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「世界の若者10億人以上が難聴になる危険性がある」そうだ。(※医学誌“BMJグローバル・ヘルス”で発表された研究結果)Z世代を含む若い世代は、何に於いてもスマホを使うのがごく当り前。論文では、その影響で「長時間大音量で音を聴き続ける傾向がある」と指摘。確かに周りを見れば、交通機関の移動中だけでなく自転車走行中や道を歩いている最中にも“耳に何かしらの機器“を装着している姿が目に入る。このスタイルが日常的になってから、電車乗降時に誰かが“イヤフォン類を線路に落として電車が止まる”という場面に遭遇することが増えた。論文筆頭者ローレン・ディラード氏は警告する。イヤフォン等の常用やLIVE会場の大音響により、「世界の若者(12~34歳)の推定6億7000万~13億5000万人が安全でない聴き方をしており、聴覚を失う恐れがある」と・・・******スマホ時代になるだいぶ前の私の20代の話。電車内で音楽を聴き浸っていると。隣に座った人から肩をそっと叩かれた。私の安いイヤフォンから音が漏れていたのを、親切に教えてくれたのだ。“自分だけの世界に入り込み、周りへの配慮が欠けていた“自分がとても恥ずかしかった。あの日注意してくれた大人な他人のお蔭で、目が覚めた。それを機に、電車移動中に音楽を聴くのをやめた。 学生時代から音楽なしでは生きられない暮らしだった。それに音楽を聴くのが仕事だったから、私の耳にはいつでもどこでも絶えず音が鳴り響いていた。あの頃も今も音を流しながらじゃないと、原稿が進まない。LIVEにも公私ともに数え切れないくらい行っている。だから大音響浴びまくり。そんな風に長年耳を酷使してきたから、耳の健康はかなり気がかりではある。最近、“聞き間違い”が増えた気がする。年に一度の“聴力検査”では“異常なし”の診断で、今のところはセーフなのかもしれないが。でもたまに、天気の悪い日や気圧や疲れの関係か、しばらく“耳鳴り“がしてる時もある。だからこれ以上、耳が悪くならないように、生活習慣や健康管理に気をつけねば。去年、自宅のオーディオ用に好いヘッドフォンに買い換えた。ただしできるだけ頼らない。コロナ禍前に行った久々のLIVE準備時、“LIVE用耳栓”も吟味して買った。家で聴く音楽のボリュームも不必要に上げないようにしている。近年、ミュージシャンやアイドルで“突発性難聴”になった人のことがニュースでも取り上げられるようになった。この病気を理由に、“大物ミュージシャンが引退“を宣言したのは衝撃的だった。彼等のソレは、大音量を浴び続ける職場環境と不規則な生活等ストレスが影響していると考えられる。“職業病”として本人が受け容れるしかないのだとしても。“商売道具”の大事な耳が音を失う辛さや悔しさは、たとえファンであっても推し量れるものではないだろう。しかし彼等の話や姿勢から学び、我が身を振り返り、“音との向き合い方“について見つめ直すことはできるハズ。一度失ってしまった聴力は、改善できても全てモトの状態に戻すことはできないと聞く。人間の体の機能は、どうしたって加齢に伴い衰えてゆく。ならばせめて若い間、今それぞれに与えられた機能を自ら傷つけることをせず、大事に使ってほしい。******余談だがある記事に、「“難聴”を防ぐと認知症発症リスクが8%下がる」と書いてあった。そう言えば。亡き姑は、同居前からラジオをイヤフォンで聴きながら寝るのが習慣で。同居後、いつの間にか耳の聞こえが衰えたのか、“背後から”話しかけても全く反応しなくなった。彼女の場合、そうなる前から何か1つに気を取られると周りが見えなくなるタイプで、耳だけが発症の原因とは言い切れないが。そうこうしてるうち、姑や外出時に高齢者に話しかけられた時限定で、私の声が大きくゆっくりになった。その経験を通してあることに気づいた。志村けんの名台詞のように聞き返す高齢者はいない。私の周りの高齢者は、“自分の都合の悪い話や興味のない話“は、“華麗(加齢なだけに)にスルー”という技を習得している“つわもの”揃いだった😂★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「4amに観るの色んな意味でキツいわ😢」紅白おめでとう🎊バウ君だけ観るわ📺「怪獣の花唄」か「しわあわせ」歌唱希望。
2022.11.30
