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2007.08.03
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テーマ: 自転車(13601)
カテゴリ: 自転車
2007年のツールドフランスは、若手のコンタドールの優勝に終わりました。

今年も、波乱に満ちたレースだったといえます。

CYCLING TIME↓
http://www.cyclingtime.com/modules/ctnews/view.php?p=6115

昨年の優勝者は、ランディスがドーピングでマイヨジョーヌを剥奪。
そして、 オペラシオン プエルト で、バッソが消え、ウルリッヒが消え、優勝候補の見えない中はじまりましたが、それだけでは終わりません。

優勝候補の一角だったビノクロフがドーピング検査に引っかかり、レースを去り、次は、マイヨジョーヌを着ていたラスムッセンは、ツール前のUCIで定められている練習場所の虚偽報告が原因でレースを去るという事態が発生。

最終的には、若手のコンタドールが23秒差の頻差でカデル・エヴァンスから逃げ切り優勝となりました。

しかし、このドーピングなどの不正との戦いは、近年始まったわけではありません。
ツール・ド・フランス オフィシャル・ヒストリー 1903-2005
創生期には、レース中に列車に乗ってショートカットして、後から発覚する珍事があったりと、いろいろ事件が起こります。
また、ドーピングの明確な規程がなかったため、死亡事故も発生してしまいます。モンバントゥーでシンプソンがなくなってしまったのは、薬の飲みすぎだったと言われています。

明確にドーピングの規程ができてからも、いろいろありました。
1988年のツールでは、マイヨジョーヌのデルガドにドーピングの疑いが掛けられますが、その薬が禁止薬物として登録されていなかったため、違反を免れます。
1998年には、フェスティナがドーピング疑惑でレースから除外されます。その後、ほかのチームの選手たちにも捜査の目が向けられます。その過剰な捜査に、選手たちが17ステージでレースを放棄する事態にまで発展してしまいます。

ツール・ド・フランス オフィシャル・ヒストリー 1903-2005 には、ほかにも興味深いエピソードが収められています。

たとえば、昔は、自転車が壊れると自分で修理しないといけないルールがあり、鍛冶屋でフォークを溶接した選手の興味深いエピソードなど、いろいろ入っています。(実は、この選手、修理の際、ふいごを吹いてもらった鍛冶屋の行為が手伝ってもらったとされ、ルール違反となります。)

ツールの歴史に興味のある方は、 ツール・ド・フランス オフィシャル・ヒストリー 1903-2005 をご覧になってはいかがでしょうか?











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最終更新日  2007.08.08 12:32:09
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