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世間(よのなか)はちろりに過ぐる ちろりちろり何ともなやのう 何ともなやのう うき世は風波の一葉よ何ともなやのう 何ともなやのう 人生七十古来稀なりただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に あじきなき世や 夢幻や 南無三宝※ くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ 閑吟集(超意訳・直訳)世の中なんてちろっと瞬くまに過ぎ去ってしまうことよ ちろっちろっとどうしようもない どうしようもない 浮世は風に吹かれ波にもまれる一枚の葉っぱだどうしようもない どうしようもない 人は古来から70歳も生きることは稀なだただ何もかも ゆめまぼろしや水の泡のようなものよ 笹の葉に露が置かれる間しかないようにはかなく 思い通りにならない世の中だゆめまぼろしだ なむさん!(仏・法・僧に従う、助けてくれ!)まじめくさった人は見てられない 夢の夢の夢のようにはかないこの世の中を 正気な顔をしている何になるだろう、まじめくさってみたところで どうせ、一生は夢だ。ただ、狂えばいい。(我を忘れて面白おかしく遊び暮らせ or 狂ったように一生懸命生きればよい)閑吟集(かんぎんしゅう)永正15年(1518年)に成立した歌謡集。ある桑門(世捨て人)によってまとめられたもの、とされていて編者は不詳。連歌師の宗長という説もある。室町びとが感情を託して歌った小歌三百十一首がおさめられている。恋愛歌が中心。厳密には狭義の小歌のほか、吟詩、大和節、早歌、田楽節、近江節、狂言小歌等を含む。当時の刹那的な雰囲気や無常観などがよく現れている。四季・雑、あるいは四季・恋の順に配列し、さらに春の部が、柳・若菜・松・梅・花…のように連歌風に編集されている。 ※南無三宝(なむさんぽう)南無とは無条件に帰依すること。 三宝とは仏・法・僧の三宝のこと。 私は、仏・法・僧に従います。 ということ。南無三(なむさん)とは、この南無三宝の略。咄嗟の危難に対して助けを乞うおまじないの意味で使用されることもある。三宝に呼びかけて、仏の助けを求める語。驚いたとき、失敗したときなどに発する語。しまった。なむさん。決して教科書的とは呼べない歌集。恋愛の歌が中心だが、本音で生の感情を真っ直ぐに表現しているものが多い。世捨て人によってまとめられた形からなのか虚無的な思想が垣間見られる。いつも前向きな言葉を紹介していながらなんなのだが、こういう厭世的でどこか投げやりなのも意外と好きなのだ。笑以前ご紹介した一休禅師を思い出す。一休宗純(南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ) (丸くとも 一角あれや 人心)一休が亡くなったのが1481年、閑吟集が成立したのが1518年と40年近く離れているが、時代としては同じ室町時代なので、感覚が似ていたのかも知れない。閑吟集は戦国時代だろ?というご指摘があるかもしれないが、一休も応仁の乱後まで生きているので戦国の無常は感じていたはず。朝、目を覚ましても夕方まで生きている保証は何もない時代の狂気は共有している気がする。「狂」とう言葉は、文字通り狂う、常軌を逸した行動をするというのが本来の意味なのだろうが、気が違ったようにように何かに集中する意味もある。現実を知っているかのように冷静を装いながら死の影に怯えて生きるより、目前の事に集中し懸命に生きろ、とも取れる。今生きている我々としては、「歌え踊れ、面白おかしく刹那的に生きろ」というのではなく、この懸命に生きろ、という方の意味としたい。今を大事にしろ!という格言はたくさんある。そういったものも刹那的な快楽を追求するとしたのか、今を大切に懸命に生きろとしたのか、言葉だけを抜き出してしまうと微妙なところだが、私は後者を教訓とする。投げやりな厭世的な歌は好きだし、かっこよく見える。でも死ぬまで、「飲む・打つ・買う」と酒・博打・女(男?)の快楽を楽しむのが、果たして楽しいのだろうか、たまにだったら楽しいかもしれないが、いつもいつもじゃぁね。Carpe diem(その日を摘め!) あまりに突然のラテン語だが、この言葉にも通じるところがあるのではないか。洋の東西、古今を問わずの真理だろう。ちなみに「人生七十古来稀なり」は杜甫の「曲行」に由来している。 『曲江二首』其二 杜甫 朝囘日日典春衣、毎日江頭盡醉歸。酒債尋常行處有、人生七十古來稀。 穿花蝶深深見、點水蜻款款飛。傳語風光共流轉、暫時相賞莫相違。 (超意訳・直訳)朝廷の仕事が終わると、毎日のように春着を質屋に入れ、曲江のほとりで泥酔して帰るのである。酒代の借金は普通のことで、行く先々にある。どうせ、この人生七十まで長生きすることは滅多にないのだ。花の間を縫って飛びながら蜜を吸うアゲハチョウが奥のほうに見え、水面に軽く尾を叩いているトンボは、ゆるやかに飛んでいる。私は自然に対して伝言したい、「あなたも私と共に流れて行くのだから、ほんの暫くの間でもいいから、お互いに愛(め)で合って、そむくことのないようにしようではないか」と。 「碇豊長の詩詞・『詩詞世界』全一千五百首詳註」 黒澤明監督の映画「隠し砦の三悪人」劇中の火祭りのシーンでの民衆の唄にも似たフレーズがある。 人の命は 火と燃やせ 虫の命は 火に捨てよ 思い思えば 闇の夜や 浮世は夢よ ただ狂え この唄自体は黒澤明監督自身の作詞ということだ。何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ細かいことばかり気にして悩むのではなく、ただこの人生を狂ったように懸命に生きよう!
