないしな・・・。そう思いながら、日々は過ぎて行きました。そのころ、認知症の症状を遅らせる薬を含んだシールみたいなものを毎日、首の後ろに張っていました。今の症状が少しでも悪化しないように・・・。家族の願いでした。しかし、薬の量を徐々に増やさないといけないとのこと。2倍に増やした量のシールを首に貼ったら、2~3日で何やらいつもとは違う父に変化していきました。急に行動を始めたり、攻撃というか・・・イラついているような感じも・・・。これは量が多いことによるものだと考え、かかりつけの医師に報告。中止することとなりました。薬による症状悪化を防ぐよりも、家族の関わりや必要な支援を受けて、症状悪化を防ぎたいと思いました。早くケアマネージャーを探さなくては。認知症を少しでも理解してくれる方を・・・。また認知症を受け入れてくれるデイサービス施設など・・・ホームページなどを見ながら必死に探しました。 それから・・・。
2012.05.21
父の診断は認知症の中でもやっかいなもので2つの病名が判明しました。その後、どのようにしたら日常生活を普段通りに過ごせるかが課題となりました。風呂にも入らず、ひげも剃らない。服も着替えない。外出しない・・・。私たち家族の力では先に進みません。専門家に助けてもらうしかないのです。介護認定を受けるしかないと思い、役所の介護係の方に電話をいれました。数日後に来ていただけるとのこと。役所からの訪問です。父には、役所から老人がどのように過ごしているのか確認にくると説明しました。「そんなもの・・いるかぁ。」と拒否しましたが・・来てもらうだけなのですから・・。訪問に来ていただいた方は、上手に父を操ってくれ、機嫌良く話をしていました。両親の名前や、数の計算などもしましたが、病院同様ほとんどクリア。家族は無事終えたことにひと安心。他人にはきちんと応対できる・・。そしてかかりつけの医師の診断書とともに判定されるのでした。しばらくして、要介護1の認定を受けました。それから・・・。
2012.05.20
車で病院に向かう中、久々の景色を見ながら。ここは・・やな。と場所をしっかり答えていました。しっかりしてるやん。認知症じゃないんじゃない? 内心ではそう思いました。病院に着きました。弟夫婦は手続きしてくるからとその場を離れました。妹が手続きをしながら、母・私は父に「ついでに医師に診てもらおう」と声をかけました。予想のごとく怒りだしました。「何ゆうてるんや。関係ない・・」困ったなと思っていたら、看護師さんから名前を呼ばれました。まずは身長・体重測定をするようです。父は「おれは関係ないで・・」と言います。看護婦さんもその状況を察して「まあ体重でも測ってみましょう」あっさり抵抗もなくついて行きました。何これ? でも良かった。次は医師の診察です。数字の引き算や、物の名前を答えたり・・・。それが意外に間違いも少なく答えられていたのです。同席した家族はびっくり。あれぇ・・・。その後、採血や脳のMRIもとりました。MRIには1時間弱かかりました。受診して5時間後位に結果を説明されました。認知症であることは確かであり、認知症でも種類があり、2つの種類を合併しているということでした。今後、幻覚・幻聴などが起こり人格障害もありうるとのことでした。やはり認知症なんだ・・。ショックな気持ちよりもこれからどうするのか・・・・弟夫婦の協力のもと、やっと父の病名が決定しました。 それから・・・
2012.05.11
病院の予約日が迫ってくる中、強制的に連れていくわけにはいかず、断念か・・・。でも、これを逃すと、先どうなるか・・・。家族の力ではどうにもならないため、助けを借りることにしました。同じ市に住む、父の弟です。自営しており、私の小さい頃は良く手伝いに行きました。私たちはおじちゃん、おばちゃんと呼んでいます。手伝いに行くと、報酬としておもちゃなど好きなものを買ってくれるんです。おばちゃんに連れられて、おもちゃ売り場で選ぶんです。高いか安いかはわからなかったけれど、すごくうれしかった。失敗もしたけど大きな心で見守ってくれたおじちゃんおばちゃん。それ以外にもたくさんの喜びをくれました。今でも感謝の気持ちがあります。話は戻りますが、父は人から頼まれると断らないだろうと考えて、おじちゃんが指の怪我をして病院に行かなければいけないけど、手術するかもしれないし、ついてきてほしいという・・あくまでも診察の付き添いという名目で・・・しぶしぶ行くことに承諾しました。当日もぎりぎりまで準備せず、「行かんぞ」と言っていましたが、弟夫婦が来ると「しょうがないなあ」と怒ったように言いながら靴をはき外に出ました。それは数カ月ぶりの外出で、足はフラフラ・・支えがいると思いました。本人は「そんなんいらんのや。大丈夫や」といいながら腰を曲げ、腕を後ろに持っていく、志村けんが演技するおばあちゃんのように歩くのです。その姿に涙が出そうでした。痩せて、衰えていくさまが見えたのです。車に乗って病院に向かいました。 それから・・・。
2012.05.11
