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10御手洗の池
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(C)オスン6757
御手洗の池の近くの茶店の「御手洗団子」がとっても美味しいです。
塚原卜伝の誕生の地


12塚原ト伝像
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塚原卜伝の生涯
1489年、鹿島大宿(大町)に、卜部(うらべ)職・吉川覚賢の[卜占(占いのこと)を職務とした神官]の次男として、高幹が生まれます。
5歳で塚原土佐守安幹の養子となり、安幹や、実父、松本備前守らに、鹿島中古流や香取神道流の剣術を学びます。
1505年、17歳にして、1回目の武者修行の旅に出発します。この時に、京都の清水寺付近で真剣勝負を行ったと言われています。
1518年、松本備前守の勧めで、鹿島神宮に千日参籠し、その結果、悟りを開いて、一の太刀の妙理を知り、独自の流派を編み出します。そして、卜部に伝えられた鹿島の剣を伝承する意味で、卜伝の号を名乗ります。
1523年、二回目の修行の旅。九州太宰府にまで足跡を残しています。実父の死を知り、1532~33年頃、鹿島に帰郷。塚原城を継ぎ、妻を娶るも、10年で死別してしまいます。
1556年、養子・彦四郎幹重を城主に据え、三度目の旅出。後の世で、剣聖と呼ばれるのもこの頃。しかし、彼は流派の名前を最後まで、決めませんでした。鹿島新刀流の名は、後に弟子が付けたものです。
この旅の間でに、足利義輝、足利義昭、細川藤孝、北畠具教、武田信玄等、数多くの武将を指南しました。1558年に、伊勢国の北畠具教に一の太刀という、人の和を作り出す最高の剣技を伝授し、戦乱の世を救おうとしたとされる。
1566年に鹿島に戻って、悠々自適な生活を楽しみ、卜伝百首などを著作し、弟子の松岡兵庫助に看取られて、1571年没す。生涯19回の真剣勝負で無敗だった言われています。
★ 昨年の10月よりBS時代劇で「塚原卜伝」が放映されていましたのでご覧になった
方もいらっしゃるのではないでしょうか。...
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