2011.02.27
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ヤイヤー夏冬かわらん子(に)ぬ方星(ふアぶす)がまよンザヌカワルガー曇りゃみーんよ光(ぶスかり)ぬ星(ぶす)がまよどゥゆたまいマーンニョ八十八(ぱつじユうぱつ)がみ百歳年(びやくさいどウす)がみ光(ぶスかり)どゥ行かでィよ(訳)ヤイヤー夏冬変わらない北極星のようにどこがかわるか曇ることのない光の星よわたしたちもほんとによ八十八まで百歳の年まで光っていこうよ 沖縄民謡 『運命の人』 山崎豊子山崎 豊子(1924年11月3日 - )日本の作家、小説家。本名、杉本 豊子(すぎもと とよこ)。毎日新聞社出身。大阪の老舗昆布商店小倉屋山本に生まれ、この生家をモデルにした『暖簾』で作家デビュー。1958年 『花のれん』で第39回直木賞 1991年 第39回菊池寛賞 1991年 『大地の子』で第52回文藝春秋読者賞 2009年 『運命の人』で第63回毎日出版文化賞特別賞 他に『白い巨塔』、『華麗なる一族』、『沈まぬ太陽』、戦争3部作(『不毛地帯』『二つの祖国』『大地の子』)など多数の著作がある。「日本のバルザック」と呼ばれる一方、盗作疑惑が何度も指摘されている。『運命の人』は西山事件(別名、沖縄密約事件、外務省機密漏洩事件)という実際の事件をを基にした小説。日本有数の大手新聞社・毎朝新聞社(毎日新聞社)のバリバリ敏腕記者・弓成亮太(西山太吉)が主人公。社の将来を背負って立つだろうといわれる記者であり、大物政治家や高級官僚の懐に飛び込んでいき、スクープをモノにする凄腕。真夜中に記者の使命から来る重圧に苦しむ良心的なところがある反面、上司でも屁とも思わないような傲慢さもある。 アメリカ占領下にある沖縄の日本返還交渉において不自然さを嗅ぎつけ、密約の証拠となる書類を入手するがニュースソースを守るためにはっきりとした記事が書けずにいた。追求するにはギリギリのタイミングとなり、野党の弁護士議員を信用し書類を渡してしまう。くれぐれも慎重に扱うように伝言したにも拘わらず、情報源の事など全く考えないパフォーマンスに使われてしまったことから、ニュースソースである外務省の女性事務官ともども逮捕されてしまう。政治逮捕であり、知る権利の侵害だと最高裁まで戦っていく。面白かった。第四の権力であるマスコミ・新聞社の内幕を書く構想を温めてきて果たせずにいた想いと、自身の戦争経験から沖縄のしらゆり隊への思い入れという二つのプロットを西山事件でつないだのが本作らしい。絶望した弓成が沖縄に辿りつくのだが、沖縄の戦争体験の思い出を聞き始めるところはちょっと無理やり感があって、すっと入ってこなかったけど、まあ楽しめた。戦争体験が語られているのだが、どこからか持ってきたモノでないことを祈る。笑(盗作騒動が多いようなので・・・)私が大嫌いな老害の代表選手、渡辺恒雄氏が主人公の盟友・山部一雄として登場してくる。 その他、佐橋総理(佐藤栄作)、福出武夫(福田赳夫)、田淵角造(田中角栄)、小平正良(大平正芳)といった政治家。毎朝、読日、旭日といった各新聞社。どれもモデルがすぐに分かる。 ただ事件の発端となった若手弁護士議員・横溝宏(横路孝弘)は気づかなかった。主人公は情報源を守れなかった事にかなり後悔がある様子だったのだが、横路孝弘氏はこの事件について、軽率だったと反省なり後悔をしているのだろうか? 政治家さんは名前が売れたからOKなのかな?夫の逮捕だけではなく、女性問題があったり、雑誌などに追い回されたり、弓成の奥さんは一番大変だっただろう。一審後新聞社を退職した弓成は九州の実家の家業を継ぎ、東京の家族とは別居生活になる。その後最高裁で棄却され、実家を整理し、死に場所を求め彷徨し宮古島にわたるが、夫人には全く連絡しない。20年近く音沙汰なしで離婚もせずにいる夫婦が、再会を果たす。わだかまりが解けてきて夫婦で泡盛をさしつさされつした時に弓成が三線を弾きつつ歌うのがこの民謡。「歌詞はよく解らないが、星のように末長く光って行こうよと、 三線に託した夫の語らいに、由里子は深い愛情を感じた。」のだそうだ。(由里子は奥さん。)できすぎな女房。普通こうはいかない気もするが・・・。でもいい歌だ。わたしたちもほんとによ八十八まで百歳の年まで光っていこうよ光っていこう!!!戦争の悲惨さや同じ日本人として沖縄の怒りに共感する。でも一方で夫婦というものを考えさせられた。もう一つ。沖縄米軍兵士による少女暴行事件を報道した琉球新聞の記者と話している時に、折角スクープを手にしながら、どうしてすぐ記事にせず、また故意にぼかした記事にしたのかという疑問に対して、少女への配慮からであり、少女を傷つけるようなセンセーショナルな全国紙の報道姿勢に危惧していることを告げられ、自分の事件を面白おかしく記事にした雑誌などを思い出す。また自分自身が記事を書いていた姿勢を反省する。事件の話になり、一審では無罪を勝ち取ったじゃないかと励まされ、ニュースソースを守れず自分だけ無罪でも喜べなかったこと、その責任を取って退職したこと、仕事一筋だったのに記事をかけなくなったつらさなどを語るうちに、「いっそ――(死んでしまいたかった)」と声を詰まらせた。その時に、相手の記者に言われたのが、「沖縄にはヌチドゥ宝という言葉があります。ヌチは命、命あってこそ、という意味です。」これもいい言葉。あの地上戦を体験した沖縄の人間が日本で一番命の大切さを分かっている、と続く。その後、アメリカ側の秘密文書が公開されているのが発見され、弓成の主張が裏付けられ「生きててこそ・・・」を実感する事になる。ヌチドゥ宝
2011.02.26
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いつもご訪問いただきましてありがとうございます! 検索機能がどうもすっきり検索してくれないので、 また自分でも何を書いたか分からなくなってきたので、 索引を作りました。 詳しい知識もないまま無理やり作ったので、 カッコのいいもんでもないんですが、 一応使えると思うので、どうぞご利用下さいませ~♪ トップページに載せておきました。 このサイトの索引
2011.02.21
