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北鎌倉駅に降り立って、
円覚寺と道路を隔てた斜め向かいに東慶寺(とうけいじ)がある。
かって尼寺だったようだが、
雰囲気が今に伝わるような参道からの景観である。
鎌倉時代の第九代執権(将軍補佐)の北条貞時を開基、
覚山尼(かくさんに)を開山として、
創設されたという。
本堂 鐘桜
覚山尼は円覚寺開基(寺院創設)の北条時宗夫人で貞時の母のようです。
五世住持は後醍醐天皇の皇女で用堂尼(ようどうに)で、
以後、
本寺は松ヶ岡御所とも称され、
豊臣秀頼の娘で天秀尼(てんしゅうに)が住持するなど、
代々寺格をほこる尼寺であったが、
衰微し、明治時代後期に男僧寺となり再興し、
開山の覚山尼が夫や家庭の不和で苦しむ女性を救済したことから
<駆込寺>・<縁切寺>として
今に到っている。
聖域ともいえる境内から観る鬱蒼たる樹間からの木漏れ日には、
とくに心がうたれる。
東慶寺をあとに鎌倉街道を鎌倉よりに歩き、
踏切手前を右へと歩をすすめると、
浄智寺(じょうちじ)へと向かう。
参道から臨む谷深くのびた寺域は、
鎌倉の寺院のなかでも、もっとも魅力ある風景の一つではなかろうか。
参道から臨む谷深くのびた寺域
浄智寺は北条宗政の菩提樹として創建されたと伝えられており、
宗政は建長寺開基の時頼の子で、
円覚寺開基の時宗の弟だという。
桜門様の門 仏殿 方丈
三門前の小さな石橋の傍らに鎌倉十井(じっせい)の一つ、<甘露の井>がある。
三門 <甘露の井>
仏教での「甘露」は苦悩を癒し、不死を得る霊液とされ、仏の教えや悟りの
境地にたとえられている。
葛原岡案内板 葛原岡神社 天柱峰
境内脇の葛原岡(くずはらおか)ハイキングコースへと通じる山道を登ると、
天柱峰(てんちゅうほう)という峰があり、
中国元より来日し浄智寺に住した竺仙梵僭(じくせんぼんせん)なる僧が
その眺望を愛し命名したという。