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そろそろサッカーW杯が始まるなぁと思ってたら、おとといの夜、油断して開会式始まった。サッカーにハマったのは20代の頃。職場でサッカーに興味がある話を、誰かにしたのかは全く覚えてない。でも退職する日に学生アルバイト君が専門書をくれた。そして転職先が決まるまでの悶々とした日々に、隅々まで読み込んだ。そのお蔭で“強み”をひとつ手にして、転職後早速、取材で役立った。振り返れば、随分長いこと仕事やプライベートで何かと“サッカー”に絡んで、その都度のめり込んだ。だから今も、その時代毎の様々な思い出が蘇る。W杯なら一番印象的なのは、『日韓大会』だ。あれから20年も経つのか。結構記憶に残ってるもんだ。この前、たまたまTVをつけたら、トルシエジャパンがベルギーと闘っていた。先制点を与えてからの、鈴木隆行渾身の“つま先シュート”。そして稲本潤一の敵を撥ねのけながらのドリブルシュート。あのひとつひとつのゾクゾクするゲーム展開、再放送と分かってても何度観ても、やっぱり感動してしまう。亡き松田直樹も躍動してる。宮本恒靖が『バットマンに変身』したのも、この大会だ。ついでに言えば、ロシア戦の勝利は私の誕生日祝いとなり、更に持病の手術を終え自宅療養でふさぎがちな自分に気合いを入れてくれた。そんな超個人的な思い出も混ざってる分、2002年は最も忘れられない。******で。今回のカタール大会。“費用も賞金総額も史上最高”と言われるだけあって、開会式や開幕戦だけ観ても、“お金のニオイ”が画面からもプンプン臭ってきそうな感じが。“サッカー馬鹿”だから、“世界的祭典”をこれまでは凄く楽しみにしてたけれど・・・やけに“冷めた目“で眺めてしまうのは、私が歳を取り過ぎたってだけじゃないだろう。この前の『五輪』もそうだったが、世の中を見渡せば「まだそんな陽気になれない」ってのが本音。長引く感染症の影響で、社会や経済は多くの課題を抱えたまま。例の軍事侵攻や環境・人種問題等など、見過ごせない“現実”が世界中に山積する。そんな御時世に“31兆円”かけた(金まみれ&死者多数の)煌びやかな舞台を、“一体どんな気持ちで”観ればいい? 手放しでは喜べない。こんな時だからこそ、一日のうちに“現実逃避”できる時間は必要なのかもしれないが。今までのように画面に張り付いて夢中で観ることはない気がする。ただし。深い思い入れはないのだけど、気になる選手やチームもなくはない。ま、気張らずに時間が取れれば試合観てみるか~、くらいのゆるさで丁度いいや。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのふたこと。「いい夫婦の日に、高齢の素敵な旦那様に助けて貰いました。奥様と末永くお幸せに。」たかまるぅ~!!!この血管切れそな高音♪
2022.11.22
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10代の頃、ボーイフレンドと“文通”してた。ふたりで学級委員になったのを機に親しくなり、母親同士もPTAで気が合ったみたいだ。S君は小学校の高学年で他県に引っ越した。それまでずっと年賀状の遣り取りをしてたから、あれも自然な流れだったんだろう。転校前に特別な約束もしてないのに、どちらからともなく“手紙”を送り合うようになった。彼からの手紙に、“満月”の写真が同封されていたことがある。天体望遠鏡を親に買って貰った嬉しさからか、“月”が大写しされた紙焼きの写真を数枚、私に送ってくれたのだ。ある時には、旅行で余ったと思われる英国コインも貰った。特にこの“モノクロの神秘的な満月”は、空を見上げるのが好きだった私への『最高のプレゼント』になった。これが私にとって、“大好きな人”からの人生初の贈り物である。この前のblogで「モノより思い出」が・・・なんて書いたけど。このプレゼントだけは、子供時代の私の“一生の宝物”になった。賢くて明るい、輪の中心に居る活発な少年。スポーツマンでやんちゃな面もあったけど、ロマンチックな写真に“彼の本心”を見た気がして。あ、でももしかしたら彼が撮ったんじゃなく、“お父さん“撮影なのかもしれないけども。貰った時は嬉しすぎて、そんな裏事情なんて考えもしなかったから、幸せだった。そんなことを先日の“皆既月食”(※我が家からは角度的に見えず残念!)のニュースを観ながら、急に思い出したりして(今更)。S君は中学校の途中で、他県から戻ってきた。会わないうちに“都会”の洗礼を受けて、“予想外の方向”にキャラ変してしまった。多感な時期だったから、学校で会っても互いに言葉を交わすこともなく、年賀状の遣り取りを最後に時が過ぎ・・・“文通”も完全に途絶えた。今でもまるいお月さんを見ると、ふいに思い出してしまう。あの頃のピュアな私達の心の通い合いと、彼の見事な剃り込みとタンラン&ボンタン・・・写真に残しときたくない格好を。★ ★ ★ ★ ★今日のふたこと。「国会の場で営業するなよ~。頭お花畑なの?」私の頭に一番に浮かんでくるのは、この月。