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何も言わんでも ええねん何もせんでも ええねん笑い飛ばせば ええねん好きにするのが ええねん感じるだけで ええねん気持ちよければ ええねんそれでええねん それでええねん 後悔しても ええねんまた始めたら ええねん失敗しても ええねんもう一回やったら ええねん前を向いたら ええねん胸をはったら ええねんそれでええねん それでええねんウルフルズ『ええねん』 作詞・作曲:トータス松本 ウルフルズ (ulfuls) 日本のロックバンド。1988年に結成。1992年、シングル『やぶれかぶれ』でデビュー。トータス松本(ボーカル、ギター)、ウルフルケイスケ(ボーカル、ギター) ジョン・B・チョッパー(ベース、コーラス)、サンコンJr.(ドラム、コーラス) トータス松本の通称は「魂揺さぶる男」。『ええねん』(アルバム)は、ウルフルズの8枚目のアルバム。2003年12月10日発売。『ええねん』(シングル)が2003年11月6日にウルフルズ24枚目のシングルとして先行発売されている。イイ唄だ。元気が出てくる。いつも叱咤激励系の話が多いので、今日はこんな唄。それでええねん それでええねんあるがまま、そのままでいいんだ!一番根っこの部分は自分自身が好きじゃなきゃはじまらない。自分を信じることもできないだろうし、何かを「やろう!」っていう気力も何も湧いてこない。自分を認めてあげる。あなたを心配してくれる人は周りにたくさんいるだろう。親や兄弟姉妹。奥さん旦那さん。恋人。友達。先輩後輩。上司。部下。取引先。学校の先生(?)。・・・・・etcそれでも一番自分の事を大事に思えるのは自分自身。逆に誰も自分の心配なんかする人はいない、って思ってる人もいるかもしれない。だったらなおさら自分が自分の事を大事にしてあげなきゃいけない。自分を好きになれなくてもいいのかもしれない。自分の事が嫌いな、自分も認めてあげよう。好きになれなくてもええねん。嫌いなままでもええねん。笑でも好きになりたいなら・・・自分がどういうことをするから嫌いなのか?を考えてみてもいいかもしれない。「自分」とその「行動」を分けることから始めて、嫌いな理由である「行動」をしないようにしてみるとか・・・・ま、こんな理屈も抜きにして、たまには無条件で自分を認めてあげよう。僕はお前が ええねん好きでいれたら ええねん同じ夢を見れたら ええねんそんなステキなふたりが ええねん心配せんで ええねん僕を見てれば ええねんそれでええねんそれだけでアイディアなんか ええねん別になくても ええねんハッタリだけで ええねん背伸びしたって ええねんカッときたって ええねん終わりよければ ええねんそれでええねん それでええねん つっぱって突っぱしる転んで転げまわる時々ドキドキするそんな自分が好きなら ええねんそんな日々が好きなら ええねん 情けなくても ええねん叫んでみれば ええねんにがい涙も ええねんポロリこぼれて ええねんちょっと休めば ええねんフッと笑えば ええねんそれでええねん それでええねん 何もなくても ええねん信じていれば ええねん意味がなくても ええねん何かを感じていれば ええねん他に何もいらんねん他に何もいらんねんそれでええねんそれだけで
2011.02.20
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常識に縛られるな!!限界を考えるな!! いつでも思考は無限に広げろ!!自分には無限の力があるのだと――今は発揮の仕方がわからぬだけだと――そう自分を信じるのだ!!そうでなければたった一度しかない人生が終わる時まで己という最高の僕(しもべ)をコントロールしきる事はできぬ!!肉体に限界はあるが精神に限界はない自分の力を信じよ!! マドゥライ 『3×3EYES』 17巻 高田裕三3×3EYES(サザンアイズ)高田裕三による漫画作品。1993年度第17回講談社漫画賞少年部門受賞。講談社『ヤングマガジン増刊海賊版』(月刊誌)1987年12月14日号 - 1989年4月10日号(第一部)、『週刊ヤングマガジン』1989年第9号 - 2002年第39号連載。単行本は全40巻。主人公藤井八雲が、行方不明であった民族学者である父の遺言を持って現れたヒロインのパイとの出会いから物語りは始まる。彼女は「三只眼吽迦羅(さんじやんうんら)」という三つ目の妖怪なので、人間にする方法を見つけてあげろという遺言だった。全く信じない八雲だったが、怪物が現れ命を落としかけ、不死身の肉体を得てしまう。「三只眼吽迦羅」は自らの護衛者である不死人の「无(ウー)」を作り出すことができる。思いもかけず不死人となった八雲と一心同体となったパイとの冒険物語。自分の力の無さを自覚した八雲が師匠として探し出した、齢5000歳の妖怪マドゥライ。着実に実力をつけてきた八雲だったが、まだまだこれから強くなるという時に、強敵の攻撃でマドゥライが瀕死の重傷を負ってしまった。八雲ではまだ、歯の立たない敵との戦いの中、自分の死を悟ったマドゥライが精神体として八雲の体を乗っ取り、実践の中で最後の修行をする。その時の言葉。常識に縛られるな!限界を考えるな!!常識とはなんだろう?社会生活を営むためのマナーのようなものだとするなら、それは必要だ。ゴミ捨てのルールを守らなかったり、アパートで夜中に音楽の音量が大きいようなときに「あの人は常識がない。」と言うのはこの意味だろう。他人を不快な思いをさせないための当然知っておかなければいけない知識。対して「そんなの常識だろう。」というときは、「そんなこと無理だ。」とセットの時が多いような気がする。昨年ブームになった「龍馬伝」で、岩崎弥太郎が龍馬に対して、「下士は上士に逆らえない」だかなんだかと涙ながらに言っていたのを見た覚えがある。それに対して龍馬が「上士も下士もない世の中が来るぜよ」みたいなことを言っていた。この時の弥太郎が「そんなの常識」側で、龍馬は、いってみれば、非常識側だ。その時代、その場所(ムラ)で、大多数の人が考えるだろうことが常識といわれる。「常識に縛られる」というときの常識はこちらの用法のことだろう。そして、この常識は正しいとは限らない。印象的な話だったので前にも書いたことがあるかもしれないが、ある企業のお話しがある。(印象的だったというくせに出典の記憶が曖昧だが・・・汗 おそらくドラッカーさんの本だったと思う。)新規事業の是非を検討していた会議でのこと。参加者はみなその事業に賛成で成功を予測していた。議論が出尽くし、さぁ決定かと言う時、社長は、その事業を保留とした。なぜなら、誰も反対しなかったから。何だそれって感じもしますが・・・。誰も反対しないと言う事は、この計画自体が、まだ精緻に検討されていない証明だという。