劇場通いの芝居のはなし

劇場通いの芝居のはなし

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

peacebright1953

peacebright1953

Calendar

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

コメントに書き込みはありません。

Freepage List

2019.07.27
XML
カテゴリ: 研究会発表
 しかし、名優が生まれにくくなっている理由の第一が、やはり演技者の側にあることは否定できません。舞台で上演されているのは現代劇ばかりではありません。古典劇や近代劇も同じく数多く上演されています。シェイクスピア劇などは、現代の劇場でも重要なレパートリーを為しています。それなのに名優が出にくくなった、舞台で確固たる人間を造型できなくなったのであれば、それはやはり演技者の問題が大きいと言わざるを得ません。そして、既に「名優」と呼ばれる演技者が少なくなっているだけでなく、将来に向けて「名優」が現れてくる可能性が非常に小さくなってきている。そのことを、俳優教育を行っている現場人として、危惧しています。演技者を志す人たちの「演技」についての考え・イメージがかなり奇妙なものになっており、従って演技訓練の仕方が間違ったものになってきているのです。

 今、大学の演劇科にくる学生たちに、わたしはヴォイストレーニングのテクストとして「詩」や「一人台詞」をまず与えて、彼/彼女たちに語らせてみます。すると、彼らの思っている「演技」というものが見えてきます。
 たいていの学生は、ボソボソとつぶやくような声を出します。自分の口を出たらすぐに進行を止めてしまう声です。抑揚のない、アクセントがつかない平板なしゃべりです。意識しているのか無意識かはわかりませんが、気取りがあります。言葉を少し強めては引き、変な節付けをします。ちょっと器用な学生は、言葉の表面の意味にあわせて、嬉しそうに言ったり悲しそうに言ったり、自分はこんな気持ちにあるんですよということを宣伝するようにしゃべります。
ほとんどの学生が早口で、ペラペラと流ちょうにしゃべろうとします。これは、滑舌がとても重要なことだと思っているためでしょう。だから、つまったり、言い損なったりすると、必ずもう一度言い直さないと、先に進めません。日常の生活で、言葉につまったり、言い損なったりすることはありえないと思っているのでしょうか。

 彼らは、演技とは書かれた台詞を格好良くしゃべること、だと思っているようです。その人物の感情を、単純な「記号」のように表すことが巧みであるのが、巧い演技だと思っています。そして、「自己表現」が演技の第一目標だと信じています。間違いです。

 わたしは学校教師を長くやってきましたので、学校における「演劇教育」の目的を、それぞれの生徒の「自己表現」におくことは良しとします。特に日本の青少年は自己主張ができない、自己に対して肯定的になりにくいという問題を持っていますから、芸術活動によって「自己表現」の力をつけさせることは大切です。「自己表現」の訓練を通じて「自己認識」を行い、「自己発展」につなげてゆく。それは望ましい「人格発展」のための教育です。心の解放を行い、他者とのコミュニケーション力を向上させます。自閉気味のある若者には、効果のある治療法でもあります。しかしそれは、学校教育、あるいは生涯学習においてのことです。一般の青少年を対象にしてのことです。
 イムプロビゼーションやシアターゲームの手法を使って、若い人たちに「自己表現」のレッスンがよく行われます。わたしも指導したことがあります。一つの刺激・状況設定に対して、自発的に反応させる。それがその人自身を表す、自己表現だというわけです。これは間違いではありません。最近ではこういうレッスンになれてしまって、こう反応すれば評価されるとわかっていて、ちっとも即興的に反応しない人が増えていますが。これに慣れてしまうと、いつもその人自身、自分自身として反応することが正しいと思いこんでしまいます。
by 神澤和明





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2019.07.27 09:00:08


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: