経堂界隈

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April 12, 2015
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カテゴリ: 観病日記
天皇皇后両陛下が パラオ においでになり、 ペリリュー島 などで日米双方の太平洋戦争戦没者慰霊を行われた。
天皇陛下ご訪問以前、ペリリュー島は長く、「忘れられた島」であった。少なくとも日本においては。
その名前が久しぶりに再登場したのは、昨年8月のNHKスペシャル「 狂気の戦場ペリリュー~忘れられた島の記録 」放映がきっかけと思う。おそらく、その前に、米国でのフィルム発見があって、かねてより計画があった両陛下のご訪問が本決まりとなったことなどから、昨年の終戦特番となったものであろう。

平成27年4月8日(水)
パラオご訪問ご出発に当たっての天皇陛下のおことば(東京国際空港)

忘れられた島というのは、あまりの犠牲者の多さと過酷さからとNHKはいう。しかし、忘れられたのは「少なくとも日本においては」であり、というより、最初から「記憶されなかった島」 だった。
日本において、太平洋戦争の戦いの記憶といえば、真珠湾⇒ミッドウェイ⇒ガダルカナル⇒サイパン⇒硫黄島⇒沖縄⇒原爆投下⇒8月15日

少なくとも、僕の知る限り、米国でのペリリューは、硫黄島と並び伝えられた激戦の島である。

ペリリューでの戦い は、 1944年9月15日から11月25日にかけて。サイパン島陥落(1944年7月⇒ サイパンの戦い )よりあとである。
サイパンは、ガダルカナル撤退後の日本が絶対国防圏と呼ぶ重要拠点であり、サイパン陥落後しばらくして、サイパン、グアム、テニアンからのB29による日本本土爆撃が本格化した。ペリリューの戦いは、ちょうどこの時期にあたり、日本国民の多くは、どことも知らぬ南洋の島での戦いより、東条内閣退陣から帝都(東京)をはじめとした米軍空襲のほうが、はるかに切実な問題と感じていたと思う。
戦争報道の面でも、緒戦の連戦連勝ムードがミッドウェイで頓挫し、ガダルカナル撤退。徐々に戦の劣勢は、美辞麗句に真実を隠した大本営発表を川上に、言葉は勇ましいが中身の薄い紙面に隠されて伝わらなくなっていった。
サイパン陥落後の空襲から硫黄島、沖縄と続く戦の中で、ペリリューは人々の記憶に留まることなく今日に至った。

逆に米軍にとっては、比較的楽だった(相対的な問題であり、むろん楽ではないのだが)、戦力67,000中死傷者17,000のサイパンに比べ、戦力27,000中死傷者9、800のペリリューは、日本側が守備陣地を構築した島へのはじめて本格的な進行であり、その後の硫黄島、沖縄と続く激闘の始まりを告げる島であった。

米国において太平洋の島々での戦闘がどのように評価されているかは、2010年に米国で放映され、米国の連続テレビドラマとしては史上最高と言われる制作費200百万ドルを費やした大作「 The Pacific 」において、
Part One 第1章〜ガダルカナル 前編〜
Part Two 第2章〜ガダルカナル 後編〜

Part Four 第4章〜グロスター岬/パヴヴ〜
Part Five 第5章〜ペリリュー 前編〜
Part Six 第6章〜ペリリュー 中編〜
Part Seven 第7章〜ペリリュー 後編〜
Part Eight 第8章〜硫黄島〜

Part Ten 最終章〜帰還〜
にみられる通り、
ガダルカナルが2回、硫黄島が1回、沖縄が2回とそれぞれエピソードを費やしたのに対し、ペリリューは3回であり、米国にとって、ペリリューは決して忘れられた島ではないことを示している。

忘れられた という表現が、NHKをはじめとするマスコミが取り上げなくなったという意味ならば、それは正しいかもしれない。実は、僕ら世代は、存外ペリリューの名称を知っている。
1970年前後頃まで、日本のテレビ番組では、米国制作の戦記モノシリーズの放映は、さほど珍しいものではなく、例えば硫黄島なら硫黄島、マリアナ沖海戦ならマリアナ沖海戦の日米それぞれの戦闘参加者の回想が実写フィルムとともに対比されるシリーズなど、何年かにわたって放映されていたと思う。
そういった米国制作の戦記モノの中に、ペリリューでの戦いがあり、おそらく再放送であろうけれど、何度か、ペリリューの番組が繰り返されたことから、日本側では聞かない(といっても、少年マガジンとかサンデーの緑色の紙に印刷された漫画ではないページの戦記、或いは、もう少しまとまったものとしては、雑誌「丸」の戦記モノ程度ではあるけれど)名前に、意外な感があり、それが僕の頭にペリリューの名を記憶させたのである。
戦争の記憶が薄れていく中、いつしか、そういった戦記モノも放映されることがなくなり、ペリリューの名は消えていった。

ご高齢を圧して天皇皇后両陛下がパラオ、ペリリューへ慰霊に赴かれた。
戦後70年。
戦争を知る人は、いよいよ少ない。

今年93になる父は、戦争中陸軍砲兵大尉としてラバウルにあった。
入居している高齢者施設の父のもとを訪れると、4月10日付の朝日新聞がテーブルの上にあり、その一面トップは両陛下のペリリュー島慰霊碑ご訪問の記事。
「ありがたいことです」
記事を伏し拝んで父は感謝した。

両陛下の訪問ののち、ペリリューでの戦いはふたたび私たちの記憶から薄れていくであろう。
僕は、それでいいのだと思っている。





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Last updated  April 13, 2015 02:14:35 AM
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