なるほど。また、ある社長は、今の事業内容を始めたきっかけについて、相談した誰もが反対したので、他にやる人は少ないだろうという判断だったといっている。つまり“みんな”の言う事と反対のこと、いわば非常識が成功の要因だという。常識に縛られるな!!私は今まで、銀行や保険の営業という仕事の性格上、また異業種交流会などの主催をしていた立場上、たくさんの方々の事業計画や人生計画、もっというと夢についてお話を伺って来た。みなさんは、最近、“夢”の話をしたことがあるだろうか?人は今現在の自分の状況から物事を考えがちだ。もちろん銀行相手に融資の話の中で、現実を無視した夢物語を語られても、銀行員は当惑するだけでしょうが・・・・汗でも(現在ではとても無理そうなことでも)将来的、長期的な大きなビジョンと、その目標に向けて現在するべき(現実的な)取り組みはこれだという話、なら大分ニュアンスが違いますよね。現実をきちんと把握することはとっても大事。これがなきゃ地に足がついてない状態。フワフワしてどうしょうもない。でも、「夢は何ですか?」という問いに対して、現実的である必要はない。それなのに現実を無視できない。またさっきの常識の縛りから抜け出せない。という人が多すぎる。法螺でいい!から学歴、資金力、資格、能力なんかの現実を無視して自分が本当に何をしたいか?!という事を考えてみることも大事。そのときにわざわざ自分で限界を作る必要はまったくない。限界を考えるな!!なにもでっかければいい夢で、現実的だったらダメだと言いたい訳ではない。例えば「田舎暮らしがしてみたい!」という夢だって素晴らしい。誰だってすぐできそうだ。首都圏で家を買う事を考えれば、田舎では豪邸ができる。もちろん現実に戻ればクリアしなければいけない問題がたくさん出てくる。職はどうする?(退職後リタイアしてという話なら関係なくなるが)家を売っても住宅ローンが残るかもしれない。でもそれは夢を描いたからでてきたクリアすべき事柄に過ぎない。「週末に映画を見たい」なんて事柄とおんなじだったら夢にならないでしょ。障害がある。今すぐにできない。それを現実にしたいというのが夢。でも実際はここまで検討するところまで行かずに、「田舎に住みたい!でも知り合いもいないしなぁ!農業もできないし・・・」で、自分には無理だと最初から決めてしまい、何もしない。果たして知り合いが問題なのか?農業しなければ田舎には住めないのか?住んでりゃ知り合いぐらいはできるだろう。田舎暮し=農業で、農業したい!というのなら勉強すればいい。自営じゃなくて雇ってくれる事もあるかもしれない。でも田舎だって農業以外の職はある。絶対条件でないとすれば全く関係ないこと。要は自ら限界を作ってそれを言い訳にしている。常識に縛られるな!限界を考えるな!!ここで勘違いしないで欲しいのは、「甘くはない」ということ。覚悟は必要でしょ。何にしても。「田舎へ移住」が本当に自分がしたいことなのか?私の住む北海道も田舎の代表のような地域。(札幌近郊の都市部もあるが)移住してくるケースも多いようだ。だが雪の問題などで撤退(?)する人たちもまた多い。失敗することもある。でも気持ちが本当なら、将来、死の床で「ほんとは田舎でゆったり暮らしたかったなぁ」という後悔をするよりは、ちょっと考えが甘くて失敗したけど、一度経験できたという方が、よっぽど豊かな人生だと思うのだが・・・。起業ブームというのがあった。安易に起業を煽る政府やコンサルタント達には嫌悪感すら覚えた記憶がある。なぜなら覚悟の部分を何も触れずに煽っていたから。ブームに乗せられただけの人はかわいそうだが、やりたいことはやっていい。失敗せず成功した方がいいのはモチロンだけど、何もしないよりは失敗した方が数十倍いい。ちょっと脱線気味だけれど、今日の言葉の肝は、自分の力を信じよ!!障害なんてぶっとばせ!!そうでなければたった一度しかない人生が終わる時まで己という最高の僕(しもべ)をコントロールしきる事はできぬ!!自分を信じる!・・・一番大事なこと。 17巻と書いたのは古いほうの奴での巻数。新しくなっているみたい。
2011.02.19
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もう一息もう一息と言ふ処でくたばつては何事もものにならない。 もう一息それにうちかつてもう一息それにも打ち克つてもう一息。 もう一息もうだめだそれをもう一息勝利は大変だだがもう一息。 武者小路実篤 『もう一息』 武者小路 実篤(1885年(明治18年)5月12日 - 1976年(昭和51年)4月9日)日本の小説家。藤原北家の末裔で、子爵・武者小路実世の第8子として生まれた。志賀直哉、有島武郎らと文学雑誌『白樺』を創刊。これに因んで白樺派と呼ばれる。トルストイに傾倒した。また、白樺派の思想的な支柱であった。理想的な調和社会・階級闘争の無い世界(ユートピア)の実現を目指して、1918年に宮崎県児湯郡木城村(現・児湯郡木城町)に「新しき村」を建設。『友情』『或る男』等。武者小路実篤は前に「一個の人間」という詩を紹介していた。受験シーズンも真っ盛り、今日や来週が多いらしい。(もう終わった人もいるかもしれないけど・・・汗)受験生だけじゃない、うちの子供は受験生じゃないけど期末試験まで後10日を程だというし、私たち大人だって、仕事はエンドレスだとしても、もうそろそろ期末を控えている人(会社)が多いのではないのだろうか?!そこでこの詩。もう一息と言ふ処でくたばつては何事もものにならない。 そうなんだよなぁ!成功曲線というものの話を聞いたことがあるだろうか?!成功の割合を横軸を時間、縦軸を成功の度合いで示した時、(横軸は努力の度合いとしてもいいかも)成功は、正比例で右肩上がりの直線であらわされるものではないというもの。じゃ、どんな風に表されるかというと、低空飛行がずっ~と続いて、最後の最後でドバッと急上昇するカーブ。(図ではなくて言葉で表現するのが難しい。汗 反比例とも違うような気がするし・・・)どんなに努力しても、その努力が正当に(?)成果として出てくる訳ではない。コツコツとやっていても、徐々に結果が積みあがるという単純なものではなく、ある時、一気に花開くのだという。問題なのは、花開く保証もない中、その時期も全く分からない事。多くの人が、その成果が爆発する前に諦めてしまう。もったいない・・。だからこそ、もう一息!が大事。もう一息もうだめだそれをもう一息勝利は大変だだがもう一息。もう少し!最後の一踏ん張り、頑張ろう!!
