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1600年の長谷堂城の戦いで有名だ。
山形市を西に国道348を走って行くと、東北中央道をくぐって、正面に小さな山がみえる。
標高229m、高低差85m、城山だ。
周りは、田園や畑でのどかなところ。
城山に到着。
やはり、天地人のおかげで駐車場が整備され、のぼりが立っていた。
八幡崎口には、案内板とパンフレット、さらに登山用のストック。
登山道はそれなりの広さだが整備されていた。
結構な坂で、けっこう上る。
紅葉の時期できれいだった。
少し上がると、小さな八幡神社があった。

さらに尾根沿いに上っていく。
少しぬかるむ感じのやわらかい山で、当時の上杉軍も苦労したことだろう。

途中には山頂を守るように何重にも何カ所かに曲輪(くるわ)が張り巡らされ、柵を立てて防御の場所となった。
さらに要所要所に土手の土塁を作り、防備にあたった。
さらに登ると、山頂近くに稲荷神社。

ついに山頂広場に到着。約10分。
城は破却されたのでないが、展望広場になっていた。
山頂から北東をみると、国道348が伸び、周りは田園と集落、そして遙か先には山形駅と霞城公園(山形城)があるのだが、霞んで見えない。
まさに霞城。
北には、田んぼ、山形厚生病院と大森山、その向こうにうっすらと富神山。
1600年当時、西軍の上杉軍の大将、直江兼続は、山形県最上地方と庄内地方から約2万の大軍を率いて、東軍の最上義光の山形地方を攻め立てた。そして、山形城攻略の最終拠点となる長谷堂城に相対し、富神山に陣を構えた。
守る最上側の志村光安は、兵1000余り、籠城するしかなかった。
しかし、9月14日から約2週間、長谷堂城の周りの水田などのぬかるみ、山にある堀や曲輪や土塁などの地の利、少数精鋭だが奇襲や勇敢な戦いぶりで、直江軍を翻弄し、死守した。9月29日に、直江軍は関ヶ原で石田三成の西軍が敗戦した情報を受け、米沢へ敗走した。
どうしても地元の宮城(伊達)・山形(最上)寄りになってしまうのだが、天地人では直江兼続が主人公だが、長谷堂城の戦いでは絶対的少数で城を守りきった最上軍の方が讃えられるべきであろう。
まあ今となっては、つわものどもが夢の跡ではあるが、昨今の歴史ブームもあるし、長谷堂城に登り、富神山を眺め直江兼続を、遠くの霞城公園を見つめ最上義光の援軍を、おもいをめぐらすのもいい。
http://www.kankou.yamagata.yamagata.jp/db/cgi-bin/search/search.cgi?panel=detail&d01=106411348962722&c=20
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