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四国アイランドリーグの高知ファイティングドッグズは、高知県西部の宿毛球場にて春季キャンプを行なっている。同球場は近鉄バファローズが1976年から7年間キャンプを張っていたことがある。宿毛市は高知県の西端に位置していて交通の便も悪く、評論家もあまり訪れることはなかった。また歓楽街もなかったので、選手は朝から晩まで野球漬けの生活だった。当時の監督は西本幸雄氏で、12球団一の練習量を誇り「地獄のキャンプ」と言われたが、猛練習の成果で栗橋・平野・羽田・梨田等が一人前に育ち、79~80年のパリーグ2連覇に繋がった。宿毛は南国ながら寒いところで、しばしば雪が降り、西本監督自らが雪かきをする姿がよくニュースで紹介された。昨日の大阪は滅多にない雪景色になり、近鉄宿毛キャンプのことを思い出してしまった。
February 10, 2008
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最近のプロ野球のキャンプ地は概ね沖縄か南九州あたりの温暖な地域に集中しているが、以前は本拠地周辺で行なわれることもあった(巨人ー伊東、西鉄ー島原、日本ハムー鴨川など)。近鉄は球団55年の歴史の中で初年度(1950年)のキャンプを藤井寺球場で実施している。2年目は高知へ移ったが、3年目は藤井寺球場と日生球場で行い、その後は宮崎(6年)-今治(3年)-今治・高知(2年)-藤井寺(1年)-今治(2年)-明石(1年)-明石・佐伯(1年)-延岡(7年)-宿毛(7年)-日向(22年)と変わった。また85年から16年間は第1次キャンプをサイパンで行っていた。キャンプ地にはプロ野球チームがおよそ1ヶ月滞在するわけで、地元には多大の経済波及効果をもたらす。選手・報道関係者・ファンが利用する交通機関・ホテル・旅館・飲食店などは年間売上のかなりの部分をこの期間で稼ぐことになる。バファローズが22年間キャンプを張った宮崎県日向市は例年2月になると大変な賑わいだったが、今やノンプロチームや大学野球部が来るだけで、閑古鳥が鳴いているとのことである。
July 18, 2007
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今シーズンは「近鉄」投手陣の奮闘が目立っている。昨日の試合では楽天の岩隈久志と合併球団の山本省吾がいずれも勝利投手になったが、岩隈は自己最多タイの15勝、山本は今シーズン2度目の完封で8勝目を飾り、共にエースとしての働きぶりを見せている。近鉄球団消滅後もノリ・ローズを筆頭に打者は「いてまえ打線」の名に恥じない数字を残してきたが、投手陣は総じて不振が続いていた。昨シーズンは楽天・合併球団トータルで勝ち星が25に過ぎなかった投手陣だが、今シーズンは昨日までで朝井(7勝)・近藤(6勝)・香月(1勝)・高木(1勝)を合わせて既に38勝を稼いでいる。ファンとしては長く闘病生活を続けて、先般1軍登録された宮本大輔に勝ち星(或いはホールド・セーブ)が付くのを待ち望んでいる。
August 11, 2008
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昭和30年代にはまだ組織化された応援団はなかった。自分の記憶としては近鉄バファローズの応援団として最初に組織されたのは昭和40年ごろに出来た「高井田応援団」だったと思う。東大阪の高井田に住んでいたファン20人ほどが中心になって結成された組織であるが、応援といっても当時はまだトランペット演奏などは殆どなく、笛・太鼓・手拍子・野次、それに勝利の瞬間の紙テープだけだった。「高井田応援団」は内野指定席あたりに陣取っての応援で、何故か黄色い応援旗を打ち振っていた。最近の応援は試合開始から終了までトランペットが鳴り響き、野球を見ているのか単に騒いでいるのかよくわからないが、当時はまだのどかで応援団のユニークな野次合戦が楽しかった。特に大阪球場での南海ー近鉄戦は観客が少なくて応援団同士の野次の応酬がよく聞こえた。内容はきつかったがユーモアもあって大変面白く、非常に懐かしい思い出になっている。南海側:投手交代の時 「さよなら、さよなら○○、さよなら、さよなら ○○、近鉄電車で早よ帰れ!」 勝利の時 「勝った、勝った、また勝った、弱い近鉄に また勝った、近鉄電車で早よ帰れ!」近鉄側:投手交代の時など 「牛が引張る南海電車、ガタゴトガタゴト 南海電車、南海電車はボロ電車、 近鉄電車は2階建て!」 「1塁打、2塁打、3塁打にホームラン、 レフト前、センター前、ライト前、当たり前、 南海のピッチャー○○、打たれて打たれ てあ~ミジメ、ミジメ、ミジメ、あ~ミジ メ!」
October 14, 2006
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