2011.02.13
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「本ものの生き方」 金さえ儲かればよいそれが商売というものだとこう思いこんであたら生がいをアクセクと過ごしてしまってはいないだろうか。―――なにがしかの生計の資を得たいばっかしに あなたは今日も ペコペコと頭を下げ 表(うわ)べだけの笑顔をつくり モミ手しながら 嘘八百の説明をして 僅かのゼニをお客から奪おうとしているそういう商売の仕方を恥ずかしいことだとは思わないのだろうか!もし商売というものが自分の心に、自分の手で、糞をぬりつけ人間の誠実さ、美しさ、温かさをいけにえとして僅かのゼニをつかむだけのものであるなら、今日を限りそんな恥ずかしい商売は止めてしまおうよ。 親子五人 モク拾いしてでもよい ニコヨンになってでもよい。 モット生きがいのある。 モット誠実にくらせる そして モット大手をふって大地を行く 生き方をしようよ!―――だが、私は信ずる、あなたがいよいよ今日死ぬという間ぎわにあなたの子供たちを集めて「お父さんは立派な商人だったよ」とハッキリと、自慢のできる商売の道がある―――ということを。岡田 徹 『岡田 徹 詩集』岡田 徹さんは以前「人の心の美しさを満たそうよ」という詩で紹介しているのでプロフィールは省略。 ニコヨン1949年6月、東京都の失業対策事業として職業安定所が支払う日雇い労働者への定額日給を240円と定めた。そしてこの百円2枚と十円4枚という日当から日雇い労働者のことをニコヨンと呼んだ。人を騙すのが商売と考えている人がたまにいるようだ。そうまで思っていないにしても、何とかうまくごまかして、利益を多くしよう、と考えている人たちはたくさん入るような気がする。また買ってもらいたいという欲望ばかり大きくなり、自分を押し殺して、卑屈になってしまう人もいるようだ。でもそうではない!そんな商売のやり方を岡田氏は、自分の心に自分自身で糞を塗りつけていると手厳しい。もし商売というものが自分の心に、自分の手で、糞をぬりつけ人間の誠実さ、美しさ、温かさをいけにえとして僅かのゼニをつかむだけのものであるなら、 今日を限りそんな恥ずかしい商売は止めてしまおうよ。 本当にそう思う。これが商売というものなら止めてしまった方が晴れ晴れする!モク拾いでは生きていけないだろうが・・・笑(モクはタバコ。私は若かりし頃、モヤって呼んでましたけど・・・北海道弁?笑)顧客が必要とし、喜んでくれるものを提供すればいい。当然、適正な利益をいただく。これは卑屈にならなければいけないことではない。消費者の立場で言えば、そりゃ安ければ安いほうがいいに決まっている。でもそれは同じ品質の場合だけ。品質が違うのであれば、その違いに納得できるのであれば、お金を払う。高くてもいいものを求める人は必ずいる。反対に、品質なんてどうでもいいからとにかく安く!という人もいるだろう。(今は、こういう人が多いのかもしれない。大多数?それは分からないと思うが・・・)こういう人をお客さんにしたいのであれば、とにかく安くすることを考えればいい。人を減らしたり、材料を安いものに変えたりとしていく。その場合、安くなった理由で、言いづらい事をはっきりと顧客に言うべき。材質を変えたので長持ちはしないだろう、と思うのであれば正直に言ってしまおう。嘘八百は絶対ばれる。お客さんは馬鹿じゃない!でも顧客が安さを求めるからといって、限界を超えてはダメでしょう!安全だとか安心という最低限のところは守らなきゃいけない。 モット生きがいのある。 モット誠実にくらせる そして モット大手をふって大地を行く 生き方をしようよ! 誠実って立派な事のお題目ではないと思う。その方が自分が楽にもなるし、気持ちがいいし・・・大きな声では言えないが、実際、(その方が儲かると思うョ。) なんでちっちゃい声で喋ってるのかはわからないけど・・・笑 モット大手をふって大地を行く 生き方をしようよ!
2011.02.12
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これまでの人生が喜びに満ちていたとは言えないものの、いままでの自分を不幸だとも思わない。さきのことを案じはじめたら切がないのは若いころも同じで、上を見ても下を見ても切がないのだった。どう転んだところで終わることに変わりない人生の、終わり方を案じてもはじまらないし、安らかな死を求めて怯えるくらいなら、与えられた人生を楽しく生きたほうがいい。 彼女は腐ったりぐじぐじするかわりに、しゃんとして笑っていたかった。(中略)人並みに悔いもあれば恨みもあるが、明日道端で倒れても思い残すことはなかった。(中略)彼女はいま、何よりも人に迷惑をかけない生き方を心掛けている。それにはやはりひとりがよかった。重いものを持つのがつらくなったものの、働けるうちは働き、自分で自分を支えるのがよかった。世間の目にどう映ろうとも、貧相な見かけほど悲壮感はない。雨や雪の日はためらわずに休んで好きなことをし、晴れれば外に出て鉢植えの植木の世話もする。一日二合の酒を楽しみに、穏やかな気持ちで過ごせれば言うことはなかった。そんな自分を人と比べて不幸だとも思わない。 乙川優三郎 『夜の小紋』内“虚舟”乙川 優三郎(おとかわ ゆうざぶろう、1953年2月17日-)小説家。直木賞作家。本名島田豊。時代小説を数多く書き、好きな作家に山本周五郎を挙げている。1996年オール読物新人賞(「藪燕」)、1997年第7回時代小説大賞(「霧の橋」)、2001年第14回山本周五郎賞(「五年の梅」)、2002年直木賞(「生きる」)、など多数の受賞歴がある。これは主人公の老婆“いし”の人生観。まさに晴耕雨読の人生。よくあるご隠居の生活に似ているが、女性でこういう描かれ方は少ないような気がする。彼女は幼少期から苛酷で、不幸(?)な人生を歩んできた。呉服の行商を営んでいた父親は、商う物が物なのだから、粋でいなければいけないと、家が貧窮しているにもかかわらず夜遊びに明け暮れる。結局、商売もうまくいかなくなるが、それでも遊びは止めない見栄っ張りな父親。母はそんな父をいさめる事も出来ず、質屋通いでなんとかしのいでいた。そんな中、父親が若くして急逝する。どうにもならずに、口減らしと家計の援助のために奉公に出される“いし”。貰った給金は実家に送り、自分にはほとんどお金は残らない虚しい日々。先が見えず、家族の犠牲になり働く事に嫌気が差して来た頃、母親が給金を前借してくれと言って来る。弟に家業を再建させるのだという。・・・・そんな生活から逃げるように結婚。わずらわしい家族がいない職人気質の男。これで人並みに幸せになれるかと思うが、そこにも実家から金の無心が続く。遊び人ではあったが、父親は少なくとも商売には真剣で商品を見る目もあった。だが、弟は全く商売に真剣さが感じられない。金の無心にも遠慮は全くない。このことが夫婦関係に影響を与えてくるようになる。