去年の10月にやっとの思いで、病院に連れて行きました。認知症に関連した相談先に電話をして、そこで病院を紹介してもらいました。このような相談先があることは、ありがたいです。まずは、病院で認知症であることを診断してもらわないといけません。CT検査や認知症検査を受けないといけないのです。しかし・・・本人につたえても、「なんでいかなあかんのや。行かん。お前らは病院・病院ばかり言いやがって」と怒りだす始末で、父と家族の間に冷戦状態勃発です。確かに父には病気の認識はありません。たまに、「頭が混がらがってるなあ。そうか違うんかあ。あれは夢やったんかなあ」と言うこともありました。そして毎日の日課は、ティッシュを小さく刻んだものを箱にたくさんためていました。それは魚のえさ?荷物?パチンコの玉?に七変化していきます。ティッシュを小さく刻んだものをテーブルの上に置いて指で転がしながら、その量が増えた・取られた・ほら動いてるやろ?と私たちにはわからない世界が父の眼の前に広がっているんです。また、炊飯器の上に3女が寝てる・・。長女がそこに座ってるなどの幻覚もありました。私たちは否定せずに話を合わせながら、父の機嫌を取ったり、魚のえさ?荷物?パチンコの玉の意味を知っていくんです。すべて、今まで生きてきたことに関連してていることを・・・。毎週のように行っていた、パチンコや魚釣り。荷物にたとえているのは運送関係で配送をしていたからでしょう。話はあちらこちらに飛んでしまうんですが、今まで生きてきたことにすべて関連しています。昔話も聞くことが多くなりました。父がどのようにして生きてきたのか・・・。知らない父を少し、知ることが出来ました。どうやって・・病院に連れていくかを考えました。 それから・・。
2012.05.09
時間の認知が衰えてしまったのか、目薬をさす時間に対して混乱しているのが実情です。それから、父の行動はさらによくわからないものとなりました。黒い虫がいると言い始めました。それから徐々に、食事を食べなくなって、家からほとんど出なくなり、お風呂にも1週間に1回程度しか入らなくなりました。ひげはぼうぼう・・・。過去の話はしっかりと記憶にあるのか話をしてくれます。私たち家族の名前や父の両親の名前、兄弟の名前はほぼ完ぺきに言うことができます。そのころには認知症ではないかと疑っていいました。脳への刺激が足りないから?こんなに覚えているなら認知症じゃないのでは?と思ったり。でも、認知症かなと思わざるをえませんでした。そして更に父が、か細くなっていく・・・。どうしたらいいのだろうと悩みました。私は4人姉妹の2番目です。3番目の妹とは仲が良く、近くに住んでいるのでよく会います。父のことも相談しています。母は父には何も言えません。父は他人には優しく、母には冷たいのです。どこの家もそういう家が多いとは思いますが・・。きつい口調です。母はつらいと思いますが、耐えています。(だから、母は何かあると私たちに連絡してくるのです。)父は私たち娘には優しいほうです。私は父のような旦那さんならすぐ離婚を考えてしまうと思います。妹と話し合い、今後どうするか決めました。 それから・・・
2012.05.08
両親の住む団地は私の自宅から約2分のところにあります。何かあればすぐ駆けつけることができます。ただ、数か月に1回自宅訪問する程度でした。しかし、緑内障や白内障で月1回の眼科受診をしなければならず、ここ数年は付き添って受診させていました。そのような状況で、私が訪問すると目薬のさす時間を何度も確認します。(普段は母親に時間を確認していたようです。)私は何回も同じ説明をして・・。どうしたんだろう?記憶がこんがらがったのかな?紙に書いて時間を表示したりもしました。時には電話がかかってきて、何時にさすんや・・・。物忘れが多くなったのかな?でも、すぐなおるだろうと・・・そんなに深刻には考えていませんでした。それから・・・。
2012.05.06
みなさん、初めまして。ブログを訪問していただきありがとうございます。介護生活が始まりました。いつから始まったのか定かではありませんが、ぜひ記録に残しておきたいと思いブログの日記形式としました。みなさんの中でも介護されている方もおられると思います。共感していただけたらと思います。私は44歳。4人姉妹の次女です。父は76歳、母は73歳。父が認知症です。父のことを紹介しましょう。60歳で運送業を定年退職後、趣味(釣りや友人と将棋)に没頭していました。年金生活となり、自分のやりたいことをしていたようです。かれこれ10年ほど前から、緑内障と白内障を発症しました。目薬をさすことが日課となりました。白内障1日4回。緑内障1日2回。そのころから変な言動が見られました。「朝起きてご飯食べて、目薬を入れて、1回死ぬねん。それでまた昼ごはん食べて、13時にまたさす・・。そして17時にまたさして。寝る前にさす???」死ぬってどういうこと?何言ってるの?今、思うとこれも始まりだったのかな?と思います。それから・・。
2012.05.05
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