2022.11.16
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“見知らぬ人”に声をかけられるのは、相変わらず。中でもスーパーでの“遭遇率”は、だいぶ高め。今日も生鮮食品売り場で商品吟味中に、背後から呼び止められる。振り向くと、そこにはキャメルコートを羽織り美しい白髪を小綺麗にセットした“御婦人”が。何か私が粗相でもしたのかと思ったが、違った。彼女は私の“買い物カゴ“を指さして言った。「コレはどうやって食べるんですか?」彼女の興味は、私が産直野菜コーナーで選んだ『リーフレタス』にあった。食べ方を簡単に話すと、「NHKで言ってなかったかしら?コレ凄く栄養があるって!」とやや声のボリュームを上げて私に聞いてきた。「かもしれませんね。食物繊維とかもありますし」と口から出任せで咄嗟に話を合わせたら。「ふーん」と子供のように小首を傾げながら、私のカゴのレタスを凝視する彼女。「まるいレタスと同じですよ。私はコレが保存しやすいから」とさらにテキトーに言葉を添えると、「私も買ってみようかしら♪」とご機嫌になった。その場を離れた後、別の棚の通路で背後に人の気配を感じ目を向けると、彼女がカートを押してこっちに来るとこだった。そのカートに『フリルレタス』が入ってたかは確認できなかったけれど。もしかしたらレタスなんかただのきっかけで、“誰かと話をしたかった“のかもしれない。特にこの店では、そういう“目的”で声をかけられ、暫く“相手”をすることがやたら多い。私も今は主に“おひとりさま“時間が占めてて、直接会話する人がほとんどいない。毎日顔見て会話するのはダンナくらい。たまに事務所に寄って仕事関係者と近況や世間話をする程度。心友達も皆忙しく、メールの遣り取りさえ回数が減り気味。あとはエッセンシャルワーカーさん達とQ&Aを交わすだけ。子供もペットも我が家にはいないし、ひとり暮らしも長かったから、“孤独”には慣れっこではあるけど・・・あの人のように“人恋しさ”を感じる時がないこともない。夜の長い寒さの染みるこんな時季は特に。それにしても。何故こんなに老若男女国籍問わず“初対面“の人から声をかけられるのか? ずっと謎が解けない。ライター業でインタビューに鍛えられたせいか、“人と話す度胸”だけはしっかり身についた。それに加え、歳を重ねているうち自分でもビックリするほど“厚かましく”もなるので、最近はどこから誰に急に話しかけられても動じないというか・・・“会話のラリー“がどこまで続くか?を面白がってる自分がいる。今日あの人と話した帰り道。やっぱり私は“人に話を聞く”のが好きで、“おしゃべり”が楽しみなんだなぁ~と改めて思った。アンニュイな季節のせいで、このところまた自己嫌悪に陥り、“私という人間”は何をすべきなんだろう?と堂々巡りの日々ではあるのだが。唯一私に備わったこの“謎のダイソン並みの吸引力”。今後の仕事やボランティアで活かせるといいなぁとは、うっすら。ここまで“他人が私に声をかけてくれ、少しのトークを楽しんで表情が和らぐ瞬間“を繰り返し見てたら・・・これはもう、私の思い上がりや偶然の出来事ではない???恐れ多いことを敢えて言わせてもらえば。何かしらの“啓示”かもしれないとさえ思えてくる。この先、私の進むべき道。その“答え”をいつか必ず掴みたい。だから、それまでは“修業”と考え、これからも誰かに声をかけられたら、チャンスを逃さず“一度きりのひととき”を大いに楽しみ、“心の器”を広げたい。 ★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「幼児が深夜に起きてるのは今はフツーのことなの?(怖)」ヤマタツ風ジャパニーズスタイル。 ん?バウ君🍝2階に居るよね?