それは娘の結婚の話で決定的になった。職人の旦那は家業を継がせるべく、弟子と結婚させようとし、それが叶わないのならせめて婿を取り家を継がせたいと考える。“いし”は、娘の意中の男が長男であり、自分の家を継がなければならないことから婿でなくてもいいじゃないかと旦那を説得。 この件がしこりとなり、胸中を明かさなくなる夫。お金の管理も、いつしか任されなくなり、離婚を望むが夫は同意しない。三行半は男性の権限。“いし”は実家のことで迷惑もかけてきており、引け目を感じながら生きてきた。夫が亡くなり、商売もたたんだが結局何も残らなかった。そこで旦那の女が子供を連れてやって来る。お金の行き先に得心が行く。その女性に対して特に怒りの感情はなく、分けられる財産がないことを告げる。が女が帰った後、自分の人生を思い、やり場のない怒りに震える。そして、今の借家に住むようになり、行商で糊口をしのいでいる。こういう思い出が娘との会話の途中で思い返される。嫁いだ娘はたまに来ては一緒に住もうと説教をする。いつものように家族といる幸せを説き、世間体の話もしてくるが、“いし”には全くその気がない。「若い頃何がしたかったの?」娘に問われて、「ずっと一人で暮らしたかった・・・」と答える。娘は笑うが、家族のために生き、束縛され続けた女の本心だったのだろう。娘の帰った後、いつもよりちょっと呑みたくなり、もう一合呑み始め、ほろ酔い加減になった“いし”が、三味線を引っ張り出してきて、子供のときに習った長唄を、艶やかで屈託のない唄声で唄うシーンで終わる。粋だね!淡々としているのだが、なんかいい!一応時代小説になると思うのだが、侍も出て来ず、事件がおきるわけでもない。老婆の晩酌とたまたま来た娘との会話、そこに思い出が重なるというごく日常の風景なのだが、引き込まれる魅力がある。明日道端で倒れても思い残すことはないというどっしりとした強さ。世間の目にどう映ろうが関係ない!老婆は今の生活に幸せを感じている。どう転んだところで終わることに変わりない人生の、終わり方を案じてもはじまらないし、安らかな死を求めて怯えるくらいなら、与えられた人生を楽しく生きたほうがいい。人生の終わり方や安らかな死より、大事なのは“今”どう生きるか。楽しく生きたほうがいい、には大賛成!だが私はまだ“余生”ではない、ベストを尽くし、今、なすべきことをする!・・・でもあまり肩肘張らず、“いし”さんの人生観を見習って、浮世から達観したモノの見方ができれば楽になるのかも?ちなみに、タイトルの【虚舟】(きょしゅう)は単純に「人の乗っていない舟」という意味もあるが、「何の束縛もなくわだかまるところのない心。」という意もある。
2011.02.11
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ただ良心だけが私の支えだ、 良心というのは人間の良き伴侶で、 自己の潔白の自覚が人に強みを与えてくれる。 『神曲』 地獄篇第二十八歌 ダンテ・アリギエーリ 平川祐弘訳「話すのも恐ろしいものを見た。」に続く言葉。そして、「確かに見た。いまも目の前に浮かぶ。」とその恐ろしいものの描写が始まる。(胴体が斬り落とされた首の髪をつかみ、まるで提灯のように手にさげて行く。)(ベルトラン・ド・ボルン:以前の「怠惰・・・」に挿入した挿絵)自分に後ろめたさがないということは誰に対しても正々堂々としていられる。だから良心に従っていれば、その引け目を感じる必要がないことが強みになる。・・・ということだろう。そのことが恐ろしい光景を目撃した時の支えになるかどうかは疑問だが、日常であれば強みになるのは間違いないだろう。「不幸の日にあって 幸福の時を思い出すほどつらい苦しみはございません。」フランチェスカ 地獄篇五歌地獄巡りが始まり、辺獄(リンボ)と呼ばれる第一の圏谷(たに)を抜け、罪業を糾すミノスを過ぎ、第二の圏谷に入った。その地獄では、肉欲の罪を犯した者が地獄のひょう(風編に炎)風に小止(おや)みなく煽られ吹きまわされている。死後も二人一緒になったままで、パオロとフランチェスカの魂が飛ばされてきた。ダンテの問いに答えて、フランチェスカがその悲恋の身の上を語り始めた時の台詞。「幸福なりし日を回想するより大いなる苦しみはなし」 「不運な時に幸福な時代を思い出すことほど辛いものはない。」 このような訳で名言とされ引用されている。「自由を求めて彼は進みます、そのために 命を惜しまぬ者のみが知る貴重な自由です。」 ウェルギリウス 煉獄篇第一歌地獄から煉獄の島に抜け出たところで、煉獄の番人カトーに、(地獄から逃げ出してきたのかと疑われ)奈落の掟が破られたのか?と身の上を問いただされたことに、ウェルギリウスが答えた中の一節。政治的な自由を求めるスローガンに転用され、全体主義に対抗する人々のモットーともなった言葉。もともとは罪の奴隷である自分を解放し、肉体から自由になるという宗教的な自由を意味するものらしい。ちなみに、このカトー翁とは、紀元前95年に生まれた人で、ローマの共和制と自由を守るためにカエサルと戦って敗れ自害したのだそうだ。紀元前の人ということはキリスト教の信者ではない(異教徒)のだから、ウェルギリウス同様、洗礼を受けなかった者がいる地獄の第一の圏谷(たに)・辺獄(リンボ)にいるべきじゃないのか…。その上、自殺者だという。自ら命を絶った者は、更に地獄の底に近い、第七圏谷の第二円で樹木と化しているはず。訳注でもこのことに触れられていて、ダンテは彼を倫理的な理想人物として尊敬していたから、地獄の自殺者達の中に加えずここの守衛としたのであろう。と解説されている。ダンテの好みで地獄・天国が自由自在。(苦笑)「私について来い。勝手にいわせておけ。 風が吹こうがびくとも動ぜぬ塔のように どっしりとかまえていろ。 次から次へと考えが湧く男は、 とかく目標を踏みはずす。 湧きあがる力が互いに力をそぎあうからだ」 ウェルギリウス 煉獄篇第五歌生前悔悛の遅かった者が待たされている煉獄前地で、ダンテが影を作っている (生身の体を持ち生きている)ことに気づいた亡者が、そのことを叫んだので、その声を気にして振り向いたダンテに、ウェルギリウスが注意した言葉。最初の一文は、「お前の道を進め。人には勝手なことを言わせておけ。」 「汝は、汝の道をゆけ。そして人々にはその言うにまかせよ」 等の訳文で名言として引用されることも多い。「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存候。」 勝海舟や「世の人は、われをなにともゆわばいえ、わがなすことはわれのみぞ知る」坂本龍馬 といった言葉と同じ意味だろう。だが、後半部分も前半に劣らずに示唆に富む。一つの物事に集中せず、色々な事に気をそらしていてはダメだということ。「もうそのくらいにして前へ進め。 ここではみな帆をあげ櫂を使い、 全力を尽くして己の舟を進めねばならぬ」 ウェルギリウス 煉獄篇第十二歌煉獄の門をくぐり第一の環道で高慢の罪を清めている亡者(細密画の名人オデリージ)とダンテが、「軛(くびき)につながれた二頭の牛のように、その重荷を背負った魂と並んで進んでいた」。その時にウェルギリウスがダンテを叱責した言葉。煉獄では、魂はみな罪を清める為に全力を尽くしているのだから、邪魔をするのはいい加減にして、おまえも前に進め!という意味。だが、現実の人生においてもみな、帆をあげ櫂を使い、全力を尽くしている。おまえも自らの人生を、力一杯、前に進んで行け!ともとれないか。この言葉を受け歩き出したが、まだ足取りの重いダンテに、ウェルギリウスは「目を下の方へ向けて おまえの足が踏みしめる大地を見るがいい、 足取りがずっと楽になるだろう」とアドバイスしている。遠い道のりの先の事、やるべき事の全体を見ていると、あまりに遠かったり、大きかったりする為に足取りが重くなる。今なすべき事、目前の一歩と小さく分割し、集中することで、楽になる。意志は、意志が欲せぬかぎりは、滅びるはずはなく、 暴力が加えられて火が弱まることが千回あろうとも、 なお火勢が自然と盛り返すように、意志もまた燃えあがるはずのものです。 ベアトリーチェ 天国篇4歌ダンテはベアトリーチェとともに煉獄から天国に渡り、月光天にいる。誓願を立てたにもかかわらず、それを破ることを余儀なくされた人々の魂がこの一番低い天球に割り当てられている。ここで俗世を遁(に)げ、尼僧となる誓願をしたにもかかわらず、力ずくで還俗され結婚する事になった大王妃コンスタンツァ達の話を聞いた。(第三歌)そこで他者の暴力によってなぜ善い願いの功徳が減じるのか疑問に思ったダンテにベアトリーチェが説明する中の言葉。 この言葉に続き、暴力は意志が薄弱になるにつれ、 強くなります。これらの方々は清らかな場所へ 逃げるだけの力があったのにあのように負けてしまいました。とある。意志は、他の何者も変えることはできない。それを変えるのはただ意志の力のみである。意志は、自ら願うにあらざれば滅びず、あたかも火が千度も強いて撓めらるとも、なお、その中なる自然の力を現すごとくなり。 という訳もある。神曲 (La Divina Commedia )から、教訓は山ほど出てくる。キリがないし、私自身、神曲は終わり、と一区切りを付けたかったので、このように一気に大放出する事にした。ネタ切れの際には又復活させるかも知れないが・・・笑何度かご紹介したギュスターヴ・ドレの挿絵は『神曲』の世界を見事に映像化してくれる。600年近くも年が離れており、ダンテの思い描いた世界とドレの描いた世界は違うのかもしれないが、この二人の天才の合作は素晴らしい。『無為庵乃書窓』というサイトでバーチャル画廊化されているドレの挿絵を見つけたので、そちらでお楽しみ下さいませ。Dante's The Divine Comedy(神曲)
2011.02.06
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人の自由独立は大切なるものにて、この一義を誤るときは、徳も脩むべからず、智も開くべからず、家も治(おさま)らず、国も立たず、天下の独立も望むべからず。一身独立して一家独立し、一家独立して一国独立し、一国独立して天下も独立すべし。 福澤諭吉 『中津留別之書』明治三年(1870年)『中津留別( なかつりゅうべつ )の書』留別とは、別れ去る者が残る者に留め置く言葉の意。母親を東京へ呼び寄せるため中津(現在の大分県)に戻った時に、故郷の人びとに残した書。先日の続き。福沢諭吉は、「高尚で、文明の名に恥じない」とはどんな人だと考えていたのか?これは人間とはどうあるべきか?!という福澤の理想像にも繋がっていく。また全国民が「文明の名に恥じない」ということは、欧米列強と伍していくために、「文明国として認められる」という国家の将来像というニュアンスも感じられる。さてさて・・・この『中津留別の書』は、福澤が生涯かけて伝えようとしたメッセージのエッセンスが詰まっているように思う。(全文がこちらインターネット図書館・青空文庫で読める。)その冒頭部分を見てみる。人は万物の霊なりとは、ただ耳目鼻口手足をそなえ言語・眠食するをいうにあらず。その実は、天道にしたがって徳を脩め、人の人たる知識・聞見を博くし、物に接し人に交わり、我が一身の独立をはかり、我が一家の活計を立ててこそ、はじめて万物の霊というべきなり。古来、支那・日本人のあまり心付かざることなれども、人間の天性に自主・自由という道あり。ひと口に自由といえば我儘のように聞こゆれども、決して然(しか)らず。自由とは、他人の妨をなさずして我が心のままに事を行うの義なり。父子・君臣・夫婦・朋友、たがいに相妨げずして、おのおのその持前(もちまえ)の心を自由自在に行われしめ、我が心をもって他人の身体を制せず、おのおのその一身の独立をなさしむるときは、人の天然持前(もちまえ)の性は正しきゆえ、悪(あ)しき方へは赴(おもむ)かざるものなり。 引用にしてはちょっと長過ぎ?笑その実は、天道にしたがって徳を脩め、人の人たる知識・聞見を博くし・・・は、 偶然にもこないだの『神曲』で紹介したオデュセウスの演説にでてきた言葉、「諸君は知識を求め徳に従うべく生まれたのである」と酷似している。(人間の考える事は、洋の東西を問わず、おんなじ。)だが、福澤はここで終わらない。更に独立の重要性を説く。次に自主・自由に進む。この後有名な表題の言葉がでてくる。人の自由独立は大切なるものにて、 このたった一つのことを誤るだけで、人として大切な、徳を修めることも、智も得る事もできず、故に家も国も、ひいては天下の独立も望むことができないという。諭吉は、最終的に、欧米列強国と対等の文明国として日本を認めさせ、真の独立を勝ち取る。そのために、全国の男女を教育して高尚な人間に導こうとしていた。・・・・と思うのだが、どうだろう。するとそのためには、個人一人一人が一身独立することが必要になる。自由独立は大切、自主・自由という道あり、・・・もそのことを言っているんじゃないか。(自由については、ここでも単なる我儘とは違うと断っているが、 「自由在不自由中(自由は不自由の中にあり)」という言葉で、 自分勝手主義へ堕することへ警鐘を鳴らしていた。)同じような意味で、福澤の代表的な言葉に「独立自尊」という言葉がある。この言葉は諭吉の戒名にまでも用いられている。(戒名は「大観院独立自尊居士」。)余程この言葉を大事にしていたのだろう。前回触れた、教訓集『修身要領』の第二条でこの言葉を定義している。「心身の独立を全うし、自らその身を尊重して、人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と云ふ」 そして、国民を高貴に教育する為に作られたこの教訓集の第一条が、福澤の理想とする人間像であり、今回のテーマの答えとなる。