2022.11.15
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コロナ禍が長期化したせいも多分にあるだろう。都会生活をやめて“地方に移住”する人が増えているよう。中には“若い世代“で過疎地移住を希望する人達も・・・。“過疎地”に住める程の体力も熱意も今の私にはないが。“都会”を離れたい気持ちは、よ~く解る。なぜなら私も長年暮らした大都会を離れ、程良い田舎に移り住んだ組だから。10代で大学進学のため九州から初めて上京して、必死に学んで働いて遊んで・・・気づけば実家で暮らした時間よりも都会の方が長くなってた。心折れそうな苦しいことも数え切れないくらいあった。でも、“何でも叶えられそうで超便利で鮮やかでパワーに満ちた街”が大好きだった。そんな“眠らない街”に刺激を大いに受けては成長し、もっとずっと「沼にハマってたい!」と本気で思ってた。そんな気持ちが変化してくのは、仕事の忙しさの中で体調を崩し、長期にわたる持病との闘いが始まってからだ。闘病の苦しみに加え家族の細々した問題が重なってきて・・・だんだんこの生活がツラくなってきた。単に“歳をとった“だけか或いは緑豊かな田舎育ちのクセに、“背伸び”しすぎたからか。目まぐるしく変わりゆく都会の喧騒や情報量に、心身疲れだしていた。******昨日たまたまTVで、長崎の島に移住した若い夫婦の暮らしぶりを観た。さらにその後、有名女優が実家で家族と暮らす番組を。特に女優(同郷)の考えは、年齢的にも共感できたり勉強になったりする部分が多かった。田舎に戻ってもう15年になるそうだ。ドラマで観た小綺麗な彼女より、畑仕事や料理で汗を流す姿は自然体で愛らしい。今のたるんたるんシワっシワの笑顔の方が若い頃より輝いて、羨ましいとさえ。とは言え、彼等のような“完全地方移住”は私達夫婦にムリなのは解ってる。ふたりとも病弱で直ぐに飛んでいける病院が周りにないとダメで、一通りのことが徒歩圏内でできる町じゃないと、車を手放した私達が隠居するのは難しい。今の町を選んだのも、亡き姑との同居を始める前提の家探しだった。つまり姑や私達の“老後”を託しても困らない“程良く便利でゆるい町”が条件だったのだ。小さな町や村に地方移住を実現した人達からすれば、私達のような転居は“中途半端”で“地方移住“とは言えないのかもな。それでも私達夫婦には大きな転換だった。以前の静寂も暗闇もなかった繁華街の暮らしぶりとは、まるで違う。家に居ながら“四季の移り変り”を五感で受け止められる。大袈裟に言えば“自然と共生”しているのを、朝窓を開けるだけで日々感じるのだ。サービスにお金を払わずとも、日常をただ過ごすだけで“癒やし”が手に入るのだから、ありがたい。この時季の週末は、夕暮れ前の1、2時間を“ウォーキング”するのが夫婦の楽しみだ。四方に散策地が広がっているので、その日その時の気分でルートを決めひたすら歩く。同じコースを辿っても、毎回違う発見がある。ココで暮らすようになって、“一期一会”のチャンスが増えたと言ってもいい。「モノより思い出」ってCMキャッチコピーが、何年経っても忘れられない。超便利で刺激的な都会生活にウン十年とハマってみたから、言えることかもしれない。歳を取った今になって解ったのは、「モノも情報も人付き合いも少し足りないくらいが丁度いい」ってこと。不自由な点や物足りない点がちょっとあったとしても、なきゃないなりに“創意工夫”して生きていける。若い頃は都会の暮らしがあまりにも忙しすぎて面白すぎて、周りが見えてなかった。今の私は生き急ぐ必要がないのだし、たとえ平凡に過ぎる日々でも受け容れて、贅沢に時間を無駄遣いしながら、じっくり自分と向き合っていきたい。★ ★ ★ ★ ★今日のふたこと。「商店街の路地裏にドレス姿の花嫁さんとモーニング姿の花婿さんが!好い笑顔にこちらもにっこり😊」ピアノ弾きの指+白シャツのコンボは大好物です。
2022.11.08
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