「人は人たるの品位を進め智徳を研きます/\其光輝を發揚するを以て本分と爲さざる可らず吾黨の男女は獨立自尊の主義を以て脩身處世の要領と爲し之を服膺して人たるの本分を全うす可きものなり」(『修身要領』第一条)。 ※黨〔党〕(とう)・・・仲間。共通の利害などで結ばれた集団※服膺(ふくよう)・・・常に心にとどめて忘れないこと。「膺」は胸の意。 (超意訳)人は人としての品位を進め知恵と人徳を研き、益々そのかがやきを高まらせる事を本来尽くすべきつとめとしないわけにはいかない。我国の男女は、独立自尊の主義をもって修身処世の要(かなめ)として、これを心にとどめて忘れないようにし、人として本来尽くすべきつとめを全うすべきものだ。「独立自尊」依存し合ってばかりいてはダメなのはハッキリしている。他人の所為にしてばかりもいられない!また、卑下してばかりいる人には何も成し遂げる事はできないだろう。自分のことが嫌いであれば、人のことを好きになり、思いやる事ができるものか。「独立自尊」この言葉を胸にしまっておかなければいけない。欧米のリベラリズムに影響を受け、脱亜思想である諭吉の思想。その根本が儒教(「礼記」大学 経(けい)一章)の修身斉家治国平天下から来ているのは奇妙な感じがするが、元武士である以上、儒教の素養は幼いときから積んでいたであろうから当然でもある。軽薄に西洋を賞賛していたわけではない事がわかる。異質な文化を咀嚼し自分なりのものを打ち立てていった。そこには旧弊を打ち壊しながらも、日本人として培った教養が背骨としてしっかりと根付いている。改めて日本の江戸時代の教育水準の高さを誇りに思う。(今は恥じ入るありさま。だけれども・・・。汗 その気になればやれる民族のはず!)※修身斉家治国平天下(「礼記」大学)まず自分の行いを正しくし、次に家庭をととのえ、次に国家を治める。そうすれば天下は平和に治まる。福澤諭吉と並んで「天下の双福」と称された、福地桜痴(おうち)という人がいた。(本名、福地源一郎)「日本十傑」の指名投票で最も票を獲得したのが福沢諭吉。ついで福地源一郎であった。 「日本十傑」明治18年(1885)『今日新聞』(現『東京新聞』)が、その時代において各界を代表する人物の指名投票をもとに発表されたもの。福地は、福沢が没した時に、指折りの名文とされる次のような追悼文を送っている。「明治七年余が東京日々新聞を主宰するに当たり、君は余に告げて曰く、足下が新聞事業に従う、はなはだよし、ただただ慎みて政府と提挈(ていけい)することなかれ。提挈せば必ず足下を誤らんと。果たしてしかり、余は君の忠告を挌遵(かくじゅん)せざりしがために我を誤りたりき。噫々(ああ)君は余が益友なり信友なり、君かつて余に背かず、余実に君に背けり。」なるほど、桜痴の心情、諭吉を悼む気持ちがよく表れていて名文だ。前回「続く」で延ばしたため「雪池忌」ではなくなってしまったが・・・遅ればせながら合掌
2011.02.05
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私の生涯の中(うち)に出来(でか)してみたいと思うところは、全国男女の気品を次第々々に高尚に導いて真実文明の名に恥ずかしくないようにすること 『福翁自伝』1899年(明治32年)福澤 諭吉(天保5年12月12日(1835年1月10日)- 1901年(明治34年)2月3日)は、日本の武士(中津藩士のち旗本)、蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者。慶應義塾の創設者。『学問のすゝめ』『福翁自伝』等など。(「最高額紙幣の人」であり一万円札の代名詞でもある。笑)『福翁自伝』は福澤の自叙伝で、慶應義塾大学では毎年新入生に配布されるそうだ。今日、2月3日は雪池忌(ゆきちき)とよばれる福澤諭吉の命日。 戒名は「大観院独立自尊居士」。享年66歳。『学問のすゝめ』と慶応義塾大学で有名だが、ホントにすごい人だ。(勝海舟を批判してのやり取りなどで、私は海舟派なんですがね。)明治維新後の日本に脱亜思想(中華思想・儒教精神から脱却して西洋文明をより積極的に受け入れる)の流れを作ったことは、近代化への貢献が大きい。 現代は逆に脱“欧”思想で儒教などの精神を取り戻す事が大事な気がするが、欧米列強がアジア進出を続けていた当時としては、やはり必要な事だったに違いない。また会計学の基礎となる複式簿記を日本に紹介した人物でもある。(借方貸方という語は福澤の訳。) 保険代理店を生業にしている私にとってはずせないのは、保険制度を日本に紹介した事。「災難請合の事-インスアランス-」と訳している。生命保険は生涯請合、火災保険が火災請合、海上保険を海上請合とし、この三種の災難請合を紹介している。(『西洋旅案内』) (請合とはなるほど・・・。でも安請合いしてしまいそうで、ちょっと怖い。笑)その他にも数多くの業績を持っている。今日の言葉は、そんな諭吉のミッション・ステートメント※とよべるだろう。(※・・・こうしたいこうなりたいという生き方宣言)なんと亡くなる2年前の64歳の時に言っている言葉。今でこそ60歳代はまだまだこれからという感じがするが、当時はそうではないだろうし、最初の脳出血の前とはいえ、晩年だという自覚はあったであろう。それなのに生涯のうちに成し遂げたいことを思い描いている。それも並みのスケールではない。 全国の男女を次第に教育して、その気品を高尚に導き、本当の意味で文明国としていく!と日本という国全体を導く事を考えている。 (単に全国民とせずに、全国男女というのが諭吉らしい。 当時の男社会で全国民としても、女に教育は不要だという輩が多かっただろうから、 男女平等の思想で、敢えて男女としたんだろう。)スゴイ!私たちはどうだろう。したい事を考える前に、自分の年齢、資金、学歴、資格etcと自分の不利な事を勘定し、勝手に制限をつけたりしてないだろうか。諭吉は、自分の使命を最後まで成し遂げようとした。病で執筆が難しくなったが、弟子達に国民を教育する為の教訓集の編纂を命じ、『修身要領』を完成。1900年(明治33年)に自らが創刊していた新聞で発表。その年のうちに福澤自身が全文を揮毫している。翌1901年(明治34年)に亡くなったが、その約半年後に出版された。ご参考に「近代デジタルライブラリー」収録の『修身要領』 実に見事な晩年。自らが勝手に、自分自身に制限をつけるのは間違いだ!不利な条件を数え上げても意味がない。それは言い訳に過ぎない。 見習わなければなるまい!あなたにとって、私の生涯の中に出来してみたいと思うところは何でしょう?ところで福澤諭吉は、「高尚で、文明の名に恥じない」とはどんな人だと考えていたんだろうか?いや、長くなりそうなのでここまで。続きは次回。(前回予告した『神曲』もあるし・・・、ヤバイなぁ!汗)
2011.02.03
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